4.噂を聞きました。
星の日の夜、アルに送ってもらってミレーヌの焼き菓子屋に戻ると、彼女がまだ起きて待っていてくれた。
「リズ、お帰りなさい。アルも送ってくれてありがとうね」
「いえ、こんな時間まで連れ出してしまってすみません。それでは、おやすみなさい」
そう言ってアルは帰って行った。
「楽しかった?」
「うん、とても」
「そう、よかったわね。ココアでも飲む?」
そう言ってミレーヌはホットココアを入れてくれた。
もう寝る前だっただろうに、私の帰りを待っていてくれたのだろうか。
亜麻色の髪を一つに結って垂らす彼女はそれはそれは儚げな美人だ。そう見えないとはいえ30に差し掛かる彼女がいまだ独身であることは王国最大の謎ともいわれている。
確かに彼女はたおやかな美貌に反して、その実、したたかな女性ではある。そりゃもう、門限を過ぎてしまったときのミレーヌの微笑といったら、美しさ相まって閻魔より怖いのだ。
今日はもちろん、アルとの約束があったので門限を免除してもらっていたが、それでも遅くまで起きて待っていてくれる、母性の塊のような人だ。
ミレーヌ様にかかったら、セルジュも頭が上がらない。
そのとき、下の階からノック音が聞こえた。
こんな遅い時間に誰がやってきたのか、目を見合わせた私たちは、二人で恐る恐る下へ降りる。
「私が開けようか?」
「いいえ、大丈夫よ。リズは後ろにいて」
いつの間にかミレーヌの白い手には箒が握られている。それを2,3度振った彼女は、ドアに手をかける。
万が一に備えて、私も小さな詠唱を始める。
「いくわよ」
がちゃっ。
ぶんっ、ばしーん!
がしゃん!
「だいぶ腫れはひいたみたいね」
ソファに巨体を横たえたセルジュは、ミレーヌによってかいがいしい手当を受けていた。
「で、こんな夜遅くに妙齢の女性のもとを訪ねてくるなんて、どういう了見?」
セルジュのただでさえ深い眉間のしわが、渓谷のようにその深さを増す。
「俺の知ってる妙齢の女性ってのは、少なくとも訪問者に対して箒振り回して鎖をかけて締め上げるようなことはしねーんだけどな」
ドアを開けたとき、そこに立っていたのはセルジュだった。しかし、ミレーヌの振り上げた箒は止められず、セルジュの側頭部に大ヒットしていい音を立てた。私の詠唱も止められず、セルジュは魔法で出てきた鎖でこれでもかというくらい締め上げられたのだった。
さすが化け物、それだけされておきながら気絶こそしなかったが、殴られた頭が痛々しく腫れあがったので、ミレーヌに冷やしてもらっていたのだ。
「ミレーヌみたいな綺麗な人ににかいがいしくお世話される機会なんて、そうそうないんだから、むしろよかったでしょ?」
私がそういったら、強面がほぼ鬼に変わったので、思わず座っていた椅子の後ろに隠れた。
セルジュはふん、と鼻を鳴らし、忌々しげに睨み付けてきた。ていうか、頭のたんこぶの主な原因はミレーヌなんだから、その調子でミレーヌのことも睨めばいいのに。
視線で火花を散らしていたが、ミレーヌのため息によってさえぎられた。
「でもちょうどよかったわ。私もセルジュに言っておきたいことがあったの」
すっとミレーヌがセルジュに向き合う。
「なんだよ……改まって…」
「どうしても、あなたに伝えておきたいことがあるの」
何を言われるかわかっていないセルジュは、無防備にも片眉をあげてミレーヌを見ている。
そういう私もわかってはいないが、なんとなく嫌な予感がして私はそっと椅子ごとミレーヌの後ろに回り込み、彼女の表情が見えない場所どりをする。
「最近、魔物が増えて自警団も大変みたいね」
「あぁ、まあな。王国の取り締まりもあって、気が抜けねえ。ちょうどそのことで話が....」
「大変なのね、よくわかるわ。でもね...」
セルジュの言葉を遮ったミレーヌから、暗い、というか昏い、殺気が発せられる。
ここから見えるのはミレーヌの顔の輪郭だけだが、その白い肌に暗く陰がさしていく。まるでメドゥーサのようにミレーヌの髪が浮き上がるようにみえる。
ちら、とセルジュを見ると、顔面蒼白で汗がすごかった。いつのまにか床に正座している。ミレーヌの殺気にあてられた人は、だれしも床で正座して懺悔したくなるのだ。経験者だからよくわかる……。
「でもね…、あなたと最初に約束したわよね?忘れたとは言わせないわ」
「あ、あぁ覚えている。リズの門限は夜9時。それを過ぎるときは事前にきちんと知らせたうえで、俺か信頼できる団員に家まで送らせる、と……」
「えぇ私もそう記憶しているわ。ならおかしいわねぇ。昨日も一昨日も、リズは1人で帰ってきたわよ、しかも夜10時を過ぎて、ね」
確かに最近は魔物の数が多い。しかも取り締まりから逃れるために慎重に動く必要があり、帰るのが夜遅くなるのだ。
ユースや他の団員が送ってくれようとすることもあるが、皆の忙しい様子を見ているし、私も最近は色々あって1人で考え事をしたいがために断ってしまっていた。
「ミ、ミレーネ聞いて、それは私も悪くて.....」
「リズには話してないわ」
ミレーネの冷たい声色に私は思わずひっ、と息を呑む。
「そっ、それはだな……その、ちょっとどうしても手が回らなくて……」
「セルジュ?そう、忙しいのね。あなたたちの本拠地の酒屋から焼き菓子屋まで、たったの10分もかからないわ。往復で20分、それだけのこともできないの。大変ねぇ」
「い、いや………そ、そもそもだな、リズは天才的な魔法使いだから、別に一人でも大丈夫じゃ……」
「へぇ。あなた女の子でもないのに、そんなことがわかるの?ふいを衝かれて、男の人の力強さに射竦められてしまう恐怖がわかるの?でもねぇ、どうやらよくわかってないみたいだから、女の子になれとは言わないけれど、男やめてみる?」
どすっ、と鈍い音がして、いつの間にかミレーヌが持っていた包丁をセルジュの膝の前に突き刺した。
包丁の刃は半分近く床に突き刺さっている。
「ちょっと我慢してくれれば、すぐに刈り取ってあげるわ」
男じゃないわたしでも、ちょっと股間が寒くなった。まして、ミレーヌの目の前でその表情を拝みながら説教される、男のセルジュの恐怖たるや。
「も、申し訳ございませんでした……」
ミレーヌの前には、化け物も形無しであった。
あまりにセルジュが可哀想なので、今度から送ってくれる申し出には断らないようにしようと心に決める。
ミレーヌの殺気には背筋が凍ったが、心配をかけたくない。
彼女の言葉をきいて、くすぐったいような気持ちにもなった。
「で、あなたの用事って何だったの?」
ふっと殺気を消したミレーヌが、深々と床に突き刺さった包丁を抜きながらセルジュに問いかける。
「あ、あぁ……」
そっと股間をかばいながら、血の気の引いた顔のままのセルジュが口を開いた。
「リゼットに用があったんだ。実は、今日も魔物が多かった。狩り尽くせていないが、夜も更けて視界も悪いから今夜は団員を交代で見晴らせる。リゼット、明日はお前も朝から魔物狩りに出てくれないか」
「そんなに増えてるの?ていうか今日も狩りにでてたの!?呼んでくれたら良かったのに」
「今日はお前は外せない用があるって聞いてた。俺も野暮なことはしねえよ」
「それはそうだけど....」
団員のみんなは無事だろうか。私がいれば魔法攻撃はもちろん、治癒も転移もお手のものだが、団員の多くは荒くれた傭兵ばかりで、剣や弓矢の扱いは上手くても防御や治癒に長けたものは少ないのだ。
「大丈夫だ、今夜はあまり深追いしてねえよ」
「どうして急に増えたのかしら。ここ最近は怖いわね.....」
セルジュは険しい顔をしている。
「ああ、原因がわからない。だけど嫌な予感がするんだ。何かが裏にある気がする」
「それはたとえば....帝国とか?」
ミレーヌが眉を寄せながら言う。
この王国は長いこと周辺国のリーダーとしての歴史を刻んできた。ほとんどの国とは友好な関係を築いているが、やはり強大な力を持つ王国に対して、反抗的な国も存在する。その中でも代表的なのが、お隣の帝国である。
魔物の発生は今までにもあることだったが、1年半前から始まった数の増加は王国の付近ばかりに発生していて、隣国の帝国の被害はさほど変わらないという。
疑心暗鬼になる王国民たちの間では密かに、此度の魔物は帝国の仕業ではないかと囁かれている。
「魔物は帝国が遣わした手先だとして、魔物にどうやって言うことをきかせてるの?それに目的もわからない。大量の魔物で国を滅ぼす?こっちが魔物に気を取られている隙に、戦争しかけて勝とうとでも?」
そう言うとセルジュも顔を顰めた。
「帝国が裏にいるっていうのは噂レベルだ。魔物を使役する方法がわからねえのもそうだし、できたとしても大量の魔物で国を滅ぼすのはそう簡単じゃないだろう。戦争を仕掛けたところで周辺国が許さない。たとえ王国の兵力が弱っている今だとしても、周辺国の援軍だってくる。
ただ、帝国の目的はそう単純なものじゃないかもしれない。例えば、俺たち『自警団』が結成されること」
「……え?それって、まさか……内部分裂を目論んでいるということ...?」
「そうだ。事実、自警団はここだけじゃなくあちこちで結成されている。それだけ王国騎士団の手が回ってないんだ」
王国は長らく反乱分子もなく安定していた。しかし魔物が増え、自警団が結成され、王国騎士団以外の国民が集団で武力を持った。それが今の状況だ。
「そういえば、実際にそうやって滅びた国を知っているわ」
ミレーヌは頬に手をあてて考え込む。
「もう数十年前だったと思うけれど、魔物が突然出現し始めたらしくて、国の対応が間に合わないために人々が自ら魔物と戦い始めた。彼らは最初は小さな集団だったけれど、統合を繰り返しながら徐々に力を持つようになって、クーデターが起きた……っていう国。この王国からは遠い、帝国の隣の小さな騎馬民族の国だったかしら。今はその自警団のリーダーの子孫が王になっているはずよ」
ちっ、とセルジュは小さく舌打ちした。
「その話なら俺も耳にしたことはある。昔の話で情報もあまり残ってないらしいがな。ただ隣国なら、帝国の奴らはもっとその国のことを知ってただろうぜ。それが目的と決まったわけじゃないが、魔物自体にも怪しいところがある」
「怪しいところ?」
「あぁ。まず、魔物の死体が少ねえ。何匹も倒して、目の前で倒れるところを見ているのに、いざ近寄ってみると死体は少なくて、大量の血だけが残っている」
「それは私もおかしいと思ってた」
そうなのだ。
魔物は野生の獣が変異した生き物である。
だから死体が残らないのはおかしい。彼らは元はただの獣なのだから。
「”普通の”魔物じゃねえことは、確かだ。この魔物騒動には、裏で糸を引いているやつがいる」
沈黙が落ちる。ふと目をあげると、セルジュがこちらを見つめていた。
「それは一体、誰なんだろうなぁ」
噛み締めるようなセルジュの言葉は重く私にまとわりついた。