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新たな事件

 願いを叶えるために必要なものは何か?

 小さな願いなら、簡単に叶うだろう。

 けれど、大きな夢は叶わない。一度かなっても、簡単に夢は破れ去る。後に残るのは絶望と未練。

 神様は残酷なほどに平等で、世界は吐き気がするほど不平等。

 それでも、どうしても諦められない願いがあるとしたら。何を犠牲にしても叶えたい夢があるなら。

 生贄を捧げれば、少しは叶えることができる。

 光の射さない世界でも、光を手に入れることができるのだ。

 散らかった部屋。ドレスも両手も赤と黒で汚れている。暗闇の中でなければ、酷い有様だっただろう。

 だって、仕方ないじゃない。

 最近、それしか使わないんだから。

 鈍く光る刃で白い壁を削り、赤い液体を付着させる。何の気晴らしにもならないけれど、やらずにはいられない。

 夢を叶えるための材料。たくさんの生贄。

 誇り。信頼。家族。希望。優しさ。未来。才能。宝物。過去。友達。愛情。現在。

 全部いらない。

 全てを犠牲にして、全てを裏切って、全てを壊す。

 

 願いが叶うなら。

 例え、一瞬でも叶うなら。

 全てを、人生を、命だって捨てられる。


 ねえ?

 あなたにはその覚悟が、あるのかしら?




「ハル?どうかしたの?」


 ぼーっとしていると、顔の前で真っ白な手が振られていた。リラ様だ。


「い、いいえ。何でもないです……」

「本当に?」


 青い瞳に顔を覗きこまれる。途端、頬に血が上った。


「え、えっと……」

「隠さないで」


 リラ様が身を乗り出す分だけ僕も仰け反る。が、それでも充分近距離だ。持っていたトランプを取り落としてしまい、美麗なカードが絨毯の上に散らばった。

 リラ様は睨んだり、怒ったりはしない。静かに僕を見つめるだけ。

 透き通るような肌や、さらさらの銀色の髪から甘い花の香りがして、思考が溶かされるようだ。くらくらして、マトモにものを考えられなくなる。

 顔が赤くなっているのはわかっているけれど、どうしようもない。


「……っ、隠しごとなんかしてないです。ちょっと、ぼーっとしていただけで」


 リラ様の顔を直視できず、目を逸らしながら答える。


「そう?なら、いいけど……」


 本当に何も隠していないのだが、それでもリラ様は不安そうだ。これまで、僕が嘘を吐きすぎたからだろう。罪悪感に胸が痛む。


「本当ですよ。だから、こうして楽しくもないリラ様の遊びに吐き合っているわけだし」

「そうなの?わかった……って、全然良くない!楽しくもない遊びって何!?」

「絶対に負けるのわかっているのに、楽しいわけがないでしょう。というか、はっきり言って面倒」

「何それ酷いっ」


 キッと目をつり上げると、頬を膨らませてそっぽを向く。さっきまでの大人びた眼差しが嘘のようだ。

 拗ねたリラ様は年齢より子供っぽい。相変わらず、多面的な人だ。

 血に塗れた時間が遠い昔のように感じられるほど平穏な日常。幸福な時間。こんな気持ち、いつ以来だろう。

 自然と笑みがこぼれる。すると、リラ様は誤解したのか噛みついてきた。


「何!馬鹿にしてるの!?」

「いいえ。子供みたいで可愛いな、と」

「あっそ。私からしたらハルの方が幼稚ね。年上のくせに」

「幼稚って……。後、年上といっても一歳しか変わりませんけど」

「二歳も、よ。だって私はまだ誕生日きてないもーん。だいたい……あっ」


 小さく声を上げ、ついでニヤリとする。

 僕は取りあえず飛び退いた。……嫌な予感がする。


「何で逃げるの?」

「身の危険を感じたので」

「あのねぇ、私がハルに何かすると思う?」

 呆れたように溜息を吐く。

「いや、そんなこと思っていませんけど本能が」

「酷い。私のこと、信用してくれていないの?」

「うっ」


 そんな言い方、卑怯だ。

 他人に対して、多くの引け目がある僕にそのセリフはダメージが大きすぎる。寂しげな上目遣いなんかされたら、尚更だ。


「ねえ、どうなの?」

「どうなのって……わかっているでしょう、どうせ」

「言わなきゃわからないことだってあるよ」

「この場合は違うと思いますけど」

「……そう、かな」


 少し掠れた声で呟く。が、リラ様はすぐににこっとして、


「当ててあげましょうか」

「え?」

「ソフィアじゃないの?」


 瞬間的に目を逸らす。続いて、口を吐いて出そうになった誤魔化しを飲みこむ。……やっぱり、癖を直すのは難しい。


「どうしてそう思ったんですか?」

「……最近のソフィア、変だから」


 リラ様の声が急に不安げになり、澄んだ瞳が翳る。呼応するように、僕の気持も重くなった。

 確かに、最近のソフィアはおかしい。

 正直に言えば、怖い。 

 時々すれ違うと肌が泡立つような殺気を感じ、目が合えば、視線だけで射殺されそうになる。

 もともと僕は嫌われていたので、毎日のようにナイフを投げつけられていた。しかし、最近は全くそういうこともなく、ただただ不気味だ。

 ソフィア自身、やつれているようにも見える。

 僕に対してだけなら、理由は思い当たる。僕の『化け物』に対してだろう。結局、ソフィアにだけ謝れていないし。

 しかし、リラ様やクラウス様にまでそうなのだ。

 ソフィアに対してリラ様は、妙な美化も手伝って、憧憬と忠誠の対象だ。僕が目をつけられたのも、貴族だからというだけでなく、リラ様の遊び役になったからでもある。

 そして、クラウス様とは公にはできないながら、恋人同士のはずだ。

 しかし、二人にすら、ソフィアの異様な殺気は和らぐことがない。

 そして、ソフィアの様子は治まるどころか、日に日に酷くなっているように見えた。


「……心配、ですね」

「ハルは人の心配している場合じゃないでしょうよ」

「うっ」


 確かに仰るとおりですね。


「い、いやでも!今の僕は、リラ様のおかげでだいぶ落ち着いているので!ソフィアの方が心配かなと」

「冗談よ」


 慌てふためく僕に、リラ様がクスリと微笑む。

 リラ様が僕を守ると叫び、流れで僕も告白してしまって以来、僕らの関係はよくわからないものになっていた。

 隠したり、誤魔化したりしないようにするうちに、数年前から成長が止まってしまった僕の幼稚さが露見してしまっている。

 逆にリラ様は、大人びた、切なげな目をすることが多くなった。ふっと浮かべる微笑も寂しげで、不意打ちでやられるとドキッとする。

 不意打ちじゃなくてもドキドキするが。

 そしてまた、リラ様は、透明な寂しさの滲んだ、柔らかい微笑みを浮かべた。


「私のおかげじゃなくて、ハルの努力でしょう?他人のことを心配できるのは、心の余裕ができたことにもなるし。いいことだよ、からかっただけ」

「……え、えっと、ありがとうございます」

「どういたしまして、なのかなあ?」


 小首を傾げ、そっと目を細める。


「……そうね。ソフィア、どうしたのかなあ……。きっかけもよくわからないし。それに、何だか触れて欲しくなさそうだし……」

「そうですよね。僕はまだしも、リラ様達にまでというのは……」

「あ、なら、ハルが聞いてみてよ」

「……へ?」


 リラ様がポンと手をたたき、目を輝かせる。


「ソフィアはもともとハルを目の敵にしてたから、今更だし。それに、ハルはどうせ死なないから」

「今さらりと酷いこと言いましたよね」


 しかも僕は不死身じゃない。

 確かに剣で斬られても、出血多量でも、毒くらってもこうして生きているし、まず相手の攻撃自体当たりにくいが、いつか死ぬ。……多分。


「というか、僕の性格わかってるでしょう?自分から面倒なことに首突っ込むような真似、するわけないじゃないですか」

「だからこそ。訓練になっていいと思うよ」


 真剣を装って言っているが、絶対こじつけだ。騙されるか。


「無理ですねー」

「だから『弱虫』って言われるんだよ」

「それは関係ないと思います」


 言い返してから、ふと『弱虫』と言われたことに気がつく。

 誰が誰に言おうと、冗談だろうと、それは僕にとって禁止ワード。ローグ・ゼルドのせいで『弱虫』とう単語にコンプレックスを持っているせいで、『化け物』に直結してしまうのだ。

 この城にやってきて、最初に人を蹴り飛ばしたのも、バルクさんに『弱虫』と馬鹿にされたのが発端だ。

 けど、リラ様が軽口で言った『弱虫』は、何も感じなかった。

 不思議だ。

 これは、僕が少しは成長したということだろうか。

 それとも、リラ様だから?


「……どうかしたの?」


 つい考え込んでいると、リラ様に怪訝そうな顔をされた。とっさに愛想笑いを浮かべそうになり、慌ててうつむく。


「何でもないです」

「じゃあ、何で下を向くの?」

「……い、いつもの癖で、作り笑いをしそうになって……」


 へらへらと笑うのはすごく楽で、辛いことや苦しいことが耐えられない僕には合っていた。だから、誤魔化す時のくせになっている。

 変えようとは思う。努力もしている。

 けど、長年沁み込んだものが、そう簡単に変わるはずもなく、難航していた。


「なんだ。そんなこと」


 絨毯を見つめていると、ふとそんな声が聞こえ、信じられない気持でリラ様を見る。

 リラ様は朗らかに微笑んでいた。


「別に、愛想笑いは悪くないと思うよ?何でもかんでも変えろってわけじゃないし。全部変えたら、ハルじゃなくなるじゃない」

「え?で、でも……」

「それに、無理すると歪が生まれるよ」


 急に真剣なトーンに変わり、ドキリとする。


「ゆがみ……ですか」


 僕はもともと歪んでいるから、それこそ今更のような気もする。

 思ったことが顔に出たのか、リラ様の目がサッと翳る。明るい笑顔も切なげな苦笑に変わり、唇が震えた。

 何かを言おうとして、しかし何も言わないまま口を閉ざす。かなり迷っているように見えた。

 リラ様の様子を、不安を胸に固唾をのんで見守っていた時。


「許可なくここに来るとはどういうつもりだ!」

「うるさいっ!時間がないのよ、メイドになんか構ってられるか!」

「姉弟そろって野蛮だな。貴様らのような輩を私は許さない。帰るがいい!」

「ふざけんな!テメエこそ持ち場にでも帰れ!」

「野蛮貴族ごときに指図される覚えはないっ」

「ぶっ潰すわよクソ野郎!」


 本気の怒号が飛び交う。思わず、リラ様と顔を見合わせた。


「い、今のって、ソフィアと……」

「……ステラ姉さん?」


 部屋の前でやり合っているのか、怒鳴り声以外にも、ドシンバタンと騒々しい音が聞こえる。


「ステラさん……ハルのお姉さん、だよね?」

「……残念ながら、おそらく」


 もう一度怖々扉の方を見る。

 どうしよう。原因はわからないが、ヤバイ状況なのは間違いない。

 リラ様がスッと真顔になり、ドレスの裾を翻し立ち上がった時。

「この私が、侍女風情の言うことなんか聞いてられるか!」


 叫び声と共に、何かがドアにぶつかった。メリメリと音がして、ドアが揺らぐ。

 最後に一際大きな音を立て、ドアは倒された。


「何をするんだ!?」

「うるせー後で弁償するわよ」

「自分ちの金でか?貴族の考えることは金ばかりだなっ!」

「ナイフ振り回す女の考えることよりはマトモだけど?」


 部屋の向こうで怒鳴り合う二人の姿に、頭が痛くなってきた。

 金色のサイドテールを揺らし、服を着ていてもわかるほどに痩せ細りやつれたソフィアと、ソフィアに負けないくらいキラキラした金髪を肩の上で切り揃えた、兵士の恰好のステラ姉さん。

 最後に見た時にはあった包帯がない。外見こそ似てないけれど、僕とステラ姉さんの回復力は異常だから、とっくに治ったのだろう。

 というか、


「何してるんだよ二人とも!ていうか、ステラ姉さん扉蹴り倒すなよ!?これでも一応、一国の王女の部屋だよ?」

「一応じゃなくて、セルシアの第四王女です」


 僕とリラ様の声に、睨み合っていた二人の視線がこちらに向く。

二人の眼差しのきつさにギクリとする。今にも殺し合いが始まりそうな目だ。

 特に、ソフィアはかなり危険な目をしていた。充血していて、目の下のクマも酷い。珊瑚色の唇が切れ、痛々しい。顔色も悪く、僕と目があった瞬間、ギラギラと煮えたぎる瞳が一層黒く燃え上がった。

 嫌われているとか、目の敵にされているとか、そんな生易しいものじゃない。

 憎しみに満ちた目だ。

 激しい憎悪が一心に向けられ、足元がぐらつくような気がした。

 どうして、そこまで憎まれなきゃいけないんだ。やっぱり、あの時のこと?それとも、他に何か……?

 ドロドロした真っ黒な殺意に呑まれそうになった時、


「ハルッ!」


 悲鳴に似た声にハッとする。が、我に返る暇もなく抱きつかれた。


「うわっ!」


 ステラ姉さんは僕より背が高い。僕が特別チビというわけではなく、ステラ姉さんがデカいのだ。そんなのに全力でしがみつかれたために、僕は絨毯の上にひっくり返った。


「え、ちょ、どうし……」

「お姉ちゃんはどこっ!?」


 耳元で噛みつくように叫ばれる。取りあえずいくらか身を引いた。

 僕にとっての姉は二人。

 その二人のうち一人がステラ姉さんで、そのステラ姉さんが「お姉ちゃん」と呼んでいるということは。


「……ミシュア姉さんがどうかしたの?」

「どうかしたのじゃないわよ愚弟!」


 肩を掴まれ、乱暴に揺さぶられる。

 リラ様が困惑した表情で、


「あの、ステラさん。少し落ち着いて……」

「そんな暇ないのよ!ねえっ、お姉ちゃんはどこ!?あんたなら知ってるでしょ!?」


 必死の形相で叫び続ける。

 普段は傲岸不遜名ステラ姉さんが、泣きそうに顔を歪め、取り乱していることに、焦りと不安が込み上げてくる。

 それらの気持ちを飲みこむように、慎重に言葉を選ぶ。


「知ってるも何も、家にいるでしょう?ミシュア姉さんはもう何年も外に出てないんだから」

「そうじゃないから聞いてるのよっ!わかんないの!?」

「……どういうこと?」


 ざわざわと不快な音を立てて、嫌な予感が忍び寄ってくる。

 そんな、まさか。有り得ないだろ。

 けれど、ステラ姉さんは蒼白な顔で呟いた。


「……お姉ちゃん……お姉ちゃんが、いなくなった……っ」


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