第1話 王国の落日
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
後ろ髪を引かれながら、人気のない街の中を走っていた。
あちこちで立ち上った炎が、黒煙で覆われた空を不吉に照らしてゆく。
「……はぁ、はぁ……んく、はぁっ……」
走っても走っても、一向に進んでいる気がしない。
それもそのはず。私はいま、幼い姿をしているのだから。
「……ぜぇ、はぁ、はぁ……」
未熟な肺が、空気を欲している。短い足が、必死に止まれと叫んでいる。
それでも私は、よろめきながら路地を走り抜け、大通りに差し掛かり。
そして。
「っ……!」
思わず、息を呑んだ。
誰もいないはずの通りにいた、馬上の男二人の内の一人と、ふと目が合ってしまったからだ。
「な、っ……」
「……あ、あ……」
――銀雪を思わせる長髪に、将官らしき出で立ち。そして切れ長の瞳。
見るからに敵将と思わしき人物と目線を交わしてしまった私は、絶望に身を縮ませ、かすかに首を振りながら、よろよろと後ずさっていく。
「子供……? 逃げ遅れ、でしょうか?」
男の視線を辿った副官らしき出で立ちの男が、これまた着飾った馬をいなしながら、近づいてくる。
反射的にその場を離れようと、反転。しかし石畳にけつまずき、軽く倒れ込んでしまう。
それでも歯を食いしばりながら立ち上がり、駆け出そうとしたところで……。
「――待て」
端的に、しかし有無を言わさない声色で、銀髪の男が告げる。
……呼び止められてしまったら、もうどうしようもない。
立ちすくみ、一つ喉を鳴らし。体の震えを必死に押さえ込みながら、振り返るしかなかった。
するといつの間に近くに寄ってきていたその男は、美しき宝剣を鞘から抜き去りつつ、静かに問いかけてくる。
「……名は、何という」
「……」
……切っ先こそ向けられてはいないものの。それでも返答によっては、一息でこの宝剣の餌食となるに違いない。
右手に握られた宝剣の、その磨き抜かれた刃に映る、か弱き自分の姿に目配せしつつ。
私は……ゆっくりとゆっくりと、口を開いていく。
「私、は――」
+++
「これが……その、秘薬……」
ドレスを身に纏った齢22の私は、そんな呟きとともに、手渡されたポーション瓶をまじまじと見つめていた。
きらびやかな冠を身につけたお母様は、目を伏せたまま続きを口にしてゆく。
「そう。その若返りの薬があったからこそ、このブランシャール王国は幾度の滅亡を経ても、復興を成し得て来たのです」
「……」
――外では今も剣戟と怒号が、四方八方から鳴り響いていた。ときどき爆発音や、石壁が崩れてゆく音も聞こえてくる。
あちこちで上がった火の手による熱波が、この玉座の間にも達しつつあるという状況の中。
お母様はなおも私に対し、悠然と語ってゆく。
「貴方の中にも脈々と流れている王家の血というのは、いまやブランシャールの為政者にとって必需品。よってそれを絶やさないよう、これまで王国が危機に陥った際には、王家の誰かが必ず、その薬を口にしてきました」
「……敵もまさか、重要人物がそんな姿になっているとは思わない。だから身分を偽り、安全に逃げ延びる事が出来る。この国が『不死鳥の如く蘇りし国』と呼ばれるゆえん、ですね」
「ええ。いくら敵とはいえ、ただの子供や赤ん坊まで皆殺しにはしないでしょう。それに元の姿に戻るまでの間、王家の血が途絶えていないことを知られずに、反抗勢力をじっくりと育てられます。そうして元の姿を取り戻してから、自らを旗印として蜂起し、一気呵成に国を取り戻す……そうやってブランシャールは、何度も息を吹き返してきました」
「なるほど。敵からすれば、根絶やしにしたはずの王家が、突如わいて出たようなもの。……この秘薬は、そんな恩恵ももたらしてくれるのですね」
手元に目を落としつつそう言葉を返せば、お母様はそれにゆっくり頷きを返してくれる。
けれど。
「でも、それならなおさら、女王であるお母様が……」
……これを飲めばよいのではないか。
そう言い終わる前に、お母様はふるふると首を振った。
「その秘薬は、以前に案内したあの鍾乳洞の奥深くにて魔岩水の雫を溜め、長い年月をかけ魔力を凝縮させ、ようやく出来るもの。そして以前の内乱にて、長年貯蔵されてきた分は使われ切ってしまいました。おおよそ三十年程度しか溜められていない今のそれでは、若返れてせいぜい十数年。私が飲んだとしても、劇的に姿を変えることは出来ません。……だからこそ」
お母様はそこで一旦区切った後、私の手をキュッと握りながら続けた。
「だからこそ、あなたに……大切な一人娘、ルクレシア・ブランシャールに、託すのです。――この国の、未来を」
「……!」
ようやく、こんな土壇場で私を呼びつけた理由が分かった。
――お母様は、死ぬ気なのだ。
今にも落城しかかっている、この城と共に。
「い、嫌です! お母様も、共に落ち延びて下さい‼」
必死にそう食い下がるが、お母様は神妙な面持ちのまま首を振る。
「こうもやすやすと帝国の侵攻を許し、民を苦しめたのは、ひとえにわたくしの責任。なればこそ、わたくしはこの命で持って、一刻も早くその戦火から民を救わねばなりません」
「っ……お母様に、責任なんてありません‼ それを言うなら、お父様が急逝し、不安定な我が国をハイエナのように狙った帝国こそ、何よりの悪です‼」
「それでも、ですよ、ルクレシア。それでも悪いのは、わたくしなのです。それに……現女王である私が逃げおおせたなら、帝国は躍起になって私を探し回るでしょう。その間、戦はずっと続き、民を苦しめることにもなります。ですから……」
「……」
……分かっていた。改まって説明されなくても。こうなってしまった以上、帝国はお母様を絶対に逃がしてはくれないだろう。
つまりこの薬を、ブランシャールの未来のために使えるのは、私だけしかいないのだ。
いまや王家直系の血を引く最後の一人となってしまった、この私だけしか。
「……」
知らず知らずうつむき、唇を噛みしめてしまっていた。
お母様はそんな私を優しく抱きしめてくれる。
「ごめんなさい、ルクレシア。とてつもない重荷を、最期に背負わせてしまうわね」
至極申し訳なさそうに告げられたその言葉に、私は思わず首を振る。
「……いえ。むしろ一心に注いで頂いた愛情を、直接お返し出来ない、不出来な娘で、ほんとうに……」
……そこまでしか、言えなかった。嗚咽でもう、喉から言葉を出せなかったのだ。
必死にすがりつき、悔し涙をこぼす。
お母様はそんな私の頭を、何も言わずに、ただただなで続けてくれていた。
と、そこへ。
「……女王様。ついに内郭にまで、敵兵が侵入致しました。隠し通路の露呈も、もはや時間の問題です」
お母様の侍従だろうか、そんな報告が後ろから飛んでくる。
私たち親子の最後の時間を自ら終わらせる事への負いからか、逼迫した内容にも関わらず、声はかなり控えめだった。
「……分かりました」
それまでの慈愛に満ちた声ではなく、女王として一言そう口にしたお母様は、しかし優しく私の涙を手で拭ってくれた後、ゆっくりと体を離してゆく。
「ルクレシア。このリュカには、委細を全て話してあります。国の奪還のための反抗勢力……『レジスタンス』の結成なども任せてありますから、今後何かあれば、彼を頼るようにしてください」
お母様の紹介に合わせ、リュカと呼ばれた侍従が恭しくお辞儀をしてくる。
……正直、ほとんど面識もなかった侍従だ。だからこそその人となりをはかろうと、まじまじと見つめてしまう。
しかしリュカは、そんな視線など構わず、ずいと詰め寄ってくる。
「ルクレシア様、秘薬は既にお飲み頂けましたか? まだでしたら、一刻も早くお飲み下さい。城下に降り立った時にそのお姿のままでは、秘薬を飲む意味がなくなってしまいます」
……確かに、その通りだった。
この薬がどれほどの時間で効くのかは分からないが、ともかく呆けている暇などあるはずもない。
「リュカ。お願いしていた影武者は、ちゃんと用意できましたか?」
「万事、抜かりなく。すでに命を落としていた者の中に、ルクレシア様と顔立ちが似た侍女がおりました。背丈もほぼ同じでしたので、お召し物をそのままお借りするだけで事足りるかと」
「分かりました。それではこの予備の薬は、効力を発揮した事を確認してから、しっかりと処理して下さい。どこかに残したままでは、足がついてしまいかねません」
「ええ、承知しております。すでに話は通してありますので……」
と、そんな二人の会話を横で聞きながら、私はポーション瓶のふたをゆっくりと開けた。
――中に入っていたのは、少し粘度のある、無色透明の液体だった。魔力を帯びたものにありがちな、ねっとりとした匂いが鼻をつく。
不気味な異質さを放つそれから思わず顔を背けたくなるが、それでも顔を振り、気持ちを入れ直す。
……ブランシャール王国の再興という使命は、これを飲み干さなければ始まらない。
意を決し、私はそのポーション瓶を一気にあおった。
……苦くて、不気味で、得体の知れないまずさがある。ただ、えずいて戻しかけても、無理矢理に喉を鳴らし、涙目になりながら、胃の中へ強引にそれを送り込んでゆく。
そうして、ポーション瓶の中があらかた空になり、口の中に形容しがたい味が広がりきった、そんな時。
「……ルクレシア⁉」
「ルクレシア様!」
ポーション瓶が手から滑り落ち、カラーンと甲高い音を立てた。
体に力が入らなくなり、やがてがくりと膝から崩れ落ちてしまう。
そうして、お母様たちが思わず駆け寄ってくるのを感じながら、私の意識はゆっくりと遠ざかっていったのだった――
+++
ふと、不快な縦揺れで目が覚めた。……どうやら誰かに背負われているらしい。
とっさに辺りを見渡して、城下町にいることだけは分かったものの。しかし街は帝国の侵攻を受けて様変わりしてしまっており、一見しただけではどこにいるか全く分からなかった。
「……ここは……」
反射的にそう口にすると、私を背負いながら歩いていたリュカが、軽く背負い直しながら答える。
「西地区、鍛冶屋街の一画です。……お体の具合は、いかがですか」
その質問にハッと手のひらを確認すると、いつもより大分小さくなっているのが見て取れた。
いつの間にか簡素な子供服も着せられており、頭にフードが被せられている。
それと、何より思ったように力が入らなくて……ふとリュカの背中から、滑り落ちそうになってしまっていた。
「っとと。……申し訳ございません、このような不躾なお運び方をしてしまい……」
「……気にしないで。それより、お母様は……?」
と、真っ先にお母様の様子を尋ねようとした、その時だった。唐突にリュカが足を止めたのは。
「……見つかって、しまいましたか」
そう吐き捨てた目線の先を辿れば、見るからに格の違う装飾品を身につけた騎馬兵が、3名ほど見えた。しかもどうやら、こちらにはすでに気づいている様子。
「街の人を装って、なんとか……」
「いえ、ここにいた者たちは事前に退避したか、もしくは果敢に抵抗し、すでに命を落としています。いまさら市民を装ったところで、見逃してくれるとは思えません」
「でも……そうだ、私が怯えて隠れていて、それで逃げるのが遅れたとか言えば……」
「……。そもそも、あれは我が方が誇る精鋭部隊を壊滅させた、『ライオネルナイツ』の騎兵です」
「……‼ 帝国の、猛き牙……」
「ええ。音に聞こえるその異名が示すとおり、苛烈で冷酷な奴らです。一か八か嘘を並べるより、卑劣な手段をとった方が、まだ可能性もあるでしょう。……本当に、厄介な奴らに見つかったものです……」
そうしてリュカは歯がみしながら、私を地面へと下ろす。
「……え? 何を……」
「今ならまだ遠目ですし、顔を覚えられてはいないはず。ですからここから先は、私に構わず、どうかお一人でお逃げ下さい」
「……っ」
……そんな事、絶対に許可できない。
面識こそほとんどなかったが、それでもお母様の配下をみすみす死なせたくはなかったし、そもそもこんな体で一人、この街から逃げられる自信もない。
だからこそ、共に逃げるべきだ……。
と、そう言いかかったところで、リュカはふと淡い笑みを浮かべる。
「大丈夫です。あやつらにこれまでの礼をはずんだ後、必ず後を追いかけます」
「……」
「そんな顔をなさらないで下さい。約束は違えません。私は必ず、貴方様の側に侍り続けます。なぜなら貴方様は、我々の――最後の希望、なのですから」
「……!」
……そうだ。私はお母様より後を託された、この国を唯一再興出来うる存在なのだ。
ならば、今は何としてでも……たとえリュカを身代わりにしてでも、生き延びる事を優先しなければならないはず。
私は後ろ髪を引かれつつも、ゆっくりとリュカから離れた。
するとリュカは、ふと思い出したかのように私を呼び止める。
「ああ、そうだ。一つ言い忘れておりました」
視線は騎馬たちに向けながらも、リュカは厳かに言葉を続けていった。
「――泥をすすりて、白き鳥へ至る」
「……?」
「王家に伝わる、古い言葉の一つです。貴方様はもう幼き姿となっておりますゆえ、貴方様を認識できない同志も大勢いるはず。ですから私たちは末端に至るまで、この言葉を持って貴方様を認識するよう、すでに伝達を出しております。仲間に身分を明かす際は、むやみに名乗らずに、是非この言葉をお伝え下さい」
「合い言葉ってことね、分かった。……泥をすすりて、白き鳥へ至る……」
そう復唱した後。リュカがそれにゆっくりと頷いたのを確認してから、私は騎馬たちが今にも近づいて来ようとしているのを見て、足早に近場の裏路地へと駆け出していく。
+++
かくして、私は幼女の姿のまま、単身逃げ延びることとなって。
そうして――見るからに指揮官らしき男達に出くわしてしまった、というわけである。
「……私の、名前は……」
問われたことを、もう一度淡く復唱する。
……本名なんて、当然名乗れるわけもない。
苦し紛れに考える。
何か……何か、特定されないような、名前……。
「どうした? もしや、自分の名前も分からないのか?」
切れ長の瞳をスッと細めながら、銀髪の男はなおも聞き返してくる。
その冷徹そうな眼光に射貫かれ、思わず身震いしてしまう。
「セドリック様、些事にかまけている暇はありません。今は王族関係者が逃げたかどうかを……」
「まあ良いだろう、今は戦況も落ち着いているわけだしな」
……後ろで控えているメガネの茶髪男は、恐らくはお付きなのだろう。
そんな男からのたしなめを軽くいなしつつ、セドリックと呼ばれた男はひらりと馬から降り立つと、つかつか近づいて来る。
それに身の危険を感じた私は、近寄る前に一刻も早く、何か答えなければという焦りに駆られ。そして……。
「まっ……マド、レーヌ!」
「……ん?」
「マドレーヌって、言います、わたし……!」
口から出任せで、好物の名前をつい口にしてしまっていた。
――帝国の侵攻をうけ、最近は食事がのどが通らなくなっていた為、最近はそれを無理矢理にでも飲み込んで、だましだまし命をつないでいたのだけれど。
……口からついて出るにしても、もっと良さそうな言葉はいくらでもあったはずなのに。
すぐに偽名だとばれてしまいそうな回答を吐いてしまった私は、思わずぎゅっと目をつむる。
……しかし。
「マドレーヌか。……なんだか、食いしん坊そうな名前だな。――私の名はセドリック。見ての通り、一介の将だ」
そんな危惧を余所に、男は一瞬口の端をつり上げた後、自己紹介を返してくる。
……名乗り返すと言うことは、何とか嘘が通ったということなのだろうか。
かすかな安堵感と共に、私はその名前を口の中で転がす。
「……セド、リック……」
……その名前は、どこかで聞き覚えがあった。
確か帝国の二大公爵、レステンクール家の現当主の名だったはず。
そういえばライオネルナイツも、元はレステンクール家の近衛部隊を指す名だった気もする。
そうして私が、記憶の奥底から情報を引っ張り出している中、セドリックと名乗る男は、なおも問いを投げかけてきた。
「親はどうした」
その問いには、ふるふると首を振って答える。
……嘘ではない。
「……そうか」
少し声色を落としそう口にすると、セドリックはしばらくじとりとした目で、私の顔を眺めた後。
ふと目が合い。そして何故か、向こうが視線を逸らし……。
そうした後、セドリックは宝剣を鞘に収め直しながら、予想外の提案を投げかけてきた。
「ここは危険だ。……これも何かの縁。私が直々に、君を保護してやってもいい。どうだ、一緒に来ないか?」
……向こうには何もメリットがないはずの提案に、思わず瞬きを繰り返してしまう。
「セドリック様! お戯れもいい加減に……」
「……良いから、クロードは黙っていろ」
「っ……、……はい」
そうしてお付きの苦言を、今度は強引に黙らせるセドリック。
……もちろん、この申し出は渡りに船といえた。
小さな身体一つ、かつ護衛もいないこの状況。正直、いつ何が起こってもおかしくない。
建物の倒壊や爆発に巻き込まれたり、あるいは恥も外聞もない雑兵に拉致されたり、最悪殺されたりする危険だってある。
ただこの男は、お母様を手にかけようと国に乗り込み、そして目の前の惨状を生み出した、その主犯格とでも言うべき存在だ。王国の仇と言っても過言ではない。
だからこそ、たとえ千載一遇の条件であったとしても、そんな奴の保護を受けるなんて、到底考えられない……。
……はずだった。
「……ほんとうに……本当に、たすけてくれるの……?」
……ただ、それでも。死ぬよりかは、遥かにマシな提案でもあった。
ならば、確実に命を繋ぐため。たとえ戯れであったとしても、その申し出を受けるという選択肢は、大いにあり得る気がしたのである。
それこそ――泥をすするつもりで。
「……。ああ」
「ひどいことも、しない……?」
「もちろんだ。温かい食事と寝床を用意しよう」
「……」
その返答に、ようやく少しだけ、警戒を解く。
……もちろん、そのまま帝国に連行され、酷い仕打ちをうける可能性もあるだろう。
私の身元がばれ、最悪の結果になってしまう可能性だってなくはない。
でも。今の状況よりは明らかに好転するという、そんな確信めいたものはあった。
というのも……。
「……嘘は吐かない。この国を侵略した身で言うのも、おかしな話だがな」
一見凍り付いてしまうかのような、切れ長の瞳から放たれる、その透き通ったまなざしが――嘘をつくもののそれだとは、どうしても思えなかったからである。




