夏 7
「本当にいいの?」
大阪ドームに入り、グッズ売場を通って手荷物検査を経て、チケットの半券を切ってもらったところで、私は麻里を呼び止めた。
廊下の窪みに身を潜めて、私は一枚のチケットを見せながら席を交換しないかと持ちかけた。
麻里は驚いた顔で私の顔と差し出しているチケットを見比べた。
麻里に差し出している手には……そう、昨日鷹尾からもらったチケットが握られている。
「なになに。現実のオトコの方が良くなった?」
にやにやする麻里に顔をしかめる。麻里の頭のなかには鷹尾地味バージョンが私と手を繋いでいるところでも浮かんでいるのだろうか。
「そんなんじゃないったら」
「でもさ、このチケット……すんごい前だよ? 前の由紀ならこんなチケット譲るなんて絶対言わないでしょ」
それはそう。こんな間近でK’sを見られる席を手に入れたなら、誰に羨ましがられようが羽が生えたように高笑いでもしながら席へ飛んで行っていただろう。ましてや人に譲るなんてあり得ない。
どうしてこんな気持ちになるのか分からない。
「だって……これ、きっと鷹尾のだよ。……キモチワルイ」
「はぁ?」
もぎりまで通過しておきながら何を言ってるんだと麻里の顔にはっきり書かれている。私だってそう思う。
でもこれよく考えたら怖いよ。ここまで拉致しておきながら、簡単に手を離したかと思うと、手渡されたプラチナチケットだよ。
「だって、私のとった席……じゃなかった」
「んじゃ、チケット入れ替わったってこと?」
「……」
詳しいことは言えないと、沈黙してしまう。
もちろん夏のツアーチケットはファンクラブを通してずいぶん前に申し込んでいた。まだ補習で夏休みがつぶれる未来も、鷹尾の正体を知ってしまってこんなプラチナチケットを手にいれる未来も知らなかった頃に。
だが、そのチケットは私の部屋の机の引き出しの中だ。
麻里は何も言わないことを肯定ととったようだ。
「鷹尾にジュースぶっかけられたって言ってたじゃん。罪滅ぼしってことでもらっとけば? っていうか、鷹尾が男アイドルのファンだったとはね。まだ有村莉沙の追っかけって言われたほうが納得かも」
あはは、と麻里が笑った。有村莉沙は男子に人気のアイドルで、中学館の週刊漫画雑誌にグラビアが載っただけで雑誌の売上が二倍になると言われている。ほっそりした身体。いやらし過ぎない程度に膨らんだ胸。長いストレートの黒髪にぱっちりの目。今世紀最後の正統派清純アイドルというのが売りだそうだ。
「こんな席、株主でもなきゃ取れないんじゃない? 鷹尾何者なわけ? まあ……そんなに嫌なら代わってあげるよ。チケットに罪はないし、実は喉から手が出るほど欲しいとは思ってる」
「棚からぼた餅過ぎてキモチワルイから交換してして」
まさか今度は麻里が拉致されるとは思わないけど、少しの罪悪感が生まれた。でもたぶん大丈夫。
大丈夫だと思ってるならなんで自分が座らないんだ。
心の中でそうせめぎ合う。
麻里は一瞬俊じゅんした後、チケットを手にとった。
「仕方がないなあ。てか、ラッキー! 気が変わってももう返さないからね」
「うん」
「んじゃ、由紀はこっちの席」
代わりに麻里のチケットが手に載せられた。こちらだってそんなに悪い席ではない。プラチナチケットが正面の真ん中なら、どうしても背中を見ることが多くなってしまうとはいえ、結構前の方のおいしい場所だった。
そして私は麻里と待ち合わせの時間を決めて、それぞれの席へと別れた。