第十章 〜美味い料理と酒瓶と〜 7
翌朝、ミレイとリヴィアは街を歩いていた。
市場の活気ある声が響き、通りには行商人が並び、旅人や地元の住人が行き交っている。冷たい空気の中に焼きたてのパンの香ばしい匂いが混ざり、どこか穏やかな雰囲気が漂っていた。
「……なんか、変な感じ」
ミレイがぽつりと呟く。
「何が?」
リヴィアが横目でミレイを見やる。
「いや……ただ、普通に歩けてるのが不思議でさ。ここ最近、どこに行っても誰かに狙われてる感覚があったから」
ミレイは街の広場を見渡しながら、ゆっくりと息を吐いた。
「確かに……今は、誰も私たちを気にしていないわね」
リヴィアもまた、市場のざわめきを感じながら、周囲の人々の反応を観察する。
誰も彼女たちを追っていない。
誰も特別な関心を向けていない。
それが、こんなにも違和感を覚えるものだとは思わなかった。
「でも、だからって何かが変わるわけじゃない」
ミレイは槍を肩にかけながら、前を向いた。リヴィアもまた、静かに頷く。
「私も、進む道は変わらないわ。ガブリエルを追う。そのために、もっと力をつける」
二人は顔を見合わせ、わずかに微笑んだ。
バルドが後ろから軽く肩をすくめる。
「まぁ、変わらねぇならそれでいいさ。ただ、旅は気楽にやれよ」
「気楽に、ね……」
ミレイは苦笑しながら、ふとパン屋の露店に目を向けた。
焼きたてのパンを手にした子どもが笑いながら走り去る。
その光景に、一瞬だけ、遠い過去の記憶が蘇る。
「……いや、なんでもない」
そう呟きながら、ミレイは改めて前を向いた。
そんな時、周囲の会話が聞こえてくる。
「東の砦が落ちたって話、聞いたか?」
「聞いたよ。でも、今回は妙な話が多い」
「妙な話?」
「黒い霧が発生したらしい。それから数日後、砦とその周辺の村ごと静かになった。誰も戻ってこねぇし、戦場には死体もない」
「消えたってことか?」
「そういうこった。戦争なら、遺体くらいは残るはずだろ?」
ミレイは足を止めた。リヴィアも眉をひそめる。
「戦争でそんなことが起こるなんて……」
リヴィアが静かに呟く。
バルドが酒瓶を揺らしながら、無造作に言葉を挟む。
「戦場に死体が残らねぇのは、普通じゃねぇな」
「……バルド、何か知ってる?」
ミレイが探るような目を向けるが、バルドは肩をすくめる。
「いや、俺も聞いた話をつなぎ合わせてるだけだがな……。最近はどこも物騒だぜ。北方の国々はずっと魔王軍と戦争を続けてるが、こんな話は聞いたことがねぇ」
「北方の国々……?」
ミレイは疑問を口にした。リヴィアが補足するように説明する。
「北方は、魔王軍の侵攻に長年耐え続けている地域。いくつもの国が力を合わせて戦っているけれど、決定的に勝てたことは一度もない」
「要は防戦一方ってことだな」
バルドが短く笑いながら言う。
「その通り。だから、砦は重要なのよ。前線の拠点が一つでも落ちると、その影響は大きいわ」
ミレイは腕を組みながら考え込む。
「魔王軍の侵攻にしては不可解ね。普通の戦争なら、砦の兵士たちは戦って、死んで、それで終わるはず。でも、黒い霧の話が出てくると……」
「……ただの戦争じゃないってこと?」
リヴィアの言葉に、ミレイはゆっくりと頷いた。
「......砦の様子が気になるね」
バルドは酒を一口飲み、「へぇ」と感心したように言う。
「なるほどな。じゃあ決まりか? 東の砦に向かうとするか」
そのまま市場の中を歩きながら、三人は必要な物資を確認していく。
「保存のきく食料は多めに持っておきましょう。向こうでは手に入らないかもしれないし」
リヴィアが干し肉や硬質パンを手に取りながら言う。これまでミレイと二人で旅をしていたときは、最小限の食料を分け合いながらやりくりしていたが、三人となれば必要な量も変わる。
「水袋もいくつか追加しようか……それに、携帯用の燃料も買っておこう」
ミレイもまた、効率的に物資を選びながら、補給のバランスを考えていた。
「防寒具も必要ね。東はこの街よりもさらに寒いでしょうし」
「お前さんら、なかなか準備がいいな。俺は酒さえあれば十分なんだが……まあ、一応食い物くらいは買っとくか」
バルドが呑気に笑いながら、乾燥果実と肉の詰まった袋を抱えた。
「……バルド、本当にそれで大丈夫なの?」
ミレイが呆れたように問いかけると、バルドは軽く肩をすくめる。
「大丈夫、大丈夫。俺はそう簡単に死なねぇよ」
リヴィアがため息をつきながら、バルドの袋の中身をちらりと確認する。
「まったく……ちゃんとした食料も入れなさい。長旅になるんだから、酒だけじゃ動けなくなるわよ」
「へいへい、お嬢さんがそう言うなら」
しかし、そのままバルドは市場の別の棚を物色し始める。
「んー……お、スパイスが売ってるじゃねぇか。どうせなら肉にちょっと味付けしたほうがいいよな?」
「……何買ってるの?」
リヴィアが冷たい目でバルドを見る。
「いやいや、戦場飯ばっか食ってたら気が滅入るだろ? ちょっとした贅沢が大事なんだよ」
ミレイは肩をすくめながら、リヴィアに目を向ける。
「まあ、好きにすれば? どうせ持つのはあなたでしょ」
「へいへい」
市場の喧騒の中、三人はそれぞれ必要なものを揃え、砦へ向かう準備を整えていった。




