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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第二章 怨霊編~胎児よ、胎児、湖面はそこだ

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第81話-1 激突!

第81話


「え……?」


 翔太は、思わず息を呑んだ。

 美優の右脚が、頭上へ吸い上がるように跳ね上がった、その瞬間――衝撃と速度が、半円を描く軌道で小野山の顔面へ走る。

 乾いた破砕音。折れたのだ、鼻梁が。そのまま意識ごと刈り取る。


 たまらず小野山は、そのまま後ろへ、背中からどーんと倒れ込んだ。


「お、小野山くん……!」


 工業高校の不良たちは、驚愕を通り越して、その場で“動けなく”なった。

 反射的に身体が固まる。あれは、極度の危険を目前にしたとき、脳が勝手に踏むブレーキ――生存本能による硬直だった。


 仰向けの小野山はアワを吹いて白目をむき、鼻はゾッとするほど“あり得ない方向”へと曲がっている。

 その場にいる誰もが、声すら出せずにいた。

 人質は、勝ち筋。

 ……だったはずの美優が、小野山を蹴り上げた右脚一閃──!


 その一撃で、立場は完全に覆された。


 水城工業のNo2。空手部の副主将であり、喧嘩慣れ十分の小野山。

 ちょっとやそっとの打撃で倒れるような、ヤワな男じゃない。

 なのに、“女子高生”の、“右足”、それも“一本”で……!


 美優は息ひとつ乱さず、振り抜いた右脚を、何事もなかったかのようにゆっくりと下ろした。

 まるで、これが“日常の動作”だと言わんばかりに。


 その一挙手一投足から目を離せず、不良たちは遠巻きに立ち尽くした。


 翔太が驚いたぐらいだから、当然である。

 翔太自身、美優に、「あれ、力だけじゃなくて、どんなからくりでああできたんだ?」と聞きたい気持ちでいっぱいである。


 股関節の可動域。迷いのない軌道。

 その蹴りは、“蹴る”というより“切り裂く”に近い軌跡だった。

 何よりも、その、一撃必殺の威力──


 海野美優の、恐るべき“強さ”。

 ──これが、美優の本気……

 翔太も、思わず喉を鳴らした。


 だが、そこで一人のドン・キホーテが現れた。


「こ、このヤロウ!」


 もうヤケクソなのか、それとも冷静さを失ったのか。

 不良の一人が、その美優の右手首を乱暴に掴む。


 だが美優は落ち着いていた。

 掴まれた瞬間、美優は、反射より速く肘を“外側に逃がし”、左手で相手の肘裏を押さえ込む。

 てこの原理で“逆方向へ折る角度”に極め、そのまま背中へと捻り上げた。


「いてててててててて!」

 

 関節を逆に曲げられているのだから、女子の体重でも十分だった。

 大の男がうつ伏せに抑え込まれ、逆に美優にのしかかられる姿に、周囲はさらに静かになる。


 次に、二人目のドン・キホーテも参上する。

 勇敢なのか、強さの差を見極められないのか。

 その美優の顔面に蹴りを放つが……


 ここでは、翔太が動いた。

 その動きは、美優の蹴りに負けないほど、迷いがなかった。


 翔太は跳躍する。見た目はドロップキックだが、狙いは異なる。

 空中で伸ばした両脚で、不良の“膝裏”を挟み込んで固定──膝固めだ。

 翔太は、挟み込んだ膝裏を支点に、体をひねるように回る。

 その回転に、不良の体がまるごと“巻き込まれ”、逃げ道を失ったまま地面へ叩き落とされた。


 シラットの膝固め――回転落とし。


 翔太はゆっくりと不良から膝を外して起き上がると、土の上に歪《いびつ》に刻まれた、不良の転がった軌跡を見つめた。

 その不良が立つ気配はない。

 動かない。

 地面へ叩きつけられた衝撃で、完全に、気を失ったようだ。


 神社にひとつ、深い静寂が降りた。

 強者の技を見せつけられた後にだけ訪れる、あの特有の“誰も息を呑むだけ”の静けさだった。


 ──美優の技も、翔太の技も、海野流体術=変形シラットの基本中の基本の防御技だ。

 基本といえど、格闘技の素人にとってはたまったものではない。

 誰一人、口を開く者はいなかった。


 そこに。


「もういいだろう……。勝負あり。お前ら、散れ、散れ」


 その静寂を断ち切るように、社の階段から低い声が落ちた。

 野津俊博――星城学園No2。

 その一言だけで、場の空気がわずかに締まる。


 言いながら、野津は倒れた相手へ目だけで安否を確かめる。大丈夫。命に別状はない。

 そのさりげない確認に、

 野津なりの“筋”の通し方が見えた。


 だが逆に、この野津の“間《ま》”が、不良たちに我を取り戻させた。


「いや……」


 その小さな反発が、波のように周囲へ伝播する。


「いや、終われねえだろ! 野津!」


 誰かの反発が火種になり、工業勢の怒気が一斉に噴き上がった。


「こっちは小野山くん、やられてんだぞ!」

「てめえ、野津、ふざけてんのか! おめえからやっちまうぞコラ!」


 さすが腐っても不良を名乗る者たち。

 負けると分かっていても、引くべきでない、そんな蛮勇《ばんゆう》がある。

 小野山への忠義もある。

 このままじゃ、帰れない!


 そんな工業高校の連中を、野津は、声も荒げずただ“見る”。

 それだけで、刃物に触れたような冷たさが場を撫でた。


「あ……?」


 威嚇《いかく》。

 そして。


「なんだ、お前ら。まさか、この俺とも、やるっていうのか?」


 野津は落ち着いている。

 強者ゆえの余裕。


 そんな野津の一言で、勝敗は完全に喫した。


 ◆   ◆   ◆


 水城工業の不良たちは、小野山や、他に倒れている仲間たちを抱えて、社《やしろ》の広場を下る階段へと姿を消していく。


 残されたのは野津と星城学園《せいじょうがくえん》の取り巻き。そして翔太と美優。


 翔太がクラスメイトの高木を「大丈夫か?」と抱えあげた。「わりい……」、喉から絞り出したような声で高木は応じる。


 ──その時だった。

 翔太の胸骨の奥で、微かな音叉がふるえた。夜の修行で覚えた“夜の太陽”の残響が、ここだけ熱を帯びる。何かおかしい。自身で分かる。だがその熱がどんどん高くなっていき──


 そこに美優が立ちふさがった。

 その視線は野津に注がれている。


「一体、これ、どういうことよ」


 野津との衝突も辞さない、そんな声だ。


「なんで野津先輩が、水城工業と組むの? 三年なんだから逆に下級生を守るのが、不良としての筋《すじ》じゃない。それに私、理解できない。野津先輩の評判は聞いてる。意味なく喧嘩するタイプじゃないって。根はクソ真面目だって」


 先輩だろうが容赦ない口調なのが美優らしい。


「いや、悪かった、悪かった」


 野津は、まあまあというジェスチャーで美優を制そうとした。

 そして言い訳のように言う。あくまでも冷静に。


「でも本当に、そこにいる北藤が、ここまで強いなんて俺も思ってなかったんだ。あんたもそう。あんた、海野美優さんだろ? まさか学園のマドンナが、水城工業のNo2を一撃で、のしちまうなんて、誰が想像するよ」


 なんだか様子がおかしい。

 そして、座ったままではあるが頭を下げた。

 野津は短く息をのみ、言葉を選ぶ間を置く。


「いや、すまなかった」

「え?」

「……事情がある。ここで全部は言えねえんだ」


 これには美優も戸惑う。


「俺もちょっと頼まれたんだ。すべて半信半疑だったが、やらざるを得なかった。興味もあったしな。だからこの場をセッティングした。そして疑っていた自分が間違っていたと改めて分かった。いや、本当にすまなかった……」

「ちょっと待って」と美優。

「頼まれた?」と翔太。

「そうなんだよ。俺もあの人には逆らえなくて……。良くないとは思ったんだが、あの人が頭下げるなんて余程のことだから。しかし、まあ、まさか、こうまでなあ」と、戦場跡を見る。

「それは誰?」

「それは……」


 野津の回答を待たず翔太が言った。


「分かってます、野津先輩。そこの社《やしろ》の中にいるヤツですよね」

「え?」


 美優が社を見る。

 社は静まり返っている。


「気づかないと思ったか。格子の向こうからの“視線”――熱の向きまで感じていたぞ」


 野津の顔に一瞬、戦慄が走った。


「な、お前……」


 そして、社《やしろ》の格子戸の向こう側から声が返ってきた。


「あら。バレてましたか。それは仕方がないですね。というか、さすが、と言うべきかもしれません」


 そして格子戸が開かれる。


 賽銭箱。そこから上がった境内。その格子戸を開けた先に立っていたのは。

 身長190cmは越えていそうな巨体。ガチガチに鍛えた分厚い胸板に、よく絞り込まれた両腕。


 頭の側頭部は短く刈り上げられている。

 頭頂の長い髪はオールバックに流し、短く束ねている。


 何よりも特徴的だったのは、まるで70年代にタイムスリップしたかのようなキャッツアイ。あのオールドスタイルのいかにものサングラス。見た目はいかついのに、口元だけが人なつこい。


 その瞬間、翔太の脈拍が元崎の呼吸と合った気がした。理由は分からない。ただ不快でも恐怖でもない、別種の同調だ。

 翔太の心の違和感が増していく。


「元崎《もとざき》さん……」


 野津が立ち上がり、背筋を伸ばして頭を下げた。

 他の取り巻きも同じく、「オスッ!」と声を揃えて深々とお辞儀をする。


「ああ、ああ。いいですよ。元崎“くん”で。私、そんなに偉い人間でもないですから」


 飄々《ひょうひょう》とした声。

 堂々とした体躯《たいく》。

 そして、漁師の子として育てられた、人間離れした筋力の野津ですら頭を下げる相手。

 元崎《もとざき》。

 その名前を、翔太も美優も、知らないはずがなかった。


 元崎恵《もとざきめぐみ》、十八歳。


 星城学園《せいじょうがくえん》の番格。No1の力を持ちながら、目立った悪さをすることもなく、授業もしっかりと受ける変わり者。不良とは言いづらいが、とにかく星城学園の喧嘩自慢の中でのトップ・オブ・トップ。


 栗落花淳《つゆりじゅん》にカツアゲをしていた浦辺など、この元崎の前では単なるチンピラ。元崎の取り巻きからすら、相手にもされていない。


 さらに意外なことに、成績もトップクラス。学校に一ヶ月に一回ぐらいしか顔を出さなくても成績上位であるため、サングラスをかけたまま授業を受けていても、学校に勝手に飼ってるインコを持ってきて指に止まらせ、眺めていても、お咎めなし。まさに特別扱いを受けており、全国模試でもその名は知られているため、出席日数が進級の問題にされることもなかった。


 教師たちも、「扱いづらいが、切り捨てられない存在」として黙認せざるを得ないのだ。


 他の不良たちに、あれこれ悪い命令をするタイプでもない。

 むしろ、ゴミ拾いのボランティアをしていた姿が目撃されている。

 だが、元崎の言うことに不良たちは絶対服従。

 教師からも恐れられ、手が出せないと噂の、超有名な上級生だった。


「元崎《もとざき》……あなたね。喧嘩無敗の、星城学園《うち》の番格ってのは。噂だけは死ぬほど聞いてるわ」


 美優が腕組みをして言う。


「お、おい。元崎さんにそんな口……」


 思わず慌てる野津を、元崎は片手を上げて制した。


「ああ、いいんです、いいんです。もっとフランクに行きましょう」


 その優しげな口元の笑みからは、何の戦意も感じられない。

 まるで子どもに言い聞かせるように、やさしく美優に話しかける。

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