2.無自覚に、魔王は力を見せる。
「とりあえずは、食うには困らなくなったか」
俺は酒場で安物のエールを喉に流し込み、そう言った。
どうやら俺が持っていった魔素の欠片の量は、尋常ではないそれだったらしい。換金所の人間は、目を丸くしながらも金貨二十余枚と交換していた。
周囲の目もどこか半信半疑であり、いわゆる悪目立ち状態。
「これは、注意しなければな」
何度でも言うが、俺はもう半隠居のつもりだ。
だから目立たないように、人間の社会に溶け込みたいと考えていた。
そのためには今一度、自身の抱えている能力を鑑みる必要もあるだろう。俺はそう考えながらエールを喉の奥に、もう一度流し込んだ。
「さて、次の問題は――」
そして、今晩の宿について考えようとした。
その時だ。
「――ん? なにか、騒がしいな」
酒場の一角から、怒号が聞こえてきたのは。
人だかりができている。俺は何事かと思いつつ、その中に紛れ込んだ。すると見えてきたのは、大柄の男が一人の少女を足蹴にする姿だった。
周囲は口々に何か言っているが、助けようとはしない。
俺はその中でジッと耳を澄ましてみた。
すると、聞こえてきたのはこんなやり取り。
「パーティーを抜けたい、だと? 荷物運びが、偉そうに!!」
「お、お願いします……! ぼく、どうしても……!!」
「うるせぇ! 奴隷は奴隷らしく、言うこと聞きやがれ!!」
そう言って、男は少女に蹴りを加えた。
痛みにうずくまる彼女は、しかしそれでも必死に頭を下げる。
「お願いします、ぼくは決めたんです……!」
「うるせぇ、カイナ! いい加減にしねぇと――」
だが、そんな少女――カイナに、男は続けざまに拳を振り上げた。
その瞬間に、俺は思わず足を動かして……。
「……あん?」
「あなた、は……」
二人の間に、割って入っていた。
拳を受け止めて、強面の男に睨み返す。
そして、カイナという少女に向かってこう告げた。
「弱くとも、意思を示すのは悪くない。だが少々、頭を下げすぎだ」
酒場がざわつく。
それと呼応するように、男が声を張り上げた。
「なんだぁ、てめぇ! 邪魔しやがって!!」
「うるさいな、下衆が。弱いものを踏み躙る下等な思考の人間」
「なっ――!?」
俺はそれに対して、不快感を隠さずに返す。
すると男は、あからさまに怒りをにじませながら――。
「この、優男がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫び、拳を俺へと目がけて振り下ろした。
しかし俺は首を傾げるだけで回避し、軽く掌底を男の顎へ。
すると男は膝から崩れ落ち、その場で意識を失った。それを見て俺は一つ鼻を鳴らし、カウンターに金貨を置いて酒場を出る。
どこにでも、クズはいる。
「どこも、変わらない。人間も魔族も、同じだ……」
そして、夜風に当たりながら。
俺は広場で一人、そう呟くのだった。
◆
アドレッドが去ってから、酒場には動揺が広がっていた。
何故なら、彼が一撃で沈めた相手は――。
「うそ、だろ……?」
「Aランク拳闘士のモーブが、一撃だなんて……」
――そう。
この王都でも名のある冒険者であったのだから。
酒場の野次馬たちは、口々にアドレッドのことを噂する。しかし、その中で一人――カイナは、円らな金の瞳を輝かせ、彼の出ていった先を見つめていた。
そして、こう呟く。
「やっぱり、すごい……!」
ぼさぼさの赤い髪を撫でながら。
カイナは、一人の魔族に羨望を向けるのだった。