第181話 七十七分の中に、俺がいる
木曜日の午後、川瀬さんが部屋を少し暗くすると、古本店の扉と閉店の案内が画面へ出て、その前を人が通った。
隣に若松さん、少し離れて田辺さんが座る部屋で、俺が撮っていない町から映画が始まったので、俺は膝の台本を閉じた。
陸が紙を広げて本を包むと、角を揃えた手は俺のものだったが、指を置く静かさは、撮っているときには見えていなかった。
扉の音で兄が入るところでは、弟が顔を上げる前に、兄が店の中を見て、使っていなかった鍵を手の中で回した。
自分の立っていた場所からは見えなかった顔を今見ていると、弟が返すまでにも、兄には待つ時間があった。
『鍵、まだ同じでよかったね』
迎えかけた小さい息が残り、そのあと陸が仕事へ戻ると、画面には兄が一人で立って、鞄を置く場所に迷っていた。
隣の若松さんを見そうになって、画面へ目を戻した。まだ帰ってきたばかりの兄が、弟の返事のあともここに残っている。
*
注文票を捨てそうになるところで陸の声が大きくなると、俺も背中を戻した。静かな店が続いたあとだから、今はその声が遠くまで来る。
映画では、その前に、まだ本を待っている客も映っていて、別の場所にいる田辺さんの顔を、俺は初めて見た。
撮影では机の上にあった票が、画面では待っている人の分として残るので、何を止めたかった声なのかも先にわかる。
その客の顔を覚えたまま、弟が本を持ち直すところまで見ていると、次の食事では、机の上にも二人分が見えてきた。
兄が気にする皿と、余る麺へ目を向ける陸が続き、横で若松さんが息を出して笑ったので、俺も少し笑った。
言わずに足せる分を机に残した二人が、夜の店で店を続ける話を始めたころには、使われた自分の角度を探すのをやめていた。
(今は、兄のほうを見たいな)
陸の固くなった顔のあと、紙を畳みかけた兄の手が止まり、同じ店でも自分の戻る場所が欲しかった声が来た。
『俺には、まだ、ここがいるんだよ』
そこまで続けて見たあとでは、弟が出した一つの椅子が、撮るときより大きな返事に見えて、俺は手元の台本を開かなかった。
陸は閉店をやめるとは言わず、話せる場所を残した。隣の若松さんも何も言わなかったので、俺も続きを見た。
*
最後の空の棚で、兄が出した鍵を陸は受け取らず、二人で店を出たあとに、鍵を回す手だけが残った。
町の道へ切り替わると、もう弟の顔は出ない。二人が次に同じ仕事へ行くところまで決めず、店を出た先が映っていた。
音が終わって流れた名前の中に、佐久間陸、久瀬凪とあったので、俺はほかの名前も続けて、最後まで見た。
七十七分十八秒だった。
明かりが戻り、川瀬さんにどうだったか聞かれると、俺は言いたいことを探す前に、最後まで見ましたと答えてしまった。
(今、全員が見ただろう)
隣で若松さんが小さく笑ったので、俺は膝の台本を持ち直し、今度は途中で考えたことを足した。
「自分のところを、途中から探してなかったです。映画として、面白かったです」
撮った顔の確認より、兄がどう帰るのか見ていたことを言えて、俺は最後の道へ切り替わるところを、もう一回思い出した。
*
川瀬さんは一か所だけ話を戻し、雨上がりに本を渡す場面で、最後の声へ車の音が入っているところを流した。
『間に合って、よかったです』
聞き直すと、最後の『です』が外の音へ薄く入っていたので、役の声をもう少し聞きやすく足したいという話にうなずいた。
含まれていた短い追加音声の枠で来週録ることにし、俺は予定を確かめて、今の本を渡した顔をもう一度見た。
別の気分で言い直すのではなく、この客へ渡せた陸の声を残して、次には客のいる場所で映画を見たかった。




