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風邪と再会と王女様

 奇妙に静まり返った扉の前に、僕はただ呆然と立ち尽くしていた。

 頭の中は真っ白で、何も考えられない。震えが止まらない。それが恐怖なのか、別の感情からなのかさえ、わからず。

 ただ、自分でもわけがわからないほど異様に、胸が苦しい。

 この感覚は、微かだが覚えがある。

 多分、記憶が曖昧になる程度には昔で、そして大切だった、何か。

 思い出そうとしているのがただの現実逃避だとわかっていても、もう苦笑いさえ浮かばなかった。


 クラウス様から、リラ様が倒れたという知らせを聞いて、気が付いたらここにいた。僕が呆然としている間に他の人が用意して、連れてきてくれたらしい。

 ただただ頭の中が真っ白で、何顔を考える余裕がなかった。

 どうして。

 いつの間にかリラ様は、僕の中で大きな存在になっていたのだろうか。

 いや、そんなことはどうだっていいのだ。今は。

 そう、何でもいい。振り回されても、理不尽なことを言われてもいいから。

 脳裏に、ローグに裏切られて絶望したミシュア姉さんの姿が浮かぶ。そして、紫のドレスを着て、楽しげに笑う少女が。

 失ったものは二度と戻らない。

 だから、お願いだから、いかないで。


 ドアが軋む音にハッと顔を上げる。目の前に、クラウス様とソフィアが立っていた。

 クラウス様はいつも通りの無表情で、淡々と、


「リラは大丈夫そうだ。雨の中、踊ったり歌ったりしたせいで風邪をひいただけらしい。医者が薬を調合してくれたから、すぐ良くなるだろう」


 その瞬間、全身から力が抜けて、僕はへなへなと床に座り込んだ。

 よかった。


「そう、ですか……。でも、雨の中歌う王女って……」

「……俺も、馬鹿だと思う」


 沈黙が落ちた。

 安心すると、さっきまで死ぬほど不安だった反動か怒りがわいてきた。雨の中で歩いて、踊って歌って馬鹿やった揚句、倒れるとか!何やってるんだあの人!

 うちの師匠並みに始末が悪い。


「リラにはお前が返ってきたことは話した。いってやれ」

「はい、わかり……」


 凄まじい殺気に固まる。恐る恐る殺気の根源を見ると、ソフィアが不機嫌そうな顔で僕を睨んでいた。

 ちょっと待て。いったい僕が何をしたと言うんだ。どうしてそんな今すぐぶっ殺してやりたいのを全力で我慢しているんだみたいな目で僕を見るんだ!


「ハル?何でソフィアを見て凍りついているんだ……?」


 クラウス様が怪訝そうに僕とソフィアを見比べる。

 たぶんあなた関係ですよ!どうせ、僕は貴族だから因縁つけられるんでしょう。

 これ以上この場にいたら、いつソフィアが爆発するかわからない。僕は薄く愛想笑いをしながら逃げるようにドアノブを回した。




 後ろ手でドアを閉め、小さく溜息をつく。とりあえずは大丈夫だろう。あとでナイフが降ってくる可能性大だけれど。

 もう一度溜息をついた時、


「は……る……?」


 掠れた、けれど透明で美しい、いつもより幼げな声が僕の名前を呼んだ。不覚にもドキッとして、そんな自分に動揺しながら声の主を見る。

 リラ様は白い寝間着姿で、フラフラとこっちに歩み寄ってきた。


「え、ちょっと、こっちに来なくていいですから!病人は寝ていてくださいよ!」

「うるさい……大丈夫よ……こんなの……」

「大丈夫なわけあるか!」


 僕が叫んだのとほぼ同時に、前のめりに倒れそうになる。僕は慌てて駆け寄り、抱き止めた。

 リラ様の体は、ゾッとするほど軽かった。高熱のようで、触れている部分が酷く熱い。真っ直ぐな銀色の髪だけがひんやりしていて、さらさらと水のように流れ落ちた。

 熱のせいか潤んだ瞳で見上げられて、また頬が熱くなる。

 ヤバイ、何でこんなに意識してるんだ。馬鹿じゃないか僕!いや、頭おかしいのはわかっているけど、そうじゃなくて。

 頭の中では色々考えているのに、吸い込まれそうなほど大きな瞳から目を離せず、何一つ言葉が出ない。

 リラ様はそんな僕をぼんやり見つめ、桜色の唇を開き、


「……ふふっ。あは、あはははっ」


 何故か笑いだした。


「………………あの、熱で頭やられました?」

「失礼……だなあ。私、頭おかしく、ないもの。笑ってるの、ハルの、せい」


 妙なところで区切りながら、ゆっくりと言う。


「僕のせい……ですか?何が」

「だってさあ……ふられたんでしょう?婚約者さんに」


 ニヤリと笑う腕の中の王女様に、目が点になった。

 ふ、ふ、ふ、ふられ、た?


「ふ、ふふふふふふられてはないですっ!」

「嘘だぁっ。じゃあ、何で戻ってきたの」

「うっ」


 それには色々あったのだが、病人に話すことではない。つまった僕を見て、またクスリと笑う。


「ほーらね。私、当たったでしょう?」

「何がほーらね、ですか。ふられたわけじゃありません。色々あったんです、色々。それに、雨の中暴れて風邪ひく王女に馬鹿にされたくありません」

「もう馬鹿にされてるじゃない」

「うるさいなあっ!」


 つい怒鳴ってしまい、ハッと口をつぐんだ。こんな人でも病人。しかも一国の王女様。今だけは優しくしないといけないな、今だけは。


「……になって、ほしかったのに」

「え?」


 ぽそぽそと何かを呟いて、うつむく。薄い肩が揺れ、さらさらと銀色の髪がこぼれていく。

 風邪をひいているのだから当たり前だが、元気がない。リラ様は常に元気が有り余っているので、何だか妙な感じだ。流れた前髪を払い、真っ白な額に手を当てると、ものすごく熱かった。熱が上がっている。


「とにかく、今はベッドに戻ってください。話はまたあとで」

「嫌」

「へ?」

「平気だって言ったでしょう、さっきも」


 掠れた声で言うと、キッと睨んできた。


「いや、困りますから!平気じゃないし!頼むから寝てください」

「嫌よ。この部屋の主は私何だから、私が何をしようと勝手でしょう」

「そりゃそうですけど、今は別です!」

「断るわ!」

「何故!?」

「べ~つ~に~」


 駄目だ。これはもう、酔っぱらいと同レベルだ。頭痛がしてきた。

 しかし、このまま駄々をこねられても困る。どうしたらいいか。

 仕方ない、奥の手だ。


「元気になったら何でもするので寝てください!」

「お断り」

「即答!?」


 リラ様はツンと横を向いた。

 どうも今日はご機嫌斜めだ。ソフィアもものすごく殺気立っていたし、何かあっただろうか。いや、ソフィアの場合はあってもなくても同じか。

 僕はどうしたらいいかわからず、溜息をついてリラ様を見下ろした。今、相当情けない顔をしているのだろう。


「……また、歌ってくれるって、言ったじゃないですか」


 リラ様はピクリと反応した。眉根がぎゅっと寄る。


「言ったでしょう。リラ様の歌、好きなんです。すごく。だから、早く元気になって歌ってください」


 熱で潤んだ瞳が大きく揺れる。桜色の唇が微かに震え、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「……歌、ね」


 どこか寂しそうな声で、呟く。


「え、あの、歌うの好きでしたよね?違いました?」

「……ううん。好きだよ」

「じゃあ大人しく寝てください」


 リラ様はしばらく沈黙し、やがてこくりと頷いた。緩慢な動作で起き上がり、危なっかしい足取りでベッドへと戻っていく。

 毛布をかけてあげると、中にもぐって隠れてしまった。


「……どうして、戻ってきたの」


 毛布の中から、くぐもった声で問いかけられる。


「どうしてって、そりゃ、リラ様が倒れたからですよ」

「そうじゃなくて」

「え?」


 一拍置いて、溜息をつくのが聞こえた。


「……もういい」


 すねているような、どこか泣きそうな声にズキッとする。

 僕がここにいるのは、間違っているのだろうか。

 あの時別れたはずなのに、また戻ってきて。

 ……今、リラ様をどう思っているのかも、よくわからないのに。

 リラ様の方に手を伸ばし、毛布に触れるか触れないかで止まってしまう。でも、ひくこともできない。息がつまりそうなほどの静寂に、縛られたかのように。

 僕はリラ様を見つめ、唇を噛みしめた。

 このままでは、見ないふりをしている何かに気づいてしまいそうで。

 なかなか逸らせない目を強引に離し、ぎこちない動きで踵を返す。足に鉛でもつけているように体が重い。

 それでも、やっとのことで戸口まで来た時。

 僕の手を、熱くて柔らかい何かが掴んだ。

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