↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
50/118

捨てられない

 降ったりやんだりを繰り返す雨を、灰色に染まった外の世界を、窓からぼんやり眺めていた。

 ぼーっとするのは楽で好きだ。楽はいい。平和な時にしか、楽はできない。

 それでも、完全な楽ではなかった。

 脳裏をかすめる過去。声。夢。切れ切れに、過ぎ去っては消えていく。

 何が正しいのか。

 自分の本当の想いは、一体どれなのか。

 わかりそうで、わからなくて、知りたいけれど知りたくない。

 知っている気も、する。

 頭の中の考えを振り払うように外に目をやると、奇妙な人影が見えた。

黒いフードの付いたローブを着た、小柄な姿。雨とフードで顔は見えない。何かを持っているようだった。

 妙だとは思った。それに、どことなく見覚えがあるようにも思えた。

 しかし特に関心はないし、危害を加えてこなければどうでもいい。何より、考える気にならない。

 僕は雨の中走っていく黒い背中から視線を移し、ぼーっと宙を見つめる。 ふいに、両親の顔が目に浮かんだ。

 父さんや母さんには、本当に心配をかけているし、すまないと思っている。これ以上負担はかけたくない。

 なら、どうするべきか。

 出来るだけ普通の貴族になることだろう。自分の意思とは関係なく、動けるように。

 でも、僕には難しい。嘘と愛想笑いは得意だが、我ながらものすごく感情的だ。

 正直に言うと、社会に出られるようなマトモな人間ではない。その時点でまず不合格。嘘も笑顔も薄っぺらで見え透いている。


「あーあ、感情のない人間になれたらいいのに……」


 情けなさに溜息をついた時、


「どうしてですか?」


 不思議そうに聞き返され、ビクッとする。振り向くと、アニーが控えめな笑顔で佇んでいた。


「いつからそこにいたの?」

「え?えっと、その、ノックは何度かしたのですが……。ご、ごめんなさい、出ていきます」

「え!?待って、そういうつもりで言ったんじゃないから!ただちょっと驚いただけで」


 ノックに気がつかないほどボケていた自分に対して。

 アニーは不安げに眉を下げ、結い上げた赤い髪を指に絡めて弄ぶ。そして、気弱そうにぽつりと言った。


「……少し、お話ししてもよろしいでしょうか」


 丸い瞳が、今まで見たことがないほど真剣に見上げてくる。

 内心驚きつつも、笑顔で頷いた。


「どうぞ。時間もあることだしね」


 アニーは落ちつかなげに視線を彷徨わせ、隅の椅子に目を止めるとそこに腰かけた。

 やけに重い沈黙が落ちる。


「……婚約のことですけれど」


 開口一番、うつむいたまま呟く。


「ああ、一応婚約みたいなものだよね。微妙に違うけど」

「ええ。そして、期限は明日まで、でしたよね」

「うん。……どうかしたの?」


 不審に思って尋ねた瞬間、アニーは勢いよく顔を上げた。柔らかそうな赤毛が一緒には寝る様子は可愛らしいが、眉根はギュッと酔っていて、ひどく険しい表情だった。


「予定を早めていただきたいのです」

「えっ?」

「今日……いいえ、今、答えを出していただきます」


 思わず息を飲むほど、強い眼差し。

 急に後ろめたさを感じ、冷や汗が吹き出してくる。


「何かあったの?父さん達が……」

「いいえ、私の独断です」


 雨の音が遠のいていく。自分の心臓の音だけがうるさいくらい良く聞こえて。

 僕は溜息をつき、いつもの笑顔を張り付けた。


「そういうことなら、決まっているよ。僕は……」

「待ってください。答えを出す前に、聞きたいことがあります」

「聞きたいこと?」


 首を傾げる。

 貴族の政略結婚の事例だろうか。それとも、経済事情?

 愛想笑いを浮かべながら考えを巡らす僕に、アニーは静かに、けれどはっきりと、告げた。


「ハル様は、誰かに恋をしていらっしゃいますね」


 誰かに殴られて吹っ飛ばされたような衝撃が突き抜けていった。ざわざわと嫌な音を立てて、過去の切れ端が渦巻き始める。

 何か、言わなきゃ。違うって。

 だが、何が、どう違う?

 頭の中は真っ白で、単語一つ出てこない。ただ、残像が浮かんでは消える。

 呆然と固まる僕に、アニーはやっぱりという風に微笑んだ。


「初めのうちは、リラ様だと思っていました。でも、ハル様はずっと否定していらっしゃいましたよね。だから、もしかしたら他の方かもしれないと思ったのです」

「ど……う、して」

「さあ、どうしてでしょう?」


 アニーはどこか楽しげに、瞳をくるんと回した。


「……実はですね、顔にでていましたよ?」

「え……」

「誰かを想う目。ハル様はいつも、何かを笑顔で誤魔化されていましたが、時々、ひどく哀しそうな顔をしていました。ほら、また」


 指摘されても、よく、わからなかった。上手く誤魔化しているつもりだったのに。


「わから、ない」


 声に出していたのは無意識だった。

 アニーの顔を見ることができずうつむいたまま、言葉だけがこぼれていく。


「……今となっては、どう、好きだったのか、今も好きなのか、……誰のことが好きなのかさえ、わからない」


 最低だ。

 胸の奥に閉じ込めていたものが、少しずつ流れだして。元から雑然としてわけのわからない感情を、より一層滅茶苦茶にする。

 このまま蓋をして、見ないふりをするのが一番楽、なのに。蓋に手をかけたまま、身動き一つ取れない。

 夢と現実が入り乱れて、過去と現在(いま)も区別がつかなくて、彼女と彼女が重なってしまう。

 それならこのまま、全部、見なかったことにしたかった。

 けれど。


「……わからないなら、諦めちゃ、駄目です」


 柔らかな囁きにのろのろと顔を上げれば、穏やかな丸い瞳と目があう。


「ハル様のことはよく知りませんし、一緒にすごした時間も僅か。そんな私が偉そうにと、思うかもしれません。でも、諦めたら、駄目です」


 弱々しい雨音に溶けていくような静かな声が、不思議と強く耳に残る。

 アニーは近寄ると、そっと僕の手を取った。感覚のなくなった指先に、じんわりと熱が伝わる。


「例え誰だかわからなくても、大切な『誰か』なのでしょう?誤魔化しても誤魔化しきれないほどに、恋い焦がれた人なのでしょう?それとも、簡単に楽な道を選ぶことができる程度の想いなのですか」


 胸の奥の柔らかい部分が抉れて、軋む音がする。呼吸が苦しい。唇が震えて、上手く言葉が出てこない。


「ちが、う。その程度、何かじゃ、ない」


 掠れて、蚊の鳴くような声で、目を合わせることすら出来ず。

 それでも、多分これが、本心。


「……まだ、諦めたく、ない」


 せめて答えを出すまで。みっともなくても、諦めたくない。

 割り切ることなんか、できない。

 アニーが深く深く息を吐く。そうして、満面の笑みを浮かべた。


「正解です」


 心の底から嬉しそうな目で、僕を見つめる。


「私は恋をしたことがありません。ですから、政略結婚も、別にいいかなくらいに思っていました。でも、ハル様は違うでしょう?貴方は捨てられない。だったら、無理してまで楽な道を選ばないで」


 無理してまで。

 確かにそうだ。

 楽な道を選ぶのは、自分の何かを切り捨てるのと同じ。

 大事なものを捨てて、楽になれるなら、平和に暮らせるなら、それでいいと思っていた。

 もう、誰のことも守ることができない『弱虫』な自分も、誰からも恐れられる、破壊しか知らない『化け物』も見なくて済む。戦わなくていい。絶望することもない。

 彼女のことで、苦しまなくていい。

 だけど、捨てられない。

 目を瞑っても、耳を塞いでも、逃げても逃げても、影のように引きずっていく。

 それさえ切り捨てるとしたら、捨てるのは自分自身。


「捨てられないのでしょう?」

「……うん。そうだよ」


 自分自身を捨てることは、できないから。


「ごめん、アニー。僕の答えは……」

「わかっています。初めから、そのつもりで参りました。両親には私から話をつけましょう」


 アニーの答えに、僕は苦笑いを浮かべた。

「もしかして、僕が嫌だったのもある?」


「そんなわけないじゃないですか。ハル様が誰かに恋をしていなければ、結婚する気、ありましたよ?」

「そうかなあ」

「じゃなかったら即刻お断りしています」

「それもそうだね」


 なるほどと頷くと、アニーは面白そうにクスクス笑った。貴族の令嬢の装いをしていても、旅で一緒だった時と何一つ変わらない、普通の女の子。

 僕は作り笑いではない笑みを刻んだ。


「ありがとう、アニー。結果はどうあれ、仮の婚約者が君で、本当によかった」


 僕にしては珍しく、正直な思いを告げる。

 アニーでなければ、僕は間違った道を選んでいたかもしれないから。

 するとアニーは、ちょっと顔を赤らめ、照れたように微笑み返した。


「わ、私も、ハル様でよかったです。ありがとうございました」


 はにかみなが真っ直ぐ向けられる優しい眼差しに、心が安らいでいく。同時に、銀髪に青い瞳の、美しい王女の姿が脳裏を過った。

 あの時は本当にお別れのつもりだったけれど、もしかしたら。

 その時、ドタドタと階段を駆け上がる音と、誰かが言い争う声が聞こえた。アニーに手を握られたままであることに気が付き、慌てて手を離す。

 ノックもなしに乱暴に開かれたドアから、転がり込むようにしてクラウス様とステラ姉さんが入ってきた。


「うわあっ!ど、どうしたんで……」

「んなこと説明してる場合じゃねーのよ愚弟!」


 いきなり怒鳴られたうえに全力で睨まれ、訳もわからず押し黙る。

 ステラ姉さんの隣では、クラウス様が蒼白な顔をしていた。常に無表情な彼に似合わず、焦りといら立ちが見て取れた。

 ここまで見ても空気を読めないほど、僕は馬鹿じゃない。握りしめた拳が汗ばむのを感じた。


「何があったんですか!?」


 僕の問いかけに、青ざめた顔をしたクラウス様がより一層顔を強張らせる。


「ハル、城に戻るぞ」

「えっ?」


 冷たい氷雪色の双眸が、揺らいだ。


「……リラが、倒れた」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。