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創命理念で異世界ライフを  作者: Izma
第一章 第一節 幼少期篇

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第二話 「名もなき声」

生まれてから、しばらくの間。

世界は、輪郭を持たなかった。


音は、たしかにあった。

声も、揺れも、匂いも。

けれどそれらは、意味として結びつく前にほどけて、

ただ流れていくだけのものだった。


遠くで何かが鳴り、

近くで誰かが息をする。

けれど、それが「誰」で、「何」なのかを判断する輪郭は、まだなかった。


泣いていたかどうかは、分からない。

笑っていたかどうかも、分からない。


そもそも、

それが泣くことなのか、笑うことなのか、

自分自身で区別できていたのかさえ、怪しい。


ただ――

温かい、という感覚だけが、

何度も、何度も、繰り返し訪れていた。


それは突然やってきて、

包み込むように広がり、

やがて静かに遠ざかっていく。


理由も、意味も、名前もない。

けれど、その感覚があるあいだだけは、

不思議と、何も欠けていない気がした。


「この子……あまり泣かないわね」


少し不安そうな声が、耳の奥をかすめる。

けれど、それが誰の声なのかは分からない。


声の高さも、言葉の意味も、まだ区別できない。

ただ、その声が近づくたび、

包み込むような温度が、必ず一緒にやってきた。


「眠っているだけだろう。ほら、ちゃんと息をしている」


低くて、落ち着いた声。

大きな手が、背中に触れる。


その感触は少し硬くて、

指先にはざらつきがあって、

でも、なぜか安心できた。


強く押されるわけでもなく、

離れていくわけでもない。

ただ、そこに在るというだけの重み。


「それでも……あまりにも静かで……」


「心配しすぎだ。元気に育つさ」


同じやり取りが、何度も、何度も繰り返される。

意味は分からない。

言葉の内容も、文の区切りも、まだ理解できない。


それでも、

声の重なりと、

触れる手の温度だけは、

確かにそこにあった。


別の日。


「ほら、ちゃんと見てるわ」


今度は、少し高くて、軽やかな声。

温度の質が、少しだけ違う。


「目で追うのが早いですね。

 このくらいの子は、まだぼんやりしているものですけど」


少し距離のある声が、重なる。

どこか仕事めいた、線の整った響き。


「そうなの? やっぱり、この子……」


言葉の先は、聞き取れなかった。

というより、

最後まで聞き取るだけの“形”が、まだなかった。


けれど、

その直後、近くに差し出された顔があった。


視界いっぱいに広がる、ぼやけた輪郭。

動く影。

色の塊。


それを、

じっと見ていたらしい。


“見ていた”という事実だけが、

あとになって、かすかな手触りとして残った。


成長と呼べるほどの変化が、

いつ起きたのかは分からない。


ある日を境に、何かが変わったわけでもない。

ただ、気づけば、世界は少しずつ形を持ち始めていた。


天井がある。

壁がある。

光が差し込む方向が、

毎日だいたい同じだということも。


それが「部屋」だという理解は、まだない。

けれど、

同じ場所で、同じ明るさが繰り返されることだけは、

ぼんやりと認識していた。


ある日、

部屋の隅に置かれた、

光る板のようなものが、視界に入った。


鏡だった。


そこには、小さな顔が映っていた。

目があって、

鼻があって、

口がある。


自分と同じ動きをする、それ。


首を傾げると、同じように傾ぐ。

瞬きをすると、遅れずに瞬く。


しばらく、動かずに見つめていた。


分からない。

これは、何だ。


分からないけれど、

なぜか、目を逸らせなかった。


後ろから、声がした。


「アイザック?」


呼ばれた音に、体が先に反応した。


映っている“それ”ではなく、

声の方へ、視線がずれた。


「……やっぱり、今の、分かってるのよね?」


鏡の向こうで、誰かが笑った。

その笑顔は、どこか安心したようにも見えた。


そのとき、

なぜか胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。


言葉が増え始めた頃。


といっても、

自分で理解していたわけじゃない。


ただ、

周囲の音が、

以前よりも長く、

ひと続きのものとして聞こえるようになった。


「アレンに似てきたな」


外から聞こえる声。


「え? そう? 私はセリアに似てると思うけど」


別の声が返す。


「目元は父親、色は母親だな」


「でも……なんていうか……」


言葉が、少し途切れた。


「……雰囲気が、どっちとも違う気がする」


その言葉のあと、

空気が、わずかに揺れた。


笑いに変わったのか、

気まずさだったのかは分からない。


けれど、その“間”だけが、

なぜか、胸の奥に引っかかったまま残った。


気づけば、歩けるようになっていた。


転び、

立ち、

また転ぶ。


そのたびに、同じ声が聞こえる。


「危ないって言ったでしょ」


「大丈夫だ。ほら、泣いてない」


“泣いていない”という言葉が、

何度も、何度も出てきた。


それが良いことなのか、

悪いことなのか。

自分には、まだ分からない。


ただ――

転んだとき。

頭を打ったとき。


母の手が触れた瞬間、

痛みが、すっと消えたことがあった。


淡い光。

短い言葉。

温度。


説明できないけれど、

それだけは、やけに鮮明に残っている。


そして――

時間は、ゆっくりと、

しかし確実に流れていった。


♢♢♢


そのあいだに、名前が与えられ、

声が届き、

歩けるようになった。


気づけば、六年。


六年という時間は、

赤ん坊だった僕の世界を、ゆっくりと形づくっていった。


両親の言葉は、断片的にしか残っていない。

泣きじゃくっていた母の声も、

ぎこちない笑みで僕を抱いた父の手の温度も、

すべてが霞がかった夢のようだ。


それでも――

あの二人に、確かに愛されて育ったことだけは、分かる。


前の世界での両親の姿が、

ふと、脳裏をよぎることがある。


厳しいけれど、優しかった母。

愛し方が分からず、不器用だった父。


ふたりは何度も衝突し、

離れ、

それでもまた寄り添い――

そんな揺れる形のままで、

僕を愛してくれていた。


だからこそ、

この世界の両親がくれる温度も、

僕は真摯に、そして素直に受け止められたのだと思う。


――そして、六歳になった。


朝の霧が、まだ残る村の丘で、

僕は木剣を振っていた。


「……はっ、はっ……!」


腕は重く、

息はすぐに乱れる。


剣の才能なんて、ない。


それでも、

僕は毎朝、決まってここに来ていた。


“強くなりたい”

それだけが理由じゃない。


胸の奥に、

言葉にできない不安がある。

それを振り払うように、

ただ、剣を振る。


何百回と振ったあと、

息が落ち着くのを待って、

僕は静かに座り込んだ。


(……魔素と霊素)


この世界には、さまざまなエネルギーが満ちている。

その中で、村人でも扱えるとされる、

最も基礎的な力。


――魔素まそ霊素れいそ


魔素は、空や大地に満ちる“自然の力”。

霊素は、生命や心に近い“内側の力”。


そう教えられてきた。


どちらも、

呼吸を整えれば、ぼんやりと感じ取れる。

けれど、「術」と呼べるほど、

自在に扱えるわけじゃない。


この村には、

貴族の子供が通うような学校はない。


家にあった古い本と、

父と母の知識。

それが、僕のすべてだった。


(街の学校に通ってる同い年は、

 もう火花くらい出せるって聞いたけど……)


少しだけ、

胸の奥がざわつく。


僕は息を整え、

ゆっくりと目を閉じた。


魔素は、

風の流れのように、体の外側を包み込み、

霊素は、

胸の奥で、心臓に触れるように脈打つ。


正式には、

“マナス”や“スフィル”という名前があるらしいが、

そんなことは、まだ知らない。


僕の世界は、

まだ“まそ”と“れいそ”で十分だった。


(いつか使えるようになれば……

 何か、変わるのかな)


そう思って、目を開けたとき――

丘の下から、足音がした。


「イザークー!

 また一人で練習してるの?」


「……うるさいな」


そう口では言いながらも、

リーネが来てくれたことが、

少しだけ嬉しい。


声の主はリーネ。

赤毛を揺らす、

おしゃべりで明るい少女だ。


村の噂話を、

いつも誰よりも早く仕入れていて、

今日も息を弾ませて駆け寄ってくる。


「今日も

 “魔素の色が見えた気がする〜”

 って言うんじゃないでしょうね?」


「いや……別に……

 そんな大したことじゃ……」


からかわれながら苦笑すると、

丘の裏側から、別の声がした。


「ザック、木剣を貸してくれ。

 折れた」


ジョルだ。

鍛冶屋の息子で、力は強いが、

気性は穏やかで優しい。


手に持った木剣は、

まるで古い薪みたいに、真ん中が割れていた。


「いやジョル、

 どれだけ全力で振ったんだよ、それ。

 木剣って、そんな薪みたいに割れるか?」


「……いつも通りのつもりだったんだけどな」


ばつが悪そうに、

頭をかく。


そこへ、

背中を丸めながら、もう一人が駆け込んでくる。


「イザークー!

 今日も剣の素振りしてるのかよ!

 すげぇな! 感心感心!」


「なにが感心だよ。

 その前に、自分が振れっての!」


テルムだ。

コルトと並ぶお調子者で、

剣の練習をすぐにサボることで有名だが、

なぜか、他人が頑張っていると、

嬉しそうに褒めてくる。


「あれ、コルトは?」


「あいつなら、

 今朝は寝坊してた。

 いつものことだけどな!」


そんなやり取りをしていると、

村の道から、足音がひとつ近づいてきた。


「……みんな、朝から賑やかだね」


静かに微笑んだのは、ファナ。

物静かだが聡く、

昔、僕が熱を出して倒れたとき、

水を運んでくれた、優しい少女だ。


「アイザック……

 今日も、無理しすぎないでね」


「うん。ありがとう!」


小さな声だけど、

その言葉には、不思議な安心感がある。


そこへ――


「みんなが集まってると思ったら……

 ここか」


薬草の籠を抱えたマリエもやってきた。

薬草屋の孫で、

植物の知識は、村一番。


落ち着いた性格で、

困っている人を見ると、

必ず助けに来る。


「テルム、

 また転んだでしょ?

 膝、擦りむけてるよ」


「ば、バレた!?」


「薬、塗るから後で来て」


五人は、

当たり前のように僕の周りに集まり、

朝の丘は、一気に賑やかになった。


(……一人のほうが好きだけど、

 これも悪くないかな)


気づけば、

この村で僕には、

“仲間”と呼べる存在ができていた。


誰かがふざけて笑い、

誰かが木剣を覗き込み、

誰かが体調を気遣ってくれる。


暖かい。

胸の奥が、じんわりと熱くなる。


(……守りたいな。

 この時間を)


そう思いながら、

僕は彼らと一緒に、丘を降りていった。



皆と別れて、家に向かっていると――


「イザークー!

 朝ごはんよー!」


母セリアの声が、風に乗って届いた。

赤みの強い茶色の髪が、

朝日に透けて、ふわりと揺れる。


笑顔なのに、

どこか心配性な優しさが滲む顔。


僕としては、

お母さんは美人だと思う。

いや、きっとそうだ。


「……今行く!」


丘を駆け下り、家へ向かう。

家の前では、父アレンが、

鍬を持って畑を耕していた。


「おはよう、父さん」


「……ん。

 今日も、朝からよくやってるな」


口数は少ない。

けれど、その短い一言が、

十分すぎるほど、力強くて温かい。


こんな朝が、

六歳の僕の“日常”だった。


――けれど、その日。

日常は、静かに揺らぎ始める。



夜になり、風が止んだ。


村の人たちは、口を揃える。

「律の結界が弱い時は、森に行くな。

 特に夜は、絶対に近づくな」


理由は知らない。

でも、この世界には、

“そういう時期”があるらしい。


寝つけずに外へ出ると、

森の方角から――

かすかな鳴き声がした。


「……え?」


動物にしては、弱すぎる。

魔物にしては、怯えすぎている。


そんな、不安に満ちた声。


それが、

言葉となって、

頭の中に直接、響いた。


「……たす……けて……

 しにたく……」


その声に、名前はなかった。

けれど、確かに――“生きたい”と訴えていた。


(……放っておけない)


足が、勝手に森へ向かっていた。


暗闇の中、

月明かりに照らされる、白い影。


それは――

傷だらけで倒れている、小さな獣だった。


神秘的な白い毛並み。

光を吸い込むような、琥珀の瞳。


狐にも、狼にも似ていない。

どこか、世界からはみ出したような姿。


体の半分以上が泥にまみれ、

呼吸も、浅い。


「大丈夫か……?」


手を伸ばした、その瞬間。


――律ニ背ク行為、確認。


頭の奥に、冷たい声が響いた。

また、あの声だ。


あの白い闇で聞いた声。

僕を“選定外”と呼んだ、

無機質な響き。


世界の温度が、一瞬で下がり、

木々のざわめきが、消える。


――選定外、要審査。


「……うるさいよ」


呟いた声が、掠れていた。

恐怖じゃない。

怒りだった。


「この子は……“生きてる”。

 選定とか、価値とか……

 そんなの、関係ないだろ」


服を裂き、傷口を押さえる。

そのとき、僕の手のひらが、

ほんのりと光った。


魔素でも、霊素でもない。

説明できない温度。


白い獣の呼吸が、

ほんの少しだけ、整う。


――記録、継続。


声が消え、

風が戻った。


静寂の中、

獣が、かすかに目を開く。


そして――


「……あ……りがと……」


人の声で。


それは、

忘れていた何かを、

呼び覚ますようだった。


僕は息を呑み、

目を丸くする。


その瞳の奥に――

どこかで見た“光”が、

確かに宿っていた。

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