情報
今の自分の姿は本当に情けないとエルナンは思った。
イライアの魔力を消さなかった事が父に知られてしまった。そうしてエルナンはその罰として、王の部屋にある罪人を閉じ込める魔法の空間に閉じ込められてしまった。意識ははっきりしているのに、体も魔力も動かない。
こんな状態にされてからどれくらい経ったのだろう。ここでは変化がないので日数がわからないのだ。だが、自分が弱っていくのはひしひしと感じていた。空腹のせいだろう。閉じ込められてから何も食べていないのだ。
そしてその父はイライアに宣戦布告の手紙を送ったようだ。珍しく魔術や魔法は使わずに人の手によって運ばれる手紙だ。どうしてそんな回りくどい方法を取るのかエルナンには分からなかったが、父なりの考えがあるのだろう。
なのに、エルナンは魔術が使えないのでイライアに警告してあげる事も助太刀してあげる事も出来ないのだ。
心の中でイライアに詫びる。そうして無事でいてくれる事を願った。
そうしていると父がこちらに近づいて来た。ぞっとするような笑みでエルナンを見ている。いつもの装飾が多い服ではなく、動きやすそうな格好をしている。これからレトゥアナに向かうのだろうと分かった。
「おりこうにして待っていろよ。お前への本格的な罰は帰ってからにしてやるからな」
そんなふうに嘲笑してくる。悔しい。なのに唇を噛む事も出来ないのだ。
そのまま父はエルナンの側から離れていく。
エルナンは心の中で悔し涙を流した。
****
それからどれくらい経っただろう。何故か近くで誰かが騒ぐ声が聞こえる。だが、すぐにその騒ぎは治まった。衣擦れの音が近づいてくる。という事は母が来たのだろう。
どうして、と疑問に思う。一体ここに何の用があるのだろう。
そして母が近づいて来たところでまた驚く。何故か母はフローラを連れていた。
フローラはエルナンの姿を見て息を飲んでいる。無理もないだろう。いつもは口うるさい兄がこんな情けない状態になっているのだ。威厳も何もない。
「フローラ。よく見ていなさいね」
「はい、バルバラさま」
フローラはいつもの無邪気なものとは違う冷静な顔をしていた。おまけに母の事を『母さま』ではなく『バルバラさま』と呼ぶのも不気味に感じる。ここにいるのは本当に自分の妹なのだろうか。フローラをかわいがっていたイライアもこれを見たら驚くだろう。
母は、静かにエルナンに近づき、彼が閉じ込められている魔法の膜に触れる。その指先から魔力が流れて行くのが見える。ゆっくりとゆっくりとエルナンの拘束は取れていった。
動けるようになってほっと息をつく。歩こうとしたが、体がぐらりと倒れる。母が支えてくれたので素直にお礼を言った。ついでに気が抜けたのか胃が空腹を訴えて来た。妹にこんなところを見られるのは恥ずかしい。
そのフローラはそっとため息をついてから母を見上げた。
「母さま……」
「そうね。そろそろ昼餐の時間だし、私の部屋に食事を運んでもらいましょう」
気を遣われている。
「私は女官長に話してきます。フローラはエルナンを連れて先に私の部屋に行っていなさい。信頼出来る侍女をつけます」
「はい」
「急ぎなさいね。見張りが起きる前に」
「はい!」
フローラはすぐにそれを実行する。従順だ。この間の授業に参加した時もそうだったが、母は意外と厳しいのだろうか。
フローラに支えてもらいながらでなければ歩けないのがとても情けない。
王妃の私室に着くと、母付きの侍女がお茶を用意してくれる。お茶は疲労回復の効能がある薬草茶、そしてお茶請けはゼリー菓子だ。しばらく食べていないエルナンの事を考慮してくれたのだろう。
フローラは目配せをしてその侍女を下がらせる。そして軽い回復魔術をかけてくれた。素直にお礼を言う。
「腕を上げたな」
「そりゃあ毎日バルバラさまから教えていただいておりますから」
また『バルバラさま』と言う。
「それで父さまと何のもめ事があったんですか?」
心底心配そうに聞く。だが話すわけにはいかない。この事にフローラまで巻き込むわけにはいかないのだ。
だから何でもないと答える。だが、フローラは不満そうな顔をした。
「何でもなくはないでしょう。教えてください」
「何故そう思う?」
「父さまは姉さまを倒しに向かっております。その直前の兄さまとのもめ事が関係していないわけがないではないですか」
厳しい声で言ってくる。これもいつものフローラではあり得ない態度だ。
「フローラ、エルナンを困らせるものではありませんよ」
その時、タイミング良く母が入って来た。
「でも必要な事です」
フローラは今度は母に言い返す。
「そうね。でもプライベートで聞く事ではないわ」
母はフローラに厳しく注意してくれる。フローラは素直に引き下がった。母の言う事はよく聞くようだ。でもこれで妹を巻き込む事はないだろうと安心する。
ただ、母にだけはきちんと報告しろと言われた。もちろんそのつもりなので問題はない。
またタイミング良く侍女が入って来て食事を給仕してくれた。いつものコースではなく軽食。これは母の指示だろう。おまけに食事をしばらくしていなかったエルナンにも配慮してくれているメニューだ。安心して口にする。
「ところで、食事が終わったらあなたはマルティネス様を止めに行くの?」
「はい。もちろんです。誰が止めようと行きます」
「それを聞いて安心したわ。そうでなかったら私はあなたを叱らなければなりませんでしたからね」
母のいう事はもっともだ。本当なら食事などしないで飛んで行きたかったが、それだと弱っている状態で父と対峙する事になる。それではイライアを助けられない。
「気をつけてくださいね、兄さま。相手は精霊を傷つけるような残虐男なのだから」
何故かフローラまで注意してくる。うなずきかけて、彼女が言ったとんでもない言葉の意味に気づき、改めて向き直った。
「父上が精霊を害しただと!?」
興奮してついテーブルを叩いてしまった。フローラが怯えて後ろに下がる。母がため息をついた。
「落ち着きなさい、エルナン。お行儀が悪いですよ」
静かにたしなめられる。ここまで冷静という事は母は知っていたのだろう。
どうやって侵入したんだという疑問はあったが、まさか精霊を傷つけてまで入り込んだとは思わなかった。
「これが明るみに出たら、この国の王妃である母上もただではすみませんよ」
「そうね」
一言だけ答えて目を伏せる。つまり分かっていたという事だろう。
「だったら何故黙っていたんですか? どうしてずっとあの男を王の位置につけていたのですか?」
「あの時点であなたに報告してごらんなさい。きっとあなたは逆上する。そしてマルティネス様によって廃嫡の危機に陥るだけでしょう。セシリアさんの事件の時と同じようにね」
冷たく言い捨てられる。エルナンは唇を噛んだ。あの時の屈辱は忘れていない。
「大体、いつ知ったんですか?」
最初から知ってたのならとんでもない事だ。そう思いながら母を睨む。
「最初にフローラがレトゥアナ王国に行った時よ。きっと陛下が何かやらかしているのではないかと思ってフローラに調査を命じたの」
そんな事は初耳だ。妹は意図的に隠していたのだろう。いや、レトゥアナという事は、妹達がだろうか。
「それではイライアはかなり辛いだろうな」
精霊は自分を傷つけた者を忘れない。もちろんその血縁もあまり好かれないものだ。精霊の恩恵を受けているあの国で王妃として過ごすのは大変だろう。もっと気をつけてあげればよかったと反省する。
「そうでもないと思いますよ。姉さまがかけた治療魔法のあとがありましたから」
パンを口に運びながらなんでもない事のように言う。エルナンはぽかんと口を開けた。
「イライアが治療魔法を?」
「ええ。あれは間違えなく姉さまの魔力でした」
「そうか」
ほっとする。イライアもいろいろと考えていたようだ。
「とにかく、この件は黙ってはいられませんね」
「兄さまのいう通りですね」
「そうね」
この事に関しては三人の意見が一致する。こんな事をした男にこれ以上王笏は握らせない。エルナンは改めて決意を強くする。
「いいタイミングで教えたでしょう? 褒めてください、兄さま」
「調子に乗るな」
ふざけ始めた妹を戒める。母がくすくすと笑った。
その直後に母が何故かフローラに小さく目配せをした。フローラも無言でうなずく。
一体なんだろうとエルナンは心の中だけで首をかしげた。
「ではエルナン、食事も終わったようだし、何があったのか報告して頂戴」
ナプキンで口元を拭きながら母が厳しい声で言う。エルナンは素直にうなずいた。




