後
「飼っておいたほうが楽だと判断したらしいな」
何の感情も篭らない声で断じたのは、ボディの改修を終えたオリジナルだった。
いや、もうオリジナルと呼ぶのは相応しくないだろう。原始的な機械脳がサポートし続けた生体脳だが、治療の遅れによる損傷は大きかった。
失われた機能を代替する生来型パーツで大きく補綴されることで生存が可能になったそれはもはや、『彼』のオリジナルとなった人物ではない。生体パーツでの補綴と人格情報を元に再構成された情報空間を与えられた、生まれて間もないハイブリッド知性体だった。
『妥当な判断だろう。野放しにしたいものじゃない』
「君たちはそれでいいのか!」
最初から喧嘩腰のジュードに、『彼』は冷ややかに笑った。
『良いも悪いも無い。そいつはボディのメンテナンスという問題があるんだ』
共に脱出してきたジュードは知っているはずだ。
それを指摘すると、ジュードだけでなく『それ』も顔をしかめた。
『ジュード、まさかそいつに死ねという気じゃないよな?』
脱出計画を実施する際に、まさに問題になったのはその点だった。
あの時間線からの救出および脱出を敢行すれば、『彼』はメンテナンスを受けられなくなる。まだ試作段階で不安定だったボディを使っていた『彼』にとって、それは緩慢な死と同義語だった。
多数を救うためには犠牲も必要だと、そう主張した一人がジュードだ。メンテナンスが受けられなくなる等関係ないだろう、国家秘密警察の生体兵器なのだから、身を挺して脱出を支援して当然だ、と言い募ったジュードに、では君も残ってみる?最後に残る要員も必要よ、と皮肉ったのは、今は亡きジーニアだった。
ジュードはその場で言葉を濁し、自らは脱出組にいの一番に加わっていたが。
「監視局に尻尾を振ってまで生き残って、恥だと思わないのか!」
質問に答えず声を張り上げるのは、自分の主張だけを続けたいがためだ。
話を聞く気もないし、自分の言葉の整合性を気にする事もない。大声を張り上げ、がむしゃらに言葉を紡ぐのは、自分の後ろめたさを覆い隠して己の正当性を主張する意味しか持っていない。
「君にはプライドってものがないのか!?」
「君のプライドというのは、なんだい?」
ジュードの大声を遮りゆったりした口調で言葉を挟んだのは、それまで黙ってやり取りを見守っていた、立会いの強制捜査官だった。
この強制捜査官は件の事件には関わっていなかったが、不正行為ありとして内部告発を行った局員のうち一人と聞いている。それを聞いて正義感の強い暑苦しい人物を想像していたのだが、実際の御舘篤之はむしろ、静謐さを感じさせる人物だった。
「負け犬になって生きてくなんて、僕なら真っ平だ」
「負け犬?」
「お情けで生かされてるだけじゃないか。負けるくらいなら、死んだほうがマシだろ」
「子供らしい、素直な意見だね」
むっとした『彼ら』を手まねで抑え、いきり立つジュードにむかって、強制捜査官はそう言い放った。
あくまでも、穏やかに。
「子供だと……」
視線だけでジュードを黙らせた強制捜査官は、同じく同席していた難民代表のラスに向き直った。
「喧嘩をさせるために、面会を許可したわけではありませんよ」
「申し訳ない。ここまで子供じみた真似をするとは思っていなくて」
「子供子供って」
「いいから君は黙っていなさい」
品の良い顔立ちをした強制捜査官は、何か喚きかけたジュードを黙らせ
「君たちも、子供の正義感は忘れていい。あれは未来に責任を持たない者の言葉だから」
と、『彼ら』に向って付け加えた。
『未来への責任?』
「そう。生き延びて、次世代を育てるのも義務だからね。特にこんな小さい文化クラスターでは、一人一人にかかる責任が重くなる」
生き残ったのは僅か5000人弱。たしかに、小さなクラスターだった。
『俺は子供なんて残せませんが』
「君は情報知性体だろう、君の情報空間を残せばいい。若い世代を育てる形でね」
生体由来であるなら、機械知性体の定義に当てはまらない。そう主張して人格コピーを抹殺しようとした監視局だが、そこに捻じ込んだのがハイブリッド連合だった。もともと生体と機械の二つにルーツを持つ知性体である彼らにとって、生体と機械を分離したがる旧弊な監視局の理屈は見過ごせないものだった。
その結果、人格コピーも現在は情報知性体の認定を受け、ペルシル市民権を取得している。
移動してきただけの他の難民たちと異なり、オリジナルを破壊され監視局の横暴で誕生した二人は、ペルシルの生まれと認定されるだけの理由があった。
『強制捜査官だと思っていたけど、まるで文化調整官ですね』
東洋と西洋の血を引くらしい監視局員は、『彼』のコメントに笑みを浮かべた。
「それが家業のようなものでね、おかげで私も少しは知識があるんだ」
「失礼ですが、ご家業とおっしゃると?」
興味を抱いたのか、ラスがそう問うた。
「政治がらみの家なんですよ。私は才能が無いので、こうして勤め人をしていますが」
「ご出身はどちらです?」
唐突な質問にも思えたが、ラスは無駄な事は聞かない。
強制捜査官もそれを理解した印に、わずかに微笑を大きくした。
「ペルシル線のアーヴィングトン崩落地、豊洲です」
「ああ……それで、生き延びるのも義務、なのですね」
ラスの言葉は、『彼ら』同様にラスもそれを知っていると教えていた。
百年以上前に監視局の強制捜査で国土を焼かれ、人口の半分を失った、前機械文明国家。ろくな火器すら持たぬ中でゲリラ戦と外交戦を展開し、殲滅戦さながらの戦いを生き抜いた小国の名。それが豊洲だった。
「死んでしまっては、何も残せませんからね」
「なるほど、興味深いお話です。ところで、あなたが立ち会われたのは偶然ですか」
経済力も無い弱小クラスターの人間に対して、同じ歴史をたどった者の末裔が顔を合わせる。これには何か意図があるのではないか、という意味の問いだった。
「監視局員としては、偶然ですと申し上げておきます」
他の意志が働いている、と遠まわしに答えた強制捜査官に、ラスは突然、面白がるような顔になった。
「あなたが強制捜査課にいらっしゃるのも、監視局としては偶然ですか」
「まあ、そんなところですよ」
おだやかな表情を一つも変える事の無いまま、強制捜査官はしらばくれてみせ
「もっとも、彼の採用は必然ですが」
と、話を元に戻す。
『どのあたりが必然ですか。こちらには、もっと良い戦闘ロボットがいると聞いていましたが』
常々疑問だったことを、『彼』は聞いてみる事にした。
「いるね。それに戦闘員が戦闘用強化外骨格を使えば間に合うから、中身まで機械である必要はないのがこちらだよ」
つまり、戦闘知性体としての『彼ら』を強く求められることはないわけだ。
『それなのに、わざわざ高いロボットボディを用意したわけですか。ただの親切とは思えないのですが』
『彼』の指摘に、『それ』も同意して頷いていた。
ハイブリッド知性体に与えられているのは、都市戦闘向け軍用人型ボディだ。肩を覆うほどの放熱繊維製の髪が目立ってはいるが、それ以外は肌の質感も含めて人間と遜色ない。これだけのものは当然、このペルシルでもあまり一般的ではない。
そんな二人を見比べて、
「君たち、ずいぶんシニカルだねえ。素直に喜んで受け取っておけば良いんだよ」
強制捜査官は、ごくゆったりした口ぶりで言った。
「俺としては、飼っておくため、あわよくば戦死させるため、というくらいの理由しか思い当たりませんが」
あえて『彼』が言わなかった言葉を、『それ』が自ら口にした。そして
「それも、外れてはいないだろうね」
と、強制捜査官はその考えを否定しなかった。
ラスが溜息をつき、首を横に振る。
「あなたはそれをご存知で、平気なのですか」
「監視局の思惑と、私個人の思惑は、異なりますので」
平然と微笑んだ強制捜査官は、まったく、穏やかそうに見えた。
中身は曲者だ。なにが『才能が無い』だ、この大狸が。
感想を音声化する事は無かったが、『彼』はそう思った。
『それで、貴方は俺たちの抹消に賛成しているんですか』
「私は、君たちが『未来に対する義務』を守ると思っているよ」
それ以上の答は必要ない。
言葉にしない強い意志を受け止め、『彼ら』は沈黙した。