第1話 明日の俺には悪いけど
数字が増えるところを、ずっと見ていられる。
一秒に一個だったものが、二個になる。増えた分で設備を買えば、今度は五個だ。その五個をすぐ使うか、上の設備まで貯めるか。買う順番を変えて、さっきより早く増えるようになると、もう少しだけ遊びたくなる。
こういうゲームでは、寝る前の買い物に一番時間をかける。寝ている間に増える量が変わるので、適当に済ませたくない。
俺は、画面を閉じてからでも買う順番を考え直す。どうせもう一回開くことになるなら、先にちゃんと比べておきたい。
昨日もそれで、寝るのが遅くなった。
いつものゲームで、大きな工場の完成待ちになった。残り時間は六時間。今から寝れば、起きる頃にはできている。
俺は布団に入ったまま、別の放置ゲームを探し始めた。
(寝ろよ。何のための六時間だ)
開いたのは、ダウンロードしなくても遊べる、地味なゲームだった。白い背景に、数字と四角いボタンしかない。
【所持キューブ:0】
【生成する】
押すと、一個増えた。
十回押して、自動生成器を買う。そこからは触らなくても、一秒に一個ずつ入ってくる。
この、最初に勝手に増え始めるところがいい。
次の生成器は十五個。その次は二十二個。買うたびに高くなるので、同じものを買い続けるだけでは損をする。下にある圧縮機は百個で、生成器十台分を作れるらしい。
俺は布団の中で上半身を起こした。
(三台目を買わず、こっちまで待ったほうが早いのでは)
圧縮機を買うと、今度はそれを強化する項目が出た。あと少し貯まるまで、と横になり直したところで、充電ケーブルが突っ張った。
枕をコンセントの近くへ動かした。
寝る環境だけは、順調に悪くなっていた。
*
翌日の夜、バイト先のカラオケ店で休憩に入った。
ロッカーと四人掛けのテーブルで、ほとんど埋まっている休憩室だ。おにぎりの包みを丸め、時計を確かめてからスマホを取り出す。
昨夜のゲームは、最初の目標まで進んで止まっていた。
【累計100,000キューブ生産】
【チュートリアルが完了しました】
(十万個も作らせて、まだチュートリアルかよ)
【設備と所持キューブを引き継いで、本編を開始します】
【引き継ぐ】
設備が残るなら、続けよう。
押すと画面が白くなり、少し待ってから短い案内が出た。
【引き継ぎが完了しました】
【このページは閉じてかまいません】
ゲームには戻らなかった。
画面の下まで送ってみても、「次へ」や「本編へ」といったボタンはない。いったん上へ戻したが、やっぱりない。
(案内が雑すぎる。ゲームに入るところで迷わせるな)
「久瀬くん、そろそろ休憩終わりだよ」
顔を上げると、入り口に藤崎さんが立っていた。俺より一つ年上で、この店では二年先輩だ。
「……はい」
「何見てたの?」
「数字です」
「株?」
「いえ」
キューブです、と言いかけてやめた。そこを訂正したところで、何の説明にもならない。
「なんか久瀬くんっぽいね」
藤崎さんは笑って、廊下へ戻っていった。
(ゲームです、でよかった。何で言えないんだ、俺。毎日やってるものだろ)
今さら言い直しに追いかけるのも変なので、黙ってスマホへ目を戻した。
ブラウザを閉じ、スマホの画面を消した。
数字だけが残った。
【所持キューブ:99,596】
黒い画面に、眠そうな自分の顔が映っている。その上に白い数字が重なっていた。
【所持キューブ:99,628】
俺はスマホをテーブルへ置いた。
数字は目の前にある。
右のロッカーを見ると、扉にも見える。左を向けば、壁の予定表に重なった。
「……え」
目をこすった。変わらない。
休憩室には誰もいなかった。立ちかけていた腰を下ろし、目を閉じてみる。それでも見えたので、すぐに開けた。
さっきまでの眠気がなくなっていた。
スマホを取り、ゲームのページを開き直す。
【引き継ぎが完了しました】
読み込み直しても、それだけだった。
目の前では、三十二ずつキューブが増えている。昨夜買った設備を合わせると、ちょうどその速さになる。
同じゲームなのだと思う。引き継ぐを押してから、スマホでは見られなくなった。その代わり、目の前に出てきた。
そんなことが起きていると考えると、スマホを握る手に力が入った。
(ひとまず、消えてほしい)
そう思った途端、数字が消えた。
ロッカーをしばらく見つめた。扉に付いている細い傷まで、普段どおりに見える。
戻ってこないのを確かめて、ようやく息を吐いた。
*
休憩が終わっても戻らない俺を、店長が呼びにきた。
「久瀬くん、大丈夫?」
「すみません。あと五分だけ、いいですか」
「気分悪い?」
「少し、目が」
「休んでていいよ。無理なら言ってね」
店長が出ていってから、予定表の小さい文字を読んでみた。ぼやけてもいないし、頭も痛くない。
もう一度数字を思い浮かべると、表示が戻った。
思わず肩が動いた。今、自分で呼んだのに。
数字の下に小さな印がある。そこに意識を向けると、ゲームの画面全体が開いた。設備もボタンも、昨夜と同じ並びだった。
閉じたいと思えば消える。開こうと思えば戻る。二、三度試すうちに、少なくとも勝手に出てくるわけではなさそうだとわかった。
椅子へ座り直し、通知を一つ開いた。
【チュートリアル達成報酬】
【スキルポイントを1獲得しました】
【現実スキル】
【恒久強化】
現実、という文字が気になった。
【料理 Lv.0】
【清掃 Lv.0】
【歌唱 Lv.0】
【演技 Lv.0】
【英語 Lv.0】
【短距離走 Lv.0】
下にも、数学、水泳、簿記と続いている。工場に人を雇うのかと思ったが、説明は違った。
【ポイントを使うと、あなた自身の技能が向上します】
【Lv.0は、この機能で強化されていない状態です】
俺自身。
料理がうまくなる。英語がわかる。そういう意味で合っているのだろうか。
自分の手を見たあと、もう一方のタブを開いた。
【恒久強化】
【基礎生産倍率 ×2】
【必要スキルポイント:3】
今ある設備も、これから買う設備も、ずっと二倍になるらしい。
(これは欲しい)
残り二点をどこで取れるのか探そうとして、止まった。
(いや、まだだろう。目の前にゲームが出てきた理由さえわかっていないのに、買い物を始めるな)
画面を閉じ、店長のところへ戻った。礼を言って、残っている片付けを手伝う。
七番の扉の前で、部屋番号を二度確かめた。
(七番。合っている)
これはいつもやっている。間違えた部屋へ雑巾を持って入ったら、どう謝って出てくればいいかわからない。
久瀬凪、二十一歳。
職場では、無口で落ち着いていると思われているらしい。
実際は、返事を考えている間に話が先へ進んでいる。人と話したあとで、ああ言えばよかったと思うことも多い。
帰り道なら、もう少しマシな返事が浮かぶ。
(遅いんだよな、毎回)
今も、店長に目の具合を聞かれた場合の返事を考えている。
もう大丈夫です、でいいと思う。何か見えたのかと聞かれたら、そこで困る。
さすがに、また数字ですとは答えられない。
*
二時間ほどして、店は閉店時間になった。
最後の客を見送り、廊下の音楽が止まる。仕事中に数字が勝手に出ることはなかった。注文も会計もいつもどおりできたので、さっきより気持ちは落ち着いていた。
「久瀬くん、これ一緒に確認してくれない?」
藤崎さんが、マイクを二本持ってきた。
「片方だけ音が変って言われたんだよね」
片付けの済んだ五番へ入り、機械の電源を入れる。藤崎さんはマイクのスイッチを入れ、軽く声を出した。
「あー。……普通だよね?」
「だと思います」
「そっちもお願い」
もう一本を受け取る。
「あー」
「もう少し大きく」
「あー」
「うん。途切れたりはしないね」
藤崎さんは音量を調整し、選曲用の端末を取った。
「歌でも試そっか。これ知ってる?」
よく店で流れている曲だった。俺がうなずくと、藤崎さんは前奏に合わせてマイクを上げる。
その歌を聞いているうちに、さっきのスキルが気になってきた。
歌唱。
本当に、自分に効くのだろうか。
画面を開き、説明を確かめる。音程や発声など、歌うための技能が向上する。割り振ったポイントは、取り消せない。
【歌唱 Lv.0 → Lv.1】
【必要スキルポイント:1】
使えるのは一点きりだ。
倍率のために残したほうが得ではある。それでも、歌えるようになるという欄を閉じられなかった。
いつも音を外すところを、一度くらい気持ちよく歌ってみたい。説明が本当なら、今、このマイクで試せる。
藤崎さんがサビに入り、俺に向けて軽くマイクを上げた。次はそっち、ということらしい。
俺は購入ボタンを見た。
(一度、試してみる)
【歌唱 Lv.1】
喉に意識を向けたが、何も感じなかった。
「はい、次お願い」
促され、画面の歌詞に合わせて声を出す。
一行歌ったところで、マイクを少し離した。
音が合っている。
それが、自分でもわかった。
普段なら伴奏の近くをうろうろして、合っているかどうかわからないまま歌い終わる。今は次の音の高さがつかめた。そこへ声を出せばいい。
もう一行、歌った。
また合った。
「あれ、うまいね」
「……今の、合ってましたか」
「うん。もっと声出していいよ」
言われて大きくしようとすると、喉に力が入った。高いところはまだ苦しい。少し音量を戻したが、音程はずれなかった。
歌える。
偶然、一回だけ合ったのではなかった。
「マイクは大丈夫そうだね。店長に言ってくる」
藤崎さんが部屋を出ると、俺はマイクのスイッチを切った。さっきの一行を、小さな声で繰り返す。
これでも、できる。
歌唱の表示を見て、それからマイクを見た。
もう一回、曲を入れたかった。
まだ仕事が残っている。マイクを置き、客室を出る。廊下を歩きながらも、さっきの声を思い出していた。
あまり顔には出ないが、褒められるのはかなり好きだ。帰ってから一人で思い出して、また嬉しくなったりする。
あの「うまいね」は、また聞きたい。次に歌うときは、もう少し大きな声を出してみよう。
*
閉店作業を終えて休憩室に戻ると、キューブは三十万を超えていた。
エプロンを外しながら、設備の欄を開く。
十万で買える新しい設備は、毎秒千個を生産する。今の三十二個から、千三十二個になるらしい。
購入した。
増え方が一気に変わり、思わず前かがみになった。
いい。ここまで待った分、一度の買い物で大きく進む。
新しく出てきた個別の強化は、五万キューブで、この設備の生産量を二倍にするものだった。追加で毎秒千個なら、五十秒で元が取れる。
それも買う。
【生産速度:2,032/秒】
もう手で一個ずつ作っていた頃には戻れない。
(あの十回、けっこう一生懸命押したんだけどな)
実績の欄も開いた。
【次の実績:累計1,000,000キューブ生産】
【報酬:スキルポイント×3】
今の速さなら、六分ほどで届く。
上着を出して、財布を確かめた。スマホをポケットに入れたところでもう一度数字を見る。まだあまり増えていない。
三十秒しかたっていなかった。
あと五分半。何かほかに片付けるものはないだろうか。
ようやく報酬が届くと、すぐに恒久強化を開いた。
【基礎生産倍率 ×2】
【必要スキルポイント:3】
買ってから寝れば、明日の朝には差がつく。増えた分で設備を買えば、次の実績も早くなる。
ここは迷わなくていい。
そう思いながら、歌唱の欄を開いた。
【歌唱 Lv.1 → Lv.2:1ポイント】
【歌唱 Lv.2 → Lv.3:2ポイント】
三点で二段階。
倍率へ戻り、また歌唱を見る。
買える値段かどうか、調べるだけのつもりだった。買えるとわかったせいで、余計に欲しくなっている。
さっきよりうまくなったら、どこまで歌えるのだろう。
中学生の頃、友達とカラオケに行ったことがある。好きな曲を入れたのに、サビの高いところが出なくて、途中で笑ってごまかした。
友達が一緒に歌ってくれたので、最後まで楽しかった。嫌なことを言われたわけでもない。
それでも、人前であの曲を入れたのは、それが最後だった。
五番は、まだ使える。
もう少し声が出せれば、あの音も届くだろうか。さっきみたいに、ちゃんと歌えたと自分でわかるのだろうか。
明日にすれば、ポイントはもっと稼ぎやすくなる。
いつも遊んでいたゲームなら、絶対にそうする。でも、今は歌ってみたかった。
「……悪い」
明日の俺に謝って、歌唱に三点使った。
*
「店長。五番、少し使ってもいいですか」
フロントで声をかけると、店長が伝票から顔を上げた。
「歌うの?」
「はい。一曲だけ」
「いいよ。もう上がったんだよね? 俺たちもそろそろ帰るから、終わったら声かけて」
「ありがとうございます」
五番へ戻り、ソファに座った。選曲用の端末に、昔から好きだった曲名を入れる。
前奏が流れると、マイクを持つ手が少し湿ってきた。
誰も聞いていないのに、緊張している。あれだけ買うか悩んだのだから、うまくいってほしい。
歌い出す前に、肩の力を抜いた。顎にも少し力が入っていたので、息を吸い直す。
最初の音は硬かったが、二行、三行と進むうちに、声を出すのが楽になった。
ここで吸えば、次の言葉まで足りる。
高くなるところでも、無理に押し出さなくていい。
さっきまでより、自分の声の使い方がわかっていた。
サビが近づき、少しだけ身構える。
好きで何度も聞いたところだ。自分で歌うと、いつも途中で声がつぶれていた。
息を吸って、続けた。
高い音が出た。
少し細くはなった。それでも切れずに、次の歌詞までつながった。
俺はテレビの画面を見つめた。
(出た。今の、ちゃんと出た)
口元が緩んで、次の歌詞を飛ばしかける。慌てて追いつき、サビの最後まで歌った。
間奏に入ってから、ようやく息を吐く。
顔を上げると、扉の細い窓から藤崎さんがのぞいていた。
目が合った。
扉が開き、その後ろに店長もいるのが見えた。
「……すみません。うるさかったですか」
「いや、帰る前に声かけようと思って。久瀬くん、いい声してるね」
店長は、普通にそう言った。
(いつからいたんだろう)
サビを歌えたところなら聞いてほしい。でも、その直後ににやけたところは、できれば見られたくなかった。
「その曲、好きなの?」
「……はい」
「だからか。さっきより声出てるね」
藤崎さんに言われ、もう一度うなずいた。
技能が上がったからです、とは言えない。好きなのは本当なので、そう思ってもらうことにした。
二番が始まりそうになって、停止ボタンへ手を伸ばす。
「あ、続き聞きたい」
手が止まった。
店長も腕時計を見て、「まだ大丈夫」と扉の脇に立った。
二人とも帰らないらしい。
「……はい」
俺はマイクを持ち直した。
二人がこっちを見て待っていると、膝に置いた左手まで気になる。
聞いてくれるなら、最後まで聞いてほしい。さっき歌えた高いところは、曲の終わりでもう一度出てくる。
結局、両手でマイクを持った。
*
歌い終えると、二人が拍手をしてくれた。
俺は座ったまま頭を下げ、それから立った。
「ありがとうございます」
「こっちこそ。帰る前にいいもの聞けたよ」
店長はそう言って、フロントへ戻っていった。
マイクを下ろし、消える前の歌詞の画面を見た。
最後まで歌えた。
二番も、最後にもう一度高くなるところも、全部。
もう一曲いきたかったが、さすがに一曲だけと言って借りた部屋だ。名残惜しくても、機械の電源を切った。
「ねえ、これなんだけど」
藤崎さんがスマホを差し出した。
駅前の商業施設で開かれる、アマチュア歌唱コンテストの募集ページだった。
「私、今年も出ようと思ってるんだ。よかったら一緒にどう?」
「……今年も?」
「去年は予選落ち。今年はもうちょっと頑張りたくて」
会場の写真には、吹き抜けの下に小さなステージが写っていた。前に椅子が何列も並んでいる。
「一人で行くの、けっこう緊張するんだよね。知ってる人いたら心強いなって」
この人も緊張するのかと思いながら、募集の内容を読む。
優勝賞金、十万円。
俺は少しスマホへ顔を近づけた。
貯金より多い。
買い物券だったりしないだろうか。小さな文字まで読んだが、ちゃんと現金でもらえるらしい。
それは、かなり欲しい。
「募集要項、あとでゆっくり読んで。ページ送るね」
藤崎さんはスマホを戻し、参加資格を説明してくれた。慎重に考えていると思われたらしい。
賞金の確認をしていたとは、今さら言えなかった。
予選は三週間後。
それだけあれば、生成器はかなり増やせる。恒久倍率も買って、歌唱にまた振れば、今よりずっとうまくなるはずだ。
そこまで考えてから、会場の写真を思い出した。
今日は二人。あの椅子には、もっと座れる。
「……考えてもいいですか」
「もちろん。締め切りまで、まだあるし」
藤崎さんは笑って、端末を充電台へ戻した。
出てみたい。歌を聞いてもらえて、うまくいけば十万円ももらえる。
ただ、あの人数の前で歌えるかはわからない。三週間でどこまで準備できるのか、帰ったら考えてみよう。
*
店を出て二人と別れると、夜風が少し冷たかった。
途中の信号で立ち止まり、送られてきた募集ページを開く。ステージに置かれたマイクスタンドを見ても、自分がそこに立つ姿は、うまく想像できない。
ただ、今日の曲なら、また歌いたかった。
スマホをしまい、ゲームを開いた。
帰ってから、ほかの項目も見てみよう。この妙なゲームのことは、まだほとんどわかっていない。
恒久強化へ目を向ける。
【所持スキルポイント:0】
【基礎生産倍率 ×2:未購入】
やっぱり、先に買うべきだった。
今頃、倍だった。
信号が青になり、表示を閉じて歩き出す。周りに人がいないのを確かめて、さっきの曲を小さく口ずさんだ。
高いところも、同じように出た。
「……まあ、いいか」
効率の悪い買い物をして、こんなに満足したのは初めてだった。




