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紫の華は無垢に可憐に嘲笑う

 母の死後、リラは孤児院を転々とし、やがて類稀な美貌と歌声を見込まれ、それなりに大きな教会の神父に引き取られた。

 初めのうちは、人々はリラに過度な期待を寄せた。神の使い、聖女の卵、天上の歌姫、と。

 望まれるままに歌って、歌って、歌い続けた。

 自分の歌が、人々を狂わせると知りながら。


 母から教わった数多の歌。魔法ではないが、使い方によって絶大な影響力があり、代々巫女が継承してきたとされる。

 傷の治りを早めたり、恐怖を高揚に変えたりすることができる。人々に幸福感を与えることも可能だ。

 だが、リラが人前で歌い続けたのは、破滅の歌だった。

 聞く人々に哀しい記憶を呼び起こさせ、破滅への衝動を生み、互いに傷つけあうような効果を持つ。

 何故そんな歌を歌ったのかと聞かれれば、彼女はこう答えただろう。


「あたしは歌うように言われただけ。何を歌えとまでは指示されていない」


 人々が不幸に苛まれる様子を、リラは虚ろな目で眺めた。


 心底、何もかも、どうでもよかった。




 クロフィナルに来てから数日が経過した。クラウス様の体調は戻り、明日には到着する予定だ。

 だが、それ以外には事態は何も好転していない。

 リラ様の居場所どころか、噂すら聞かない。セレナの方も同じだ。

 ソフィアもあの日以来全く見ていない。


「どうしたのよ、そんな顔して」

「いえ、すみません」


 怪訝そうに眉を顰めるアンジェラ様に、僕は笑って誤魔化した。

 最近は仕事の合間を縫って、こうして時折アンジェラ様のもとを訪れている。情報の共有もあるが、敵だらけの生活をしているため、根性なしの僕は定期的に周囲から逃げ出さないと死ぬ。

 爽やかなハーブの香りと、品のいい調度品。淹れてくれたお茶を啜るとほっとする。

 が、アンジェラ様はご機嫌斜めなようだった。


「にしても、本当に何が何だか。私がクロフィナルにいる間に、色々なことが起こりすぎよ。あなたが黒の狂戦士だの、『化け物』だのと言われているのだって信じられなかったのに、いきなり臨時将軍?代表代理?使節団って何よ、お父様は何考えてるわけ!?」

「あはは」

「あははじゃないわよッ」

「すみません」


 アンジェラ様のお怒りはごもっともだ。僕が彼女だったらとっくにキレてる。

 全くもう、とブツブツ言った後、不意に顔を曇らせた。


「あの……ちょっと、いいかしら」

「はい、何でしょう」

「……やっぱり、いいわ。何でもない」


 どう見ても何でもない様子でアンジェラ様が首を横に振る。気にはなるが、本人が言うつもりがないなら仕方がない。こういう時はどう促しても口を閉ざすばかりだ。


「それより、リラは本当にクロフィナルのどこかにいるのよね?」

「おそらくは」

「それがわかっていて、どうしてお父様は動かないのかしら……。クロフィナルの人間に連れ去られたのであれば、被害者であることを主張し返還要求を突きつければいい。賠償金も請求できるだろうし、社会的にクロフィナルの立場を弱めることができる。なのに、使節団なんて遠回しなやり方……明らかにおかしいわ」


 訝しむアンジェラ様に、僕はそっとうつむいた。

 それができないのは、こちらも瑕を抱えているから。

 非公式の王女。巫女という悪習。

 正面からリラ様を引き取ろうとすれば、当然むこうもリラ様の在り方を表に広めるだろう。そうなれば、セルシアの方が分が悪い。クロフィナルは憐れな王女の亡命を助けただけだ、などとのたまうかもしれない。

 国の立場を危うくするくらいなら、王はリラ様を切り捨てるだろう。初めからいなかった存在とするだろう。

 たぶん、それは正解だ。

 僕が、許せないだけで。


「……る、ハル!」


 焦った声にハッと顔を上げると、アンジェラ様が青ざめていた。いつの間にか侍女が彼女を庇うように立っている。

 いけない。怒りが顔に出ていたらしい。


「すみません。ちょっと、寝不足で」


 へらっと笑いかけると、あからさまにほっとした顔になる。そんなにやばい顔していたのか、僕。

 バツの悪さを誤魔化すようにお茶を啜る。そうすると、本当にいくらか気分が和らいだ。


「お父様の対応は腹立たしいけれど、仕方ないわね。私がクロフィナルに嫁いできたのもこの時のためだったのかもしれない。何かわかったら、また連絡するわ」

「ありがとうございます」

「いいのよ、リラのためだもの。それに私、嬉しいのよ」

「え?」


 アンジェラ様は優しく目を細め、僕に視線を合わせてきた。


「正直ね、あなたのことは少しも信用していなかったのよ。経歴がそもそもひきこもりの貴族のボンボンで、愛想笑いでお茶を濁すような器の小さい男だと思ってた」

「うっ」


 あらゆる単語が心臓にぶっ刺さった。特に器の小さい男のところ。


「どうしてリラがあなたを呼び寄せたのか、まるでわからなかった。おかげでリラを置いて行くのが心配でたまらなかったわ。お父様はリラを溺愛している一方で扱いは誰よりも冷酷だし、話し相手は小さな侍女と、アラネリアの兄妹くらい。だから、リラに忠誠を誓う騎士がいたらいいなって思っていたのよ。それなのに、当時の貴方って情けないんですもの。リラを守るように念を押しても、はなっから無理そうに見えたし。リラの男の趣味を疑ったわ」


 ぐうの音も出ない。あと、リラ様の男の趣味が悪いのも事実だ。僕が女の子だったら、僕なんて死んでも選ばない。

 肩を落とす僕に、でもね、と優しい声でアンジェラ様は続けた。


「あなたはこうして、助けに来てくれたでしょう?セルシアとクロフィナルの関係をわかった上で。ここに来る前に私に協力を求めて送ってきた手紙も、あなたの独断よね?」

「あの時はいきなりすみません……」

「何で謝るのよ。私はすごく嬉しいって言ってるの」


 軽く叱るような口調で言って、今度は悪戯っぽく笑った。


「ねぇ、ハル。あなたとリラって、いったいどういう……」


 ガチャリと、ひとりでに回ったドアノブの音が、ぞんざいにアンジェラ様の声をかき消した。


「失礼するわ。あらあたしったら、ノックもなしにごめんなさい?」


 蜜をかけた砂糖菓子のように甘い声。

 トンと靴音を立てて、少女がこちら側に踏み込んでくる。

 薄茶色のさらさらした長い髪に紫のリボンを結んで、華奢な肢体に満開の花のような紫のドレスを纏って、くらくらするほど甘い、甘い香りを漂わせる。

 僕を視界にとらえた瞬間、琥珀色の瞳がトロリととけた。


「ハル!」


 その声を、その仕草を、華やかな笑顔を、僕は知っている。

 彼女を、知っている。


「せれ、な」


 喘ぐように言葉を吐き出したのとほぼ同時に、セレナが僕に抱きついた。甘えるように腕を僕の首に回し、目を覗きこんでくる。


「久しぶりね!また会えて嬉しい。話したいことがたくさんあるの、ハルもそうでしょう?」


 わかっていたはずだ。

 セレナが生きていることも、クロフィナルにいることも。

 なのに、いざ彼女を目の前にした途端、身体が凍りついたかのように動かない。


「まさか、ハルが将軍様になっているなんて思わなかったなぁ。でもその衣装はとっても素敵。よく似合ってるわ」


 甘い笑い声が耳元で弾ける。

 頭の奥で警鐘が鳴っている。危険だ、離れろ、と。

 僕は何のために、全てを捨ててここまで来た?


「そうだ!今からあたしの部屋に……きゃっ」


 押しやると、セレナは悲鳴を上げて後ろに倒れた。

 血の気が引く。華奢な首を締め上げる感触と、血を吐くような罵倒が蘇る。


「セレナ!大丈夫!?ごめん、こんな……つもりじゃ……」


 抱きおこした彼女が、くすりと笑むのがわかった。するりと、しなやかな腕が僕の頭を拘束する。

 次の瞬間、セレナの唇が僕の口を塞いだ。

 甘い。甘すぎて吐き気がする。舌と一緒に何かが滑り込んでくる。

 甘くて苦い味のする何かが喉元を通り抜けた途端、全身が冷たく、鉛のように重くなった。意識も夢の中のようにあやふやになる。

 毒、か。これはたぶん、師匠に慣れさせてもらってないタイプの。

 口内をセレナの舌に蹂躙されながら、ボロボロの意識で思う。これは、ほんとうに、まずい。

 唇が離れ、舌なめずりをして蠱惑的に微笑むセレナが遠くに見える。


「ダメでしょ、ハル。ちょっとお仕置きが必要かな?」


 ずぶずぶと意識が泥に埋まってゆく。もう瞼が上がらない。指の一本も動かせない。

 遠くで、声が聞こえる。


「あ、あなた、何やってるのよ!」

「あたしのモノをあたしがどうしようが、あなたには関係ないでしょう?しかも、お使いすらちゃんとできないお馬鹿さんなあなたに。ハルにもあの女にも言わなかったんでしょう?」

「あんなの言えるわけ……」

「あなたの妹のミーナ姫の方が、よっぽどちゃんと働いてくれたのよ?ほんっと、無能。まあいいわ、ハルはあたしのところに戻ってきたんだから。許してあげる。ローグ、ハルをあたしの部屋に運んであげて」

「……仰せのままに」

「待ちなさいよ!どこにっ、」

「あ、このことは内密にね?もし喋ったら、旦那様もろとも牢屋行き。あたしに……セレナ・ウェスト・クロフィナルに逆らうと、痛い目に遭うよ?」


 喋ったところで取り合ってもらえないでしょうけど。

 愉しげな笑い声を最後に、意識は泥の底に落ちていった。




 誰もがリラを指さし、『化け物』と罵った。嫌った。

 どうでもいいことだ。最初からずっと、リラはひとりぼっちなのだから。

 

 けれど、ある夕暮れ。

 紅と黄金に染め抜かれた御伽噺のような世界で、一人の男の子に出会った。

 彼ははにかんだ笑顔と、傷だらけの手と、優しい言葉をくれた。

 向けられたものに戸惑って、怯えて。

 それ以上に、嬉しかった。


 その日から、ハルと名乗ったその少年と遊ぶようになった。

 彼は貴族の子供だが、良くも悪くも貴族らしくなく、リラの素性を気にしたりしなかった。

 けれど、問題が一つ。

 セレナ・ウェスト。華やかで美しい、商家の娘。リラが現れるまでは、ハルの唯一の友達だった少女。

 彼女はリラを一目見るなり嫌った。

 ハルの前では親しげに振舞ったが、いないところでは、嫌味もいやがらせも山ほど受けた。

 仕方のないことだ。後から入ってきたのは、リラなのだから。

 わかっていたけれど。

 ハルが、憧憬に輝く瞳でセレナを見つめるのを、からかわれて顔を赤らめるのを見るたび、胸が軋んだ。

 痛くて、痛くて。私があの子だったらいいのにと、何度思ったことか。




「だから、罰が当たったのね」


 苦しみを吐き出すように、ただ歌い続けた。善い歌も、災厄の歌も。母が警戒していた、王国の兵士達が通りかかっても。

 そのせいで、どれほどの悲劇が引き起こされるのかを知りもせずに。

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