7章-1:女王継承と送りの火
その後も、壱与の周りでは技術革新が続いた。
現場で重宝されたのが「猫車(一輪車)」だった。短距離の運搬に絶大な威力を発揮したことで、民は「まず道を整備しよう」と考え始め、それがやがて大型の荷車が通れるインフラへと繋がっていった。
壱与が14歳になると、本格的な政治的研修が始まった。
卑弥呼は健在だった。史実よりも衣食住が劇的に改善され、さらにアイが持ち込んだ凸レンズによる簡易顕微鏡のおかげで衛生概念(煮沸消毒など)が向上。老女王の身体的負担は激減し、長生きしていたのだ。
「壱与よ、政というのはな、鏡や滑車のようにはいかぬぞ」
卑弥呼は自室で、壱与に諸国の名を記した木簡を並べて見せた。
「宗像、伊都、出雲、大和……それぞれの腹の内は違う。物の理は誰の目にも同じに見えるが、人の心はそうはいかぬのじゃ」
壱与「はい。でも、理と同じで、動く仕組みはあるはずですよね?」
卑弥呼「ほう。どんな仕組みじゃ?」
壱与「損得と、面子です。得ばかり説いても、面子を潰せば人は動きません」
卑弥呼「……ふふ、良い読みじゃ。誰に教わった?」
壱与「アイさんじゃなくて、親方さんとイブキです」
卑弥呼「職人からの方が生きた知恵と言うことか。面白いのう」
共立された女王である卑弥呼は、独断で直接壱与に王位を継承させることはできない。だからこそ、自分が健在なうちに強大な権威をもって諸国への根回しに動いた。
「我が命が尽き、この女王制が倒れた時、倭国は再びあの大乱の地獄へ戻る。諸国よ、それで良いのか」
すぐ前の記憶である大乱の恐怖に、諸国の重臣たちも真剣に考えを改め始めた。
壱与自身も、卑弥呼の供をして諸国を巡った。海の民である宗像には水産の話を、山を敬う出雲には水車の話を、それぞれの土地の言葉で語りかけ、時に反発する年配の重臣には黙って頭を下げることも覚えた。
「あの小娘、思ったより物分りが良いではないか」
「若いのに、こちらの顔を立てるすべを心得ておる」
そうした声が少しずつ広がっていくのを、上空から旅人が眺めていた。
「なあ鳥船、あれ、物の理より難しくないか?」
「人の面子を計算する理は、レーザーより厄介ですね」
「アイの教育、どこまで効いてるんだろうな」
「壱与さん自身の資質かと。アイはきっかけを与えたに過ぎません」
「まあ、そう言うことにしとこうか」
学び舎はすでに正式な組織となり、ワカやナツ、職人たちが次世代の教師として育っていた。
壱与が15歳の春、ついに『継承の儀』が執り行われた。
祭壇の前に立つ壱与の胸元では、あの内行花文鏡が静かに光を受けていた。緊張で震えそうになる指先を、壱与はそっと握りしめる。
「卑弥呼様……見ていてくださいね」
小さく呟いたその声は、誰にも届かなかったが、ただ一人、上空でモニターしていた鳥船だけが拾っていた。
魏志倭人伝の記述よりも2年ほど遅い継承だったが、今は卑弥呼が存命のまま「相談役」に留まったため、史実のような大規模な倭国大乱は起こらなかった。小規模な反発はあったものの、卑弥呼の睨みと、育った諸国の支持層によって即座に鎮静化された。
壱与「卑弥呼様、少しご相談があるのですが」
卑弥呼「ん? なんじゃ? 妾は相談役じゃからのう、何でも言うてみよ」
壱与「ありがとうございます。実は、鉄が足りないのですが……」
卑弥呼「あ、あれでも足りぬのか」
壱与「はい。農地も増えました。使う道具も増えましたから、鉄が足りないのです」
卑弥呼「そなたの事じゃ、鉄を作ろうとしておるのじゃな」
壱与「バレましたか」
そして、壱与が18歳になった年。
卑弥呼の死が訪れた。国を挙げた大喪が行われた。
壱与は水車で挽いた粉から作った新しい食材を供える。
卑弥呼の治世で発展した邪馬台国の象徴。ワカが織った布が柩にかけられる。
「卑弥呼様の魂は、天の道を辿り、光へと向かわれます」
大篝火が天へ向かって揺れた。
壱与は柩の前に立ち、胸の鏡を押さえた。
風がふわりと吹き、白衣の袖が揺れる。
「卑弥呼様……」
壱与の声は震えていたが、しっかりと前を向いていた。
炎が高く昇り、民衆は涙を流し、諸国の使者は深く頭を垂れた。
その瞬間、倭国は新たな巫女王を真に受け入れたのだった。
『天の鳥船』のブリッジで、旅人がしみじみと呟く。
「卑弥呼長生きしてるし。良い環境って重要なんだなあ」
「壱与さんに対して教育する負担は増えましたが、それ以上に政治的圧力を低下させられましたから」と鳥船。
卑弥呼を見送った後も、壱与にはいくつもの課題が残されている。
物の理によって豊かさを得た邪馬台ではあったが、まだまだ改善の余地があった。
「ナツ。明日、トヨを呼んでもらえるか?」
トヨは、学び舎を終えたばかりの中堅巫女である。
「壱与様、お呼びにより参上いたしました」
「硬いなあ。まあ良いや。トヨさんには、食べ物の増産と改良をお願いしたいのよ」
「食べ物、でございますか?」
「そう。取り急ぎは塩の増産と、各種調味料の調達をお願いしたいの。ああ、もちろん何人かで班を組んでね」
「塩ですか。火や風の理と言うことになりますか」
「基本はそうでしょうね。なるべく森を守ることを考えると、日の理も必要でしょう」
「なるほど、日の理。光の理ですね」
「光と風によって濃い塩水を作れれば、その後、火を用いることが少なく済みます」
「なるほど、考えましょう!」
「それと『出汁』でしたか、アイさんによれば『旨味』を使えば薄い汁でも美味しく頂けるようですよ」
「ははあ、そこで調味料ということですね」
トヨ達、食生活班は試行錯誤を重ね、『入浜式塩田』にたどり着き、製塩技術を確立させた。また、製塩の副産物である『にがり』の活用として『豆腐』の製造に成功する。
また、魚醤の応用から味噌、溜まり醤油までたどり着いた。
トヨ達の努力の結果、新しい食文化が育ち、副産物として食材や薬草の栽培も試行錯誤が始まり、後世で言う『邪馬台国文化』が育っていく事になる。
壱与やワカが育てた農家の活躍があった事を付け加えておく。
ワカの育んだ『衣』、トヨの育んだ『食』。
そして職人達の『住』、そして『鉄』。これらの相乗効果もあり、倭国最大の権威を持つ国として、邪馬台国は栄華を極めようとしていた。




