第98話 見て見ぬふり、その罪
第98話
──その頃。
星城学園の昼休み。
中等部三年の秋瀬瑚桃は、いつも通り高等部へ。
足取りは軽い。目当ては高一の北藤翔太だ。
今日は雨。
けれど彼女の機嫌は晴れそのもの。
ルンルン気分という言葉がぴったり当てはまる、いつもの瑚桃だ。
翔太のクラスのA組は、廊下の一番奥。
その途中で瑚桃は「お?」と足を止めた。
葉山ひまり。
瑚桃の従姉妹であり、学園では先輩。
ちょうどひまりが教室を出たところを瑚桃は通りかかったのだ。
「あー! ひまりちゃーん!」
ひまりと仲良しの瑚桃は、当然、ひまりの元へと駆けていく。
手を振る動きも相変わらず、大きい。
ブレスレットが小さく鳴って、ひまりも「あ、瑚桃ちゃん」とすぐに分かった。
ところが、次に発せられた瑚桃の言葉に、ひまりは絶句してしまう。
「ねえねえ。今日、センパイのとこで一緒にお弁当どう? “構ってほしい系女子”発動中〜♪」
「え……」
センパイ=北藤翔太である。
ひまりは、C組。クラスは離れている。
あまりに突然のこの瑚桃の誘いに、ひまりは思いっきり動揺してしまう。
「あ、あの……それは、どうかと……思うんだけど……?」
と、言った瞬間、瑚桃が駆け寄ってきて、がしっと肩を掴まれた。
「あ……え? な、何?」
「ひまりちゃん、顔色よくない」
瑚桃にはすぐ分かる。
大好きなひまりの不調が。そしてその原因が。
すぐに、ひまりの耳元に唇を寄せる。
「……もしかして今、また“見えてる”? なんか目には見えない異形の怪異が私の背後あたりで跳ね散らかしてる……!?」
「えと……、あの……」
ふざけた口調だが、心配は本気だった。
それは目を見れば分かる。
ゆえに、ひまりは迷った。
言うべきか、言わざるべきか。
なぜなら。
事態はもっと深刻だったからだ。
今この瞬間も、怪異が瑚桃に取り憑いていた。
瑚桃の笑い声のすぐ隣で、ぬめった気配が、呼吸の真似をしている。
どろりとした影。
ぶよぶよの塊に目玉がいくつも浮かび、それが揃ってひまりを見つめている。
子どものように無邪気な視線──それがなおさら気味が悪い。
目を逸らしても、視界の端に“そこだけ濡れている”みたいに残る。
──気づかれて、何か問題が起こったらまずい。
自分だけじゃない。
瑚桃に被害が及ぶ可能性もあるからだ。
さらにもし、今、瑚桃に「今、あなたの体に、変なのが絡みついてるよ」と言ったら、瑚桃はひまりが想像できないほどの大騒ぎをして、廊下が大変なことになりかねない。
ひまりの出した答え──それは、笑顔だった。
「ううん。何にもないよ。元気」
口角に力を入れて無理に笑ってはいるが、視線は足もとへ落としてしまう。
怪異と目を合わせていたくないからだ。
自分と、瑚桃を守るための嘘。
見て、見ぬふり。
嘘つきにはなりたくないが、どうしようもないのだ。
それを聞いて、瑚桃は、大げさに胸を撫で下ろした。
「そっか。良かった。じゃあ、行こ? センパイと一緒のランチ」
「え」と、伏せ目がちだった目を見開いて瑚桃の目を見る。
──その話、まだ続くの?
念の為に確認する。
「セ、センパイって、北藤くんのことだよね?」
「そそ! だってお友達でしょ?」
「い、いや。お友達ってほどじゃ……」
「だって、もう家まで行ったじゃん!」
「あ、あれは、瑚桃ちゃんが無理やり……」
「でも、結果、良かったでしょ?」
にんまりと笑う瑚桃の笑顔。
「え……え、うん。まあ」
確かに。
怪異に触れているのが自分じゃないということが、あそこで理解できた。
さらに言えば、境内の下に現れたゴスロリ少女の怪異。
それからひまりを救ってくれたのも、翔太の家で出会った、
成宮蒼と、白銀のロングヘアのメイド・デルピュネーだった。
──とは、言っても、それとこれとは……
苦笑いを見せるひまり。
その耳に、いきなり、雷の轟音が鳴り響いた。
「キャッ!」
廊下が騒然となる。
それぞれのクラスから。
「雷、やば!」
「光と同時だったぞ、めちゃ近い!」
「あれ、絶対どっかに落ちたよね」
「びっくりしたー」
などの声が聞こえ出た。
瑚桃も、驚いたくせにはしゃぐ。
「すご。アタシもびっくりしたー」
霊のスライムみたいな目玉の怪異を体中にまとわりつかせながら。
「ねね。いこーよ。ひまりちゃんも」
怪異が瑚桃の顔あたりをぬらぬらと覆っていく。
ひまりはその気味悪さに耐えながら、なんとか断ろうとする。
──この怪異、悪さをするタイプじゃない……
「わ、わたしは、いい、かな……」
「ええええええ。瑚桃は、ひまりちゃんとも食べたいの!」
「でも……う、わっ!」
ひまりの答えを最後まで聞くような瑚桃じゃなかった。
元気いっぱい。無邪気にひまりの手を取って、ぐいっと引っ張る瑚桃。
「ちょ、こ、瑚桃ちゃん!」
「行っくよ~♪」
その二人の上で、蛍光灯が一回だけ、白く瞬いた。
ひまりは、それが少しだけ気になったが、
それよりも、今のこの状況だ。
「セーンパーイ!」
元気に、ひまりを引きずりながら廊下を駆ける瑚桃。
観念して、ひまりは叫んだ。
もう、こう言うしかなかった。
「わたし、お弁当、かばんの中ー!」
「ほへ?」
瑚桃が肩越しに振り返り、きょとんとする。
◆ ◆ ◆
(あー! もう、どうして、こうなっちゃうかな……)
ひまりは、ひきつり笑いを浮かべている。
ひまりの目の前には翔太。その横には海野美優。
隣に美優の親友の吉川りこ。瑚桃はお誕生日席。
翔太のクラスに到着するやいなや、瑚桃はすぐに空いた机と椅子を素早く確保。
席決めも瑚桃が決めた。
そしてひまりに、「良い席取りは愛の基本」と親指を立てている。
瑚桃らしいと言えば、瑚桃らしいのだが、これに驚いているのは、ひまりだけではない。
目の前では、美優が翔太に耳打ちしている。
「ねえ翔太くん、これはどういう流れ?」
「いや。俺に聞かれても」
「私が言ってあげてもいいけど、たまには翔太くんの方からビシッと」
「そうだけど、こうなっちゃったら、もう仕方ねーだろ!」
──あ~……
と、ひまりは申し訳なさでいっぱいになる。
(丸聞こえなんですけど……)
だが、その斜め向かいでは、吉川りこがすでにお弁当を頬張っていた。
「まーまー。いいじゃなひ。ご飯はひんなで食べふと、より美味しひよー」
本当に美味しそうだ。
りこは頬をふくらませたまま、箸だけは止めない。
ちなみに、りことひまりが、ここまで親密な感じで話すのは初めて。
どうやらりこも、あまり細かいことは気にしないタイプのようだった。
そこで、瑚桃も、自分の弁当をうれしそうに開けていた。
「じゃーん! 今日は早起きして、瑚桃ちゃんスペシャル美少女お弁当キラーン☆バージョンです」
「いや、瑚桃。ちょっと状況を説明して……」
翔太のその言葉は見事スルーされる。
「は~い、見てください! 彩り重視。ハートの卵焼き、星のにんじん、梅の白ごま。『映え』と『量』。その両立がアタシのルール、いいとこ二重取り、欲張りお重セット、キャピーン♪ さあさ、センパイも、うみちゃんセンパイも、どうぞ~♪」
そう言って、翔太や美優にまで、自作のお弁当を勧めてくる。
これを、いかにも楽しそうに見ていたのが、りこだ。
「うみー、後輩にここまで懐かれるなんて珍しいじゃん」
りこは場の緊張をほぐすのが上手い。
ちょっと肩の力が入ってしまっていた美優は、その言葉でちょっと楽になれた。
「いや、まあ確かにこの子も、小さい頃から知ってると言えば知ってる子なんだよね。一応、幼なじみというか」
「え~そうなの? 瑚桃ちゃん?」
「そうっすよ。うみちゃんセンパイとも、昔ちょっとだけ遊んだことあるのです!」
「それはもう本当に小さい時でしょ。……というか、翔太くん?」
美優の目が怖い。思わず翔太は首を大きく横に振る。
「いや。俺、何も聞いてないし」
「葉山さんと、いつの間にこんなに親しくなったわけ?」
──あ、そっちか、と翔太はホッとした。
「親しいと言っても……美優と同じだよ。あの時、会った以来」
「え? そうなの? じゃあ、どうして……」
「はーい! ひまりちゃんは、この美少女戦士・瑚桃ムーンが無理やり引っ張ってきました」
まるで手柄のように手を挙げて自慢する瑚桃。
「無理やりって、ちゃんと分かってたんだ……」
はは……と、ひまりが力なく笑う。
そんな場を取り持ってくれたのも、やはり、りこだった。
「まあいいまあいい。こうなったらみんなで食べよーよ! ご飯を食べよー! 大きくなーれー! ……って、えと瑚桃さん、だっけ? 私も、そのお弁当、少し分けてもらっていい?」
「どうぞどうぞ! 吉川センパイ! あと……はい! ひまりちゃんも、どーぞ!」
「あ。ありがとう」
ひまりは卵焼きをそっと口へ運んだ。
しかし、視線はやはり下だ。
美優は思う。
伏せ目がちなのは、以前、翔太の家のリビングで会った時に分かってはいたが、
今日はいつもより、目が開いてないように、感じる。
(やっぱり、今日もそうだ……)
美優はひまりをこっそり観察する。
(あの時もそうだった。この子、翔太くんといる時の目がぎこちない……。自分からは近づかない、そんな感じね。理由がある目──何かわけがあるのかしら)
続けて翔太を見る。
翔太も翔太だ。
一度もひまりと目を合わせていない。
ちょっと美優はムッとする。
(何か意識してる?)
もしかしたら、美優が知らないだけで、この二人の間には、何かが“あった”のかもしれない。
一方のひまりも、気が気ではない。
落ち着かない。
ただでさえ違うクラス。
瑚桃がいるとは言え、あの学園でも有名な、海野美優、ほぼ初対面に近い吉川りこ。
だが、今日はそれだけじゃなかった。
今朝、会ったばかりなのだ。
──夢で。
“裏”宮区。幼少期の記憶。
それが夢に現れた。
その誰にも見えない路地の入口で。
少年期の翔太は、確かに、こう言った。
──ここから先へは、行ってはダメだよ。
(あれは、間違いなく北藤くんだった……)
それと、ジャングルジムの事件。
小学生時代、翔太の頬に石がぶつかった時、確かに翔太とひまりは目が合った。
──もしかしたら私は嫌われているかもしれない。
そう考えてビクビクしてしまう。
チラ、チラ、と翔太を盗み見る。
あの北藤家のリビングで、感じた、翔太の“もう一つの目”。
──それも、今は、感じない。
やはり、気のせいだったのだろうか。
それに、今のこの状況も、自分が気にしすぎているだけなのだろうか。
窓の外は豪雨だった。時折、空が光り、遅れて雷の音が聞こえてくる。
その時。
瑚桃が不満そうな声を上げた。
「あー! センパイ。自己弁ばっか! アタシのおかず、全然食べてくれないー!」
「……?」
翔太は不意をつかれて、目をまん丸にする。
そこへ、瑚桃攻撃。
タコさんウインナーを差し出し、上目づかいで圧。
「ぶー。なぜ、食べないんですか、センパイ!」
「いや。そんなつもりはないけど」
「ほら、ほら、タコさん、タコさん!」
「ちょ、ちょっと待て。まだ口に……」
翔太が答えたその瞬間だった。
ひまりだけが、空気の層がきゅっと鳴るのを聞いた。――他の誰も、顔を上げない。
──え?
そして。
『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
怪異の断末魔。
ひまりは、箸ではさんでいた卵焼きをぽとりと落としてしまう。
見たのだ。
いや、見てしまった。
翔太と瑚桃の目が、まともに合った瞬間。
瑚桃に取り憑いていた、あのスライムのような“怪異”。
それが、音もなく弾けたのを。
──うそっ!
一瞬だった。
一瞬、翔太が真正面から見ただけで。
“怪異”が突風に巻き込まれたかのように、
ちぎれ、散り散りになって。
消え失せていった。
ひまりは、動けないでいる。
伏せ目だった目が見開かれている。
あの美しい色の瞳がさらされている。
だが、その色には恐怖がにじんでいた。
翔太が見た。
ただ、それだけで。
──怪異が、消滅してしまったのだ。
「こ、瑚桃ちゃん!」
思わず大きな声を上げて立ち上がってしまった。
「だ、だ、大丈夫!?」
そのひまりの剣幕に、瑚桃は「ほへ?」ときょとんとした顔をしている。
これを異変だと、ピン! と反応したのは、美優だった。
──もしかして、この子。何かを見た……!?
ひまりが、怪異を見てしまう体質なのは、あの時に聞いていた。
そして、美優は、翔太の魂の中に、二重構造の神と破壊者が同居していることを知っている。
これら二つが、突然、噛み合ったのだ。
「どうしたの、葉山さん?」
いつになく真剣な表情で尋ねる美優。
「いえ、あの……」
それに答えられない、ひまり。
ひまりはかろうじて、首を横に振った。
そして、膝の上で指を組み、息を整えようとしている。
◆ ◆ ◆
同刻。魔王レラージェの洞窟。
国際魔術会議八雲班の面々は、それぞれの装備を持って洞窟の奥へと進んで行っていた。
真っ暗な洞窟の中に走る、何本もの懐中電灯の光の筋。
その光の筋が、ある人影を捉えた。
「何かを発見! 光を集めろ!」
その班員が号令を出し、他の光が一気にそこに集まる。
「これは……」
皆がどよめく中、八雲在斗が、“それ”に近づいていく。
「なるほど。こういうことか」
そこにあったのは、まるで生きているかのような等身大の人間の石像。
男性だ。
懐中電灯が重なる。
光の輪の中に“歩き出しの姿勢”で固まった男。
まるでそう撮影された写真のようにその形で立っている。
「何でこんな所に石像が?」
そんな班員の声に、八雲はすぐに反応した。
「いや、早合点しないで下さい皆さん。これは石像なんかじゃないですよ」
「班長?」
八雲は、確信した声で言った。
そして、その石像のあちこちを触る。
「ああ、やっぱりだ。これは、人間ですよ。皆さん」
「人間!?」
班員たちにどよめきが走った。
「つまり……石化の呪い」
その問いに、八雲はにっこり笑って答える。
「そう。石化された人間。なるほど。これが、ここに結界を張った使い魔の力。これはなかなか絞られてきますね」
「まさか!」
「石化能力を持った者といえば」
「まあまあ」
だが、八雲は落ち着き払っている。
「うん。まあ間違いない。この痕跡からは、蛇と鏡の癖が感じられます。つまり、候補は一つ。メドゥーサ、といったところでしょうか」
メドゥーサ……
その名が出たところで、班員たちの間に緊張が走る。
「さあ皆さん、決してこの石像は壊さないようにしてください。歩いたり動いたりする際にも注意してくださいね。おそらく、そこら中にあると思いますから」
「そこら中……」
「班長! ではこの奥にいるのは、そのメドゥーサでは?」
「いえ。その可能性は薄いでしょう。どちらかと言えば、この洞窟は、メドゥーサのコレクション置き場。いわば“収蔵庫”でしょうね」
八雲はにっこりと笑った。
八雲の口調は楽しげだった。そこに「慎重さ」は一欠片も混じらない。
「それより、ここはなるべく早く抜けていきましょう。奥にもっと何か別の気配がある……」
そしてそれは、その通りだった。
その八雲の声よりも早かった。
何か、獣の唸り声のような声が奥から聞こえてくる。
「探索係!」
八雲が指令を出す。
呼ばれた班員は、自身の魔術を集中し、洞窟の奥へと意識を向ける。
「警戒1程度の魔物のようです。しかも複数。数だけは多そうです!」
「警戒1……」
八雲は班員を振り返った。
「1程度ならば、ここにいるメンバーで対応が可能でしょう。多分、この瘴気を食って生きる微弱な妖魔です。皆さん、戦闘態勢! 全滅させて、このダンジョン、コンプリートしますよ」
班員たちに緊張が走り、それぞれの武具で身構える。
雷鳴が洞窟の中で反響する。
洞の奥で、誰の足音でもない細かな“貝殻の音”がした。
──敵は、この奥に、いる……!




