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愛国妃  作者: ちかえ
第二章 レトゥアナ嫁入り編
29/88

近衛騎士

 体力が落ちて来た。イライアはそれをずっと感じていた。


 勉強や仕事は楽しいが、日課だった筋力トレーニングをやる暇がない。このままではいけないと、寝る前に簡単なストレッチを始めたが、それだけでは足りないのはイライアが一番よく知っている。


「はぁー」


 つい、ため息が出てしまった。ノエリアとビバルが訝しげな目でこちらを見て来る。そういえば今は仕事の休憩をかねたお茶の時間だった事を思い出す。


「イライア? 何か悩み事でもあるのか?」


 ビバルは人前ではイライアに敬語を使わない。イライアが嫌だと言ったのと、きちんと王の威厳を示さなければいけないという理由だろう。それでも呼び捨てにされるのはいまだに慣れない。二人きりのときは『王妃』と呼ばれているので余計にそう思ってしまうのだろう。


 隠す必要がないので正直に話す。だが、ビバルの眉が余計に潜まる結果になってしまった。


「体力? 何でそんなものが必要なんだ。あなたは騎士にでもなりたいのか?」

「いいえ。でも最低でも自己防衛くらいは出来るようになっておかなければ問題でしょう? 大体陛下だって近衛隊長に剣術を習っているではないですか」


 痛い所を突かれたのだろう。ビバルが目をそらす。レトゥアナでは男女差別はあまりないのだ。イライアがこういう提案をしても何も問題はない。


「だったら明日あたりに近衛隊の訓練場を訪ねましょうか」


 ノエリアがそう提案して来る。あまりにあっさりとそういうので逆に面食らってしまった。


「近衛隊の訓練場を、ですか?」

「ほら、この間王宮の警備の事を聞いていたじゃない。弱かったら鍛えてくれちゃっていいから」


 そう言って笑う。そこまで信用してくれていいのだろうか。


「いいんですか?」

「何を言ってるの。私だってこれでも人を見る目くらいありますよ。こうやって一緒に暮らしているんだからあなたの人柄はよく分かっているしね。それにレトゥアナ王国を強くしなくてはビバルがエドゥアルドとセルジの二の前になってしまうわ」

「それは……嫌です」


 ぽつりとつぶやく。もちろん本音だ。イライアだってビバルに死んでほしくはない。


「あの……本当に訪ねてもいいんですか?」


 一応隣にいる夫にをお伺いを立てる。予想外にもビバルは頷いてくれた。


「私の訓練の時間にあわせてもらえるのなら」


 それならビバルの訓練も見られるのだ。明日がとても楽しみだ。そう思いながらイライアはお茶の残りを飲み干した。



****


 弱い。弱すぎる。イライアはため息を吐いた。周りにはイライアに倒された近衛騎士達がうめいている。これで訓練された騎士だとは、と眉を潜める。


 これでもイライアはアイハ王家ではフローラに次いで弱いのだ。マルティネスに簡単に侵入された理由がよくわかる。これはマルティネスに魔力がなくても負けていただろう。


 あまりの事態にビバルも唖然としている。


「ど、どんな手を使った?」


 騎士の一人が怯えたようにそう言って来る。とは言ってもイライアは普通に剣を合わせただけだ。その剣だって騎士の一人のものを借りた。間違っても魔剣など使っていない。


 素直にそう言うと、騎士達はイライアを怪物でも見るような目で見つめる。納得がいかない。


 イライアに勝ったのは一番最初に戦った隊長だけだった。これで大丈夫だろうかと心配になる。その隊長は遠くで高みの見物だ。


 やれやれ、とため息をついた時、ちょうどランニングから帰ってきた残りの騎士達が戻ってきた。そして倒れた仲間達とそれを呆れた目で見下ろしているイライアを見て目を見開く。


「どわっ? どうしたんですか、これ……。え? 王妃陛下!?」

「ああ、ごめんなさい。お騒がせして。でももし良ければお手合わせをしたいのだけれど」


 小首をかしげ可愛らしくお願いをしてみる。だが、何人かは怯えたように後ずさる。その中で冷静そうな若者が前に躍り出た。


「では俺が……」

「フェリプ、やめておけ! そいつは怪物だ! 人間の形を取った魔物だ!」

「……誰が魔物ですって?」


 じろり、と睨んでやる。男達は怯えて逃げようとするが、イライアが魔術で縛っているせいで動けない。少量の魔力しか使っていないから気づかれないだろう。恐ろしくて足が動かないと考えているはずだ。


「魔物かどうか対戦してみなければわからないでしょう。少なくとも俺にはただの小娘にしか見えませんが」


 対する若者は平然とした表情をしている。


「あらあら。王妃に対して『小娘』とはね。ずいぶん大きく出るじゃないの」


 にっこり、と笑ってみせるとさすがの彼も怯えた顔をする。


「イライア、騎士達を脅すのはやめて頂戴」


 ノエリアから叱られた。イライアは、はい、と返事をして首をすくめる。


「手加減なしでお願いします、王妃陛下」

「あなたもね」


 お互いに不敵な笑みを見せる。


 黙ってにらみ合う。良い目をしている。これは手応えがありそうだ。イライアの口に自然に笑みが浮かぶ。


 それに驚いたのかフェリプの方に隙が出来た。とは言ってもある程度訓練しないと分からないほどのわずかな『隙』だ。それを素早く察知し、飛び込む。


 あとは激しい打ち合いだった。イライアの攻撃をフェリプがかわし、そのまま攻撃に転じる。身軽な体を使って素早く動くのが武器のイライアに対し、フェリプの攻撃は一つ一つが重い。


 お互いに息があがってきた。負けるかもしれない。イライアの心に小さな焦りが浮かぶ。それを見逃すほどフェリプも甘くはない。彼の剣がイライアの剣を落とそうと襲いかかって来る。


 イライアは間一髪の所でそれをよけ、フェリプの手の甲を剣の柄で思い切り打った。


 フェリプは驚いて剣を取り落とす。やっと勝負がついた。こんな勝ち方は卑怯かもしれないがイライアにも意地があった。彼女だって負けたくはないのだ。


「王妃様、お強いですね」

「そう?」

「それドレス型の鎧とかではないですよね」

「ええ勿論」

「それで戦えるんですからすごいですよ」


 どういう事だろう、とイライアは訝しむ。敵や暗殺者はどんな時でも襲ってくるのだ。そう言う時に対処出来なければどうしようもないではないか。

 そう指摘するとフェリプは苦笑した。


「イライア」


 ビバルが声をかけて来る。イライアは夫に向き直った。


「何でしょうか? 陛下」

「体力、全然落ちてないように見えたが……」

「落ちてますよ、これでも!」


 言い返してから、自分が言った言葉に落ち込む。もしアイハだったら、兄に『たるんでる!』と叱られている所だろう。


「そうですね。時々、思い通りに動けなくて困っているところが見えましたから」


 先ほどまで高みの見物をしていた近衛隊長が穏やかな口調で言う。その通りなのでイライアは何も言い返せない。


「もしよかったら陛下と一緒に王妃様も剣の稽古をつけましょうか?」

「いいの?」


 隊長は頷いてくれた。よかったと安心する。


 そうして次にイライアに負けた騎士達を叱る。どうやらビバルの誘拐、前国王と王太子の暗殺を止められなかった事で士気が下がっていたらしい。それで本当に大丈夫なのだろうかと不安になってしまう。もしかしたらその前は平和ボケでもしていたのだろうか。まあ、マルティネスが暴走する前はこの国はアイハに守られている状態だったから無理もないのかもしれない。


「とにかく叩き直すからそのつもりでいるように」


 隊長が厳しく宣言する。


 これでこの騎士達も強くなっていったらいいな、とイライアは少しだけ希望を持った。



****


「え?」


 その夜、寝室でビバルから聞かされた言葉にイライアは目を丸くした。ビバルは当然のような顔をしている。


「聞こえなかったんですか? これからフェリプをあなたの護衛騎士に据えようと考えているのですが」

「どうして?」

「どうしても何も、隊長は私の護衛をしていますし、あなたにかなう者は彼しかいないと思いまして。あなたがずるをしていなければあの試合はフェリプが勝っていたでしょう」


 剣の柄で手を打ったのはビバルにはばっちり見られていたらしい。恥ずかしくなる。


 フェリプとは互角なのだ、と心の中だけで言い訳をする。


「それに間違いなくフェリプは伸びますよ。度胸だって一番でしたからね」


 どうやらビバルはしっかり見ていたらしい。でも問題はそこではない。


「わたくしを守っていいのですか?」


 そう尋ねると、ビバルは意外な事を聞かれたかのように目を丸くする。


「あなたはこの国の王妃です」

「それはそうですけど……」


 この男には警戒心というものはないのだろうか。いや、王城に着いた夜に宣戦布告はされたから、警戒はされているのだろう。だとしたらなおさら、どうしてイライアの警備を強化するのかがわからない。


 イライアのその言葉を聞いてビバルはため息をついた。


「私は国を侵略されたくないだけで、あなたを虐待する気はないんですよ。『妃として扱う』って最初の日に約束しましたし」

「それでもわたくしを信用したわけではないんでしょう?」

「はい」


 きっぱりと言われる所が悲しい。


「それなら護衛などつけずに放っておけばいいではないですか。そうしたら……」


 そうしたら捨て身でマルティネスと決戦が出来ただろうに。という言葉を飲み込む。言ったら泣いてしまいそうだ。


 大体、レトゥアナの人間は優しすぎるのだ。イライアのような敵国の王女にも親切に接する。ビバルも自国の王妃としてきちんと扱ってくれる。抱かないという小さな抵抗はされているが、それも些細なものだ。


「そんな事は出来ません」


 そしてやはりビバルはあっさりとそう答える。


「どうして私が二人の時にあなたを『王妃』と呼んでいるか知っていますか?」

「わたくしにレトゥアナ王国の王妃としての自覚を持たせるためですか?」


 ビバルは頷く。だが、そんな事を考えてるのなら子づくりくらいして欲しい。今はまだ大丈夫だろうが、年月が経って『石女』と責められるのはイライアの方なのだ。


 不満そうな顔をしていたのだろう。ビバルがため息をついた。だが、そうしたいのはイライアの方だ。


 しばらくビバルは難しそうな顔をしてうつむいていた。何を考えているのかさっぱりわからない。


「……かないんだ」


 しばらくしてビバルが小さい声で何かをつぶやく。独り言なのだろう。どこか自分に言い聞かせているように聞こえる。そうして一つ頷くとイライアに向き合った。


「とにかく護衛の件は決まった事なので。そろそろ休みましょう」


 ビバルは何かを吹っ切ったようにそう言ってさっさと寝台の方に向かった。イライアは慌ててお茶を飲み干し立ち上がる。だが、突然天蓋の前で立ち止まる。


「叔父う……いや、宰相一家の警備の事を母上に相談してくれたそうですね」


 後ろを向きながら小さな声でそう言う。小さいとはいえ、今回はイライアにも聞こえる音量だ。


「え? は、はい」

「そのお礼だとでも思ってください」


 それだけ言うと、今度こそ天蓋の中に入る。


 思いがけない話にイライアはしばらくその場に立ち尽くしてしまった。


 こんな些細な事にビバルが気づいてくれた。それはとても嬉しい事だった。

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