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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第二章 怨霊編~胎児よ、胎児、湖面はそこだ

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第81話-2 激突!

第81話-2


「喧嘩無敗……そんな噂もあるんですね。確かに。いろんな所からスカウトも受けていますし、それに、負けた記憶も確かにありません。でもそれは、あなたも同じでは?」

「何よ、その敬語! 私たちをなめてるつもり?」

「とんでもない」


 元崎の笑みは、まったく崩れない。


「これは口癖なんです」

「敬語が口癖? そんなことある?」

「そんな事より、あんた。何か目的があったんだろ、元崎先輩《・・・・》。手間のかかることをして。俺が駆けつけるよう、うまく仕込んだ。そうだろ?」


 翔太が、一歩、踏み込んでくる。

 最初から違和感があったのだ。

 突然の先輩から後輩へのヤキ入れ。

 しかも、星城学園《せいじょうがくえん》の生徒ではなく、わざわざ他校の不良を連れてきての喧嘩。


「この高木を連れ去ったのも、本当の目的は……」

「うーん」


 と、元崎は頭かしげた。


「おそらく、あなたが思っている通りですよ、北藤くん」

「な……」


 あっさりと認める。


「はい。私が、すべて仕組みました。目的は、あなたですよ。北藤くん」


 元崎はますます笑みを強くした。


 どちらかというと、とぼけた印象。

 嫌味などではなく、心の底から、悪意など微塵《みじん》もないと言わんばかりの笑顔。


「あなたの思っている通り。そこにいる高木くんを連れて来いって命じたのも私。野津くんに言って、工業の連中を集めたのも私。その話を、北藤くんのクラスメイトに教えたのも私。きっとその話を聞いたら、北藤くんは助けに来るだろうって予想したのも私。すべては計画通り。――まあ、私の策略に乗ってくれて、本当に良かったです。北藤くんが来るって、私、信じてましたからねえ」

「ふざけんな! こんなに高木はボロボロになってんだぞ! 一体、何をしたくてこんな手の込んだことしたんだよ。俺が来なかったらどうするつもりだったんだ? 高木は? へたすりゃ、車椅子人生だぞ」

「まあまあ、そう怒らずに」


 元崎は、まったく動じていない。


「ですから、目的はあなただと言ったでしょ、北藤くん。私はあなたの“強さ”を見たかっただけです」

「俺の……強さ?」

「いかにも。単に、あなたがどれぐらい“強い”のか。実戦させてみて、この目で確かめたかっただけ。直接見ないと、人の話には尾ひれ羽ひれがつきますから。私の噂みたいに」


 翔太は唖然としてしまった。

 まったく掴みどころがない。

 それに俺の強さが見たい?

 たったそれだけのことで、こんな状況を仕組んだって言うのか。


「思った通り、あなたは“強い”。小学生時代から磨いていた格闘術の技。それに肉体が、筋力がついてくると、ここまでその本領を発揮できるんですね。ここまでの成長例、才能……私は今まで、見たことがありません」

「そ、それなら、なぜ、直接俺に声をかけて……」


 翔太の言葉は、あっさりと無視された。

 そして元崎は、背後にいる野津を振り返り、その肩にぽんと手を置いた。


「きっと、この野津くんにだって、あなたは勝っちゃうんでしょ?」

「え。元崎くん、さすがに後輩を前にそれは……」

「いや、あなたは負けますよ」


 元崎は断言する。野津は一瞬、悔しそうに顔をゆがめたが、すぐに「確かに。分からない」と肯定した。


(なんだか、二人ともいい人そうじゃない?)

 思わず美優は翔太に耳打ちする。

(意外だわ……。うちの番格がこんな、だなんて)


 確かに、野津の評判はいい。

 真面目だし、女子生徒からも慕われている。

 だが。

 とにかく、強い。


「まあ、とにかく」


 元崎は、話を締めくくるように言う。


「北藤くんの強さは、この目で、しっかりと拝見できました。ありがとうございます。想像以上でした。……じゃ、お帰りになって結構です」

「は?」


 次には、美優が一歩、前に入り込む。


「いい人かと思ったけど……。ここまでのことしといて、“お帰りになって結構ですよ”? ちょっと、あんた。先輩だからって言って調子に乗りすぎじゃない!? ごめんなさいは? ご・め・ん・な・さ・い!」


 美優は珍しくムッとしていた。

 いい人かと思った。

 だけど。

 翔太くんをこんなふうに扱って、こんな帰し方をするのは、さすがにない!


 おやおやと、元崎は振り返った。


「いや、そんなこと言われても……。私はすでに目的を達成したわけですし……」

「ふざけないで! 謝りなさいよ! 高木くんもあんなにボロボロにして! 罪悪感はないの!?」

「ありませんよ」

「ありませんって、あなた……」


 美優の肩が、わなわなと震え始める。

 翔太のこととなると、美優はつい熱くなってしまう。

 その熱くなった肩に、ぽん、と手を置いたのは、他ならぬ翔太だった。


「多分、何を言っても無駄だよ、美優」


 そう言う翔太は、一見するとやたら冷静に見えた。


 だが。


 美優には、すぐに分かった。


 ――いや、違う!


 翔太から漂う空気……。これは……


(翔太くん……。怒ってる……)


 美優は息を呑んだ。あのおとなしい翔太くんが……。

 次の瞬間、翔太は美優の横をすっと通り抜け、その前へ出る。まるで壁のように、美優の前に立った。


「俺が格闘術を習っているのを知っている。喧嘩なんてほとんどしてなくて、ただおとなしく学校生活を送っているだけの俺の“強さ”を確かめたい、とあんたは言う」

「はい、そうです」

「それを知りたいから俺を呼ぼうとしたことまでは分かる。だけど――やり方が、気に入らない……」


  こんな翔太を、美優は見たことがなかった。

 怒りをそのまま推進力にして、自分から相手へ踏み込んでいく翔太。

 いつもなら、争いは避けて通ろうとする。言いたいことも飲み込んでしまう。元いじめられっこだからこその、心の傷と弱さと優しさ。

 ――今、その全部が、目の前で“外されて”いる。


「気に入らないですか」


 元崎も、この異常を感じ取ったようだ。


「なら、どうします?」

「お、おい……。北藤……」


 野津は、完全にビビっていた。

 元崎の強さを知っているからだ。

 元崎の強さは、超高校級どころではない。大人でも、格闘技のプロでも――誰かが元崎に勝つという光景が、まるで想像できないほどの“化け物じみた”強さと怖さを持っている。


 だが翔太は、そんな野津の怯えの気配を、まるで存在しないかのように無視した。これも翔太にしては珍しい行動だった。


(何……? 翔太くんの中で何が起こってるの……?)


 戸惑う美優の想いも知らず、翔太はゆっくりと歩いて、元崎との距離をつめた。その距離、五十センチ。ボクシングの間合いにも、空手の間合いにも狭すぎる間隔だ。


 だがこれは──シラットの間合い。


「じゃあ、元崎先輩」


 翔太は表情ひとつ変えずに言った。


「こんなの、どうかな……?」


 翔太は、ふいに、くるりと元崎に背中を向けた。


「え……?」


 これには元崎も、さすがに眉をひそめる。そして――そこからの一瞬すら、やけに長く感じられた。翔太の上半身が、視界から“すっと”抜け落ちたかと思えば、次の瞬間には顎《あご》に衝撃が走る。


 それは、踵《かかと》だった。


 この短い間合いで、翔太は後ろ向きのまま、踵落としならぬ“踵での蹴り上げ”を放ったのだ。

 背を向けた瞬間には、もう踏み込みと軸の仕込みは終わっていた。


 シーソーの原理。上半身を落とす力をそのまま利用し、片足だけを上へと弾き上げる。体の中でも特に固く壊れにくい部分――踵で叩き上げる打撃。狭い間合いからでも攻撃できる、独特の関節の折り曲げ方と柔らかさ。それがシラットだ。


 “踏み込む”のではなく、“落として、跳ね上げる”。常識から外れた軌道ゆえに、読みにくく、防ぎにくい。


 その踵《かかと》が、元崎の顎《あご》を正確に捉えた──そう、翔太も、周りも思った。


 だが――


「速い。そして強い。不意の角度ですね、北藤くん」


 翔太の右踵と、元崎の顎の間。その狭い空間に、元崎は即座に自分の手のひらを差し込んでいた。

 ほんの指二本ぶんの距離を、反射ひとつで“埋めた”形だ。


 ──まさか、あれをブロックされた!?


「あ、あれを、防いだの……!?」


 美優も、その光景が信じられなかった。


「ふう。危ない、危ない」


 元崎は、翔太の踵を受け止めた手をひらひらと振り、その手のひらにふうふうと息を吐きかけた。

 わざとらしいその仕草は、いつもの飄々《ひょうひょう》とした元崎そのものだ。


「いや、でもさすがに驚きました。早いなんてもんじゃない。とんでもなく早い。これ、私以外でかわせた人、います? あの距離から、こんな強烈な蹴りが“下から”来るなんて、想像できる人もいないでしょ」


 翔太は一瞬、愕然と立ち尽くしたが、すぐに我に返り、元崎に向き直って構えを取った。


「じゃあ、次はこっちからですよ……」


 元崎はニヤリと笑った。


 笑った、と、思った。


 だが。


「あ、あれ……」


 それは、元崎自身の戸惑いを含んだ声だった。


 ガクン!


 突如、元崎の片膝が、ストンと地面に落ちたのだ。


「ちょ……」


 “無敵”の象徴のようだった背丈が、ほんのわずかとはいえ崩れた。その事実に、場の空気が凍りつく。

  元崎の膝が、わずかにガクガクと震えている。


「……これは、少し意外です」


 元崎の言葉から、完全な余裕が消えた。


 ──効いていたのだ。


 受けは間に合った。だが、衝撃だけがその先へ抜けた。

 そして、そのまま脳を揺らした。

 頭蓋骨の中で脳が振動し、骨の壁に何度も何度もぶつかる。

 つまり、典型的な脳震盪《のうしんとう》である。


 人間の急所の一つである、顎の先。ボクシングでいう“チン”。翔太は、そこをわずかにかすめるように――ミリ単位の狂いもなく、踵《かかと》蹴りを打ち込んでいたのだ。膝をついた元崎の鼻から、血がつうっと落ちる。


 狙って“外して”いる。直撃させたら、本当に倒してしまう――そんな、刃物じみた精度……


 ぽた、ぽた、と鼻血が地面に落ち、小さな赤い花を咲かせる。


 野津の顔が見る間に青ざめた。元崎さんが、鼻血……!? まさか……


「なるほど。雰囲気が変わったと思ったら、そういうことですか」


 鼻血を指先になじませるように見つめながら、元崎は静かに笑った。


「想像以上に、面白いことになりそうですね」


 そして、いつもの優しげな笑みを浮かべる。

 そんな元崎と、正面から向き合う翔太。


「面白いですか……。じゃあ、もっと面白いもの、見せてやるよ!」


 元崎が楽しげに笑うのとは対照的に、翔太の表情は、怒りで鋭く研ぎ澄まされていた。


(違う。いつもの翔太くんじゃない……)


 美優は目を見張った。


(見たことがない……、もしかして……これが、本気の、翔太くん……なの?)


 その突然の変化に、美優さえもゾッと背筋が寒くなる。

 翔太の背で、光と影が噛み合う。どちらとも言えない“牙”の気配が、ほんの一瞬だけのぞいた。


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