自由の許されない王女様
ステラ姉さんが何を言っているのか、理解できなかった。
ミシュア姉さんがいなくなった。それは、どういう、意味?
聞きたいことはたくさんある。けれど、言葉にならない。頭の中が滅茶苦茶にかき乱される。
「ミシュアさんがいなくなったというのは、どういうことですか?」
僕の代わりに、リラ様が冷静に尋ねる。
「外出した、ということではないのですか?」
「そんなわけないわよっ!ミシュア姉さんが外出なんてっ……え?」
キッと目をつり上げたステラ姉さんが、みるみる青ざめていく。きつい双眸を驚愕に見開き、唇をわななかせる。
高慢ちきで自信過剰できつい性格のステラ姉さんが、明らかに怯えていた。
「あ……あ……ああっ」
「姉さん、どうしたの?何か知ってるの?」
「わ、わかんない……わかんないよ。でも、もしかしたら……」
何かを言おうとして、けれど迷うように口を閉ざす。それきり、顔を伏せてしまった。
ステラ姉さんがこんな風に弱る姿は滅多にない。そのため、余計に動揺する。
僕ら姉弟を交互に見たリラ様が、静かに唇を開く。
「もしかして、ミシュアさんの部屋を見れば、何かわかるんじゃありませんか?」
「どういう……こと?」
「私は部外者なのでわかりませんが、多分、そこにヒントがあると思います。ミシュアさんの行方のヒントが」
リラ様の声音には、確信に似た何かがあった。
何故、そんなことを言うのか。その根拠は?
困惑しながらリラ様の顔を見て、ドキリとする。
冷静でぶれることのない眼差し。普段の幼稚さとはかけ離れた、十五歳の少女とは思えないような表情。
何より、僕が信じると決めた人だ。
「行ってみよう、ステラ姉さん」
ステラ姉さんが目を見張る。
「あんた……」
「緊急事態だから、リラ様さえ許可してくれれば大丈夫だ。早く行こう、一刻を争う」
自分でも驚くほど落ち着いていた。
ミシュア姉さんがいなくなったというのが、信じられないというのも理由の一つだ。家に行ってみれば、いつものように部屋にこもっているのではないかと。
けど、それだけじゃない気がする。
「早く行こう」
さっきよりも強く、繰り返す。
ステラ姉さんは苦しげに唇を噛んでうつむいている。が、意を決したように頷いた。
「まあ、いつまでも逃げてられないしね。お姉ちゃんも、あんたも」
「もう逃げないから大丈夫」
ステラ姉さんがポカンと口を開けた。
え、あの、そんなに意外なセリフでした?
「あ、あ、あんた、誰よ。ハルじゃないでしょ」
「いや、ハルですけど」
「……ついに世界が滅ぶ日が来たか」
ガクリと項垂れ、苦悩の表情で壁に額をぶつける。何て酷い姉だ。
「真剣に言ってるのにそれはないよね!?酷いよ!」
「あー、ごめん。言いすぎたわ。……しばらく会ってない間に、ずいぶん成長したなって思ってさ」
姉さん特有の尊大な眼差しが和らぎ、頬がほころぶ。ステラ姉さんの微笑に、暗かった気持ちも明るくなる。
変わったのは、ほんとについ最近だけどねと、胸中で呟いてみる。
と、そこに、遠慮がちな声が割り込んだ。
「あの……姉弟水入らずなのはいいことだけど、そろそろ終わりにした方が……。緊急事態だけに」
「そ、そうですよね!すみません馬鹿でした!」
「別に馬鹿とは言ってないけど……」
哀れむような目はやめてください。年下の、それもいつもと違ってマトモな王女様にそんな目をされたらきつい。
「じゃあ、愚弟だけじゃあれだし、よかったらあなたも……」
「駄目」
ステラ姉さんの提案をサッと止める。
冷静でぶれることのなかった瞳が、寂しげに霞む。ゆっくりと波紋が広がり、感情が混ざり合い、揺れる。僅かに下りた長い睫毛が、澄んだ瞳に影を落とした。
一瞬哀しそうな顔をして、すぐにふんわりと微笑む。けれど、その笑顔は余計に哀しく、痛々しく見えた。
「ごめんなさい。本当は、ついていきたいのだけど。……でも、駄目。できないわ」
ここまで来て、やっとその意味を理解する。
天上の歌声を持つ第四王女。けれど、ほとんどの民が、彼女が美姫であることしか知らない。
自由な権限を与えられ、けれど誰よりも自由とは無縁な少女。
何故、どうして。……それはリラ様が、
「私は、この城から出られないから」
いつ消えてもおかしくない存在だから。
しんと、重い沈黙が流れた。呼吸が圧迫されるような。
リラ様の顔が見れない。今、どんな顔をしているのかを、知ることが怖いから。
僕はリラ様に救われた。比喩でも大げさでもなく、間違いなく救われたのだ。
だから僕も、リラ様を守りたい。それは本当だ。でも。
僕は彼女を、全然知らないのではないか?
だから、こんなに哀しい目をさせてしまうのではないか?
僕に、守る資格なんて、
「なーんてねっ」
ふざけたような声に顔を上げる。
すると、晴れやかな顔をしたリラ様が、
「まあ、さっきのは本当だけど、暗くなる必要はないでしょう?私はここにいれば満足だもの。ドレスも、本も、宝石も、な~んでも手に入るんだからっ」
にこっと笑う。
さっきまでの哀しそうな笑みが嘘のように、明るい声で。
速い。表情が変わるのが速すぎる。速すぎてついていけない。
……置いていかれる?
ふっと思いついた単語に、ゾッとする。理由は、わからないけれど。
しかし、リラ様の笑顔には一点の曇りもない。いつも通り、明るく朗らかだ。
脳裏を過った暗雲を振り払う。
「リラ様の頭はいつでもお花畑ですから、外に出る必要もないですしね」
「そうそう……って、今、さらっと馬鹿にしたよね?すっごく失礼なこと言ったよね?」
「冗談です」
いつものようにへらっと笑う。
自然に笑えただろうか。作り笑いは反射的に出てしまうから、自然な笑い方にしようとするとかなり難しい。精進しないと。
「じゃあ、用意してくる。外で待ってな」
早口で言い置き、ステラ姉さんは飛び出していった。
ふっと、寂しげに澄んだ青い瞳と目が合う。逸らしそうになって、無理矢理踏みとどまる。
「いってきます」
リラ様がそっと目を細める。眩しそうにも、切なげにも見える、そんな仕草で。そうして、桜色の唇を淡くほころばせた。
「いってらっしゃい。……気をつけて、ね」
「はい。リラ様も、この間のようにはならないでくださいね。家からじゃ駆けつけられませんから」
「大丈夫だよ」
光がはじけるような笑みにドキッとする。顔が赤くなっている気がして、サッと背を向ける。そして、ようやくそこで気がついた。
いつの間にか、ソフィアがいなくなっていたことに。




