私ってば、まだまだ捨てたもんじゃないわね
真っ白な洗い立てのシーツ。滑らかな手触りは、今まで触れた事の無い物。柔らかな朝日が、今日という日を祝福してくれる。
そんな、幸せに包まれた朝。
「んん~、良く寝た。こんなに穏やかな朝は、いつぶりかしら」
何に急かされるでもなく、前日の深夜まで働くでもなく。ただ、程よい労働に十分な睡眠。小鳥さんが連れてきてくれたこの修道院で、私は健康な生活を取り戻していた。
まず、クマが消えた。肌に張りと潤いが戻った。髪の毛も、寝る前に香油を塗り込んで手入れした所、たった二週間で驚く程に艶やかな輝きをもった。
そう、二週間。小鳥さんのおかげで、私は修道院のお世話になっている。ここは、聖女として選ばれた者が必要な事を学ぶ為にある学び舎として有名だ。普段は、お貴族様の子女といった身分の方々が、行儀見習い等をしている。
確かに、修道女の方々はみな一様にお上品で、下働きの女性が雑務をしに通っている。普通なら、修道院の運営に必要な雑務は全て修道女達自身で行われるだろうに。なんというか、お上品で余裕があるのも当たり前ねと思ってしまった。ここの人達は、苦労という言葉を知らない。身の回りの事は誰かにしてもらって当たり前で、それはそれは綺麗な手をしていらっしゃる。
ベッドから起きて、朝の身嗜みを整える。その手も、毎晩クリームをつけている為綺麗になってきた。あかぎれも後少しで消えそう。固くなった指先だって、時間をかければ柔らかさを少しずつ取り戻していくだろう。
コトリ
髪の毛を梳いていたヘアブラシを置く。丁寧に梳いた髪は艶々としていた。それを、手早くまとめる。左右に一本ずつ編み込み、三つ編みを作る。全部編んだら、それを頭の左右に固定する。キチンと髪をまとめた姿は、まるでお上品で清楚なお嬢さんが鏡の中でお行儀よく佇んでいるようだ。
おばかさんね、もう30を過ぎたおばさんが、何を考えているのかしら。私ってば、恥ずかしいわ。それもこれも、グリムワルド伯爵のせいだわ。
つい一週間ほど前に知り合った伯爵様を、心の中で責めてみる。思い起こされるのは、素敵に年を重ねた美丈夫の姿。背が高くがっしりとした体躯は若い頃から重ねた鍛錬を雄弁に物語り、かといって武骨さは無くて優雅にモーニングコートを着こなしていらっしゃる。
お会い出来るのは昼間の修道院で、けれどもしも夜会でのお姿を拝見出来たら、きっと素敵なのだろうと想像に難くない。
あの、理知的な瞳に見つめられて、心惹かれない女性はいるだろうか。いるとしたら、素晴らしい自制心だと賞讃を送りたい。
全体的に色素の薄いグリムワルド伯爵は、明け方の夜空がうっすらと夜の名残を残したような、夜明けと明け方の色をしている。
空高く上の方では、夜が名残を惜しむように暁から少しずつ明るさを増した色、紫を帯びた蒼。夜の名残を閉じ込めたような瞳は神秘的で、虹彩によっては微かにグラデーションが見えてまた美しい
地平線から炎が舞い上がるような空の下の方では、明け方の太陽がその輝きを西の空から擡げるようだ。暖かい朱色と橙色の混ざったような髪は、まるで穏やかな炎のように伯爵を彩る。
素敵なのは外見だけではなかった。その誠実な仕事ぶりから、宰相の片腕として城に勤めていらっしゃる。領地経営も順調のようで、そちらは弟さんが代官をされているとか。激務の合間を縫って、ここ一週間程、毎日会いに来て下さる。
そう、毎日、だ。
少し溺愛が過ぎるのでは? と思う。けれど、それを嬉しく思っている自分もいて、困ってしまう。
朝の身嗜みを整えた私は、質実剛健とした修道院服で部屋を後にする。朝食を取りに食堂へ向かいながら、グリムワルド伯爵との出会いを思い出していた。
「君が、キャンディールの見つけた聖女とやらか。いい、そう畏まるな。座りなさい。成る程、確かに神気を纏っているな」
修道院に連れてこられて一週間が過ぎたある日、私は院長の指示で城の政務官殿と面会していた。あの小鳥さん、キャンディールが見つけた当代の聖女として相応しい人物なのか確認されるらしい。
修道院の一室、来賓用の個室で私は緊張からガチガチになっていた。ソファで座って待つよう指示されて、伯爵が来られると同時に直立不動。ピーンと突っ立った私を見かねて、伯爵は優しい言葉をかけて下さった。平民等、貴族の方からすれば顎で使って同然なのに。
「ふむ、確かに、今のアレより余程まともそうだ。体内を巡る神気も申し分ない。あぁ、不躾な真似をすまないな。私は、視る事に特化した家系でね。魔力持ちなんだが、この瞳は血族特性で魔力や神気……人には非ざるモノなんかを見抜く事が出来る。それ故、今回ここへ出向いたという訳だ」
「さようでございましたか。あの、私は教養のない平民でございます。小鳥さんが私の力を解放して下さった事、居場所へ導いてくれた事、とても感謝しております。けれど、私のような者が聖女として勤めるなどと……現在の聖女様はどうなるのでしょうか?」
おそるおそる伺うような私の言葉に、伯爵は一瞬、瞳を見開いて黙った。一呼吸吐き出して、その瞳が先程よりも穏やかなものとなる。
「君は、確かに聖女のようだ。慎ましく、思いやりと分別を持っている。……全く、該当者が居なかったが空席にする訳にはいかないなどと、政の見栄で据えられたインチキ聖女とは大違いだ」
なんだか、後半は随分と砕けた感じで、しかもあまり聞いてはいけないような事だったのではないかしら?
そう、笑顔の引き攣る私に、伯爵は深いため息を吐いて、ゆっくりと紅茶を口にする。
「そうだな、どこから話したものか。代々、この国には聖女という不思議な力を持つ女性が現れ続けていた。選定の儀によって力を発現し、それから個人差はあるが数年を聖女として務めてから、力が弱まってくると次代を選定し引退となる。それが、なぜか20年前の選定の儀から、聖女の力を発現する者があらわれなくなったのだ」
ドキリ、心臓が脈打った。20年前。長男を妊娠して、選定の儀を受けるはずだった私が直前で降りた時。
「それでも、徐々に弱まる力を隠して引退を引き延ばしていたが、数年前にどうにも隠し切れず聖女交代となった。が、相応しい者は相変わらずおらず。仕方なく、魔術に優れた者を偽聖女として祭り上げたのだよ。全く、嘆かわしい事だ」
そうつぶやく姿は、どこか疲労を滲ませており、当代の聖女(偽)はなかなか手を焼く方なのかなと想像する。
「どうやって見出したのかは分からないが、流石は聖獣という事か。キャンディールの奴も、アノ偽物からは手酷い扱いを受けているらしいしな。必死に君を探しあてたのだろう」
その言葉に、胸が痛んだ。見つけた時、キャンディールは翼に傷を負ってなんとか辿り着いたといった様子だった。
もし、もしも、あの傷が現在の聖女(偽)によるものなら、私は彼女を許せそうにない。
「しかし、暫くは君の存在を伏せさせてもらう。君を当代の聖女としてお披露目するにも、準備というものが必要でね。ここは隠れるにも、聖女としての立ち居振る舞いや教養を身に着けるにも、丁度良い。当分の間はここで学んでいてもらいたい」
「あ、は、はい。あの、頑張ります!」
やっと見つけた、私の居場所。努力をすればする程、した分だけの事を修道女の方々は認めてくれる。
理不尽に機嫌が悪いというだけで、八つ当たりされない。みな、理性的に対等な会話が出来る。酷い言葉を投げつけて、傷付く私を見て悦に浸る者も、いない。
ここでは、努力を認められる。ここでは、私を一人の意思ある人だと、認められる。もう、あの狭い鳥籠の中で、羽根を畳んで飛べずにいた私じゃない。
逃げられないように、風切り羽根を切られる小鳥。逃げられないように、日々自尊心を削る言葉を投げかけられ、逃げる余力もないくらいクタクタに世話を言いつけられていた私。
でも、私だって、人間だ。一人の意思ある人間だ。私だって、努力を認められた。頑張ったら、報われたい。
幸せに、なりたい。
それが、誰かの居場所を奪う事になってしまうとしても。そう、現在の聖女へ感じた罪悪感を、心の隅っこへと押しやった。
私も、結構酷いわね。そう、一人胸の奥で呟いて。




