第二十七話 「揺れた朝と、半年後の手紙」
昨夜、祠が鳴らした鈴の余韻が、まだ胸の奥で静かに揺れていた。
(……なんだろ、この感じ)
目を開けると、朝の光が部屋にゆっくり差し込んでくる。
窓を開くと、ナティアの街が柔らかな色に包まれていた。
香ばしいパンの香り、商人たちの声、馬車の車輪の音。
変わらないいつもの朝なのに――どこか違って見えた。
(魔素、か……)
意識を少し研ぎ澄ませる。
大地を一筋に走る“濃い流れ”。
空を漂う“薄い揺らぎ”。
川のほうからくる“冷たい軌道”。
魔術を初めて成功させて以来、
魔素の流れが“見えるような気配”になっていた。
(昨日だって、依頼で使ったしな……)
昨日のこと。
軽い護衛依頼の最中、小型魔物が茂みから飛び出したとき――。
「――《火弾》!」
掌に集まった魔素が、自然と火の形にまとまった。
あの日より明確で、より滑らか。
魔物の足元の土を撃ち抜き、進路を逸らす。
焦げ跡だけが残り、誰も傷つかない。
「お、お前……いつの間に魔術なんて……!」
周囲の冒険者が驚いて声を上げたくらいだ。
(……まだ不安定だけど、魔素の流れを視れば、形にできる)
魔術特有の“術式で縛る感覚”は弱い。
でも、僕は流れを“色で捉える”ことで動かせるみたいだった。
これは多分、普通の魔術とは違う。
――ただ、それに気づく人は、まだいない。
◇◇◇
ギルドの扉を押すと、涼しい風が入ってきた。
「あ、アイザックくん。今日早いね」
カウンターの向こうで、ミーナが書類をまとめていた。
「ちょっと依頼の相談もあるんだけど……その前に、手紙を書こうと思って」
「手紙?」
ミーナがぱっと笑顔を広げる。
「ご家族に?」
「うん。……もう半年だし」
言った瞬間、胸がじんわり温かくなる。
(気づけば……半年か)
ナティアに来て、冒険者として働き始めて、半年。
剣も魔術も霊術も、全部“必死すぎて”、
家族のことを思い出す余裕すらなかった。
前世は一人っ子で、
家族は三人だけ。
だからか、今の家族――
母さんと父さん――
あの二人の声や背中が、時々ふっと恋しくなる。
(……元気、かな)
自然と、胸の奥の“核”が震えた。
ズキ……。
夜の鈴の余韻がまだ残っている。
「手紙を書くなら、奥の休憩室が空いてるよ。
ゆっくり使ってね」
「ありがとう、ミーナさん」
休憩室の机で、紙を前にペンを握る。
(……会いに行ってもいいんだけど)
トーヴェルまでは馬車で三時間。
行こうと思えばすぐに行ける。
けど今年のトーヴェルは――
“季節風の乱れ”で街道が不安定らしい。
特に南街道では、
突風で馬車が横転する事故が何度も起きている。
(……だから、直接行くのはやめておこう)
手紙なら、冒険者ギルドの配送班が安全に届けてくれる。
紙にゆっくり文字を書く。
『母さん、父さんへ
アイザックです。ナティアに来て半年が経ちました。
剣の修行も、魔術の練習も、ちゃんと頑張っています。
……元気にしていますか?』
書きながら、自然と笑みが浮かぶ。
(父さん、相変わらず畑やってるのかな)
父は剣が強かったはずなのに、表向きは農民。
母は術士だったはず…多分そうだけど、ただの優しいお母さん。
“隠している”のは何か理由があるのだろう。
僕はまだ聞く勇気がない。
けど――会いたい気持ちは変わらない。
最後の行をゆっくりと書く。
『また必ず会いに行きます。
そのときまで、元気でいてください。』
ギルドを出ると、ミリエルが袋を抱えて走ってきた。
「あ、アイザックくん! また採取の依頼、頼んでもいい?」
「もちろん。帰り道だったし」
「よかったぁ〜! あ、今日はね、森の気配……またちょっと変だったよ」
「魔素の流れか?」
「そう! 風が弱いのに、木の根が“ざわざわ”してたの」
(また……変化が起きてるのか)
魔素の暴走の兆候。
森の変化。
祠の鈴の音。
全部が、少しずつ何かを示している気がした。
「気をつけるよ。約束する」
そう言うと、ミリエルが安心したように笑った。
そして夕方。
ギルドに戻ると、配送班の人が声をかけてきた。
「アイザック・ヴァーンだな? トーヴェル村からの返信だ」
「……え? もう?」
「特例だ。年に一度の収穫祭が近いから、行き来が増えててな」
封筒を受け取ると、胸が高鳴る。
母の文字。
『アイザックへ
元気にしていると聞いて安心しました。
トーヴェルは今年、風が荒れて作物があまり育たないのに、
お父さんの畑だけはなぜか実がよくついています。
でも“理由は聞かないでくれ”って笑っていました。』
(父さん……また何か隠してるな)
続いて母の字が、優しく続く。
『それからね、あなたがいなくなって、また“風狼”が近づいた日の翌朝、
お父さんが村の子どもたちに剣を教え始めたの。
みんな喜んでいるよ。』
父さん。
本当はすごい剣士だったのに、
僕には簡単な素振りしか教えてくれなかった。
理由は――聞かないでもなんとなく分かる。
(僕が自主的に毎日鍛錬してたから見守ってたのかな?
それとも危険に巻き込みたくなかったのかな…)
胸が少し温かくなった。
最後の行。
『季節風が落ち着くまでは、無理して帰って来なくていいよ。
あなたはあなたの道を進んでください。
母より』
読み終えた瞬間、胸の核がまた小さく脈打った。
ズキ……。
(……母さん、父さん……)
前世では、一人っ子だった。
両親と三人だけの、愛情はあるけどなぜか静かで温かい家庭。
だけど今は――
世界も違う。
体も違う。
けれど、家族を想う気持ちだけは、前と変わらない。
(……ちゃんと強くなるよ)
鈴の音がなくても、胸の奥が応えるように震えた。




