ティーチ・イン
※重ねて申し上げますが特定の信仰・思想を否定・批判・押し付ける意図はございません。
阪口くんに紺色の制服は良く似合う。
「授業終わってから行くの大変じゃない?」と放課後の道端で声をかけられたが、走っている私を見て、「そうでもないみたいだね」と微笑みで見送ってくれた。
セーラー服の私に気付き、メフィストは案の定、しかめっ面になった。
私はそれが嬉しい。
「懐かしいでしょ」
彼に初めて会ったとき、私はこの制服を着ていたのだ。
それを憶えていたのだろう。それにしても、
「そこまで嫌な顔しなくても良くない?」
「お前、その恰好で歩いて帰る気か」
予想外の感想を言われた。
「何でよ。別に変な恰好じゃないでしょ」
たとえそうであっても、耳の尖った悪魔に言われたくはない。
「そう言えばメフィスト兄さん、ここじゃ力が無くなったりはしないのね。異教の地なのに」
口を結んで腰掛けたメフィストに、ふと浮かんだ疑問を投げてみる。
「ここはそれほど異教の影響下にある土地ではない」
神社の境内でよく言う。
「お前だって宗教を持ってはいないだろう。悪魔に平気で近づく女だ」
別段責める口調ではなかった。
悪魔に無宗教を責められると思うのも矛盾しているが。
「メフィスト兄さんは、神とか天使とか会ったことあるのよね」
「あぁ、不思議なことに謁見を許すんだ、あの爺さん」
確かに不思議だ。
神に会いに行く悪魔というのも奇妙だけれど。
「じゃあメフィスト兄さんには、神なんて信じねぇよっていうひとは、可笑しいかもしれない、わね」
本当に可笑しいのは、こんなときに宗教の話をしようとしている私だろうか。
「悪魔が神を信じろと言うほうが可笑しかろう?」
彼がそう返してくれたので、思わず「そう?」と勢い込んでしまう。
「おれが生まれた時代は何もかもぐちゃぐちゃだった、暗黒の中世と評するやつも今はいるな。その頃から人間どもの営みは変わらないが、時も土地も違えれば多少の差異は生まれるものだ。おれの理解の範疇を越える大きさにもなろうが、そんなことは関わりない」
さすがは知性的で、そして虚無的な悪魔である。
全てを掌握したいと思わず、掌握することに意義を持たず。
「無宗教だって言われる人にとって宗教はね、プロ野球のチームと一緒なの。どこを応援しようと咎められる筋合いはないし、どこを支持しろと押し付けられるいわれもないし、興味がないからって自分の価値が下がるとは思わない」
神様ヘルプ、と祈ったことのない者は、恐らく地上に存在しないはずだ。
だがそれは時に自然であり、運命であり、自らの運に向けられる祈りだ。
天上にいる誰かではない。
助けてくれるのなら神様じゃなくてもいい。
救ってくれるものは、幸せにしてくれるものは、いくらでもある。
「人によっては、神を信じないって言うのも、どんな宗教より切迫した信仰であることだってあるんだから」
メフィストは愉快そうに私を眺めた。
「ならばお前は、どうだ」
「私にとっては、いてもいなくても一緒よ。何も変わらないなら。何か変えてはくれないのなら。不満をぶつける対象が具体化するだけ、いいのかもしれないけどね」
「神を、あの爺さんを恨むが故に悪魔に手を出す、か?」
そんな、あてつけに浮気をするみたいに。
私は苦笑する。
何をむきになって語っているのだろう。
阪口くんと別れた後で、宗教の勧誘に足止めを食らわされたからかもしれない。
そこでさんざん悪魔や地獄についての罵倒を聞かされたからかもしれない。
神じゃなくても、悪魔であっても良いではないか。
幸せにしてくれるものは。
「そうだって言ったら惚れる?」
「愚かなことを。悪魔は誰かに惚れたりなどはしない」
「木乃伊取りが木乃伊、じゃ困るし?」
「これ以上堕ちる所などないがな」
「そこらへん詳しく聞きたいところだけど」
喋るのに夢中になって、だいぶ時間が経っていた。
私が立ち上がり、スカートの埃を払うと、それが別れの合図となる。
メフィストは「やれやれ」と横たわり、犬の姿に――、
ならなかった。
石段を降り、その背を見つめる私を振り返った。
世にも凶悪な顔で。
「だから嫌だったんだ」
「な、何が」
「その恰好でひとり、帰す訳にはいくまい」
私は制服を見下ろす。
確かにこんな夜分に、制服姿の女子高生が歩いていると、補導やら変質者やらに遭遇するリスクは高くなろうが。
だからどうした、メフィストフェレス。
私はぽかんとしていたのだろう、彼は大変不本意な口調で呟いた。
「阪口にどんな恨みを買うか判らん」
彼の言いたいこと、取ろうとしている行動を悟って、私はもう、それだけでこの世に生まれた幸せを、存分に味わうことができる。
ティーチ・イン:討論集会




