第1話「死ぬなと言われても」
「二湖っ! 死ぬな!」
病室の窓から差し込む薄明かりが、いつの時刻を示しているのか判断することができない。
窓硝子越しに痩せ細った自分の体を見ることも、青白い肌も確認することができない。
「まだクリアしてないんだからっ!」
長きに渡る闘病生活が、ようやく終わろうとしている。
やっと苦しみから解放されることに安堵したいはずなのに、俺の頭は姉ちゃんの声に支配されていく。
「菓子職人リアムと、まだ付き合ってないの!」
比較的、症状が軽かった頃。
姉ちゃんは『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』というタイトルの乙女ゲームの話を聞かせてくれた。
「リアムルートの攻略が終わったら……」
攻略キャラクターは全部で、五人。
虐げられポジションのキャラの隠しルートも用意されていて、全部で六人の男性との恋愛を楽しむことができるらしい。
「グランドエンディングが待ってるんだから!」
ベッドの傍には、家族が集まっている。
俺の手を握りしめる姉ちゃんは涙を拭いながら何かを伝えるけど、もうその言葉を聞き取る元気すらない。
「死ぬな! 物語は、ハッピーエンドで終わるものって決まってるの!」
呼吸が次第に浅くなり、そのときが来たのだと察する。
「お目覚めですね、おはようございます」
俺は亡くなったはずなのに、次に目を覚ますと白い天井が視界に入ってきた。
病室に魂を置いてきてしまったのかと思って体を起こすと、自分は床に横たわっていたのだと気づかされる。
「おーい、こっちですよ」
まるでゲームの世界に登場するような美しい金色の髪を持ち、透き通るような白い肌の女性が俺のことを覗き込んでくる。
俺を見つめる瞳は深い青で、服装は純白のドレス。
天使に迎えられたのかと思ってしまうほど清楚な女性が、俺との距離を縮める。
「私は貝沼二湖さんの異世界転生をお手伝いします、女神です」
女神様は事情も呑み込めずにいる俺に優雅な笑みを向けて、これは現実なんだということを教えてくる。
まるで花びらが舞うような煌びやかな光の粒をまとっていて、彼女が人間でないことだけは頭が理解し始める。
「本当にあるんですね、異世界転生って……」
「平均寿命まで生きられなかった方限定、ですけどね」
頭を抱える俺に対して、女神様は優しい笑みを浮かべ続ける。
言葉を失ってばかりいられない事態が起きていることを自覚して、俺は頭を抱えた手を下ろす。
そして、女神様と向き合う覚悟を決める。
「七日間限定で、『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』の世界に転生することができます」
「七日間? 『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』?」
物語の世界にしか登場しない女神様と向き合う決意を固めたっていうのに、彼女は理解が難しそうな単語を二個も投げ込んできた。
「七日間であれば、どんな能力も、どんな地位も、どんな生活環境も自由自在に変更が可能です」
お買い得セールに居合わせたときのような、陽気な声を向けてくる女神様。
彼女の言葉が本物なら、俺はとんでもないチート能力を授かって、異世界を無双することだって可能ということ。
「あの……なんで七日間限定? なんで『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』……」
「七日間は生まれ変わるまでに必要な日数」
「書類の手続きみたいな……?」
「『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』の世界観限定なのは、二湖さんのお姉さんの未練が届いたということです」
お姉さんの未練という言葉には、ちゃんと耳が引っかかりを覚えた。
「姉ちゃんの、未練……」
「強い気持ちは、死後もさ迷うものですから」
「姉ちゃん、生きてんのに……」
病気を理由に、俺は学校にほとんど通うことができなかった。
俺の記憶に残っている青春は、すべて『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』関連のものばかり。
楽しかった日々、苦しかった日々、そして姉ちゃんが愛する彼との絆。
顔すらぼやけている攻略キャラクターとの思い出が、人生を終えた俺の記憶に刻まれている。
「何を望みますか? 定番としては、魔王を討伐する無敵の力などで……」
「そんな力、必要ない」
痛みと苦しみの中で、俺が希望を持ち続けられた理由。
それは、姉ちゃんが『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』を通して俺に青春を与えてくれたから。
「俺が欲しいのは、健康な体」
乙女ゲーム『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』は、王宮菓子職人を目指す主人公が意中の相手と夢を叶えていく姿が胸打たれる作品。
今どき流行らないと言われる努力をテーマにしたゲームで、ミニゲームのお菓子作りの難易度が高すぎだろと一部では糞ゲーム扱いされていると聞いている。
「七日間、美味い菓子を食べまくりたい」
でも、糞ゲームだろうと、なんだろうと構わない。
人生のほとんどを部屋の中で過ごしてきた俺にとって、貴重な青春を与えてくれたのは紛れもなく『お菓子の国の魔法使いと恋のレシピ』という乙女ゲーム。
努力することでハッピーエンドを迎えられるなら、こんなにもいい人生はない。




