第一話
1.
とあるビルの一室にある机に向かい、あからさまに退屈そうな顔の女性。
「暇ー…」
呟いた彼女の名は唯崎樹理といい、職業は探偵。
だがこの不景気、漫画のようにうまくいってくれるはずもなく、こうして暇を持て余している。
ここに来る依頼といえば飼い猫探しによくある浮気調査。
と言っても、樹理はこれまた漫画のように、刑事事件を捜査し推理で解決、などと
いうことはしたくもないが。
そんな厄介ごとを持ち込んでくる人脈がないわけでもないのだ。
その時。
コンコン、と軽いが確かなノック音がする。
樹理は「来た…」と心底面倒くさそうな呟きを漏らし、机の下に潜る姿勢を取っていた。
「…そういうの、何ていうか知ってるか?」
見た目はサラリーマンにしか見えないスーツの男性が呆れ顔で樹理を見ていた。
彼の名前は古河達矢。実際の職業は正式名称で言えば警察官、俗称で言えば刑事。
ちなみに階級は警部補。
そして、樹理にとっては知人の中でもかなり気の知れた悪友にして、
とてつもなく長すぎる付き合いの幼馴染。
「頭隠して尻隠さずっ」
顔をしかめてむっとした顔をしながら机の下から出る樹理。
「よく出来ました。
…で、依頼だ。唯崎樹理探偵」
「何、古河達矢警部補」
「一週間前、とある美術品コレクターが殺害された。その捜査に、協力して欲しい」
「…今忙しいんだけど」
「暇だって言ってるの聞こえてたぞ。
それに忙しい奴が机の下に潜るか普通」
「う…潜りません。依頼は捜査の協力?」
「そうだ」
「……分かった。もう少し詳しく聞かせて」
「もちろん」
ローテーブルを挟んだソファに向かい合って座る。
「被害者は小寺邦一、五十八歳。
頸部圧迫による絞殺でな、計画的犯行だったのか、凶器は未だ不明。
その上現場にあったはずのオブジェが無くなってたんだ」
途中、被害者や現場の写真を見せて説明する達矢。
既視感と違和感を同時に覚えた樹理が「…あれ?」と小さな声で呟く。
「気付いたか。
ちなみに言えば、オブジェはどう考えても首を締められるような物じゃないからな」
「そうじゃなくて…。
それに、そんなこと私だって分かるよ。だから変だと思ったんだし…。
それで?話を続けて」
「いや、今話せることはこれだけなんだ。
だから―支度したら行くぞ」
「え?」
促されるままに急ぎ気味に出かける支度をして連れてこられた場所は、
少なくとも住人は大きな不自由をしていないだろうという程の豪邸。
中に入って入口を黄色いテープで封鎖された一角が事件現場だろう。
「古河刑事!
…そちらの女性は?」
現場に入った二人に近寄ってきた若い刑事が、樹理を見て怪訝そうな表情を浮かべた。
「あ、私は…」
「前に話しただろう。
探偵の…」
「あの唯崎探偵でありますか?!
これは失礼を!自分はこの度捜査一課に配属になりました松戸といいます!
数々の事件を解決に導いた方と言うお噂は伺っていましたが…。
こんな可愛らしい女性だとは思いませんでした」
刑事は松戸と言うらしかった。
ちなみに最初に彼の言ったことは事実である。
と言うのも、達矢は樹理の元へよく事件を持ち込むのだ。
樹理は過去に探偵と言う職業を目指す者として、
警察の人間ほどではないにしろ犯罪関連の学問も学んでいた。
それもあってか、だんだんと本格的な捜査に協力する羽目になり今に至っている。
「唯崎が来てるのか?」
奥から顔を出してきた、体格の良い中年の男性。
彼は大井敦という刑事で、階級は警部。
「大井警部。お久しぶりです」
樹理が頭を下げると「おう」と短いが返事を返す大井。
すぐに奥に入ってしまったところを見ると、この現場の指揮は彼が執っているらしい。
「…何してる。せっかく大井警部から許可もらえたんだから」
扉の前に立ち、眉を顰めて樹理を見ている達矢。言外に「早く来い」と言っている。
「…はいはい」
現場はドラマなどでよくある豪邸の部屋といった感じで、そこら中に美術品が並べてある。
「…ん?」
よく見ると微量ではあるが埃がついていた。
だが、無くなったオブジェがあったと思われる場所はほとんど埃が見られない。
「おい、どうした?」
「…取るに足りないんだろうけど…、ほら、ここの埃。
他の美術品には見えるくらいついてるのに、ここだけ顔を近づけたりしないと見えない」
「…本当だ。確かに妙だな。大抵のコレクターってのは収集物は徹底的に磨くだろうし…。
一つだけ綺麗にするってのもおかしいよな…」
「だよね…。
ねぇ、被害者の人間関係ってどんな風だったの?
犯人が分からなくても、容疑者くらいは絞れてるでしょ?」
「奥さんを含め、アリバイの無い関係者が何人かだけな。
だけど、全員引きこもりがちだから当然なんだよ」
「え?全員?」
「奥さんはないとして…被害者と同類の人間だ」
声に出すのも嫌、と言うようにうんざりしたような達矢。
樹理が思うよりもずっと、状況は行き詰まっていたのだろう。
しかし。
「(何で奥さんは除外なんだろう…?)
コレクターなら夜の外出はあまりしない、か…。
とりあえず、その人たちのことを聞かせて欲しいんだけど…」
「…分かった」
容疑者のことを比較的丁寧に説明していく達矢。
その中で樹理はいくつか引っ掛かりを覚えた。
「…写真の何枚かは被害者の弟子…なんだよね?」
「みたいなもんらしい…、それがどうかしたのか?」
「…その割に…」
「?」
「ううん。気のせいかもしれないから、確証が取れたら言うよ。
私はこれから少し行くところがあるから」
「……送るか?」
「…どういう風の吹き回し?
でも別にいいよ。近いから」
事件現場を後にした樹理が向かった先、
それは―。
「美代梨、いる?」
大きなマンションの一室の扉を開くと、そこは電子機器の明かりで支配された部屋。
その真ん中に座る女性。
彼女は夜桜美代梨。職業は情報屋。
探偵である樹理とは、何度も世話になりつつも、何度も世話を焼いていると
言うようなビジネスライクな関係。
ちなみに実名かどうかは不明である。
「ふぅん。また、刑事の彼に頼まれたのね?」
事件のことを話すと質問と言うより確認のように尋ねる美代梨。
「…まぁね。
いつもの通り、この事件の関係者の情報が欲しい。等価はどうする?」
彼女たちの間では、依頼料のことを等価と呼んでいた。
と言うより、二人の間では主に樹理は美代梨から情報、美代梨は樹理に労働を依頼するのだが、
それに対して現金で支払うことの方が稀なため、代金と言うよりも等価と呼んだ方が正しいのだ。
「この間の借りをチャラにする、ってことなら取引は成立するわ」
「悪いね」
「そう思うなら少しは自分で調べる努力もなさいよ。調べられない立場ってことでもないでしょうに」
「…どうもそういうのは肌に合わなくて」
「全く…明日、取りに来なさい。貴女に分かり易いようにまとめておいてあげる」
「…カステラと羊羹、どっちがいい?」
「そうね…。
たまには、ケーキも乙だわね。ケーキ屋のシュークリームよ」
にぃ、と笑う美代梨に、呆れ顔をしながら、
「…それはケーキじゃないと思うけどね」
そう小さく呟いて、「じゃあ、また明日来るから」と彼女の部屋を後にした。
マンションから出て、無意識に詰めていたであろう息を吐く。
樹理は本来、取引や駆け引きは得意と言うほどでもない人間だった。
人の心理状態や言葉の裏を考えてしまう行為が苦手なのだが、探偵という職業をしていると、
どうしてもそんなスキルが上達してしまうのだ。
もう一度、大きく息を吐いてから、樹理は歩き出した。




