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第4話 【鮮度保持魔法】が生む規格外の肉体

 この世には、どうあがいても絶対に許してはならないものがある。


 たとえば、育ち盛りの最推しに、まともな食事すら与えようとしない腐った世界とか。

 たとえば、これからすくすくと大きくなるべき八歳児を、枯れ枝みたいに細いまま放置する冷血な屋敷とか。

 たとえば、あれだけ美しく高貴で尊くて可憐で、なおかつ将来は顔面国宝級の冷酷最強公爵令息へと成長する予定のレオン様の健康状態が、現時点であまりにも“儚げな美少年”に極振りしすぎている現状とか。


 いや、儚げなのはいい。

 推しの儚さは、オタクにとっては美徳だ。

 薄幸そうな眼差しも、折れそうなほど華奢な肩も、胸をぎゅっと締めつける強烈な庇護欲を掻き立てるという意味では、大変にすばらしい。眼福である。

 だが、しかし。

 今のレオン様に本当に必要なのは、そういう観賞用の儚さではない。


 健康だ。

 体力だ。

 筋力だ。

 圧倒的な栄養だ!

 つまり、推しが理不尽な世界を生き抜き、最強のハッピーエンドを自らの手で掴み取るための、強靭な『フィジカル基盤』である!


 私は真顔で、朝食後のレオン様をじっと見つめた。


 浄化結界によって清浄に整えられた部屋。

 あたたかな日差し。

 澄みきった空気。

 そして、私にほんの少しだけ懐いてくれた、白銀の髪の幼い最推し。


 うん。

 やっぱり細い。圧倒的に細すぎる。


 もちろん、昨日までより顔色は劇的に良くなっている。

 毒イベントを極上の美味バフスープに変換したおかげで、目の下の暗い隈もずいぶんと薄くなった。

 それでもまだ、服から覗く手首も首筋も、驚くほど華奢だった。

 大人の醜い悪意に晒されるにはあまりにも小さく、あまりにも頼りない。


 私は胸の前で、ぎりっ、と固く拳を握りしめた。


 だめだ。

 これではだめだ。

 このままでは将来の剣術無双も魔法無双も以前に、まず健やかな成長という基礎土台が危うすぎる。


 推しの幸福は一日にして成らず。

 そして鋼の肉体は一朝一夕では育たない。

 つまり、今ここで最優先で発動すべきは、大規模な『推し栄養改善・肉体改造計画』である。


「……クロエ?」


 はっとして顔を上げると、レオン様が不思議そうにこちらを見上げていた。


 しまった。

 どうやら私は、かなり深刻で危うい顔つきで、最推しの細腕をガン見していたらしい。

 傍から見たら怖い。だいぶ怖い。通報一歩手前の熱量だ。

 落ち着け私。私は不審者ではない。推しの健康を憂う、善良で有能な専属メイドである。


「どうかしましたか?」

「……僕の顔、へん?」

「いいえ。とんでもなく整っております。国宝級です」

「……?」

「いえ、なんでもありません」


 危ない。

 限界オタクの本音がまた漏れた。

 だが事実なので仕方ない。推しの顔面は朝から最高水準の芸術品なのだ。


 私はこほんと一つ咳払いをして、極めて真剣な表情を作った。


「レオン様。ひとつ、ご相談があります」

「そうだん?」

「はい。これから、レオン様にはもっとたくさん、ごはんを召し上がっていただきたいのです」

「……ごはん?」

「ええ。温かくて、おいしくて、栄養がたっぷりと詰まったものを」

「……そんなに、食べなくても平気」

「平気ではありません」


 つい食い気味に強く言ってしまって、私は慌てて声をやわらげた。


「すみません。でも、本当に大事なことなんです。体が弱っていると、寒さにも疲れにも負けやすくなってしまいますし……」

「……」

「レオン様には、もっと元気になっていただきたいんです」


 私がまっすぐにそう告げると、彼は少しだけ視線を伏せた。

 長い銀糸の睫毛が、白い頬に影を落とす。


「……僕、あんまり、たくさん食べると……お母様に、怒られる」

「…………」


 私は静かに、天井を仰いだ。


 ああ、そうでしたね。

 そうでしたとも。

 この屋敷、推しの人生において“だいたい全部の元凶が棲んでいる最悪の魔窟”でしたね。


 育ち盛りの子どもに対して、お腹いっぱい食べることすら遠慮させるとか、どういう倫理観なんですか?

 栄養は子どもの未来だぞ?

 食卓の充実度は生存権だぞ?

 しかも相手は将来、この国でも屈指の美形かつ最強クラスの騎士になる逸材だぞ?

 投資不足にもほどがあるだろうが! 私がパトロンなら屋敷ごと買い取って札束で引っぱたいているところだ!


 怒りのボルテージが一瞬で振り切れそうになるのをどうにか奥歯を噛んで飲み込み、私はにっこりと、この世で一番優しい顔で微笑んだ。


「絶対に怒られません」

「でも……」

「もしレオン様が食事をすることに文句を言う人がいたら、私が全力で、物理と魔法で対処します」

「また、それ」

「またです。私はしつこいので」


 レオン様は、大きな蒼い瞳で私を見上げた。

 そこには、まだ過去のトラウマによる遠慮と戸惑いがある。

 けれど、もう完全な拒絶や諦めだけではない。

 少しずつ、少しずつ――私の言葉が、この子の中の柔らかい部分に届きはじめている。


 そのことが嬉しくて、胸の奥がじんわりと熱くなった。


「それに」

 私はできるだけ明るい声で続けた。

「おいしいものをたくさん食べると、背もすらっと伸びますし、体も丈夫になりますよ」

「……じょうぶに?」

「はい。たとえば、たくさん走っても疲れにくくなったり。剣を振っても腕が痛くなりにくくなったり」

「……強く、なれる?」


 その問いに、私は一瞬だけ目を見張った。


 強くなりたい。


 その言葉は、小さくて、かすれていて。でも、はっきりとした熱を宿していた。


 ああ。

 やっぱりこの子の中には、もうちゃんとあるのだ。

 傷ついても壊れきらず、自らの足で立ち上がろうとする強靭な意志が。

 何度踏みつけられても決して消えない、尊くてまっすぐな魂の芯が。


 私は深く微笑み、力強く頷いた。


「ええ。きっと、誰よりも強くなれます」

「……そっか」


 レオン様は、ごく小さな声でそう呟いた。

 その響きに、ほんのわずかでも未来への希望が混ざっているように思えて、私は心の中で盛大にガッツポーズを決めた。


 よし。

 栄養改善計画、ご本人の合意を獲得。

 次のミッションはただ一つ。


『高栄養・高品質・安全安心・継続供給可能な最強食材の確保』である。


 ◇ ◇ ◇


 だが、現実は厳しい。


 私は昼過ぎ、厨房の食材庫の前で、腕を組んで立ち尽くしていた。


 公爵家の屋敷だけあって、表向きの食材は決して貧しくない。

 貴重な香辛料も、上質な小麦も、新鮮な乳製品も、それなりに揃っている。

 旦那様や継母、あの傲慢な異母弟の食卓に並ぶ分には、見栄えも味もそこそこ整っているのだろう。


 だが――レオン様に回せるもの、となると話はまったくの別だ。


 露骨に質が落ちる。

 露骨に量も減る。

 そして何より、あの継母派の使用人どもが関わる限り、安全性に著しい不安(というか毒)がある。


「だめだ……」


 私は低く唸った。


 これでは足りない。

 足りなさすぎる。

 推しを最強の騎士に育てるには、もっと純度が高くて良い食材がいる。

 もっと新鮮で、もっと栄養価が高く、もっと安心してたっぷり食べられるものが。


 とはいえ、屋敷の外へ自由に買い出しへ出るには限界がある。

 そもそも私は下っ端のモブメイドだ。高級食材を好き勝手に仕入れられる立場ではない。

 どうする。

 どうする、私。


 その時だった。


 ふと、裏手の窓の向こうに、こんもりとした森が見えた。


 屋敷の裏山。

 人の手があまり入らない、鬱蒼とした深い林。

 クロエの記憶を探ると、使用人たちはあまり近寄りたがらない場所らしい。凶悪な魔物や獣が出るとか、出ないとか。いわくつきだとか、なんとか。


 そして、私の中の『限界オタク兼実務担当メイド脳』が、ぴこーん! と音を立てて閃いた。


 ……待って?


 裏山ってことは。

 豊かな自然がある。

 野生の獣がいる。

 つまり、うまくいけば『高タンパク・高栄養な食材(肉)』が現地調達できるのでは?


 いやいや、落ち着け。

 私はただのメイドだ。

 屈強な猟師ではない。

 前世でも包丁で魚を三枚におろした経験すらない。

 山へ入って獣を狩るサバイバル生活とか、私の人生設計に一ミリもなかった。


 だが、しかし。

 この世界の私は、どうやら生活魔法の仕様がだいぶおかしい。

 ただの掃除が『国宝級の絶対浄化結界』になる。

 ただの煮沸が『毒素の完全抽出&旨味バフ変換』になる。

 ならば――食材の保存や管理系統の魔法だって、たぶん、ある。


 鮮度保持。

 冷暗所保存。

 乾燥防止。

 あるだろう。家事の世界には概念として当然ある。

 そして私のチート家事魔法は、概念をだいぶ過剰に拡大解釈する傾向がある。


 つまり。

 食材さえ無事に確保できれば、鮮度を完璧な状態で永遠に維持できる可能性が高い。


「勝った……」


 思わず、邪悪な笑みとともに呟いてしまった。


 勝機を見出した瞬間のオタクは早い。

 推し育成ルートの最適解が見えた時の私は、そこらの軍師や戦術家より判断と行動が速い自信がある。

 やるしかない。

 裏山へ行こう。

 そして安全に極上の食材を確保し、長期保存して、レオン様の栄養改善計画を盤石にするのだ。


 私はすぐさまエプロンの裾を翻し、裏口へと向かって駆け出した。


 ◇ ◇ ◇


 結論から言おう。


 私は、自分の後先考えない行動力を少しばかり反省した。


 裏山は、思っていたよりだいぶ『ガチの山』だった。


 いや、当たり前なのだが。

 もっとこう、木漏れ日の差す穏やかな林を想像していたのだ。ピクニックついでに木の実でも摘めるかな、うふふ、みたいな。前世のぼんやりしたハイキング知識を基準にしていた私が甘かった。

 実際は普通に日光を遮るほど深い森で、湿った土の匂いが濃く、枝葉は鬱蒼と頭上を覆い、時折どこからともなく『絶対に出会ってはいけない不穏な気配』が漂ってくる。


 怖い。

 普通に怖い。

 帰りたい。

 いや帰らないけど。


 私は手近な太い木の幹にそっと触れ、深呼吸した。


 大丈夫。

 大丈夫だ、私。

 私はただの迷子の不審者ではない。推しの健康管理のために立ち上がった、非常に志の高い有能メイドである。

 それに、何かあれば魔法がある。たぶん。おそらく。できればぜひあってほしい。


 と、その時。


 がさり、と。

 少し離れた茂みが、不自然に大きく揺れた。


「ひっ」


 情けない声が漏れた。

 反射的に数歩後ずさる。


 次の瞬間、茂みの奥から、ぬうっと『巨大な何か』が現れた。


 それは、狼に似た獣だった。

 だが普通の狼ではない。

 肩の高さが私の腰近くまであり、毛並みは灰色というより禍々しい青黒さ。目は血のように赤く光っている。口から覗く牙は不自然に長く、唸り声には獣というより、魔物めいた不気味な魔力が混じっていた。


 あ、これ。

 たぶん普通に『Sランク級に危ないやつ』だ。


 私は喉をごくりと鳴らした。


 どうする。

 走る?

 いや、無理だ。あの脚力に勝てる気がしない。

 木登り? 前世の貧弱な運動能力では絶望的だ。

 というかそもそも、しがないメイドが裏山で凶悪な魔狼にエンカウントする人生って何なんだ。情報量が多い。


 魔狼はじりっ、と身を低くした。

 完全に、獲物(私)に飛びかかる前の臨戦態勢だ。


「ま、待ってください!」


 思わず両手を前に出す。

 交渉が通じる相手には見えない。

 でもとっさにそうするしかなかった。


 私は極限の混乱の中で、なぜか必死にこう考えていた。


『この子を食材にできるかどうか以前に、まず私がこの子の食材にされるのでは?』


 まったく笑えない。

 推しを育てる前に、メイドが山の魔物の養分になってどうする。


 そして、極限まで追い詰められた時ほど、人は意味不明な発想へと飛躍する生き物らしい。


 私の脳裏に浮かんだのは、“鮮度保持”という単語だった。


 なぜ今それ?

 自分でもまったくわからない。

 だが、眼の前の獣の筋肉の張り、毛並み、溢れる命の熱、そのすべてを見た瞬間、私の『食材管理の直感』が妙にピタリと直結したのだ。


 新鮮な状態を保つ。

 最良の状態を維持する。

 劣化(行動)を止める。

 傷み(ダメージ)を遠ざける。


 私は半ば本能的に、魔狼へ向けて両手を突き出した。


「【鮮度保持】……っ!」


 その瞬間。


 ぶわり、と。

 透明で強烈な光が、私の指先から放たれた。


 光は魔狼の巨大な身体をやわらかな膜のように包み込んだかと思うと、次の瞬間、その動きがぴたりと止まった。


「…………は?」


 私は、間抜けな声を漏らした。


 止まった。

 本当に、完全に、ぴたりと。

 私に向かって飛びかかる寸前の、空中に浮いた姿勢のまま、魔狼が硬直している。


 死んではいない。

 赤い目も動いているし、息もしている。

 ただ、時間そのものがゆっくりになったみたいに、動作だけが極端に、異常なほど鈍くなっているのだ。


 えっ。

 なにこれ。


 私はおそるおそる近づいた。

 魔狼は低く唸ろうとしているが、その唸り声すら「ぐるるるる……」と、ものすごいスローモーション再生になっている。


「もしかして……私の鮮度保持って……対象の“状態(時間)を固定する”系……?」


 冷静に考えると、だいぶ怖い。

 食材の鮮度を守る魔法が、生きた魔物にかかると『完全な行動制御タイムストップ』みたいになるの、どういう理屈なんですか?

 家事魔法の応用範囲が、物理法則の想定を十周くらい越えている。

 でも、今はありがたい。すごくありがたい。


 私はじっと、スローモーションの魔狼を見つめた。


 艶やかな青黒い毛並み。

 引き締まった逞しい四肢。

 かなりの筋肉量。

 そして何より、生命力マナが強い。


 ……これ、食材(お肉)としては最高級の上物なのでは?


 次の瞬間、自分の狂った思考に自分で引いた。

 待って。私はいま、凶悪な魔物を見ながら「おいしそうな筋肉量だな」とか考えましたか? 考えましたね?

 いや、でも大事だろう。

 推しのフィジカル成長には、良質なタンパク質が不可欠だろう。

 必要な時に必要なものを瞬時に見極める。これはもう、優秀な保護者として当然の感覚では? たぶん?


 私はごくりと唾を飲み込んだ。


「……ごめんなさいね」

 小さく呟く。

「でも、すべてはレオン様の尊い未来のためなんです」


 我ながら理屈がだいぶ極端である。

 しかし、推しの未来のために合理性を最大化すると、時としてオタクの判断はこうも冷酷で鋭くなるのだ。


 その後のことは、いろいろ省略しよう。

 あまり生々しく描写すると、私まで情緒がもたない。


 ただ一つ言えるのは。

『チート生活魔法』と『厨房からくすねた包丁』と『オタクの根性』の合わせ技で、私はどうにか“非常に良質で規格外な食材”を大量に確保することに成功した、ということである。


 そして、本番はここからだった。


 ◇ ◇ ◇


 裏山の端に戻ってきた私は、確保した大量の肉を前に、額の汗をぬぐった。


 量が多い。

 思った以上に多い。

 一度の食事で使い切れる量ではまったくない。

 だが捨てるなど論外である。推しの健康と未来が詰まった最高級のたんぱく源を、自然に還すなど粗末にできるはずがない。


 となれば、やることは一つ。


 長期保存だ。


 私は肉の山(※血抜き済み)の前にしゃがみ込み、両手をそっとかざした。


 思い描くのは、冷たく清浄な保管庫。

 余計な空気を遮断し、時間の流れから完全に切り離し、最高の状態のまま必要な時まで守り抜く、理想の絶対保存空間。


 前世の限界オタクだった私は、よく知っている。

 高い肉ほど、保存方法が命だ。

 雑な扱いをすれば一気に風味が落ちる。

 冷凍焼けなど言語道断。

 推しに食べさせるなら、常に最良の状態でなくてはならない。


「お願いだから、普通に便利な方向でお願いしますよ……」


 毎回規格外になる我がチート家事魔法へ、半分祈るように呟いてから。

 私はそっと、言葉を紡いだ。


「【鮮度保持庫ストレージ】」


 ふわり、と。

 淡い銀色の光が広がった。


 次の瞬間、目の前の空間が、ぐにゃりと陽炎のように揺らいだ。


「……え?」


 空気の一角が、まるで『扉』みたいに四角く開いた。


 そこには、見たこともない空間が広がっていた。

 白く澄んだひんやりとした霧の中に、規則正しく無限に並ぶ透明な棚。

 冷たすぎず、乾燥しすぎず、けれど完璧に清浄な気配。

 まるで空間の『時間』そのものがゆるやかに凍結されたような、不思議な静寂に満ちている。


「なにこれえええええ!?」


 叫んだ。


 いや、叫ぶでしょうこんなの。


 ただの保存魔法じゃない。

 どう見ても『時空干渉型の異空間ストレージ』である。

 しかも生半可なものではない。肉も野菜も果物も、何を置いても百年間は最高の鮮度を維持できそうな、理想すぎる食材保管庫だ。


 待って。

 そんな大掛かりな魔法、普通に国家の王族が欲しがるやつでは?

 世界の物流が根底からひっくり返るぞ?

 飢饉対策にも軍需の兵站にも外交にも使えるぞ?

 なんでこんなチートが、一介のメイドの家事の延長でぽんと生えてくるんですかね!?


 私はしばらく固まっていたが、やがて恐る恐るその空間へ手を突っ込んでみた。


 冷たい。

 でも不快ではない。

 むしろ、ひやりとした清潔な空気が指先をやさしく包む。


 試しに、一切れ肉を入れてみる。

 すると、肉はふわりと宙に浮かび、透明な棚の上へ静かに、完璧な状態で収まった。


「……すごい」


 呆然と呟いた。


 すごい。

 本当にすごい。

 この時空保管庫があれば、食材をまとめて大量に確保できる。

 しかも品質は最上のまま、いつでも取り出せる。

 つまり何ができるか。


 推しに、毎日腹いっぱい、極上のうまい飯を食わせられる。


 その事実が、私の胸を熱く焦がした。


 やれる。

 これならやれる。

 レオン様の体を、もっと丈夫にできる。

 あの細い手足に、ちゃんと確かな力をつけてあげられる。

 寒さに震えるだけじゃなく、剣を力強く握れる腕に。走っても倒れない強靭な脚に。理不尽な運命へ真っ向から抗える肉体に。


 私は夢中で、確保した肉を保管庫へ運び入れた。

 必要な分を計算し、部位ごとに細かく分け、使いやすいよう整理していく。

 気分はもはやメイドというより、推し育成専門の『食糧管理官』である。たぶん今の私は、かなり目が血走って据わっている。だが気にしない。オタクは推しのためなら物流と保存状態まで完璧に最適化するのだ。


 すべてを収め終えるころには、私は息を切らしながらも、満ち足りた圧倒的な達成感に包まれていた。


「……よし」


 拳を握る。


 これでいい。

 第一段階は整った。

 あとは、この最高の食材をどうやって不自然なく厨房へ持ち込み、どう調理し、どう継続供給するか。

 やることは山ほどある。

 でも、私はもう見つけてしまったのだ。


 推しを健やかに、そして最強の騎士へと育てるための、確かな道筋を。


 ◇ ◇ ◇


 その日の夕方。


 私は鮮度保持庫から取り出した肉を使って、こっそり厨房の隅で煮込みを作っていた。


 玉ねぎをじっくりと飴色になるまで炒める。

 風味付けの香草を加える。

 骨の旨味がじんわり溶け出すよう、火加減を慎重に見極める。

 そして、やわらかく煮えた肉をひと口サイズに整えて、レオン様が食べやすく仕上げる。


 すると、ふわり、と。

 甘くて豊かで、胃袋を直接掴まれるような香りが鍋から立ちのぼった。


 うん。

 いい匂いだ。

 非常にいい。

 これならきっと、食の細いレオン様でも食べやすい。

 しかも栄養と魔力は満点だ。

 完璧だ。実質大勝利では?


「クロエ」


 背後から呼ばれて、私は振り返った。


 そこには、いつの間に来たのか、レオン様がちょこんと立っていた。

 きれいな蒼い瞳が、鍋の湯気を不思議そうに見つめている。


「レオン様!?」

「……いいにおいがしたから」

「す、すみません、今すぐお部屋にお持ちするつもりだったのですが」

「……それ、僕の?」


 その問いに、私は思わずふっと笑った。


「ええ。もちろんです」

「……また?」

「また、です」


 レオン様は鍋を見つめ、それからそっと私を見上げた。


「クロエは、僕のために、いっぱい作るんだね」

「はい」

「どうして、そんなに……」

「食べてほしいからです」


 私はやわらかく答えた。


「たくさん食べて、温かくなって、誰よりも元気になっていただきたいんです」

「……元気に」

「ええ。強くて、丈夫で、誰にも簡単には傷つけられないくらいに」


 レオン様は、しばらく黙っていた。

 やがて、小さな声で言う。


「……僕、本当に強くなれるかな」

「なれます」


 私は一秒の間も置かずに答えた。


「絶対に、なれます」

「……クロエが言うなら?」

「はい。私が言うなら、です」


 その瞬間。

 レオン様の瞳が、ふわりと大きく揺れた。


 ああ。

 まただ。

 この子は本当に、私の言葉を、世界の真理より大切なものみたいに受け取る。


 重い。

 尊い。

 そして責任重大すぎる。

 だが、だからこそ、私は絶対にこの純粋な期待を裏切れない。


 私は器に煮込みをよそい、彼の前に差し出した。


「どうぞ。今日は、やわらかいお肉の煮込みです」

「……おにく」


 その響きが、どこかきらきらしていて、私は胸の奥がくすぐったくなる。


 レオン様は、慎重にひと口食べた。

 そして。


「……おいしい!」


 小さく、でもはっきりと。

 ぱあっと顔を輝かせて、そう言ってくれた。


 私はその場で天井を突き破って飛び跳ねたい衝動を、命懸けで押しとどめた。


 勝った。

 これは勝った。

 栄養改善計画、初手大成功である。


 しかも、レオン様はそのあとも素直にスプーンを運び、やがてほんの少しだけ幸せそうに頬をゆるめた。

 食べるたびに、顔色が目に見えて和らいでいく。

 あたたかさが、力が、この子の中へちゃんと染み込んでいく。


 その尊すぎる光景を見て、私は心の中で静かに誓った。


 大丈夫です、レオン様。

 あなたの体は、私がちゃんと育てます。

 毒も飢えも寒さも、もう二度と好きにはさせません。

 これから先、あなたが必要とするものは、食事も、安心も、力も、全部この手で用意してみせる。


 だって私は、あなたの限界オタクなのだから。


 ――そして私は、このときまだ知らなかった。


 私が裏山で『鮮度保持(物理ストップ)』を駆使して狩り、確保したあの肉が。

 ただの魔物肉ではなく、王国の騎士団ですらめったに口にできない『高位魔獣の極上部位(Sランク素材)』だったことを。


 それを異空間の鮮度保持庫で完璧に管理し、私の生活魔法で煮込んだ結果、とんでもない『身体能力強化補正』がかかっていたことを。

 その積み重ねが、まだ幼いレオン様の身体を、常識外れの速度で鍛え上げていくことを。


 そして数か月後。


 細く儚かったはずの最推しが、屋敷で訓練中の大人の騎士を『腕相撲で軽々と瞬殺』し、周囲の大人たちを絶句させる未来が待っていることを――


 このときの私は、まだ呑気に、

「いっぱい食べる推し、かわいいな……」

 などと、平和に尊死しかけていたのである。



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