教えた甲斐
中間テストが終わり、結果が返ってきた。テスト終了から5日後の月曜日だ。
* * *
朝のHR前。廊下の掲示板に学年順位が貼り出される。
桐生が真っ先に見に行って、戻ってきた時の顔が全てを物語っていた。
「......152位」
「お前、前日に本気出したんじゃなかったのか」
「出した! 出したけど間に合わなかった!」
「それは本気が足りなかったんだろ」
桐生は机に突っ伏した。夏休みの補習が確定したらしい。自業自得だ。
俺は自分の順位を確認してきた。学年50位。いつもと大体同じだ。数学で稼いで、英語で落として、トータルではこんなものだろう。
「で、秋月さんは?」
桐生が突っ伏したまま聞いてきた。
「3位」
「3位!? すげえ......いつも通りかよ」
学年3位。秋月はずっと5位以内をキープしているらしい。
当の秋月は自分の席で本を読んでいた。掲示板を見に行く素振りもない。
「秋月」
「......何」
「3位だったぞ」
「......まあまあね」
まあまあ。学年3位でまあまあ。
「お前にとってのまあまあのハードル高すぎだろ」
「......1位じゃないから」
目標が1位なのか。さすがとしか言いようがない。
「......藤宮は?」
「50位」
「......そう」
だが、秋月が次に聞いてきた言葉は意外だった。
「......数学、何点だった?」
数学だけをピンポイントで聞いてきた。総合順位ではなく、数学の点数を。
「85点」
秋月の表情が変わった。
変わった、というのは大げさかもしれない。口元がほんの少しだけ緩んだ。唇の端が数ミリ上がった程度の変化だ。秋月の表情変化としては、これはかなり大きい部類に入る。
「......教えた甲斐があった」
その声は小さかったが、確かに聞こえた。
「秋月、今笑った?」
「......笑ってない」
「いや、口元」
「......気のせい」
気のせいじゃない。確かに見た。秋月の口元が緩んだ瞬間を。
「凛、今の顔、写真に撮りたかった」
声がした方を向くと、つぐみがにやにやしながら立っていた。いつの間にこちらに来ていたのか。
「......何の話」
秋月が視線を逸らした。本に目を落とすが、ページが進んでいない。
「いやだって、凛が笑ってたから。珍しいなって」
「......笑ってない」
「笑ってたよー。ね、藤宮」
つぐみが俺に同意を求めてきた。
「まあ、口元は動いてたな」
「......藤宮まで」
秋月の耳が赤い。本で顔を隠そうとしているが、耳は隠れない。
「ちなみに凛、数学何点だったの?」
「......92点」
92点。前回より15点上がったとつぐみが後で教えてくれた。秋月は前回の数学が77点で、5教科の中で唯一80点を割っていたらしい。それが92点。放課後の勉強が効いたのだろう。
「92点って凛にしては嬉しい点数でしょ」
「......普通」
「普通で92点取る人間いないんだけど」
つぐみが呆れたように笑った。秋月は「......もう行って」とつぐみを追い払おうとしたが、つぐみは全く動じない。
つぐみは俺の方をちらっと見て、何か意味ありげな笑みを浮かべた。何だその顔は。
* * *
放課後。
テストが終わって、教室の空気が一気に弛緩している。桐生は補習のスケジュールを確認するために職員室に向かった。「地獄のスケジュール確認してくる」と言い残して。
俺は荷物をまとめて教室を出た。廊下に出ると、秋月がいつもの場所にいた。壁にもたれて、窓の外を見ている。
俺が近づくと、秋月がこちらを向いた。
「お疲れ。テスト終わったな」
「......うん」
2人で校門に向かう。もう5月の下旬で、日が長くなっている。放課後でもまだ明るくて、夕焼けには早い空が広がっていた。
「秋月、テスト終わってどんな気分だ?」
「......別に、普通」
「また普通か」
「......普通は普通」
通学路を歩く。並木道の木々が青々と茂っていて、木漏れ日が地面に模様を作っている。
「テスト終わったし、何か美味いもん食いに行くか」
なんとなく言ってみた。テスト明けの打ち上げというやつだ。桐生とならラーメンを食いに行くところだが、桐生は補習確認中だ。
秋月が足を止めた。
「......どこに」
「ファミレスとか。駅前にあるだろ、あそこ」
秋月は黙った。3秒ほど。
俺は秋月の沈黙に慣れてきていた。この3秒は考えている時間であって、拒否の前兆ではない。秋月が断る時は即答する。「......いい」か「......結構」が間髪入れずに返ってくる。考えている時は、少し間が空く。
「......行く」
短い返事だった。いつもの「......まあ」とか「......仕方ない」みたいな、一枚壁を挟んだ言い方じゃない。今日の「行く」には、壁がなかった。
「よし、じゃあ行こう」
駅前のファミレス。窓際の席に通された。
俺はチーズハンバーグ、秋月は和風ハンバーグ。「ハンバーグ仲間だな」と言ったら「......仲間とかじゃない」と返された。ジャンルは同じなのに。
ドリンクバーで俺はメロンソーダ、秋月はアイスティーを取ってきた。ハンバーグを食べながら、とりとめのない話をした。秋月がナイフとフォークでハンバーグを切る姿はやたらと上品で、ファミレスの鉄板にフレンチの所作が乗っている違和感がおかしかった。
秋月の口元にソースが少しついていたので指さしたら、慌てて紙ナプキンで拭いていた。耳が赤かった。
帰り道。5月の夜風が涼しくて、歩いていると気持ちいい。
「......今日は」
「ん?」
「......また行っても、いい」
秋月は前を向いたまま呟いた。
また。次がある前提の言葉だった。
「おう。また行こう」
俺はそれだけ返した。大げさに喜ばない。ただ受け止める。
分岐点。いつもの別れ道。
「じゃあな。また明日」
「......また明日」
秋月が右に曲がっていく。5歩くらい歩いてから、振り返った。
「......藤宮」
「ん?」
「......次のテストも、教えて」
言い終わる前に、秋月は背を向けて歩き出した。足が速い。逃げるように遠ざかっていく。
次のテストも教えて。
それは頼み事で、約束で、そして──次も一緒にいるという前提の言葉だった。
秋月の背中が夜の通りに小さくなっていく。
別に、教えるくらい何でもない。隣の席なんだから。
でも、なんだろう。秋月に「教えて」と言われたことが、85点の数学より嬉しかった気がする。
気のせいだ。たぶん。テスト明けで気が緩んでいるだけだ。
明日からまた普通の日常が始まる。弁当を作って、学校に行って、秋月の隣に座って。それだけのことだ。




