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偽りの御伽噺

 雨霰のように降り注ぐ刃をかわし、また薙ぎ払う。確かにソフィアの腕は上がっていてなかなか近寄れない。僕の戦い方的に接近できなければ無力だ。

 ナイフが皮膚を裂くたび、『化け物』の声が強くなる。黒い水に感覚を奪われる。

 ソフィアは甲高く笑いながら手は一瞬も止めない。


「どうしたウィルドネット、口ほどにもないな!防戦一方じゃないか!避けてないで突っ込んできたらどうだ、痛みを感じないんだろ?貴様にはどうせ毒も効かないから塗っていないぞ」


 かつんかつんとヒールが地面を叩くたび、黒いベルベッドとレースが広がり、金色の髪がうねる。紅を引いた唇から哄笑がほとばしり、金属音と混ざって鼓膜をかき乱す。

 これがソフィアの本来の姿なのか。


「貴様に打ち捨てられて以来、ずっと努力を積み重ねてきた。憎しみを糧に生きてきた私と、ただ逃げ続けた貴様とではモノが違う!」


 ナイフの圧力が増す。僕にしか見えない黒い水にいくつも突き刺さって、汚れきった飛沫が降りかかる。


「死ぬか?ここで私に殺されたいか?まあ、貴様が死んだって誰も悲しみはしないがなっ!リラ・クラリスも貴様を利用していただけなんだから」


 一瞬、呼吸が止まった。動きを緩めた途端に額を掠り、流れ出る鮮血が左目に流れ込む。


「……何の話」

「あの人は、もともと貴様が戦闘能力に優れていることを知っていて呼び寄せた。守ってくれる者が何もない自分……血を守るための胎盤でしかない自分の、盾にするため」


 何を言われているのか、理解できなかった。

 降り注ぐナイフが肩を抉り、頬を裂くが、応戦できない。ぐらぐらと視界が揺れる。

 惨めな僕の姿に、ソフィアが攻撃の手を止め、甲高く笑う。


「教えてあげようか、哀れな害獣。彼女の本当の名前はリラ・クラリス・フォード。フォードという姓の女はこの国の巫女であり、生贄であり、王家の奴隷だ」


 何を、言っているの。

 ソフィアは一体、何の話をしているの。


「極僅かな人間しか知らない話だ。そこの死にぞこないの世継ぎも知りはしないだろう。フォードの人間は伝承や御伽噺に出てくる歌唱による魔法を使う一族の末裔だ。もっとも、今では魔法なんてものがあったかは怪しいが、人の精神状態に干渉するだけの力は今も持っているようだ。だから、その特異な力が絶えることのないように、また流出することのないように、普段は隔離された場所で暮らし、王家に徹敵的に管理されている。そして女は子供を産むための道具にされ、それもできなくなったら生贄と称して水の底に沈めるんだよ!」


 想像の域を超えた話に、僕は目を見開いたまま完全に停止した。

 確かに、彼女の言う通り詩による魔法を持つ一族の御伽噺はある。アニーとの婚約話が持ち上がって帰省した時にも確かに読んだ。

 だが、あくまで作り話だ。現実にそんなものがあるはずがない。

 奴隷だの生贄だの、あまりにも前時代的だし、ましてリラ様の当てはまるはずがない。そもそも彼女は王女じゃないか。

 けれど、受け入れられない気持ちとは裏腹に、リラ様の王女としては異様な待遇が次々に脳裏をよぎる。

 一人だけ隠されていた姓、後ろ盾の不在、出生や母親についての事情がいっさい秘匿、僕のような不安定な人間を傍につけながら、他の王族と違ってあまりに手薄な護衛。

 そして、クラウス様によれば、幼少の頃は城の外で暮らしていたのだ。

 今まで募っていた彼女への不信感よりも、芯から凍るような恐怖が胸を覆いつくす。

 振り返ってみると、クラウス様も呆然として言葉を失っているようだった。


「リラ・クラリスの母親だけは、偶然国王に見初められ強引に愛妾の一人とされたので免れた。そのかわり、娘の彼女は避けられないだろうな。今までの女たちよりもずっと優秀な歌声を持っているから、余計に」

「……嘘だ」

「ここにきて嘘なんてつくわけないじゃん。ぜーんぶホントだよ、坊や。残念だったねぇ、好きな女の子がたくさんの男を相手にしなきゃならないなんて」


 ネリーがケラケラと下品に笑う。

 途端に、今までどれだけ刺されても温度を感じなかった身体が、カッと熱くなった。

 緩やかにかさを増していた黒い水は急激に増え、ボコボコと嫌な音を立てて泡立ってゆく。


「リラ様を馬鹿にするな」

「だって事実だしぃ?あの姫さん十六かそこらだっけ?そろそろなんじゃない?」

「……うるさい。うるさい、うるさい、うるさい!そんな話、誰が信じるか!」

「あの子うちの女王様ほどじゃないけど美人だから、産まれてくる子供が楽しみだね~。ま、相手はしわしわのじいさんかもしれないから、期待は半々……」

「黙れって言ってんだろ!」


 迸る殺意をぶつけるように、ネリーに向けて跳躍する。だが、飛来するナイフに阻まれた。


「貴様の敵は私だ!」


 無視されたことに苛立っているのか、ソフィアが拘束でナイフを飛ばす。

 酷く目障りだった。邪魔だった。

 僕は、リラ様を侮辱したあの女を殺したいのに。


「邪魔するなら……本気で君も殺す」


『さあ、早く』


 僕が『化け物』に促されているのか、僕が『化け物』を引き出そうとしているのか。

 僕と『化け物』の境界が曖昧になって、更にかき消すように血の雨が降ってくる。

 ソフィアは口角を片方だけ上げ、冷ややかに、


「まだわからないのか?リラ・クラリスは、貴様の力が欲しかっただけだ。貴様は利用され……」

「リラ様が僕を騙していたかなんてどうでもいい」


 ソフィアは驚いたように瞠目し、馬鹿めがと吐き捨てる。

 馬鹿かもしれない。狂っているかもしてない。いいや狂っているんだ、僕は。

 けれど、もうリラ様が嘘をついていたかなんてどうでもよかった。

 僕は彼女を愛している。

 誰よりも、何よりも、大切な存在だ。

 だからこそ、疑惑が浮上するたびに苦痛に苛まれたが、それでもこの感情だけは変わらない。

 だから、リラ・クラリスを辱めることは絶対に許さない。


「これ以上言うなら、邪魔するなら、二人とも僕が消す」

「……はははッ、面白い!」


 再び降り注ぐナイフを弾くのをやめ、僕は一直線に突っ込んだ。いくつもの刃が皮膚を裂くが、少しも痛みを感じない。流れる血が黒い水と混じり合う中を駆けて、駆けて、跳ぶ。

 空中からの蹴りはかわされた。が、体勢を崩したソフィアはすぐに動けない。僕は懐にとびこんだ。

 咄嗟に突き出されたナイフが右手に深く刺さり、血が勢いよく溢れ出す。それでも僕は無事な方の手で彼女の腕をつかみ、力任せに折った。


「ぐあああああっ!……ッ、こんの……『化け物』が!こんな奴に!私はっ」

「うるさい。誇りとか復讐とか、どうでもいい」


 吐き捨てると、憎しみのこもった目が僕を睨んだ。


「貴様に私の何がわかる!」

「だから、わからないって言ってんだよ。君がどれほど苦しんだのか知らないけど、結局本人にしかわからないんだから。それをわかれと、自分はこんなに苦しいから何をしてもいいだなんて、どうしようもない馬鹿だよ。僕と同じだ」

「なっ……!」

「だから……だからさぁ、死んだ方がいいよ、僕ら」

「一緒にするなッ!」


 ナイフが引き抜かれ血が飛び散るのを、どこか他人ごとのように眺める。痛覚が飛んでいるのだから、実際他人ごとか。

 ソフィアが腕を押さえながら大きく後退する。

 痛いのか。それもそうか、僕がやったんだから。

 ああ、僕は酷い。最低だ。だから、大事な人達まで傷つけることになる。


『けれど、仕方ないだろ。これしか方法がないんだから』


 僕の中にない選択肢を選ぶことはできない。

 結局いつだって、『弱虫』として逃げるか、『化け物』として壊すか、それしかないのだ。

 だから、止まれない。


「殺す……殺す、絶対に殺す!」


 ソフィアが喚いて、懐を探り青ざめた。おそらく、武器切れだ。

 それでも、たった一本のナイフを握り締め、憎悪に瞳を燃やして突っ込んでくる。

 不思議と死ねる気がした。あのナイフは、彼女の殺意は、心臓を破って息の根を止めるだろう、と。

 パキリと指を鳴らす。

 もういい。もう全て終わってしまえ。

 足を前に出す。バシャバシャと血の海をかき分けて、僕もまた手を汚すために進む。


『死ぬのか?まだ全然殺してないのに』


 うるさい。いい加減黙ってくれ。

 僕が本当に嫌いで、嫌いで、心の底から殺したいと思っているのは、『化けぼく』のなのだから。

 僕はもう何も見えていなかった。真っ暗な世界、甘い匂いのする紫の霧が揺れる、血の海の中にひとり。

 ソフィアは、僕が見えていたのだろうか。

 腕を振り上げ、音が消えて、感覚も消えて。

 時が止まった。




「どう、して」


 震える声は、僕のものか、それとも彼女のものだったのか。

 黒い水も紫の霧も跡形もなく消え、視界がクリアになる。だが皮肉にも、その情景を脳が受け入れようとしなかった。

 僕の手も、ソフィアのナイフも、互いに届くことはなかった。

 幻覚のせいか、僕の手は反れて虚空に突き出されていたが、ナイフの軌道は正確だった。なのに、何故、無傷なのか。

 僕の前に立ったクラウス様の腹部に、深々と刺さっていたからだった。

 クラウス様が身体を痙攣させ、咳き込む。吐き出した血が唇や押さえた手を赤く濡らし、ナイフが刺さった箇所もみるみるうちに染まってゆく。だが、顔色は病的に青白く、目は虚ろだった。

 ふらりと傾いだ身体を抱き留め、そのまましゃがみこむ。


「クラウス様!しっかりしてください、クラウス様ッ!」

「……大丈夫だ。死んでない……まだ、な」


 自嘲めいた笑みをこぼし、また吐血する。呼吸をするのすら苦しそうだ。


「どうして出てきたんです!?ただでさえこんなに怪我していて、毒だって……!」

「言っただろ……これ、は、俺の問題。……ソフィアの近くにいて……気づけなかった……いや、わかろうとも……しなかった……。だから……」


 せめて、首でもあげようと思ったんだけどな。

 ほとんど声になっていない言葉に、胸が張り裂けそうだった。

 やりきれない感情のままソフィアを睨んで、目を疑う。

 彼女の顔には憎悪も優越感もなかった。愕然と見開いた瞳から涙が溢れて、青ざめた頬を伝う。


「どうして」


 ひび割れた声が落ちる。


「どうして、どうしてそんなこと、するんだよ。……そんな、わ、わたし」


 見開いた瞳がクラウス様を凝視して、次の瞬間、血を吐くような叫びが迸った。


「私はッ、あなたを殺したかったわけじゃないのにッ!」


 時が止まったようだった。

 僕はクラウス様を抱えたまま、呆然としたいた。

 けれど、誰よりも衝撃を受けていたのはソフィア自身だった。

 青ざめ、カタカタと震えながら、信じられないという表情で首を横に振る。押さえられない激情をぶつけるように、金色の髪をかきむしりながら、叫ぶ。


「違う、違う違う違う!今のは違うッ!私は……私は復讐のために生きてきたんだ。家族を皆殺しにした王を、そしてこの国を、決して許さないって……だから、お前なんか好きじゃない!好きだったことなんてない!だ、だから、だから……」


 何かを言いかけて、けれどそれ以上言葉にならなかった。血の付いた頬を涙が滑り落ちた途端、堰を切ったようにぼろぼろと溢れ出し、膝をついて嗚咽する。

 それが、答えだった。

 最初はきっと、復讐のためにこの城で働き始めたのだろう。クラウス様に対しても怨みを抱いていたのだろう。

 けれど、いつの間にか時は流れて、敵であるはずのクラウス様に愛情を感じるようになっていた。復讐心も、奥底に沈んでいたのかもしれない。

 それを引きずり出してしまったのは、僕だったのだ。

 リラ様が襲われた時、完全に見境がなくなっていた僕はソフィアやクラウス様にも手をあげた。リラ様が止めなければ、ソフィアを絞め殺していた。

 あれ以来、彼女の様子は豹変した。

 誇りを傷つけられたソフィアは、本来の自分の目的を思い出してしまったのだ。そして、本当は傷つけたくないクラウス様に刃を向けた。

 それでも、殺せなかった。だから、毒で動けないようにして、致命傷は与えなかったのだ。

 目の前が真っ暗になった。

 全て、何もかも、僕のせいだ。

 自己嫌悪と絶望感に眩暈がする。最低だ。僕なんか死ねばよかったんだ。いつもいつも、死にたがって、死に損なって、またこうして誰かを傷つける。

 と、その時、退屈そうな声が沈黙を破った。


「なにこの展開。興醒めなんですけどー」


 ネリーが真っ赤な唇を歪めて吐き捨てる。それから、素早くソフィアの前に回り込むと、鳩尾に拳を叩きこんだ。


「おま、え……!」

「何だい皇子サマ、この娘が心配?あはは、お優しいねぇ。気絶させただけだから平気さ。フィリアはちょっとヒスになっちゃったからね、旦那に見られても面倒くさいし。まだまだ女王様のために活躍してもらわないと」


 女王様という単語にビクッとする。

 やはり、セレナが、関わっているのか?

 セレナはそれほどまでに僕を恨んでいるのか?

 ギリギリと心臓を締め付けられるようだった。消えたい。消えて、なくなりたい。

 けれど、今クラウス様を運べるのは僕だけだ。

 クラウス様はいつの間にか気を失っていた。呼吸も浅いし、体温も下がり続けている。時間がない。

 ネリーがニヤニヤしながら僕とクラウス様を交互に見やる。そして、どこかにちらりと目をやって、


「やっとかい。あー疲れた」


 間の抜けた声を上げ、コキコキと首を鳴らす。そして、ソフィアを担ぎ上げ、


「さて、あたしはそろそろ行くよ。坊やたちも早く戻りな」

「ふざけるな!誰がみすみすお前を……」

「いいのかい?あたしは追いかけっこしてもいいけど、後悔しても知らないよ?」


 意味がわからず顔を顰めると、ネリーはくくっと笑い声を漏らし、勿体つけてそれを口にした。


 心臓が凍り付いた。

 震えが止まらない。止まらない、止まらない、止まらない。

 喉元までせり上がってきたのは、叫びだしたくなるような焦燥と恐怖。

 血が出るほど強く唇を噛み、憎しみを込めてネリーを睨む。けれど、すぐにやめた。時間の無駄だった。

 クラウス様をどうにか担ぎ、ネリーの嘲笑う声を背に僕は走り出した。


 どうか、間に合ってくれ。間に合うのなら、このまま死んだっていい。

 神様が本当にいるのなら、どうか。


「……リラ様ッ!」


 あなたがいなければ、僕はもう、生きていけない。

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