1-07.俺たちは連行された
俺たちは連行された。
俺たちおよび若様とその従者を引き連れたエンダー家の末姫ソウニャ様は、オットーおじさんの遺伝子仕事しすぎな顎をしゃくって奥様の待つ部屋の扉を示す。
実に男前な顎なんだが、女の子のパーツとしてはなあ……まあ、俺には関係のない話だ。
「ガキどもになんの用だべさな?」
「さあなあ……母上、カイアスです。ヅキヅキッズの三人を連れてまいりました」
「イレギュラーズ!」
さすがに場所が場所なので、小さな声での抗議にとどめる。
部屋の主からの許諾を待って、俺たちは室内に通された。庭で身体を動かしていた直後だけに、少々暑く感じられる。
「ソウニャもカイアスもご苦労様。そして三人、カイアスや旦那様から熱心に学んでいると聞いています」
「は、はい」
村の領主オットーおじさんは、おっちゃんって感じなのに対し、奥様はこう、特に怖いという人ではないのだが逆らってはいけないような気にさせられる。
俺の両脇に並ぶミナヅキもハヅキも、三人そろって直立不動で奥様に相対した。
「その熱心さを見込みました。今日、今から、修練の後はこちらに来て、ソウニャとともに学びなさい」
「は、はい?」
「えー、お母様、私イヤですー」
「だまらっしゃい!」
直立不動。
「だいたいあなたはいつもいつもお勉強をさぼることばかり。いいですか、この三人はあなたの監視だと思いなさい」
「うへぇー」
そんなこと言われても困る。困るけれど、直立不動。
この世界での情報を得るために若様たちに張り付いていた俺たちは、どういうわけか奥様に目をつけられたらしい。
末姫様を叱り飛ばすその場に直立不動で待機という、実に気まずいストレスフルな時間を強要される。
のみならず、文字通りの今日本日から、村の衆も集まる大部屋ではなく、エンダー家の生活領域、私室に連れ込まれて教育を施されてしまう。
エロイ意味ではなく、文字通りの教育。
当年……八歳だったかの末姫様のかたわらで、読み聞かせだったり書き取りだったり。
つまるところはエンダー家の末姫様の教育のダシに使われたわけだが、結果オーライ。
「このように小さな子たちでさえ、農奴の子でさえ必死になって文字を覚えようとしているのです。だというのにあなたは、エンダー家の娘として恥ずかしくないのですか」
「うう……」
そこはそれ、末姫様とは熱意というか本気度が違う。
俺たちは情報に飢えているのだ。文字を覚えるということは、情報・知識へのアクセス手段がドカンと広がることだと知っている。
幼児期の頭の柔らかさもあるのか、自分でも驚くくらいにどんどん覚えていく。
「生意気なのよあんたたち。あんまり臭くないから、一緒にお勉強するのは我慢してあげるけど」
「自分たち、身だしなみには気を使ってますので」
前世記憶で清潔ということの重要性を知っているというか、習慣づいていたわけで、そこそこきれいにしていないと落ち着かないのだ。
何かにつけては身に着けた衣類ごと川で洗っておりますので、むしろ、末姫様のほうが臭いまである。言えないけど。
それにつけても石鹸欲しい。焚火の灰を洗剤代わりにしているけれど、衣類はともかく髪や身体はいまいちすっきりしないんだよなあ。
また、質はともかく紙と鉛筆があるというのに驚いた。
重要な文書や書籍は羊皮紙のようだが、紐で綴った練習帳やメモ紙をちょっとだけ分けてもらって真っ黒になるまで書き込む。文字なんかは数をこなして、腕や脳に焼き付けるしかない。
「これは、知識チート案件臭いですね」
「俺たち以外にも記憶を持った転生者ってのが過去や現在でもいるのかもな」
「前世の記憶持ちが自分たちだけ、というよりは説得力ありますね」
貴重なチートネタが、などと嘆くミナヅキはともかく、すでにモノがあるというのはメリットでもある。
無いものは自分たちで作り出すか、職人たちに注文するしかないが、すでにあるモノは、基本的にお金さえ払えば手に入れることができるというのは強い。
消しゴムがないのでどうするかと思っていたら、パンでごしごししたのは軽く引いた。ごしごししたパン、そのまま食うし。
鉛筆といっても芯の主成分は炭のようだから、特に害はないのかもしれないけれど、前世の記憶、常識が引っかかる。
パン消しを行うかどうかは散々迷ったが、河原の砂でこすって水で流せば再び書き込める程度になることがわかり、安堵した。
「やすり掛けみたいなものですから、何度もできるってことじゃないですけどね」
「けどなあ、パン消しはさすがに、さあ……」
何はともあれ冬の日々の間に俺たちは、棚ぼた式にご近所界隈で使われている文字と数字をほぼほぼ習得した。気分はまさに偉大な一歩である。計算はまあほら、暗算だと限界があるが、あえて手を抜いて見せることが必要な程度には、ね。
社会常識的なことも学んだ。
例を挙げるとカレンダーを理解した。
空に浮かぶ二つの月のうち大きいほうがカレンダー月の目安となる二十九日周期で満ち欠けする。
実際にはどういうわけか七日で週という刻みがあり、四週二十八日で一か月。三か月で春夏秋冬の季節の単位となり、一年は十二か月と季節間の祭日で構成される。
季節の祭日は、ハヅキによれば春分が年始、以下夏至、秋分、冬至に該当するらしい。
ここが前世同様、恒星をめぐる惑星上だと疑う理由が今のところないのでそういうことにすると、公転軌道をめぐる一年との日数調整は、季節の祭日の増減でしているようだ。
「一週七日、休日とすべき安息日があるとか、これはもう明らかに転生者案件ですよねえ」
「俺たち以外にも転生者が存在したことは確定だろ。ハヅキは何かあるか?」
「自分は、『神々が滅び行く世界から人類などを救済してこの世界に連れてきた』云々から、むしろ、当初の文明が衰退した結果が今現在なのではと考えています」
「史実のヨーロッパ中世ってのも、ローマ文明の衰退した結果だったっけ?」
この世界の情報を得れば得るほど知れば知るほど謎も増えるけど、楽しい。
闇の中の徒手空拳ではなく、手掛かりや光明を得ているという実感が、三人であーだこーだと話し合うことそのものが、無性に楽しい。
だからまあ、末姫様のわがままというか、ご機嫌取りだって苦にならない。
「イーッ」
「キェーッ」
お久しぶりです。世界征服をたくらむ悪の秘密結社の下っ端戦闘員でございます。
お姫様とその騎士であるチビ若様、たまに若様やオットーおじさんにズンバラリされるだけの簡単なお仕事です。
「テンプレというものは、テンプレになるだけの理由があるんでしょうねえ」
「姫と騎士はともかく、魔物との戦闘というシチュエーションもそれなりに身近な出来事だというのも影響してそうです」
手を変え品を変え、お姫様が満足するまでズンバラリされた俺たちが庭の隅っこで感想戦に入るのと同様、年甲斐もなく大技を繰り出していたオットーおじさんと、姫をさらう隣国の王子を熱演したカイアス若様も一息入れながら、軽い雑談といった風情で話し出す。
「春からは領地の確認・測量などという話だったが、春は忙しい。人手を回すわけにはいかないし、お前たちにも畑に出てほしいくらいだ」
それに、とチビ若様ことセオルドの頭をなでながら続ける。
「この子を伯爵家へ送る案内と護衛、お前に任せようかとも思っている」
「護衛や人手の件は理解しますが、領地の測量はいずれにせよ必要な改革で……」
「わかっている、わかってはいる」
「父上!」
ありゃ?
なんだか雲行きが怪しくないですか?
春になったら勉学修行兼人質として伯都に送られるチビ若様も、不安そうな顔でお二方を見ていらっしゃいますよ。
「カイアス、焦るな。お前の言う改革、そうそう簡単に進むものではないことは承知しているだろう」
「それはわかりますが、またクルップあたりがケチをつけましたか?」
「クルップではない。クルップではないが、まあ、余計な面倒が増えるのはイヤだという意見がそれなりに、な」
「俺が若いから、ナメられてるってことですか!」
聞き耳聞き耳。
「『今どきの若い者は』案件ぽいですね」
「どの時代だって言ってるんだよ、それ」
まあ、世に改革と言われるものは多かれ少なかれ反発を受けるものである。
今のままでいい、変わるのが面倒という意見は、常に一定以上の勢力を構成する。そのうえでなお、変化を推し進めるだけのメリットなり熱意なりがなければ改革なんてできやしない。
「それと、あの三人な、特別扱いはいかがなものかという声もあるのだ」
「はっ。あんな子どもの棒きれ遊びまでつかまえて、俺のやることなすことお気に召さないというわけですか」
「いや、奥の、ソウニャと一緒に学ばせておった方よ」
「……農奴の子に文字など教え込むなと?」
オットーおじさんは顎ひげをしごきながら難しい顔をしている。
カイアス若様も、顎ひげをしごきながら顔をゆがませている。
「せっかくの、文字を覚えた者ですよ。それも冬の間だけで。読み書きできるというだけで事務方の目もあるのに」
「農奴だなんだ抜きにしても、いかんせん当年五歳、春が来て六歳では……」
全身聞き耳状態の俺たちである。
むろん、村の皆が館に集っていた冬の間はともかく、春以降も、というわけにはいかないことは承知していた。
冬の間だけとはいえ、文字など教えていただけただけでも十分美味しゅうございました。
気になるのは、俺たち、あるいは若様に否定的な勢力が村内に存在するということか。若様に向かう改革への反発だけならともかく、俺たちに向かう嫉妬となると面倒なことになる。
「変化というものはな、難しいものなのだ。カイアス、お前は若い。時間がある。だから、焦らずじっくり取り組むのがいい」
「……」
この日の領主親子の会話があったから驚くということはなかったが、新年祭の始まる直前、俺たちは栄光あるソウニャ姫様のご学友という地位を解雇された。
むしろソウニャ姫様が驚いていた。
何でと俺たちに聞かれても困る。これは高度に政治的な判断が背後にある決定なのだから。
ともあれ新年の始まり、ハヅキの推測だと春分の日、全員が歳をとり俺たちが六歳になったその日、新年祭りを彩る獲物を狩りに出ていた猟師のおっさんが血相を変えて村に戻ってきた。
「狼がでたぞ!」
叫び一つで村中が新年祭どころではなくなった。
【メモ】
世界背景の基本は『試練の迷宮攻略記』と同じですが、時代と地域が違います。