傷ついた精霊達
その日の授業はイライアの実力を知るための試験だけだったので何も問題はなかった。むしろ、教師に褒められて気分がとてもいい。
今は休憩時間だ。そして昼食を挟んだ後にダンスレッスンがある。ダンスはビバルが相手してくれると聞いている。きっとアイハでのお礼だろう。ビバルはそういう所が律儀だ。
ダンスは半年後の即位式の後の舞踏会で踊る。それも一番最初に真ん中で二人だけで踊るので緊張する。それまでには完璧に踊れるようにならなければいけない。とはいえ、ビバルと違ってこちらはまだ半年という長い期間の練習時間がある。
「昼餐まで時間があるので海岸に降りてみませんか?」
「行きます!」
待ちに待った海への散歩だ。それもビバルと一緒。イライアは興奮していた。
そんなイライアはビバルは困ったような目で見て来る。一体何なのだろう。
「何でしょうか? 陛下」
「いや、いつもと雰囲気が違うな、と思いまして」
そうだろうか。イライアに自覚はない。多分、初めて見る『海』という自然現象に興奮しすぎてしまっているのだ。
そう伝えると、ビバルは驚いた表情をする。
「あなたでもはしゃぐ事があるんですね」
「わたくしだって感情くらいありますもの」
つん、と横を向く。ずいぶんと酷い物言いだ。イライアは別に心を凍らせているわけではない。
ビバルはそんなイライアに戸惑ったようでそわそわしている。イライアは心の中だけでため息をついた。
「海に連れて行ってくださるのですよね?」
「あ、ああ」
再確認すると頷いてくれる。それで連れ立って外に出た。
昼間の海は朝の海と同じくらい美しかった。波は相変わらず動いていて、イライアの目を楽しませる。
海と反対方向を見ると、さっきまでいた王城が見える。ここにイライアはこれから一生住むのだ。
ただ、問題があるとすれば、『砂』というさらさらした土の上は少しだけ歩きにくいという事だ。ただ、歩いた靴の跡が残るのは面白かった。わざとそれを残したくてゆっくりと歩いてみたりした。ビバルが呆れた目をしていたが気にしない事にする。
しばらく歩いていると、岩の中に小さな洞窟があった。洞窟と入ってもこの小ささでは四つん這いで入る事しか出来ないだろう。
「ああ、まだあったのか。懐かしいな」
ビバルがぽつりとつぶやく。
「この穴の事をご存知なのですか?」
「ここは城の一部ですからね」
苦笑された。
「小さい頃はよく兄上と『探検』などと言って潜ったものです」
「探検ですか? それは楽しそうですね。と、いう事はみんなには内緒で?」
「はい。でもこっそり兄上が知らせていたみたいで、最後の頃はお弁当を持参で行っていました。……私は兄上が厨房からこっそり料理を持ち出したのだと思っていたんですけど、あれは間違いなく料理長が用意してくれていたんでしょうね」
そんな事を話しながらビバルは懐かしそうに目を細めた。それでイライアは何も言えなくなってしまう。
「ここの中はいつも快適な温度になっているんですよ。今は涼しいはずです」
「そうなのですね」
「入ってみますか?」
思いがけない提案にまじまじとビバルの顔を見る。
「いいんですか?」
「中は入り口より広いとは言っても、大人は一人ずつしか入れないくらい狭いんですよ。ここで密談をする事は出来ませんから問題ありません」
警戒している事を警戒対象に言ってはいけないという事をビバルは知らない。でもその素直さをイライアは気に入っているのだ。
お礼を言って中に入る。その前にビバルを守る結界を張った。まだイライアは兄ほど強力なものは張れないが仕方がない。これからもっともっと勉強すればいい。
四つん這いでゆっくりと進んでいくと開けた場所に出る。そこは二人の大人がぎりぎりで座れるだけの広さしかない。一人で入るのを許可するはずだ、と納得した。
そこにはたくさんの精霊がいた。海にまでいるとは思わなかったので驚く。そしてそれでこの洞窟が適切な温度になっている理由がわかった。
しかし様子がおかしい。彼らはどこか辛そうに見える。
「どうしたの?」
そっと声をかけたが、精霊達はびくっとして隅の方に逃げていく。イライアが怖いのだろうか。何故初対面で精霊に怯えられているのだろう。
そのうち一人の精霊がふらふらとこちらに向かってきた。必死にイライアを癒そうとする。そうしてその子が側に来た事で分かった。足に怪我をしているのだ。
精霊は意識体だ。普通なら怪我をしているなんて事はない。弱っているので人間の目には怪我や病気に見えるだけだ。それでもとんでもない魔力で攻撃しない限り、こんなに傷つく事はない。
そこまで考えてはっとする。この精霊を苦しめたのは父だ。
でもどうしてこんな洞窟の中の精霊が苦しんでいるのだろう。
固まって怯えている奥の精霊たちを見て、イライアは息を飲む。奥の精霊はかなり傷ついていた。
腕を怪我している者、頭に傷がある者。全身傷だらけで動けなく、ぐったりと横たわっている精霊も二人ほどいた。
「ごめんなさい」
その言葉が口をついて出る。それでも謝罪の言葉だけで彼らが助かるわけではない。
とりあえず治療魔術を使ってみたが、何も起こらない。精霊は魔術で治療出来ないのだろうか。
あわてて頭の中でスパルタ特訓の時に読んだ魔術書や魔法書の中身を引く。そこで思い出した。確か『魔法』で傷ついた精霊は『魔法』でしか治せないと書いてあった。きっとマルティネスは『魔法』で攻撃したのだろう。そうして治療魔法はイライアの一番苦手な分野だった。
それでもやるしかない。洞窟の外のビバルに感づかれないようにゆっくりと魔法を展開する。
軽いものだが、それでも精霊の傷は少しだけ塞がった。倒れている精霊も、仲間に支えられて体を起こす事くらいは出来るようになったようだ。
きっと『光属性』の兄なら、一発で全員を治療出来るのだろう。助けを借りたいが、血のつながった兄とはいえ、相手は他国の王太子だ。一国の王妃が簡単にお願い出来るものではない。そしてイライアは兄にこれ以上借りは作る気はないのだ。
精霊が信じられないという表情でイライアを見ている。自分達を傷つけた者の血縁が何故助けてくれたのかわからないのだろう。
それでも一部の精霊達はイライアから漏れ出た魔力に頬ずりする。そうするとまた少しだけ彼らの傷が癒えた。魔力に触れれば多少は治療出来るらしい。
「魔力が欲しいの?」
そう尋ねると精霊達が何度も頷く。それで魔力をそのまま手の中で放出する。もちろん『闇』の魔法には変換しないように気をつける。そうでないと彼らはまた怪我をしてしまうだろう。
とりあえず疲れて来たと思うところでやめる。それでも精霊達は嬉しそうにイライアにすり寄った。その仕草を可愛く思う。
「王妃、まだですか? 私も洞窟に入りたいのですが」
精霊とじゃれ合っていると、入り口からビバルの声がする。そこで彼をずっと待たせている事を思い出した。そろそろ交代しなければいけない。ここは『ビバルの』思い出の場所なのだ。
「また来るわね」
そう言い残し、イライアはゆっくりと洞窟を出た。




