6 末裔
残酷なシーンが登場します。苦手な方は読まないで下さい。
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正体不明の怒りを必死に堪えながら、再び和恵に目を移す。
彼女は首を絞める格好のまま、仰向けになって硬直していた。
「化け物め……」
食堂の扉の隙間から、テーブルに座る三人の家族が私を睨みつけていた。一番奥に座るこの館の主人の背後に、不気味な老人も控えていた。
私は血まみれの顔をハンカチで拭い扉を開け、館の住人たちを見据えた。
怒りは急速に冷め、思考は疑問へと方向を変えた。
「和恵は死んだか。背後から襲うとは、相変わらず卑怯な餓鬼だな」
ゆっくりとした口調で館の主人は言った。
左の席に座る妙齢の婦人は憤怒の眼差しで私を睨み、右に座る美しい少女は悲しげな表情で見つめていた。いずれも姿は十年前のまま時が止まっていた。
様々な疑問が私の脳裏に渦巻いたが、それは徐々に、ゆっくりと変化していく。
沸々と湧いて来る嫌悪感と怒りが、私の鼓動を早め、後頭部に熱を帯びさせる。
『邪魔者を消せ。放っておくと、お前の立場が危うくなるぞ』
誰かが心の中で囁いた。
様々な疑問は何処かへ消えていた。
気がつくと、ダイニングテーブルは真っ赤な血だまりで染まっていた。館の住人たちは抵抗せず、私のなすがままだった。
「満足したか? お前はもう、我々の呪縛から逃れる事は出来ない。死ぬまで苦しめ」
館の主人は首から勢いよく血を噴き出しながら、ニヤリと笑って言った。
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僕の中で何かが壊れてしまったようだ。気味の悪い化け物の死体を見ても、何も感じなかった。
むしろ、害虫を駆除した時の安堵感のような感覚が勝っていた。
(早く家に帰らなきゃ)
僕は今までに起こった出来事を記憶から消すように、走って階段を降りた。
館の扉を開けると、外は薄暗い月明かりで照らされ、しんと静まり返っていた。
濃い霧が周囲の視界を隠していたが、通いなれた道だったので、迷うことなく衣坂を走り抜け自宅に戻った。
汚れたまま家に入ると怒鳴られるので、いつものように外で足を洗い、裏口から中へ入る。温い風呂に入り、体を洗った。
寝巻に着替え布団に潜ると、なぜか気分良く、死んだように眠る事が出来た。
僕はここでの生活にしっかりとケジメをつけ、【ふわふわ館】との関係にピリオドをうった。
一か月後、新たな気持ちで大阪へ行く決意を固めたのだ。
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「満足したか? お前はもう、我々の呪縛から逃れる事は出来ない。死ぬまで苦しめ」
館の主人は首から勢いよく血を噴き出しながら、ニヤリと笑って言った。
その言葉を聞き、私は背筋に冷たいものを感じた。
手に持ったカミソリは錆びついていて、ハンカチに血は付いていなかった。
ダイニングテーブルに目を移すと、そこには誰もいなかった。埃のかぶった空虚なテーブルクロスが、長い時の流れを物語っていた。
(すべてが幻覚? 自分で作り出した妄想だというのか……)
私は先程までのリアルな出来事を振り返り、自分の頭の中が信じられなくなっていた。
現実と妄想の境目が無くなりかけている。
私の中で、自我と得体の知れないものがせめぎ合っていた。
私は何かに導かれるように、館の外に出た。陽は傾き、周囲は血のような緋色に染まっていた。雑草が伸び放題の館の壁を伝い、裏庭に足を運ぶ。
塗装の剝げた木柵の向こうに、断崖が広がっていた。
(もう……すべて終わりにしよう……)
私は目を閉じて、朽ち果てた木柵に手を掛けた。
▽
私の中で、何かが叫んだ。
『この女を引き裂けば、オマエはこの逃げ場のない悪夢から解放されるんだ!』
目の前が緋色に染まり、血潮が騒いだ。意識はあるが、まるで自分の体が別の人格によって動かされているような気がした。
「グググググッ」
強烈な力で手錠の鎖を捻じるが、びくともしない。
私は自分の左手首を引き千切り、片方の手錠を外した。尚美は驚愕の表情で後退った。
「グググググッ」
千切れた左手に力を込めると、傷口からヌルっと、魔女のような細くて鋭い手が再生した。
手錠がぶら下がった右手と気味の悪い左手を使って、足首に掛かった手錠の鎖を引き千切った。
「ば、化け物!」
尚美は腰を抜かし、尻餅をついたまま震えていた。
「コロス。イキノネヲ、トメテヤル」
『逃げろ尚美! 立ち上がって逃げるんだ』
私は徐々に遠くなる意識の中で叫んだ。感情が次第に飲み込まれ、怒りと殺戮の欲求が上書きされた。
†
穢れた血に飲み込まれた男が、生き残りの女に手を掛けようとしていた。
わたしは背後から、男の心臓のあたりに狙いを定め、散弾銃を発射した。
大きな破裂音が響き渡ったが、予め両耳に栓をしていたので問題は無い。
弾は銀製の特注品で、聖水を練りこんだ樹脂でコーティングを施していた。
弾丸は男の胸で破裂し、拳ほどの穴が空いていたが、まだ安心は出来ない。先程左手の再生を目にしたばかりだ。
わたしは俯せに倒れた男の背後から、散弾銃を念入りに発射した。
火薬の匂いと白い煙が消えると、男の体が上半身と下半身に分断され、地面には臓器と弾の穴が見分けがつかないほどに弾け飛んでいた。
男の全身に、ペットボトルに入れた二リットルの聖水を満遍なくかけると、白い煙を上げて骨まで溶けた。地面には破れた洋服と千切れた手錠、そして抉れた弾の跡が残った。
この館には、かつて六人の穢れた血族がいた。唯一生き残っていた女が、呆然とした表情でわたしを見ていた。
「わたしはお前たちのような血族を、根絶やしにするよう依頼を受けている。お前を殺してしまうと飯の食い上げになるから、今夜は見逃してやろう。
もっと数を増やせ、苅部希美……お前が増やして勝つか、わたしが減らして勝つか。この勝負を楽しみにしているぞ」
わたしがニヤリと笑って言うと、女は素早い動作で闇の中へ姿を消した。




