番外編 つばさ~向かい風~ 後編
残暑の季節も終わり、いよいよ秋の入口に立った水本市は、現在進行形で秋の洗礼を受けていた。
遥か上空に横たわる秋雨前線を、熱帯の空気でビルドアップした台風がビシバシと刺激している影響で昨日午後から天候は大荒れ。今日はついにその台風が迫っていた。
現場は対応に大わらわ。
第一ほしふりビルには対策本部が設置され、刻一刻と更新される情報と途切れぬ人の出入りの激しさは、猛威を振るう雨風に比例していた。
対照的に本社は人影もまばら。
そんな本社の休憩室の一角に、高藤と小早川が陣取っていた。
「あぁ、身体がダルい……」
「なにしてるのよ」
「しょうがねぇだろ。お嬢さんのワガママのために身を粉にして夜遅くまで働いてたんだよ」
席について早々にテーブルへ突っ伏した小早川を見て高藤は呆れるが、すぐに調子を戻した。
「屁理屈言ってないで、その労働の成果は?」
「ったく、労いの言葉も無しかよ……。広告出稿と引き換えに。――一回あたりは大体このくらいのお値段だ」
見積書と書かれた一枚の資料が高藤に手渡される。
「……随分と良心的ね」
「お友達価格だとさ」
「お友達価格にさせたんじゃないの?」
「それは企業秘密だ」
高藤は、はいはい、と言いながら小早川の言葉を受け流すと、表情を引き締めた。
「じゃあ、拠点の件は?」
「ひとまず、撤収でも保留でも、『本当に』話が付くまで待ってくれるとよ。期限は広告出稿が続く限り。現実的には次の更新時期に合わせて年末まで、って所だな」
「……随分と悪魔的ね」
「お友達とはいえ、お互い商売だからな」
「いくらお友達でもそんな適当な話の通し方で大丈夫なの?南方日報の支局長なら会社での立場もあるでしょう」
正直に言うと、先方に旨味がある話とは思えない。
「そこは阿吽の呼吸、あるいは魚心あれば水心ってヤツさ」
「……鏡花さんの名前を出したの?」
まさかと疑いの眼差しを向けるが、対する小早川はどこ吹く風で、
「滅多なこと言わないでくれよ。名前を出したら『ありがたいお言葉』程度じゃ済まないだろう?」
と事もなげに答えた。
「ならどうしたのよ」
「『例のビル』の件で、ヤツと南方日報には貸しがあるんだよ」
「アンタ、いつか刺されるわよ……」
少し昔の苦い記憶。
長屋と高藤、小早川の三人で艱難辛苦の末に得られたものは、ビル一棟。
明確な資産価値はある。
だが高藤にはあの時の出来事を考えると、とても労力に見合った成果には思えなかった。
当時の苦労を平気で使ったのか、それとも伝家の宝刀として使ったのかまでは分からない。
だが小早川は、使い所は今と捉えたようだった。
「で、お前の方はどうなんだ。してるんだろう?悪だくみ」
今度はこちらの仕掛ける番とばかりに、小早川が意味深な笑みを浮かべた。
「悪だくみじゃないわ。単に事実と条件を調べただけ」
「お、昔取った杵柄がまた火を噴くのか」
「……そんな昔のこと忘れたわ」
「勝算は?」
「ノーコメント」
言い切る高藤のその言葉に、小早川はわざとらしく肩をすくめると、
「おー、怖い怖い。イヤだねぇ理論家ってのは。お前に正論でぶん殴られる人がかわいそうだ」
「じゃあ、アンタで実験する?」
「俺はあいにく武闘派じゃなくて頭脳派なんだ。それに手の内が分かっている人間相手じゃ実験にならねぇだろ?」
「何言ってんのよ、エラそうに」
ここでも嵐への準備は着実に進んでいた。
ベイローレル本社において台風が迫る中でも動いているのは、なにも社員に限ったことではない。
周囲からは、もはや『拠点』に起居していると思われているタバサは、その後を見据えていた。
台風通過後の各地の様子。
天気予報と窓の外で荒ぶる風雨を併せて見ると、多少なりとも被害は出ていると容易に想像がつく。
タバサは嵐の最中に動くのではなく、事の推移を冷静に見極めて備えることにしていた。
インフラ企業で世話になっている以上、その動きに合わせる方が無難で合理的。何よりアテもなく危険に身をさらすより、被害からの復旧過程を一つのストーリーとして確実に追える。
決定的な瞬間は逃すかもしれないが、その代わり時間はある。だから準備に抜かりがあっては、名が廃る。
不謹慎かもしれないが、それがタバサの仕事であった。
準備はやがて一段落し、手持ち無沙汰になってしまった。
ふと、『拠点』を引き払うために片付けていた資料の山の中に、半年ほど前の新聞が混ざっていることに気づいた。
それは、南方日報の一面で採用された時の新聞。
被写体は、この街に来た初日に撮影した、『「大切な何か」を亡くしたのであろう女性』。
当時は掲載された新聞の一面を見て、
『ファインダーに写った物が全て』
そう思っていた頃の方が幸せだったと罪悪感に苛まれていた。
だが、絶対にそんなことなど知らないだろう人物から、
「この写真からは少なくとも悪意を感じない。良いか悪いかは別として、うっすらと寄り添う感じがするのはあんたらしい」
そう言葉を掛けられた。
写真が琴線にでも触れたのか、自分の仕事に関して初めてまともな言葉を掛けられた。
あの時は、
(このバカからそんな繊細な言葉が出るとは)
なんて、どちらかと言えば驚きの方が強かったのだが、振り返るとその言葉は――認めたくはないが――どこか、ほんの少しだけ救いになっていた。
資料の山の中から新聞を引っ張り出して、写真に目を落とす。
「カメラに収められた光景は、記録として残る、か」
今となってはその言葉の真意も分からないし、多分深い意味は無いのかもしれない。
ただタバサにはその時の名越が、どこの何がかは分からないが、確かに先が見えていたように思えた。
……どうも天気が悪くて、気分が滅入っているのだろう。
過ぎた偶然に理由を付けて遊んでいるのがその証拠。
切り替えなければ、と考え出した頃、最近のランチ仲間が拠点に顔を出した。
「お邪魔だったかしら」
「……いえ、別に」
こんな天気の日まで働いているその人は、第一印象との違いが大きい一人だった。
経理部長・高藤香。
理論派で意外と姉御肌。
近頃のタバサはそう感じていたが、今日の彼女が纏う雰囲気は、第一印象の『とっつきにくい人』だった。
何かある、とタバサが少し身構えると、
「確認したいのだけれど、この『拠点』は引き払うって事で良かったかしら?」
高藤は淡々と、緩い詰め将棋でも指すかのような口調で切り出した。
「ええ、今月いっぱいで。……短い間でしたがお世話になりました」
高藤の問いはどちらかと言えば事実確認のようだったので、タバサは素直に今までの礼を述べたが、
「そう言われても、正式な通知が来ていないから、既に更新処理が進んでいるのよ」
外の天気と同様に、風向きは急に変化した。
「…………!なぜですか?名越さんには伝えています。支局にも話はしています」
驚きのあまり食ってかかりそうなタバサを、高藤が片手で制すると、
「話をしたことは確認したわ。でも残念だけど、それは貴女個人の意思として、ということになるのよ」
彼女が確認できたことを、
「南方日報さんに手続き依頼はしていないのでしょう?私はあくまで条件と事実に基づいて話をしているの」
一つ、
「ベイローレルと南方日報との間で交わされた報道支援協定。それに基づく『拠点』の条件では、期間は三ヶ月、その末日の二週間前までにどちらかが解約を申し出ない限り自動更新」
また一つと並べて行く。
「だけどタバサさんが名越さんに伝えた時点では、既に二週間を切っていた。期限前に、ウチの社内で名越さんの他に退去の意思を知っていた人間はいないかも確かめたわ。でも居なかった」
「それは」
「契約は契約なのよ。不履行は信用問題に直結する。だから私は契約を守るために、自動更新と見做して事務手続きを進めているの」
意思表示と正式な手続きは別。冷たいようだが、それが高藤の仕事だった。
高藤を睨み付けるその鋭い目には、タバサにしては珍しく感情が露わになっていた。
「でも、条件と言うなら、『真に止むを得ない事情であれば、二週間を切っていた場合でも別途当事者間の話し合いで解約は可能』では?」
それは問いというより、詰問に近かった。
「そうね。その通りだわ。『真に止むを得ない事情であれば』ね。だからその例外を使うなら当事者間で話して欲しいの。ウチの当事者代表は社長だから、名越さんと、になるわね。私は残ろうが出て行こうが、どちらでも構わないわ」
高藤はタバサに気圧される事など微塵もない様子で、一つずつ話を捌いていた。
「……誤解が無いように言っておくけど、出て行って欲しいわけではないわ。ただ、名越さんと違って、私は貴女に自分で自分の身の振り方を選んで欲しいの」
しかし高藤は決して機械のように無心ではなく、
「選択を迫るんですか」
むしろその振る舞いはまるで、
「迫るも何も、残る、残らないは私の決められることでは無いわ。貴女の権利ですもの」
自分で答えにたどり着けるように、手を引いているようだった。
「でも自動更新の手続きが進んでいるのに、私が退去を強行したら?第一、ベイローレルの当事者代表が名越さんなら、相手は私じゃなくて南方日報の支局長でしょ。自分の意志を貫いて南方日報と自分の信用を大いに傷つけてまで本当に出て行けると思う?……結局私に選択する権利もなにもない!」
窓に打ち付ける雨、吹き荒れる風切り音。
人もまばらな本社三階にタバサの行き場のない怒りが響き渡り、嵐の中に霧散した。
「……そのことだけど、ウチの小早川からの伝言。『支局長は、撤収でも保留でも、『本当に』話が付くまで待ってくれるとよ』だって。ホント勝手よね」
動じぬ高藤は、まるでこうなると予想していたかのようだった。
「…………………………………………」
緩い詰め将棋は、いつの間にか王手となった。
「そういうことだから、どうするかは貴女が決めてください。言っておくけど、私は本気だから」
選択肢はタバサの手元にある。
「………………名越さんと話してきます」
だからこの先の出来事はどんなことであれ、再びタバサのもの。
「もう一つ。鏡花さんが貴女に話があるそうよ。今は立花さんと出先にいるから、第一ほしふりビルの四階、あの『部屋』で待っていてくださいって。……ホント勝手よね」
「…………そうですね」
本当に勝手だ、ここの人たちは。
私の選択を勝手に奪ったと思ったら、勝手に手元に戻して、勝手に背中を押して、勝手に待っている。
何なんだ、ここの人たちは。
「その新聞」
「え?」
「その机の上の。ここに来た時の新聞でしょう?」
高藤は去り際に、まるで興味がなさそうに新聞を指差した。
「そうですけど、なんで……」
「名越さんから、その新聞を片手に何度も同じ話を聞かされたからね。こんな写真を撮れる人間は中々いませんよ、これを見れば利用価値が分かるでしょう。置いて得することはあっても損はしませんよ、って。まぁ、しつこいこと、しつこいこと」
多忙を極める中、本当に何回も聞かされたのだろう。苦虫を噛み潰したような顔が物語っていた。
「…………横暴ですね」
「ホント、無茶苦茶よ。色々と」
彼女はどこまでも事実と条件を元に話していた。
高藤が去った後、本社正面玄関に立つタバサは来襲する台風に抗うように、第一ほしふりビルへと足を踏み出そうとしていた。
「マジ、ファックだわ」
そう吐き捨てると、歩みを進めた。
ぐちゃぐちゃの感情と血が上った頭をリセットするには最高の天気だ。
同じ頃。
立花との用事を終えた鏡花もまた、暴風雨の中第一ほしふりビルに戻り、四階の『部屋』でタバサを待ち受けようとしていた。
結局、立花はいくら聞いても、
「不器用な人間に必要なことだから、お嬢さんには秘密です」
の一点張りで、『美味しいところを掻っ攫う準備』について教えてくれなかった。
だから、あとは任せるしかないと切り替えた。
自分のすることは、気に入らないヤツらを張り倒すことだけ。
そう覚悟を決めて、外へ出た瞬間、吹き飛ばされないようにするだけで一苦労の暴風、そして容赦ない雨が真正面から強かに打ち付ける。
「どいつもこいつも……」
爆発しそうな、なんか気に食わないという思いを口の端から滲ませながら、レインコートの襟元を押さえ、一歩、また一歩と踏み出した。
中々前に進まない、少し歩いては退避、また少し歩いては退避。
あえて車移動は断った。
合理性や秩序なんてカケラもない無鉄砲な行動は普段ならあり得ない。
しかし鏡花は、感情と天候のぶつかり合いを心のどこかで楽しんでいた。
やがて一瞬の晴れ、そして一瞬の凪。
台風の目に入ったのだろう。
そして彼女は不意にやって来た、高く、遠くへ飛び立つその一瞬のチャンスを逃さなかった。
(やってやりますわ!)
助走を付けるかのようにおもむろに走り出すと、ぐんぐんとスピードを上げて走る。
走って、走って、走って。
第一ほしふりビルに着く頃には息も上がりかけていたが、気にしない。
そのまま四階まで階段を駆け上がり、目指す場所が見える頃には足ももつれかかっていたが押し切った。
ついに『部屋』のドアを開けると、鏡花は倒れるように転がり込んだ。
既に先客がいたようで、その先客はギョッとした表情でこちらを見つめて固まっている。
「……おまたせ…………しました……わ……」
「今来たところ」
「殿方なら……満点……ですわ……」
鏡花もどれだけ走ってきたのか分からない。服こそ多少の水濡れで済んでいたが、息も絶え絶え。
嵐の中を猛進してきたタバサは、濡れた上着をラックに掛け、髪はボサボサのまま下ろしていた。
後にも先にも見ることの無いであろうお互いの姿はどこか可笑しかった。
場所は変わって、同時刻、本社四階社長室。
「だから!なんで私が行かにゃならんのです!本人が決めた、なんか知らんけど事務処理も進んでいる、ならそれで結構じゃないですか。出て行きたきゃ行かせれば良い。出て行かないなら追い出しますよ!」
社長室に響くわめき声。
名越の堪忍袋の緒は切れていた。
「人の苦労も知らねぇで……。鏡花さんに『外部との関係であれば適切に動く』なんて言ったのは誰だ!追い出すだ?できるもんならやってみろ!次はお前が出て行く番だ!」
対する小早川の堪忍袋の緒も切れていた。
「このクソオヤジ……。もういっぺん言ってみろ!」
売り言葉に買い言葉の応酬のゴングが鳴ろうとしたその時。
それまで応接セットで我関せずと事務作業をしていた若い社長秘書が、
(――――――――――――)
ボソボソと、とても危ない香りのする何事かをつぶやくと、バン!と応接セットを叩いて猛然と立ち上がり、存在感を示した。
とても危ない香りのする単語が聞こえたと思ったら、急に大きな物音を立てられて水を差された名越と小早川が、そちらを向くと、鬼の形相の社長秘書――星野華音が仁王立ちしていた。
二人を見据えると、
「台風の日ぐらい、大人しくできないんですか?」
感情のない声で二人を袈裟斬りにすると、
社長室のドアを指差し、返す刀で、
「社長。あなたが悪い。行け」
その一言だけだった。
「だがね、星野さん――」
なおも名越は抵抗しようとするも、
「行け」
その低く地を這うような声は、抵抗する愚を悟るには十分だった。
すごすごと雨具を着て本社四階社長室から第一ほしふりビルへ向かうその姿は、
『本当に』話の決着を付けに行くには頼りなさ過ぎた。
鏡花の息が整うまでしばらく待ってから、タバサは鏡花に話しかけた。
「……ずいぶんとらしくないことするね」
「わたくしにも、よく分かりませんわ。よく考えなくてもここまでする義理もなければ、道理もありませんもの」
「じゃあなんで、首を突っ込むの?」
「気に入らないからですわ」
「直球だね」
「当然ですわ。名越さんの行動は社長として最悪、下の下ですし、これで何度目かしら、なんて考えるのも止めましたわ。ですがあの単細胞の行動原理は至って簡単。だって社長室にいる時間より、『拠点』にいる時間の方が長いことなんて日常茶飯事なんですもの。わたくしに言わせれば、性格がひん曲がっている。今の関係を崩すほどの勇気もない。そのくせ貴女を手放す気もない。思春期を盛大にこじらせていますわ」
タバサは呆気にとられていた。
理解できない。理解したくない。この娘は何を言っているの。
「貴女に一体何が――」
「分かりませんわ!タバサさんも、名越さんも。分かりませんわ。分かる気もありませんわ!」
理屈もなにも滅茶苦茶だが、タバサは何も言い返せなかった。
「ですが、二人がこのままなのが気に入らない。それだけですの」
「それだけ、って」
「こんな終わり方、あなた方は良くてもわたくしは良くありませんわ!天が許してもわたくしが許しませんわ!」
「えぇ……」
押されっぱなしだった。押されるしかなかった。
言っていることは勝手の極み。
「わざわざ呼び出しておいて、そんなことを言いたかったの?」
「そうですわ。何か問題でも?出て行くも残るも貴女の自由。ですが、何もお互いに話さずにいるなんて、こんなのわたくしに対する侮辱ですわ」
もはやタバサは圧倒されて口出しすらも憚られた。
「仲直りしろなんて酷なことは申しませんわ。しつこいようですが、残るも出るも貴女の自由。わたくしの知ったことではありません。お好きになさいな」
「じゃあ……」
「ただ、キチンと言うべきことくらい言ったらどうですの。言わないからいつまで経っても分からないのですわ。勝手に決めて、勝手に黙って。もう沢山ですわ!」
そこまで言い切ると、ようやく荒い鼻息を一つ吐いた。
少しは留飲が下がったのか、
「わたくしが偉そうに口出しするのは、ここまでですわ」
いつもの調子の鏡花に戻りつつあった。
しばらくすると、情けない誰かの気配がした。
「……やっと来ましたわね。あのアンポンタン」
申し訳程度にドアをノックする音がした。
「どうぞ。開いておりますわ」
そう声を掛けると、実に気まずそうな顔をした社長さんが小声で、
「どうも」
なんて言いながら足取り重く入ってきた。
「さてわたくしの仕事はお終いですわ。早く星野さんを迎えに行かないと、次はわたくしの番になってしまいますわね」
戸惑いを隠せない二人を置いて、鏡花は名越と入れ替わるようにさっさと出て行こうとする。
「最後にわたくしから一言、お二人に」
そう言うと人差し指と中指を自分の目に向けて、今度はその指を名越とタバサに向けた。
見ているぞ。
そういう動きだ。
「逃げたら承知いたしませんわ」
釘を刺すと颯爽と出て行ってしまった。
「ありゃあ…………なんなんだね…………」
「さぁ…………」
鏡花が社用車で第一ほしふりビルを出る時には、既に台風の目は過ぎ去って再びの暴風雨。
だが風向きが変わっていた。
「……良い風、ですわね」
実際には、嵐の中であることは変わらない。
ただいつか嵐は過ぎ去るもの。
止まない雨はない。
そんな使い古された言葉を実感しながら、本社へ向かう車中のカーラジオから流れる気象情報に耳を傾けていた。
『台風が東の海上へ抜けて行くことで、あと二、三時間程度で雨は弱まる見通しです。吹き返しの風の影響は残りますが、明日は台風一過の晴天となるでしょう』
(もしわたくしに翼があったなら、明日の空は、思わず飛び立ちたくなるくらい良い天気なのでしょうね)
鏡花は明日の空へ思いを馳せながら、きっと良い仕事をしてくれたのであろう部下を迎えに、一路本社へと社用車を走らせた。




