第6話 【土いじり魔法】で見つけた伝説の聖剣
人は、愛してやまない推しの『輝かしい成長』を目の当たりにすると、わりと本気で全宇宙に感謝したくなる生き物である。
少なくとも私はそうだ。
朝の訓練場の隅。
まだ空気がひんやりと冷たくて、芝生の先に朝露が光っている時間帯。
そこで一人、木剣を懸命に握りしめる幼いレオン様を見つめながら、私は危うく胸の前で両手を組み、「尊い……」と祈りを捧げそうになっていた。
いや、だって。
見てほしい。
最近のレオン様、ちょっとずつ、でも確実に変化してきているのだ。
顔色がいい。
目の下の痛々しい隈が薄い。
手足はまだ細いけれど、以前みたいな『折れそうな危うい儚さ』一辺倒ではない。栄養満点のバフ飯効果により、ちゃんと“育つ途中のしなやかな筋肉”がつきはじめた。
何より、木剣を握る指先と眼差しに、前を向く迷いのない力が宿りはじめている。
尊い。
あまりにも尊すぎる。
成長途中の推しの姿、もうそれだけで存在自体が奇跡のご褒美である。
しっかり食べて、安心して眠って、少しずつ前を向けるようになってきた――その尊い変化の積み重ねが、今日も朝日を浴びてきらきらと輝いているのだ。限界オタクの情緒が保つわけがない。
こんなのもう、実質的に奇跡の特別ライブ映像だろう。しかも最前列VIP席。毎日開催。しかも無料。
ありがとうございます世界。ありがとうございます転生神様。
「クロエ」
不意に呼ばれて、私ははっ! と我に返った。
しまった。
あまりに真顔でガン見しすぎて、またしても“温かく見守るメイド”の範疇を大きく逸脱して、ただの不審な信者になっていたかもしれない。
いけないいけない。私は怪しい過激派信者ではない。いやだいぶ信者だけども。外から見える範囲では、頼れる有能メイドで通したいのだ。
「はい、レオン様。いかがなさいましたか?」
「……さっきから、ずっと僕を見てる」
「はい。舐めるように見ております」
「……変?」
「とんでもありません。国宝級にとても素敵です」
「……そういうことじゃない気がする」
小さく眉を寄せながらも、レオン様はほんの少しだけ口元を緩めた。
あっ。
今、笑いかけた。
危ない。朝から心臓に悪い。推しの無自覚な微笑みは、常に急所への致命傷である。
私は内心で胸を押さえつつ、慌てて話題を整えた。
「剣の振り方が、前よりずっときれいになっていらっしゃいますね」
「……ほんと?」
「ええ。足の運びも、腕の軌道も、前よりぶれが少なくなりました」
「クロエに言われると……ちょっと、うれしい」
「…………っ」
駄目だ。
こんなふうに上目遣いで真っ直ぐ言われると、本当に駄目だ。
どうしてこの子は、時々こう、不意打ちでオタクの心の柔らかいところを的確に撃ち抜いてくるんだろう。
しかも本人に悪気がない。
無自覚。
最強の天然タラシ。
将来が思いやられる。いや楽しみでもある。だが今は八歳の破壊力ですらこの有様なのだ。青年期の最強公爵令息になったら、私の情緒はどうなってしまうんだ。灰すら残らないのでは?
私はどうにか表情筋を引き締め、平静を装いながら咳払いした。
「ですが、やはり独学での素振りだけでは限界がありますね」
「……げんかい?」
「はい。本格的にお強くなられるなら、きちんとした技術を教える『師』が必要です」
「……先生、ってこと?」
「そういうことです」
レオン様は木剣を抱えたまま、少しだけ視線を落とした。
「……でも、僕に教えてくれる人なんて、この屋敷にはいない」
「います」
「……え?」
「いなければ、私が探します」
「……そんなに簡単に?」
「簡単ではありませんが、そこはほら、私ですので」
我ながらだいぶふわっとした、根拠のない説得である。
だが、本音だ。
この子には絶対に必要だ。
正しい技術を教えてくれる人が。
体の使い方も、剣の握り方も、強さの意味も、ちゃんと真っ直ぐに教えてくれる大人が。
ゲームの設定でも、レオン様が『剣と魔法の圧倒的な才』に恵まれていることは明言されていた。
でも本来のバッドエンディングルートでは、その才能は孤独や憎しみの中で歪に尖っていき、最終的に彼を破滅させる刃となる。
だからこそ、今ここで必要なのは、“ただ強くなる”ことではない。
この子の尊厳を傷つけずに、ちゃんと見守り、育ててくれる『導き手』だ。
私は静かに決意した。
必要なら探す。
必要ならバフ飯で釣る。
必要なら、世界の果てからでも掘り当てる。
……ん?
掘り当てる?
そこで私は、ぴたりと動きを止めた。
掘る。
土をいじる。
畑を耕す。
庭を整える。
……待って?
私のオタク脳内で、またしても『嫌な予感』と『過剰な期待』が同時にぴこん! と点灯した。
◇ ◇ ◇
その日の午後。私は屋敷の裏庭の、人気のない片隅にいた。
表向きの理由は単純だ。
北棟の空きスペースに、小さな家庭菜園でも作れないかと思ったのである。
もちろん、建前である。
いや、半分くらいは本気だけれども。
だって考えてみてほしい。
推しに安全で栄養価の高い食材を、今後も安定供給したい。そのために【鮮度保持庫】というチートストレージもある。ならば次は『無農薬の自家栽培』では? という発想に至るのは、限界オタク兼生活基盤整備担当としては極めて自然な流れだ。
しかも、土に触る系統の生活魔法があれば、畑づくりだってかなり効率的に進むはず。
そして何より――私は今、“土をいじる”という行為そのものに、並々ならぬ妙な予感を覚えていたのだ。
掃除は『国宝級の絶対防御結界』。
煮沸は『猛毒のバフ旨味変換』。
鮮度保持は『時間凍結の異空間保管庫』。
草むしりは『呪われた沼のラスボスごと引っこ抜いて霊薬の園を爆誕』。
だったら、『土いじり』だって、たぶん穏便には済まない。
怖い。
自分の魔法のインフレが本当に怖い。
でも、やらない理由もない!
私はしゃがみ込み、地面の土へそっと手を触れた。
あたたかい。
陽を浴びた土の匂いが、指先を通してじんわり伝わってくる。
表面はやや硬いが、奥はまだやわらかい。意地悪な庭師の手が行き届かない片隅だからこそ、かえって余計な手が加わっていない自然な感じがあった。
「……よし」
私は深く、覚悟を決めて息を吸い込んだ。
思い描くのは、畑を耕すこと。
土をほぐし、空気を入れ、水はけを整え、根が育ちやすいようにする。
硬いところはやわらかく。
乱れたところは整えて。
もし地中に埋もれているものがあれば、決して傷つけないよう、そっと見つけ出す。
ただ、それだけ。
うん。
ただの平和な土いじり。
たぶん。
きっと。
おそらく。
「【土いじり】!」
次の瞬間。
ぶわぁぁぁっ! と。
やわらかくも強力な金色の光が、私の手の下から水面の波紋みたいに広がった。
土が、さざ波のように揺れる。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れた。
これまでの規格外っぷりからすると、「隕石でも落ちてくるのでは」ともっと派手な何かを覚悟していたのだが、最初の反応は驚くほど穏やかだった。
地面がふっくらと盛り上がり、硬かった土は見る見るうちにやわらかく、粒の細かな理想的なふかふかの状態へ自動で変わっていく。
雑草の根や小石はきれいに脇へ分けられ、家庭菜園用の完璧な畝が自然に整っていく。
すごい。
便利。
これは本当に、ただの生活魔法っぽい。
いや今までもいちおう家事の延長ではあったけれど、今回は特に“畑仕事の達人が一瞬で整備しました”感がすごい。
なんだ、今日は比較的穏便では? やればできるじゃないですか私の生活魔法。ちょっと見直しましたよ。
……などと、そんなふうに油断して安心したのが、良くなかった。
ぐんっ! と。
不意に、手のひらの下から『とてつもなく重い魔力の手応え』が返ってきた。
「……ん?」
土のずっと奥。
何かがある。
石、ではない。
木の根、でもない。
もっと細長くて、硬くて、途方もない神聖な気配を持った人工的な質感のもの。
私は目を瞬かせた。
えっ。
なにこれ。
宝箱発掘イベント?
いやいや、庭の片隅にそんな都合よくレアアイテムが埋まっているわけ――
その時、地中の光が一気に強まった。
地面が、ごごごごごっ!! と低く震える。
私は慌てて飛び退いた。
「えっ、ちょっ、ちょっと、待っ――」
言い終わる前に、土が左右へ大きく割れた。
そして。
眩い銀の光をまとった『何か』が、まるで“発掘されるのを千年待っていた”みたいに、するりと地中からせり上がってきた。
「…………」
私は固まった。
剣だった。
一本の、あまりにも見事な剣だった。
鞘に収められたままなお隠しきれない、圧倒的な気品と魔力。
柄には、古い王家の紋章に似た意匠。
鍔には透明な青い宝石が嵌め込まれ、鞘そのものにも神聖な魔力がドクン、ドクンと脈打っている。
いや待って。
待って待って。
これ、普通の庭からひょっこり出てきていい代物じゃなくない?
私はおそるおそる近づき、乾いた喉を鳴らした。
「……うそでしょ」
モブメイドであるクロエの記憶にはない。
けれど、限界オタクだった前世のゲーム知識が、脳内で派手に警鐘を鳴らしていた。
知ってる。
これ、見たことがある。
公式設定資料集だ。王国史のページの端っこに、デカデカと挿絵付きで載っていた。
――初代国王が魔竜を討ち果たしたと伝わる、伝説の聖剣『エクスカリバー(仮)』。
本来なら、王城の地下深くか、危険な古代遺跡の最奥か、もしくは物語終盤の特別イベントで名前だけ出てくるような、そういう超重要ポジションの代物。
それがなんで、公爵家の裏庭から大根みたいに出土するんですか?
意味がわからない。
本当にわからない。
土いじりってそういうことでしたっけ? 私の魔法、完全に『ガチャのSSR確定演出』になってない?
私は震える手で口元を押さえた。
落ち着け、私。
まずは状況整理だ。
私は裏庭で畑を耕そうとした。
土いじり魔法を使った。
そしたら伝説の聖剣が出てきた。
……整理しても意味がわからない。
その時だった。
「クロエ!」
背後から声がして、私はびくっ! と振り返った。
駆けてきたのはレオン様だった。
どうやら私が裏庭にいると聞いて、様子を見に来てくださったらしい。
ああもう、走ってくる姿すらかわいい。
でも今はそれどころじゃない。
いえ本当は常にそれどころなんですけど。今は特に状況が状況だ。
「レオン様、危ないですから下がって――」
「……なに、それ」
レオン様は、土からせり上がった聖剣を見て、ぴたりと足を止めた。
蒼い瞳が、静かに見開かれる。
その瞬間、空気がビリッ! と変わった。
剣が。
ほんのわずかに、彼に呼応するみたいに光ったのだ。
「…………」
私とレオン様は、同時に黙った。
うわ。
嫌な予感がする。
しかも、たぶん当たるやつだ。王道ファンタジーの鉄板展開だ。
レオン様は、まるで何かに強く引かれるみたいに一歩、また一歩と近づいた。
私は止めようとして、結局止められなかった。
だって、剣を見つめるその横顔があまりにも真剣で、美しかったから。
小さな手が、そっと柄へ伸びる。
そして。
かちり、と。
運命の鍵が外れるような音がした。
次の瞬間、鞘から抜かれた剣身が、白金の光をまっすぐ天高く放った。
「うわっ……!」
思わず目を細める。
美しかった。
剣身は曇りひとつなく、朝露を宿した月光みたいに透き通っている。
そこに刻まれた古代文字が、淡く青く脈打っていた。
そして、レオン様の手に握られた瞬間。その剣は“千年の時を超えて初めて正しい持ち主に触れた”みたいに、歓ぶように震えたのだ。
私は完全に絶句した。
あ。
駄目だ。
これ、完全に“選ばれし者(勇者)の覚醒イベント”だ。
どうしよう。
推しが聖剣に選ばれてしまった。
いや知ってる。もともとこの子はそういう最強の器の持ち主だ。
でも、こんな序盤も序盤、裏庭の家庭菜園予定地で起こるイベントではなくない?
普通もっと、厳かな神殿の最奥とか、命懸けの試練の間とか、少なくとも雰囲気のある場所で劇的なBGMとともにやるやつでしょう!
こんな日常の片隅で「抜けました」って、風情がなさすぎる!
「……軽い」
ぽつりと、レオン様が呟いた。
「それはもう、運命の相手だから補正がかかっているのでは……」
「くろえ?」
「いえなんでもありません」
危ない危ない。
オタクの早口解説と感想が漏れかけた。
レオン様は、眩い剣を握ったまま静かに目を伏せた。
その横顔には、不思議なほど迷いがなかった。
「これ……僕の手に、すごく、なじむ」
「そう……みたいですね」
「初めて触ったのに。変なのに」
「そうですね……でも、たぶん変じゃありません」
私は荒ぶる息を整えながら、そっと答えた。
「きっと、その剣がレオン様を選んだんです」
「……僕を?」
「はい。あなただけを」
選ぶに決まっている。
あなたは将来、誰よりも強く、美しく、孤高で、そして痛々しいほど高潔な最強の騎士になる人なんだから。
むしろ今まで土の中で眠っていたほうが不思議なくらいだ。
もちろん、それを今のレオン様へ全部ぶつけるわけにはいかない。
でも、本心の熱は隠しきれなかった。
「レオン様だから、です」
静かに、でもはっきり言う。
すると、レオン様は少しだけ目を丸くした。
それから、また剣を見下ろし、そっと柄を握り直す。
「……クロエは、すごいね」
「え?」
「土、さわってたら、こんなの出した」
「そうですね……私もだいぶ自分の魔法に驚いております」
「びっくり、してる顔してる」
「ええ。かなり」
「でも、ちょっと嬉しそう」
「それはもう。推し――いえ、レオン様に最高に似合う剣が見つかったので」
「……にあう?」
あ。
またやった。
最近ちょくちょく本音が漏れるな。いけない。だいぶいけない。
だが、レオン様は嫌がるどころか、少しだけ頬をやわらげた。
「……そっか」
うう。
その反応。
それはずるい。
“自分に似合う”なんて肯定の言葉、今までどれだけ与えられてこなかったのだろう。
そう思うだけで胸が締めつけられる。
私は聖剣を見つめた。
だが、問題は次だ。
聖剣を手に入れたはいい。
しかし、ただの素振りの延長で使い方がわからなければ、宝の持ち腐れである。
それどころか、変に目立って継母や周囲に注目されれば、厄介ごとの火種になりかねない。
必要なのは、この聖剣の価値を正しく知り、しかもレオン様に正しい形で剣術を教えられる圧倒的な実力者。
つまり――『師匠』だ。
……本当に、大至急必要になってしまった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、私はとある人物の噂を思い出していた。
屋敷の古株の下男たちが、酒の席でたまに話していた与太話。
王都から少し離れた森の外れに、偏屈で気難しい老人が住んでいるらしい。
ただの変人かと思いきや、実は昔、王国でも名を知られた剣の達人だったとか何とか。
今は隠居して誰にも剣を教えず、近寄る者も追い返すのだという。
……怪しい。
だが、怪しいくらいでちょうどいい。
しかも私は知っている。
ゲーム設定資料の隅に、“一度は王命で指南役候補に挙がったが、本人が辞退した伝説級の剣聖”の存在が書かれていたことを。
名前まで一致するかは曖昧だが、時期と居場所がだいたい噛み合う。
見つけた。
というか、完全に点と点が繋がった。
聖剣。
才能。
そして隠遁した剣聖。
これはもう、王道ルートである。
推し育成ルートの、かなり大事な特大分岐点イベントである。
私は一人、北棟の自室で拳を握りしめた。
よし。
行こう。
会いに行こう。
たとえ相手が気難しかろうが偏屈だろうが関係ない。
うちの陣営には今、伝説の聖剣と、伸び盛りの最推しと、私のチート生活魔法による高栄養バフ飯があるのだ。
教育環境のプレゼン材料としては、だいぶ強い。
「……クロエ」
不意に扉の向こうから呼ばれて、私は慌てて顔を上げた。
開けると、そこには寝間着姿のレオン様がいた。
「どうされました?」
「……さっきの剣のこと、考えてた」
「……はい」
「僕、あれ、持ってていいのかな」
「いいに決まっています」
食い気味の即答だった。
レオン様は瞬きをした。
私は少しだけ声をやわらげる。
「あの剣は、レオン様を拒まなかった。むしろ、あなたをずっと待っていたみたいに見えました」
「……待ってた」
「ええ」
「僕なんかを?」
「“僕なんか”ではありません」
私はしゃがみ込み、まっすぐ彼の蒼い瞳を見る。
「レオン様は、聖剣に選ばれるにふさわしい方です」
「……」
「それに、あの剣が今日現れたのは偶然じゃない気がします」
「どうして?」
「必要な時に、必要なものが来たんです」
自分で言いながら思う。
本当にそうなのだ。
この世界に来てから、私はずっと“必要な時に必要なもの”を掘り当て、浄化し、変換し、整え続けている。
まるで世界そのものが、“この子を最強に育てろ”と背中を押しているみたいに。
もちろん、気のせいかもしれない。
でも、そう思えるくらいには、今までの流れがあまりにも出来すぎていた。
レオン様は、少し黙ってから、小さな声で聞いた。
「……じゃあ、僕……もっと、強くなっていいのかな」
「いいんです」
「ほんとに?」
「はい。誰よりも」
私は、胸の奥にあるまっすぐな願いを、そのまま言葉にした。
「強くなってください」
「……」
「誰にも踏みにじられないように。もう理不尽に奪われないように」
「……」
「そして、あなた自身が望む未来を、ちゃんと選べるくらいに」
レオン様の蒼い瞳が、じっと私を見つめていた。
その視線の重さが、少し前よりも確実に増している。
怯えや不安だけじゃない。
絶対の信頼と、期待と、もっと深くて重い何かが、静かに沈みはじめている。
危ういくらいに純粋で、まっすぐで。
だからこそ尊くて、だからこそ責任重大だった。
やがて、レオン様は小さく頷いた。
「……うん」
「はい」
「僕、強くなりたい」
「ええ」
「クロエが、びっくりするくらい」
「私はもう、毎日あなたの成長にびっくりしておりますが」
「……もっと」
思わず、ふっと笑ってしまった。
ああ、よかった。
その言葉が聞けたなら、もう十分だ。
◇ ◇ ◇
翌朝。
私はさっそく、行動を開始した。
向かう先は、森の外れ。
噂の『伝説の剣聖』が隠れ住むという小さな家だ。
もちろん、一筋縄ではいかないだろう。
気難しい偏屈な老人だという。
そう簡単に身分を隠した公爵令息の弟子入りを認めるとも思えない。
だが、私には確信があった。
最強の聖剣がある。
レオン様の圧倒的な才能がある。
そして、何より――私には、『食で相手の胃袋と心を物理的に攻略する』という、極めて地に足のついた強みがある。
どれほど偏屈でも、どれほど頑固でも。
結局、人は『極上のうまい飯』と『本物の才能』には弱いのだ。
私は【鮮度保持庫】を開き、中から選りすぐりの肉を取り出した。
前に裏山で確保した、高位魔獣の極上部位。
これをやわらかく煮込み、香草をきかせて、頑固老人でも思わず黙るような最高の一皿に仕上げる。
ふふ。
勝ったな。
いや、まだ会ってもいないのに勝利を確信するのは早いかもしれない。
でも、推しのために用意した本気のバフ飯は、それだけの説得力(物理)がある。
むしろ問題は、相手がその真の価値を理解できるかどうかだ。
「クロエ」
背後から声がして振り向くと、レオン様が扉のそばに立っていた。
まだ少し眠たげなのに、ちゃんと着替えて、こちらを見ている。
「おはようございます、レオン様」
「……何してるの」
「輝かしい未来への布石です」
「……ふせき?」
「ええ。とても大事な、弟子入り交渉用の『最強のお弁当』作りです」
「おべんとう……」
その響きに、レオン様が少しだけ首を傾げる。
かわいい。
朝の最推し、やはり破壊力が高い。
でも今は耐える。今日は勝負の日なのだ。
私はにっこり笑った。
「剣を教えてくださるかもしれないお方に、会いに行ってまいります」
「……ほんとに、見つけるの?」
「見つけます」
「……クロエは、なんでも見つける」
「そうですね。わりと掘り当てがちです」
「……この前みたいに?」
「はい。この前の聖剣みたいに」
レオン様は少し考えて、それからぽつりと言った。
「……じゃあ、先生も、見つかる気がする」
「見つかりますとも」
「……うん」
その“うん”には、もう前みたいな弱々しい響きだけではなく、静かな期待と確信が混ざっていた。
私は胸の中で、そっと拳を握る。
任せてください、レオン様。
あなたに必要なものは、私が全部見つけてきます。
安心できる居場所も、おいしい食事も、聖剣も、師匠も。
あなたの未来に足りないものがあるなら、世界の果てだって掘り返してみせる。
だって私は、あなたの限界オタクであり、専属メイドであり、生活基盤と成長環境を最強にするために転生してきた女なのだから。
――そしてこのとき、私はまだ知らなかった。
これから会いに行く偏屈な老人が、私たちが持参した聖剣を一目見ただけで顔色を変え、レオン様の天賦の才と、私の用意した“超強力バフ飯”の両方に度肝を抜かれることを。
その結果、当初は「帰れ!」と追い返す気満々だったはずの伝説の剣聖が、信じられないほどあっさりと陥落することを。
そして。
その日を境に、レオン様の“剣の才能”が、もはや誰にも隠しきれない異常な速度で花開いていくことを。
このときの私はただ、
「よーし、偏屈老人攻略イベント開幕ですね! 飯テロと聖剣と推しの可愛さで押し切るぞ!」
などと、たいへん元気に燃えていたのである。




