第十章 〜美味い料理と酒瓶と〜 6
翌朝、吹雪は収まり、辺りは静寂に包まれていた。
ミレイが目を覚まし、焚き火の残り火を見つめる。
「……少し冷えてるね。出発の準備をしようか」
リヴィアも目を覚まし、体を軽く伸ばした。
「ええ。早めに動いたほうがいいわね」
バルドは伸びをしながら酒瓶を振る。
「よっしゃ、今日も歩くぞ。……っと、その前に腹ごしらえか?」
ミレイは軽く頷きながら、周囲を見回した。
「簡単に食べて、すぐに出よう」
「まぁ待て。腹が減ったままじゃ戦えねぇだろ?」
バルドは荷物をあさり、干し肉や乾燥野菜のほかに、チーズや香ばしいナッツ、何やら見慣れない調味料の瓶を取り出した。
「ちょっと待って、なんでそんな食材持ってるの?」
リヴィアが思わず目を細めて問いかける。バルドは平然と肩をすくめた。
「ああ、これか? 酒にはうまいもんが必要だろ?」
「……あなたの基準、本当にお酒が中心なのね」
リヴィアがため息交じりに呟く。
バルドは器用な手つきで干し肉や野菜を手早く鍋に放り込み、チーズをちぎって投入すると、香辛料を適度に加えて煮込み始めた。やがて香ばしくて食欲をそそる香りが立ち上り、ミレイとリヴィアは思わず鍋を覗き込んだ。
バルドは器に分けながら、「ほれ、熱いうちに食え」と差し出した。
差し出された器を受け取ったミレイがひと口すすり、目を見開いた。
「これ……すごい。こんなに美味しいなんて」
リヴィアも慎重にスープを口に含むと、驚いたように眉を上げた。
「ほんと……酒狂いのくせに」
バルドは得意げに笑い、満足そうに頷いた。
「ま、こんくらい出来なきゃ旅はやってられねぇよ」
食事を終え、三人はそれぞれの装備を整えて再び歩き出した。
雪は降り止んでおり、白銀の静けさだけが辺りに広がっている。しばらく歩くと、遠くに街らしき影が見えてきた。
「……街が見えるね」
ミレイが目を細めると、バルドが頷いた。
「ああ。アルトフロストだな。酒の仕入れで何度か寄ったことがある」
ミレイとリヴィアはちらりと視線を交わした。二人の表情に微かな警戒心が宿るのを見て、バルドは軽く肩をすくめた。
「お前ら、なんか慎重だな。まぁ、気持ちは分かるけどよ」
リヴィアが眉をひそめて小さく問いかける。
「……分かるって、何が?」
バルドは穏やかに笑いながら、あえて気付かないふりをするように言った。
「まぁ、旅してりゃ色々あるさ。でも心配するな。なんとかなるもんだし、なんとかするのが旅人ってもんだろ?」
軽く酒瓶を掲げるバルドに、ミレイは少しだけ表情を和らげた。
「……そうだね。まぁ、街に近づけば状況も分かるか」
「そうね。あまり警戒しすぎても動けないものね」
リヴィアも静かに頷いた。
バルドは二人の反応を見て満足げに笑い、再び歩き出す。
「さ、行こうぜ。ここは美味い酒が待ってんだ」
◇◇◇
街の門をくぐると、それまで肩を冷やすほどだった冷たい風が、一気に和らいだ。外の天候から一転して、街の中には温かい空気が流れている。
石段の道にはうっすらと雪が積もっていたが、歩く人々の足音が迷うことなく踏まれている。すぐ近くで走り回る子どもの笑い声、馬車の車輪が広い道を踏みしめる音、行商人の声が大きく響く。
「久々だな、アルトフロスト」
バルドは親しげに街並みを眺め、その眼の水面に観光のような光を浮かべながら歩を進めた。
ミレイとリヴィアは、知らず知らずの身を小さくしながら従った。
「問題なく入れたけど…、心配なところはあるわね」
リヴィアが小さな声で言う。
ミレイも顔を傾け、神経を深くとがらせながら頷いた。
「うん。あんまり目立たないようにしたい」
「ま、心配すんな。俺の顔が利く店に行くからよ」
バルドは身体を傾けながら気軽に手を振ると、街の奥へと続く路地へと足を向けた。
◇◇◇
到着したのは、古びた木造の酒場だった。
店の看板は風雪にさらされ、文字がかすれているが、バルドは迷いなく扉を開ける。
「よぉ、久しぶりだな!」
中に入ると、暖炉の火が揺れ、酒の香りが漂っていた。
カウンターの奥でグラスを拭いていた店主の男が、バルドの姿を見て目を丸くする。
「……バルド? お前、生きてたのか?」
「なんだよ、勝手に殺すなっての」
バルドは笑いながらカウンターに腰を下ろした。
ミレイとリヴィアも静かに店内を見渡し、慎重に席を選ぶ。
「この店なら安心できるの?」
ミレイが小声でバルドに尋ねると、彼は軽く頷いた。
「顔馴染みばっかりさ。少なくとも、妙なことにはならねぇよ」
だが、その言葉が終わる前に、酒場の扉が乱暴に開かれた。
冷たい風とともに入ってきたのは、荒くれ者風の男たちだった。
店の空気が一瞬、張り詰める。
男たちはざっと店内を見渡し、視線をバルドたちのテーブルに向ける。
「へぇ……こんなとこで"壊し屋"に会うとはな」
ミレイとリヴィアが視線を交わす。"壊し屋"という言葉が意味深に響いた。
バルドは静かに酒を口に運びながら、わずかに顔を上げた。
「俺のことを知ってるヤツがいるとはな……で、何か用か?」
男たちは視線を交わし、微かに緊張の気配が漂う。
「……いや、悪かった。お前が関わってるなら、こっちも深入りはしない」
男はバルドを一瞥し、静かに息を吐いた。
「ただな、俺たちも命令を受けて動いてる。お前に手を出す気はねぇが……何も報告せずに戻るのも、あまり気が進まねぇ」
「なら、適当に報告しとけよ」
バルドはそう言いながら酒を口に運び、軽く肩をすくめた。
男たちは静かに席を立ち、店から出て行った。
「……今の、どういうこと?」
リヴィアが低く問いかける。
バルドは杯を揺らしながら、軽く肩をすくめる。
「さぁな。昔ちょっとした揉め事に巻き込まれただけだ」
ミレイは静かにバルドを見つめ、少し考えるように目を伏せた。
「でも、あなたがいるおかげで、少なくとも追手はもう来ないってことだよね?」
リヴィアも微かに息を吐いた。
「まぁ、ひとまずは安心ってところかしら……でも、完全に油断はできないわね」
リヴィアは静かに呟きながら、まだ微かに緊張を残していた。
バルドはまた酒を口に運び、ゆったりとした口調で言った。
「さ、せっかくだからゆっくり飲もうぜ」
ミレイとリヴィアはバルドをじっと見つめたが、彼はそれ以上何も言わず、ただ静かに杯を傾けた。




