水着
俺には一つ年下の後輩が存在する。
もう結構長い付き合いになるが、未だに知らないことがある謎多き女の子。日頃から何を思って日常を送り、俺を弄ってきているのか。その真意は定かではない。
今まで自然にスルーしてきたことだったが、つい最近になってから気になり始めたことがあった。無論、俺の後輩こと、ヒノちゃんに関する謎の一つのことだ。
彼女には現在、想いを寄せ、好意を抱き、親密な関係を築きたいであろう好きな人がいる。彼女も現役高校生なんだし、好きな人の一人や二人できても当然と言えるだろう。
単なる後輩のプライベートの話。故に、俺には全く関係ないことだ。プライバシーといった問題が関わってくるだろうし、無理して聞くようなことではないという自覚は充分にある。
しかし、しかしだ。最近は暇さえあればそのことを考えることが多くなっていた。何故か、という理由は俺本人が聞きたいくらいだが、その答えを持っている者はこの世には一人足りとも存在しない。
こんなこと今まで考えたこともなかったのに……何故だろうか。今はそのことで頭がいっぱいになっていて、時折『んぁ゛〜』と気色悪い奇声を上げるという重病に掛かっていた。それが影響してミノちゃんに弄られる羽目にもなり、踏んだり蹴ったりな状態だった。
このままじゃいけない。今のままだと永遠にミノちゃんからの弄りを受けることになるだろうし、頭の中に潜む謎のもやもやも晴れることはない。だからこそ俺は、その謎を解き明かすために行動を開始した。
行動と言っても、大それたことではない。誰にでもできるような単純かつ、容易に答えを知ることができるであろう方法だ。
「……ねぇミノちゃん」
リビングのソファーで座っている中、俺の膝を枕代わりにして寛いでいるミノちゃんに呼び掛けた。
「んぁ? なんだねツム兄?」
ペラリペラリと漫画を読みながら受け答えてくれる。視覚は漫画にのみ集中しているが、聴覚はちゃんと俺の声に反応してくれているらしい。
「あのさ、唐突なこと聞いてもいい?」
「安心してツム兄。私はまだ処女だよ」
「いや違うから。貞操の話は聞いてないから」
逆に唐突な情報を提示されてしまった。微塵も興味無い情報だったが、安心といえば安心する話ではあった。
「だいじょぶだいじょぶ、分かってるってツム兄。私の乳輪は程良い大きさだから、摘み甲斐はあると自負してるよ」
「勝手にベラベラと暴言吐かないでくれない? どうでもいいんだよ、んな情報。ご飯の前に聞いてたら食欲失せてるところだよ」
「まぁまぁ、今のは軽いジョークだってば。それで何だって?」
「あ〜……その〜……実は俺自身のことじゃなくて、ヒノちゃんに関することなんだけど……」
「ほぅほぅ、それはまた珍しいですなぁ」
ヒノちゃんというキーワードが出た瞬間、ミノちゃんはキランと瞳を光らせて、読んでいた漫画を閉じて俺の顔を覗いてきた。ニヤニヤと憎たらしい顔が若干癪に触るが、今は我慢しておこう。
「その……さ。最近知ったんだけど、ヒノちゃんって好きな人がいるらしいじゃん? それで、ミノちゃんってその人が誰なのか知ってたりする?」
「…………へぇ」
只でさえ憎たらしい顔が更に強調され、極端に人を馬鹿にしたような顔を浮かべて来た。腹立つわぁこいつ……。
「ついにツム兄も色恋に興味を示すようになったとは、なんだか感慨深いものがあるね。まさか背伸びだったりする? やだ〜、ツム兄超可愛いんですけど〜」
「ハハッ、張り倒すぞお前」
「どうぞどうぞ、ご自由に張り倒してくださいな。無理だろうけど〜?」
舌をベロベロ出して馬鹿にしてくる愚妹。なんか最近はより駄目な妹として悪化してきてる気がするが、これは気のせいなんだろうか? 百歩譲って前はまだまともな感じがしていたんだけどなぁ……。
至近距離から馬鹿にしてくることに耐え兼ね、ミノちゃんの頭を押して膝の上から押し除けた。ミノちゃんはその勢いを利用して鮮やかに立ち上がり、ふらふらと妙な踊りを踊り出した。
「で、なんでまたそんなことを聞くのさ? 何か気掛かりなことでもあるの?」
「気掛かりというか何というか……ちょっとした好奇心だよ。これも最近知ったことだけど、ヒノちゃんって実はモテてる女の子でしょ? で、やっぱりそういう立ち位置になると、ヒノちゃんにも好きな人ができるんだなぁ……って思ってさ」
「……ズレてるなぁ色々と」
何故かつまらなそうに溜め息を吐かれた。
「な、なんだよその反応!? 何か不服なことでもあると!?」
「……あのねツム兄。これはハッキリ言っておくけど、“ちょっとした好奇心”なんかでヒノの好きな人が知りたいっていうのは、ちとデリカシーに欠けてると思うよ」
ビシッと指を差されると同時に、ぐさりと胸に何かが突き刺さる音が聞こえた。全くその通りだと納得してしまったからこそ、余計に精神的に効いた。
「いくらツム兄といえど、私の親友のプライバシーに関わることを暴露するなんてできないよ。そんなことしたら私がヒノに嫌われちゃうでしょ」
「うっ……ご、ごめん」
安易な策だった。今回ばかりはミノちゃんの言っていることが十割正しい。屈辱……よりも罪悪感の方が大きいため、素直に反省した。
「まぁ、その気持ちも分からなくはないけどさぁ。そういうのはやっぱり、直接本人から聞かないと駄目っしょ。それで答えてくれるのかは別の話だけどねぇ」
「やっぱそうですよね〜」
論破されて何も言い返すことができない。本当はそれが一番手っ取り早い方法だってことくらい、俺にだって分かっていたさ。でもそれができないからこうして違う手段を探していたんだよ!
仮に『ヒノちゃんって一体誰が好きなの?』なんて聞いてみろ。ミノちゃんに続いてまたデリカシーが無いと言われて、俺のガラスハートを大きく削り取っていくぞ。
俺はパタリと力無く横に倒れて寝っ転がる。
「はぁ……どうしたもんかなぁ……」
「ふーん……好奇心と言っても、結構気になってるんだね」
「いや……まぁ……一応、一番仲良い後輩のことだし……」
「後輩ねぇ……やれやれ」
今度は呆れの溜め息を吐かれた。そろそろ心が折れそうだ。脆いなぁ俺の精神。
なんだか風に当たりたい気分になってきた。少し散歩でもしてこようかな。気が紛れるかもしれないし、それにこれ以上ミノちゃんと話をしていたら本当に心が折れそうだ。
「ちょっと外に出てくる。夕飯前には帰るから」
「お? もしやナンパに行っちゃうとか? 俺も少しは色気付いてみようか、みたいな? 絶対黒歴史になるから止めた方がいいよツム兄」
「失礼山の如しか! ただ散歩に行くだけだよ!」
「なんだつまらん。それじゃついでに甘いデザートでも買って来てよ。ちゃんとお金も渡すからさ」
「へぃへぃ」
パシリとしてこき使われている感じがして若干イラッときたが、大人しくそれなりのお駄賃を頂き、一人外へと出て行った。
……あいつと話すと疲れてばっかだな。
〜※〜
特に宛ても無いため、適当にその辺をふらついて歩く。そうしているうちにそこそこ広い公園までやって来て、ベンチに腰を下ろして空を見上げた。
結局、外に出てもモヤモヤした胸の中は晴れなかった。考えないように意識してはいるものの、間があるとどうしてもあれこれ考えてしまう。何をどうしたら気が逸れるんだか。
「…………ひぇぃ!?」
ずっと空を見上げたまま惚けていると、不意に首筋に冷たい何かが当たって、思わず変な奇声が出てしまった。
気が動転したまま前を向くと、いつの間にか居たヒノちゃんが口に手を当てて笑っていた。
「あははっ、また凄い声出ましたね」
「ぐっ……」
そう言うヒノちゃんの左手にはフタが開けられていない缶の飲み物が。ベタな悪戯しやがってからに。
……というか、なんでこんな時にヒノちゃんが現れるんだ? 今はあまり顔を合わせたくなかったんだけどなぁ。
「こんなところで何してるんですかツム君?」
「別に……ただの散歩だよ。そっちこそなんでこんなところにいるのさ」
「私も散歩していたところです。ついでに買い物にでも行こうかなって思ってました」
「ふーん……」
買い物……まさか誰かと待ち合わせとか? そして恐らく、その待ち人の正体はヒノちゃんの好きな人とか? おーおー、青春してますねぇ俺の後輩は。
「ちなみに買い物は一人で行こうと思ってました」
「え? あっ、そう……」
俺の思い過ごしでした。良かった良かっ――いやいや良かったって何? 一体何が良かったと? ヒノちゃんが何処で何しようが俺には関係ねーし!
「ぷくくっ……さっきから顔芸の練習でもしてるんですか?」
「はぃ? なんで顔芸?」
「気付いてないんですか? ツム君さっきからずっと顔が七変化してますよ。むくれたと思いきや笑ったりして、でもすぐに不機嫌そうになったりしてます」
流石に顔に出過ぎだろ俺。少しはクールにポーカーフェイス気取れないのか。
「ぷくくっ……何か思うところがありましたか? 例えば、私がツム君の知らない誰かと買い物に行くのでは? とか」
「は? 何? 何のこと? 俺にはさっぱり分かりませーん」
ヒノちゃんはもしかしたら探偵とかに向いてたりするんじゃないだろうか、と言わせるくらいに勘が鋭過ぎだ。むしろエスパーみたいでちょっと不気味にすら思う。
「やっぱりツム君に誤魔化しと嘘は向いてませんね。いっそ開き直ってみたらどうですか?」
「う、うるさいな、余計なお世話だよ。買い物に行くんなら早く行ってくればいいじゃん」
「いえ、私は買い物よりもツム君を弄る方が優先度高いので」
「…………そう」
特に何を言うわけでもなく普通に反応する。ヒノちゃんは一瞬だけキョトンとした顔をすると否や、お得意のニヤ顔を浮かべた。
「ぷくくっ……意外な反応ですね」
「うん? 何が?」
「いつものツム君だったら『嬉しくないわ!!』みたいなツッコミを入れてくるところじゃないですか。でも素直に頷いたってことは、実は優先されて嬉しいってことですよね?」
「んなっ!? ち、ちげーし! 勝手な妄想で断定しないでくれます!? 言葉にする必要が無いくらいに呆れてただけだし!」
咄嗟に弁解してみせるが、この慌て様を見てヒノちゃんが黙ってスルーするわけがなかった。
「ん〜? その様子は怪しいですね。また嘘を吐いてるんじゃありませんか?」
「つ、吐いてねーし!」
「本当ですか? 私の目を見て言えますか?」
「い、言えるし!」
「なら言ってみてください。言った後に二十秒間、目を逸らさないでくださいね」
「何その時間指定!? それに意味はあるの!?」
「ありますよ。ツム君は嘘を吐く時、極端に眼を逸らす傾向がありますから」
「ぐっ……わ、分かったよ」
そんな自覚はないが、ここまで来たら引き下がるわけにはいかない。これ以上弄られてたまるかってんだ!
ヒノちゃんと向かい合わせになってベンチに座り直す。何度か見たことのある私服姿なため、特に見ることに抵抗は……ない。
「はい、では今一度言ってみてください」
「……俺は嘘吐いてません」
目を逸らさないようにジッとヒノちゃんの顔を見つめ、ヒノちゃんもまた俺の顔をジッと見つめてくる。顔が熱くなってきたのは気のせいだと思いたい。
……にしてもヒノちゃんって睫毛が長いな。目もクリクリっとしてて綺麗な瞳だし、顔立ちが綺麗かそうで無いかを問われるなら、綺麗な方だとは思う。現に学校の生徒達からモテてるし。
って、何考えてんだ俺は! ヒノちゃんの見た目に惑わされるな! この娘は俺に対してだけ鬼畜な美少女――もとい、少女に様変わりするんだ! 俺はもう二度と騙されんぞ!
「ぷくくっ……十秒も持ちませんでしたね」
しかし俺の意思とは裏腹に、自然と視線がズレてしまっていた。決して見つめ合うのが恥ずかしかったとか、そういうわけではない。あくまで自然に逸れただけだ。
顔が熱いのは気のせいだ。照れてない、俺は決して照れてないぞ。これはあれだ。外の気温が思っていたより暖かくて、少し厚着をしてきたせいだ。絶対にそうだ、間違いない。
「ついにツム君はMに目覚めてしまったんですね。弄られることに快感を覚え、いっそ虐めてくださいとさえ思うようなマゾっ子に……」
「誰がマゾだ! こんな打たれ弱いマゾがいてたまるか!」
「ぷくくっ……冗談ですよ。でも顔が真っ赤になってますね。また何か思うところがあったんですか?」
「止めて! これ以上ループしようとしないで!」
込み上げてくる羞恥心により、両手で顔を塞いで俯いた。そんな俺を実に楽しそうに見つめてくるヒノちゃんが可愛――憎たらしい!!
ていうか、さっきから俺は何を考えてんだ!? 気付けば暴言を吐こうとして、頭の中がどうかしているんじゃないか!? 一旦我に帰りなさい!
拳骨を何度か自分の頭に浴びせたところで、ようやく熱も冷めて落ち着いてきた。その代わりに疲労が溜まっていく一方だが。
「ツム君は本当に可愛いですね」
「君に言われたくないわ!!」
「……え?」
…………何だ今の言い方。駄目だ、今の俺はマジでどうかしてる。
「今のは褒め言葉ですか?」
「っ〜〜〜!!」
ようやく冷めてくれていた顔が一気に熱くなり、頭の上から何かが焼けるような音が聞こえた。恐らくそれは俺の湯気だ。
「ち、ちちちちげーし!! 今のはそういう意味じゃねーし!!」
「そういう意味ってどういう意味ですか?」
「だ、だからその……ヒノちゃんが……」
「私が……なんですか?」
絶対分かってて聞いてきている。そのニヤニヤした表情が何よりの証拠だ。しかし俺の口は思い通りに開いてくれない。これじゃ満足に弁明もできやしない。
「も、もういいだろこの話は! さっさと買い物行ってくれば!?」
「ぷくくっ……露骨に誤魔化しましたね」
「喧しいってんでぃ!! はよぅ行けやぃ!!」
「分かりました。それじゃもう行きますね」
そこでようやくヒノちゃんは立ち上がり、俺に背を向けて歩き出す――と思いきや、くるりと身を翻して俺の方にまた戻って来た。
「よくよく考えたら一人で行くより、誰かと行った方が楽しいですよね。なのでツム君も行きましょう」
「それなら俺じゃなくてミノちゃんを誘えばいいじゃん」
「でもツム君、暇なんですよね? なら別にいいじゃないですか」
行けば間違いなく弄られることになる。何時ぞやの買い物に二人で行った時がまずそうだったし、これ以上疲れが溜まるようなことはしたくない。故に俺は、何とか誤魔化してみようと決行する。
「おほんっ……俺はこれから精神を鍛えるために、ここで小一時間座禅を組もうと――」
「嘘ですよね?」
「……はい」
うん、分かってました。今のは自分でも見苦しいと思いました。
「そんなに私と買い物に行くのが嫌ですか? 別に強制はしませんし、嫌だと言うなら私は――」
「行く行く行きます!! 是非同行させてください!!」
「ぷくくっ……ありがとうございます。それじゃ行きましょうか」
完全に弄ばれていると分かっていても逆らえず、結局俺はヒノちゃんの買い物に付き合う羽目となった。今度はどんな目に合わされるんだか不安だ。
気のせいか、何となくヒノちゃんの機嫌が更に良くなったように見えたが……まぁ、良いか。変に元気を無くされるよりはマシだろう。
「ツム君、私なんだかデザートが食べたくなってきました」
「……奢って欲しいのなら素直に言いなさい」
「ぷくくっ……冗談ですよ」
やっぱり帰ろうかなぁ……と、そんなことを思いつつ、俺はヒノちゃんと並んで街の方へと向かって行った。
〜※〜
「冗談だったのに良いんですか?」
「いいよ別に。お金は無駄遣いしないように貯金してるから、少し余裕があるんだよ」
「あれ? それはおかしいですね? ツム君は以前、自分のことを乏しい小遣い学生だと言っていたのに」
「うぐっ……なんで覚えてるんだよ」
「さぁ、なんででしょうね?」
数十分歩いて電車に乗り、何時ぞやにヒノちゃんと一緒に来たデパートにまたやって来た。今は手軽に食べられるアイスを頬張って、休憩所で寛いでいるところだ。
「でもあの時のことを思い出すなら、ミノちゃんだって人に奢られる概念が無いみたいなこと言ってたじゃん。今はこうして俺に奢られてるけど、それってヒノちゃん的にアウトなんじゃないの?」
「だからさっき冗談だって言ったじゃないですか。でもツム君が『食べる?』って言ってくれたので、お言葉に甘えさせてもらいました。だからこれはセーフなんです」
「……物は言いようッスね」
「ふふっ、そうですね」
皮肉を言ったつもりが納得されてしまった。やはり俺の思い通りにヒノちゃんは動かないか。
しかし……今日という今日はリベンジしてやる! 前来た時は一方的に弄られたけど、今度こそ俺が優勢に立ってヒノちゃんを赤面させてやる!
……でも冷静に考えると、この状況って良いのだろうか? 本当ならヒノちゃんは俺じゃなくて、ヒノちゃんが好意を抱いているらしい人と一緒に来た方が良かったんじゃ……? そう思うとまた気が引けてきた。
いっそ思い切って聞いてみるとか――いや、無理だな。俺にそんな度胸はない。デリカシー云々言われたら今度は折れる自信しかない。
「ん〜、それにしても美味しいですねこのアイス。私初めて食べました」
「最近できたアイス屋みたいだからね。色んな味があるから人気らしいよ」
ちなみにヒノちゃんは、チョコミントとカボチャのダブルアイスを食べている。どちらも捨て難い味だと悩んだが、その末に俺が選んだのは抹茶のシングルだった。
金銭的に俺の方はシングルにしたわけだが……欲張って俺もダブルにしておけばよかった。どうして人が食べている物って、自分の物より美味しそうに見えるんだろうか。
思わずヒノちゃんのアイスをジッと見つめていると、ヒノちゃんはアイスを舐めるのを止めて、俺の方にスッと差し出してきた。
「よかったら一口食べますか?」
「えっ?」
「食べたいんですよね? なんだか物欲しそうに見つめていましたよ?」
「い、いや、別に俺は……」
別に美味しそうに見えただけで、食べたいとまでは思っていなかった。これは本当に嘘ではない。それにヒノちゃんが既に何度も口を付けているのに、食べられるはずもない。
何故、などという質問は愚問だ。だって……ねぇ? それって所謂あれでしょ? 無理無理俺にはハードル高いよ。
「ぷくくっ……もしかして恥ずかしいんですか?」
「はぁ!? べ、別に恥ずかしくねーし! そもそも一体何処に恥ずかしい要素があるのか分かんねーし!」
「ならどうぞ。一口でも二口でも良いですよ」
馬鹿か俺は。こんな安い挑発に乗ったお陰で、逃げ場が無くなってしまったじゃないか!
口元の近くまで差し出されてきたアイス。そしてニヤニヤしながら俺の様子を伺ってくるヒノちゃん。くそっ、こうなったら破れかぶれだ!
俺は食べ過ぎないように口を開けて――パクリとカボチャ味の部分を一口分だけ食べた。本来ならカボチャの甘みが広がっているところだが、生憎甘みをゆっくり味わうような余裕は何処にも無かった。
ただひたすらに顔が熱い。冷たい物を食べているはずなのに、首から上だけは異常に熱い。意識し過ぎだろ俺……。
「一口でいいんですか?」
「そ、そうしないとヒノちゃんの分が無くなるでしょーが」
「ふふっ、それもそうですね。それとツム君、今度は私にその抹茶アイス食べさせてください」
「えっ? あっ、うん……良いよ別に」
その発言に戸惑いはしたものの、これはチャンスだと思って許可を出した。俺でここまでの反応をしているのだから、流石のヒノちゃんと言えども抵抗を感じるだろう。さぁ、今度はヒノちゃんが照れる番だ!
俺もヒノちゃんと同じようにアイスを差し出した。しかし俺の予想通りになることはなく、ヒノちゃんは特に戸惑う反応を見せずにパクリと一口分だけ食べていった。
……なんでそんな余裕なんだこの娘。意識し過ぎてる俺の方がおかしいのかと錯覚してしまいそうだ。
「うん、抹茶味も美味しいです。今度またここに来る機会があったら食べに行きたいですね」
食べられたアイスを無言で見つめている内に、ヒノちゃんは自分のアイスをペロリと平らげていた。俺も早く食べようとアイスに口を付けようとするが、中々口を付ける度胸が出てくれなかった。
「どうしたんですかツム君? 食べないんですか?」
「い、いや、食べるよ」
「でもさっきから手が止まってますよ? やっぱり私が食べたのがいけませんでしたか……?」
がぶりと口を大開きにして頬袋に突っ込んだ。先端のコーンごと口の中に含み、バリバリという音と共にアイスの影響による頭痛に頭を抱えた。
「ぐぉぉ……頭ん中がキンキンする……」
「ぷくくっ……一気に食べるからですよ」
考え過ぎかもしれないが、もしかしたら俺がこうなるのもヒノちゃんの策略の内だったのかもしれない。この屈辱は必ず今日中に晴らしてやる……。
「さてと、それじゃそろそろ行きましょうか」
「行くのは良いけど、今度は何を買うつもりで来たんですかね?」
「それは行ってのお楽しみです」
「……先に言っておくけど、ランジェリーショップには行かないからね」
「ぷくくっ……分かってますよ。今日は違うお店ですから、気を楽にしていてください」
ニヤ顔のせいで全く気を楽にできないし、むしろ警戒心が剥き出しになってるんだが……ここは敢えて乗ってやろう。俺はただヒノちゃんを赤面させたいのではなく、ヒノちゃんの策略を打ち崩した後に赤面させたいのだから。
席を立ち上がって二人並んでデパートの中を歩く。よくよく辺りを見渡してみると、手を繋いで歩くカップルの姿がちらほらと見えた。中には腕を組んでいる人達までいて、視線のやり場に困ってしまう。
「休日のデパートはカップルが多いですね。大丈夫ですかツム君?」
「大丈夫って……何が?」
「勿論、嫉妬による殺意が芽生えていないですか? という心配です」
「そんな物騒な意念を抱いてたまるか。リア充爆発しろとか思わない人だからね俺は?」
まぁ、正直羨ましいとは思ってるけど。
「ツム君は平和主義者なんですね。知ってましたけど」
「知ってるなら変なこと聞くんじゃない!」
「ぷくくっ……すいません」
人が多い場所なんだから、あまり大きな声を出させないでほしい。今ので何人かこっち見てきてるし、あまり人から目立ちたくないんだよ。只でさえ学校じゃ注目の的になって疲れているというのに……。
「……もしかしたらですけど、周りの人達から見たら私達もカップルに見えてるんでしょうか?」
「ぶっ!? きゅ、急に何を言うんだよ君は!?」
「いえ、ふと思っただけなんですけど……男性と女性が二人きりで並んで歩くだけでも、周りからはそういう風に見られることって多いじゃないですか。だから私達もそうなのかなって」
「そ、それは……見方なんてその人その人によるでしょ」
「ふふっ、それもそうですね」
……待てよ? その話が本当に世間体的に当たり前みたいなことだったとしたら、それはヒノちゃん的にまずいのではないだろうか?
何がまずいのかを言えば、それは至って単純なこと。ヒノちゃんが高校生になってからというもの、何かと俺と二人きりになる機会が多かった。それはつまり、その数の分だけ俺がヒノちゃんの彼氏だと見られていたことに繋がるわけだ。
ヒノちゃんには好きな人がいるというのに、このままでは妙な噂や誤解を生み出し兼ねないかもしれない。そしてその情報がヒノちゃんの好きな人の耳に入ってしまい、叶うかもしれない恋も叶わないことになるかもしれない。
あれ? ひょっとして俺って、今までヒノちゃんにとっていけないことばかりしていたんじゃ? い、いかんいかん! ヒノちゃんの恋路を邪魔していただなんて、この娘の先輩として失格じゃないか! 今日になって気付くなんて遅すぎるぞ俺!
やはり俺は、ヒノちゃんと買い物に来るべきではなかった。とすると、一刻も早くここから離脱を図るべきなんだろうが、嘘はヒノちゃんに全く通じないからなぁ……。
チラッとヒノちゃんの横顔を覗いた。
「ん? なんですかツム君?」
「いや……別に何でもない」
ヒノちゃんは自分が置かれている立場に気付いていない。普段は勘が鋭いくせに、こういうことには鈍感らしい。だったら俺が直接教えるのが一番の解決法だ。
でも……なんでだろうか。伝えるべきことのはずなのに、いざ口にしようとすると躊躇してしまう。別に恥ずかしいことではないはずなのに、どうしてだろう?
駄目だ駄目だ、このまま言わないままだとヒノちゃんの状況が悪化するだけだ。ちゃんと俺から伝えてあげないと、ヒノちゃんにとって悲しい結果に繋がってしまうかもしれないんだから。
普段は憎たらしくて仕返ししてやりたいと思っているけど、それとこれとは話は別。この娘が悲しむ姿なんて絶対見たくない。そのためにも、この謎の抵抗心を抑えて言ってあげないと。
「…………あ、あのさヒノちゃん」
「着きましたよツム君」
「ちょっと話が――え゛っ?」
黙々と考え事をしながら歩いている内に、いつの間にか店の方に着いていたらしい。そしてその店を見て、俺は何時ぞやと時と同じように絶句した。
ランジェリーショップには行かないから気を楽にして良いと、ヒノちゃんは言っていた。しかし、それはやはり鵜呑みにしてはいけない言葉だったようだ。
ランジェリーショップ以外にも脅威となる店はある。今まさにその事実が立証されてしまった。
布の面積が少ない物ばかりが扱われているお店。世間では一般的にそれをこう呼んでいる。
水着、と。
俺は瞬時にヒノちゃんの肩を掴んだ。
「よし、今日はウィンドウショッピングをしようか。実はお勧めの雑貨店が違うところに――」
「……恥ずかしいんですか?」
「と思ったけど、そういえば家に着られる水着が無いことすっかり忘れてたわー! やっぱり最初はここに入ろうかー! ほら行くよヒノちゃんっ!」
……って、しまった! 思わずまた対抗心を燃やしてしまった! これじゃあの時とまんま同じじゃん! また弄られることになるの見え見えじゃん! それ以前に更にヒノちゃんの状況を悪化させるだけじゃん!
でも一度言ってしまったからには、筋を通すためにこの店を見て回らなければならないだろう。ならばできるだけ早めに店を堪能し尽くさなければ!
先に店の中に入ると、女物の水着で彩られた世界に視野を支配された。どうやらここは女性の水着を多く扱っている店のようだ。これじゃランジェリーショップとほぼ変わらないじゃないか!
思わず右手で両目を覆ってしまう。そうして立ち止まっている内に、ヒノちゃんもすぐ後ろからやって来た。
「へぇ、沢山水着がありますね。一通り見て回っても良いですか?」
「で、できるだけ早めに見回ってもらえると助かります……」
「ぷくくっ……分かりました。じっくり、ゆっくり、見て回りますね」
野郎! ここに来て露骨に弄りの策略を発動して来やがった! それは自分の首を絞めることにも繋がることに気付けよ!
指と指の隙間を開けて、視野を狭めた状態のままヒノちゃんの後に付いて行く。だがすぐにヒノちゃんは立ち止まり、ハンガーに掛けられている水着に触れ始めた。
「凄いですねこの水着。極端に布の面積が少ないです」
ニヤニヤしながら見せびらかすように水着を見せてきた。
確かにヒノちゃんの言う通り、その水着は誰から見ても布の面積が少ない。所謂、紐ビキニと言うやつなのだが、胸を隠す部分すらほとんど紐と言って良い薄さだ。
ランジェリーショップの時よりも顔が熱くなる。なんでこんな破廉恥な物が売ってあるんだよ!? よく訴えられないなこれで!?
「ぷくくっ……顔が真っ赤ですよツム君。もしかして、この水着を着た女の人の姿を想像しましたか?」
「な、なわけあるかぃ! いいから戻しなさいその水着! セクハラもいいところだぞそれ!」
「見てるだけなんですから、そんな恥ずかしがることないですよ。でもまぁ、初心なツム君には無理な話なんでしょうね」
ヒノちゃんによる明らかな挑発。誘っているのが見え見えだ。
「じょ、上等だ! だったらここから俺は、一度も恥ずかしがることなくこの店を制覇してやろうじゃないか!」
だからこそ、その誘いに容易く乗ってしまう俺は本当に馬鹿なんだと、心の底から思った。
今の発言をヒノちゃんが聞き逃すわけもなく、彼女はニヤリといつも以上に濃いニヤ顔を浮かべた。
「だったら賭けをしませんか?」
「賭け? 何を?」
「勿論、今ツム君が自分で言ったことを達成できるかどうかということです。達成できたらツム君の勝ちで、できなければ私の勝ちです」
「……良いよ。で、勝者に送られる景品は?」
「そうですね……負けた人は勝った人の言うことを何でも一つ聞く、というのはどうですか? 至ってシンプルな条件だとは思いますけど、私達にとっては価値ある商品だと思うんです。ツム君はどうですか?」
「ほほぅ……乗った」
今の俺にとっては願っても無い好条件だ。その命令で俺と二人きりになることを控えろと言えば、今ヒノちゃんが置かれている状況を打破することが可能になるのだから。起死回生のチャンスを見す見す逃すわけにはいかない。
大丈夫。今のは意表を突かれただけであって、もう恥ずかしがることはない。下着と比べれば水着なんて屁でもない。あの日のリベンジも含めてやり遂げてやる!
大分この視界にも慣れてきて、右手を除けてみた。よし、平気だな。顔は赤くなってないはずだ。
「それじゃ今からスタートです。次にツム君が顔を赤くしたらアウトってことで良いですね?」
「良いよ。それができればの話だけど」
「へぇ、随分余裕なんですね。今さっきまでは落ち着きがなかったのに、何か平常心になれるキッカケでもあったんですか?」
「まぁ……ね」
今まで俺は何度もヒノちゃんとこういう勝負をしてきたわけだが、一度足りとも俺が勝利を収めるという結果は無かった。そのため、次こそはと執念を燃やすことで、今こうして屈強な平常心を保てているんだろう。
後は……まぁ、ヒノちゃんの恋路のためってのもある。相変わらずあまり気は乗らないけど。
「ちなみにツム君はどういう命令をするつもりですか? 思春期なのでおっぱい揉ませてください、とかですか?」
「そんなセクハラしないから。やって良いことと悪いことくらい区別付けてるから」
「ふむ、つまりは合法的にエロいことをするつもりですね? 例えば、この際どい水着を私に着させて拝むとか」
俺は自分のこめかみを思い切り殴った。
全く、油断も隙もない娘だ。そう易い手に何度も引っ掛けられてたまるかってんだ。学習できるものは学習してるんだよちゃんと。
「ぷくくっ……痛覚で想像を咄嗟に遮断しましたか。やりますねツム君」
「フフフッ、今日の俺は一味違うよヒノちゃん。悪いけど、今度こそ勝たせてもらうよ。今日でヒノちゃんの不敗伝説は終わりだ」
「そうですか。そうなるといいですね」
さらっと流しやがったよ。今度は怒らせて顔を赤くさせるという策略か? それも看破してるから意味ないけどね!
際どい水着を元に戻して、きょろきょろと周りの水着を見ながら歩くヒノちゃん。いつ何が来ても良いように、俺はしっかり気構えしながら後に付いて行く。
なんだか今日はマジで勝てるような気がしてきた。良いぞ良いぞ、この根拠のない自信を持ち続けるんだ。その気持ちの余裕は、より勝率を高める糧となるのだから。
「うーん……色々有り過ぎて迷ってしまいますね。ちなみにツム君は、女の子のどういう水着が好みですか?」
「好みと言われても、具体的な種類とか分からないんだけど……」
「何となくで良いですよ。なんとなく思い付いたイメージを言ってみてください」
「なんとなく……うーん……」
言われるがままにヒノちゃんの女の子らしい水着姿を想像してみる。
麦わら帽子を被っていて、黄緑色の水着の上から萌え袖の白いラッシュガードを着こなしていて、にっこりと可愛らしく笑って――
「あ゛ぁいっ!!」
俺は自分のこめかみを思い切り殴った。
今のは危なかった。もう少し具体的に想像していたら、思わず顔を赤くさせているところだった。イメージしてくださいと強制的に想像させることにより、俺を赤面に追い込むという策略だったのか。なんて恐ろしい策を行使するんだこの娘は。
……ていうか、なんで今ヒノちゃんの姿で想像した? いやいや違う違う、別にヒノちゃんに水着が似合いそうとか思ってないし。ヒノちゃん如きの水着姿で赤くなるとか有り得ないし。そうだそうだ、これは最初から不発していた策略だったんだ。
「ぷくくっ……惜しかったですね。もう少しで赤くなると思ったんですが」
「はっはっはっ! 甘いなぁヒノちゃん! ヒノちゃんの水着姿程度で赤くなるほど、俺は容易い男じゃないんでね!」
「え? 私の水着姿を想像していたんですか?」
「…………あっ」
墓穴掘った。わざわざ口に出して言うことじゃなかったのに、つい調子に乗ってしまった。
ヒノちゃんはまたニヤニヤと笑い、俺の顔を見つめて来た。
「べ、別に他意はないからね? 疚しい気持ちとかこれっぽっちも無いからね? 変な誤解しないでね?」
「変な誤解とは何ですか? 具体的に教えてください」
すると今度は、じりじりと距離を縮めて詰め寄って来た。俺は咄嗟に掌を突き付けた。
「ま、待った! 近付いて来るのは無し! ズルいから無し!」
「ズルい? 何がズルいんですか?」
「な、何って……と、とにかく無し! 分かった!?」
「だったらツム君も自分を殴ることを禁止してください。それでおあいこにするなら良いですよ」
「ぐっ……わ、分かった」
くそっ、これでもう痛覚による想像と妄想の遮断ができなくなってしまった。ストレートに辱めて来るのではなく、今度は段階を踏んで来るとは……。流石はヒノちゃん、今まで俺に全勝してきただけある。
「それで話を戻しますが、さっきの誤解とはどういう誤解ですか?」
そしてまたその流れを持ち返すだと!? 手の込んだ仕打ちをして来やがって、そうは問屋が卸さんよ!
「そ、それはもういいって。それより早く見て回ろうよ」
「駄目です、ちゃんと答えてください」
こう言えばいつもなら譲歩してくれるのに、まさかの強制発言宣言だと!? え、えぇい! 負けてたまるか!
「ご、誤解は誤解だって。具体的な例も何も無いから」
「誤魔化すのも駄目です」
「ご、誤魔化してないし!」
「ならなんでそんなに目が泳いでるんですか?」
「周りが水着ばかりだから、身体の一部が泳ぎたい衝動に駆られたからじゃないかな!?」
「ぷっ……そ、そうですか」
顔を逸らして口に手を当てるヒノちゃん。ボケたわけじゃなくて、ただ必死に抵抗していただけなんだけどなぁ……。
「面白かったので、この辺で勘弁してあげますね。それじゃ次行きましょうか」
や、やった! 不意のボケのお陰で満足してくれた! ありがとう笑いの神様! 窮地に一生を得たとはまさにこのことよ!
――と、この時点までは俺もなんとか乗り越えられていた。俺は思ってもいなかったのだ。まさかこの後すぐに、思わぬ伏兵と出会すことになるということを。
気になった物だけ実際に手に取り、少しだけ拝見した後に元の場所に戻す。ヒノちゃんはその一連の動作を何度も繰り返し、俺は黙ってその光景を見続ける。
そうしていること約二十分。そこで俺は、思わぬ事態に遭遇することになった。
「あれ? あそこにいるの紫ちゃんじゃないですか?」
大方水着を見回ったところ、一着の水着と睨めっこしている由利村さんがいた。その傍には友達らしき女の子もいるところを見ると、一緒に買い物しにここに来ていたようだ。
……って、呑気に観察してる場合じゃない! こんなところを知人に見られたら妙な誤解を生み兼ねない!
「ヒノちゃん、ちょっと向こうの方に行――」
「こんにちは紫ちゃん。奇遇だね」
「……瞬間移動?」
とにかく身を隠そうと横にいたはずのヒノちゃんに話し掛けようとしたところ、既にヒノちゃんは由利村さんのすぐ近くまで移動していた。この状況はかなりまずいぞ……。
「えっ!? ヒノちゃん!? どうしてこんなところに!?」
「オーバーリアクションだなぁユカっち。相手は女の子なんだから、慌てなくても大丈夫でしょ」
目を大きく見開いて仰天する由利村さんだったが、友達のフォローによって宥められ、落ち着いていた。
「私は夏休みにミノちゃんと海に行く予定があるから、そのために買い物に来てたの。ちなみにツム君もいるよ」
「うえぇっ!? あ、あま、天川君も!?」
言わないでくれれば俺だけ隠れてやり過ごせたというのに、余計な発言のせいで身元がバレてしまった。
止むを得ずにヒノちゃん達の近くまでやって来ると、由利村さんは言葉では説明できない物凄い顔になった。
「へぇ〜、君が例の噂のツム君か〜」
由利村さんの友達が急に近付いて来たと思いきや、俺の周囲を回ってジロジロと見つめて来た。あんまり直視されると恥ずかしいな……。まだ我慢はできる範囲だけど。
「私、真緋瑠って言うんだ〜。宜しくね〜ツム君」
「は、はぁ……」
少し日に焼けた肌が目立つ黒髪短髪の女の子。その雰囲気は実に気さくで、誰から見ても運動部臭がするオーラを解き放っている。
……俺の一番苦手なタイプの女の子だな。
「そして君はヒノちゃん、だよね? 話はユカっちから聞いてるよ〜」
「そうなんですか。それなら自己紹介は必要ありませんね。それで、真緋瑠先輩方も買い物でここに来たんですか?」
「んまぁ、そんな感じかな〜。それと私にも敬語は使わなくてい〜よヒノちゃん。ユカっちの友達とは極力仲良くしたいからね〜」
ヒノちゃんに負けず劣らずのコミュニケーション力だ。これが肉食系女子というやつなんだろうか。良い人なんだろうけど、やっぱり苦手だこの人。
というか、この雰囲気は俺の存在が空気になりつつあるな。もしやこのまま空気になりきれば、ヒノちゃんの元から離脱できる可能性が出てくるのでは? それはまた願っても無い。
「いやぁ、にしても丁度良かったよ〜。実はさっきからユカっちが悩みに悩んでてさ〜? ヒノちゃんからも何か言ってあげてくれない?」
「悩んでる? どうしたの紫ちゃん?」
「い、いや、悩みってわけじゃないの。ただ、どの水着を選べば良いのか困ってて……」
「なるほど……。それなら良い方法があるよ」
「え? どんな?」
すると、女子トークに花を咲かせるかと思いきや、不意にヒノちゃんが俺の方に振り向いてきた。その表情は無論、ニヤついていた。
「水着を選ぶ時の基準は、異性の人からの評価が一番参考になります。なのでツム君、紫ちゃんの水着を実際に見て審査してあげてください」
「うえぇっ!? ヒ、ヒノちゃん何を言ってるの!?」
全くだよ! 気は確かなのかこの娘!?そういう手口で攻めてくるなんて予想してなかったんですけど!?
後少しでゴールが見えたと思ったのに、この試練は難易度が高過ぎる。しかも実際に見ろってことは、由利村さんの水着姿を見て判断しろと言うことだ。そんな姿を見たら最後、間違いなく俺の熱はアウトゾーンにまっしぐらだろう。
ここまで来て負けられるか! ここはヒノちゃんではなく、由利村さんを説得しよう! その方がこの難局を乗り越えられる可能性が高い! 由利村さんも俺みたいな貧弱男子にそんな姿を見せたくないだろうしな!
「落ち着くんだ由利村さん! そんなことをしなくても、由利村さんにはどんな水着でも絶対似合うから!」
「っ〜〜〜!?」
ちょっと恥ずかしい台詞を言った感はあるが、これも勝負のためだ。ヒノちゃんに勝つためなら、俺は喜んでヤケクソになろう! それが後で後悔する結果になったとしても!
「……ユカっち、ちょっとこっちカモン」
「あぅあぅあぅ……」
真っ赤になった由利村さんがマヒルさんに連れて行かれる。勝負のためとはいえ、申し訳ないことをしてしまった。でも嘘は言ってないからね由利村さん!
(これはチャンスだよユカっち。ここでユカっちのダイナマイツボデェ〜を披露すれば、ツム君の好感度が激アップ間違い無しだぁ)
(無理無理無理! 私そんなにスタイル良くないもん! 恥を晒すだけだろうし、そもそも天川君に水着姿を見せる勇気がないよ!)
(ほぅ……それはつまり、あのヒノちゃんって娘にツム君を譲ってしまうということなんだね? その初恋を諦めてしまうということなんだね?)
(そ、それは……)
(ここで文字通り一肌脱げないようじゃ、好きな人の心を掴むことなんて到底無理な話だよ。今時の男子は草食系に染まりつつあるんだし、こっちが肉食になっていかないとこの戦乱の世を生き抜けないよ? 三十路になってもアパートで一人酒を飲み散らかす未来なんて嫌でしょ?)
(うっ……わ、分かりました……。私も覚悟を決めます……)
(うんうん、それでこそ肉食系だぁ)
話が終わったのか、マヒルさんがニコニコしながら戻って来た。一体何を話していたのか気になるが、女の子達の内密な話を聞くのは野暮だろう。
続いて由利村さんが戻って来て、見るからに無理をしている笑みを浮かべてきた。
「あ……あの! 天川君!」
「な、何?」
「その……あの……わ、私の水着姿を見てくれませんか!?」
やばい、錯乱してるこの人。
「由利村さん……まさか露出狂に目覚めて……?」
「ちちち違う! 違うの! そういうことじゃなくて、私はただ……その……」
今にも火達磨になりそうなくらいに全身を真っ赤にさせる由利村さん。一体何を吹き込んだんだマヒルさん……。
「ツム君。つまり紫ちゃんが言いたいのは、ツム君に水着を見立てて欲しいってことですよ」
あぁそういうことか……。良からぬキッカケで由利村さんが目覚めたのかと思ってしまった。失敬失敬。
「で、でも俺には無理だって。水着のセンスとか分からないし、それ以前に由利村さんならどんな水着を着ても絵になるだろうし……」
「それでも紫ちゃんはツム君に選んで欲しいって言ってるんですよ。女の子の切実な頼み事を無碍にしたらいけませんよ」
「それはそうだけど……」
俺が躊躇う理由は二つ。一つは、由利村さんの水着を俺が選ぶだなんて烏滸がましいという立場的な理由。そしてもう一つは、由利村さんの水着姿を見て平常心を保てる自信がないからだ。
あの由利村さんの水着姿だ。只でさえ魅力的な女の子なのに、そんな姿になった由利村さんの威力は底知れないだろう。それを見たが最後、俺は確実にヒノちゃんとの勝負に負ける。
どうする? どうやってこの窮地を逃れる? 何か策は無いのか? 何処かに逃げ道は無いのか? 救いの手を差し伸べてくれる人はいないのか?
……駄目だ。この状況は明らかに回避率0パーセント。何をどう足掻いても避けられぬ勝利への道だ。
なればこそ、俺は乗り越えなければならないだろう。この窮地を乗り越えてこそ、俺は真の男になり、栄光の勝利を収めることができるはずだ!
思い出せ、ここまでヒノちゃんとウィンドウショッピングしてきた経路を。何処かにあったはずなんだ。露出度の低い水着が。
「…………っ!」
店中に視線のサーチスコープを巡らせ、とある一つの水着にピントが合わさった。
赤とピンクの色が合わさったフリル付きのタンキニ。あれなら他の水着よりも耐えられる自信が少なからず見受けられた。
「えっと……由利村さん。あれなんて良いと思うんだけど……どうかな?」
「あっ……」
目星を付けたタンキニに指を差した。それを見て由利村さんの緊張が少し和らいだように見えたのは、きっと気のせいじゃないだろう。
由利村さんも俺と同じで恥ずかしがり屋だ。元々は俺のためだったが、結果的には由利村さんへの配慮にもなって一石二鳥。これで俺が耐えられたら言うこと無しだ。
「じゃ……じゃあ、あれにするね」
由利村さんは俺が選んだタンキニを取ってくると、そそくさと試着室の中へと入って行った。
ついに最終決戦だ。負けられない戦いがそこにはある!
「ツム君も良い水着を選びますね。タンキニは露出度が少ないですけど、着る人によっては男ウケが良いと評判なんですよ」
「しかもユカっちはピンクが似合う女の子だしね〜。見事ドンピシャ衣装当てちゃって、見る目あるじゃんツム君〜」
「…………」
取り返しの付かないことって、まさにこのことを言うんだろうなぁ。
「ごめん、俺ちょっと用事ができたからこの辺で」
回れ右をして去ろうとしたが、既に退路は二人の刺客によって塞がれていた。
「逃がしませんよツム君。存分にその目に焼き付けてください」
「ユカっちの勇姿は無駄にさせ〜ん! 観念するんだツム君!」
「くそっ! 避けるんだ二人共! 俺はこんなところで負けるわけには――」
「き、着替え終わりました〜」
「っ!?」
由利村さんの声で無意識に振り向いたのが仇となり、「隙あり!」とマヒルさんに羽交い締めされてしまった。
そして、試着室のカーテンがゆっくりと開けられる。
「……………………」
その中から輝き出る黄金色の光。俺は安らかにその輝きに飲み込まれていった。
〜※〜
「……ただいま」
「お帰りツム兄――どしたのその顔? 随分とやつれてるけど」
「……うっせ」
頼まれていたデザートのプリンを手渡し、部屋の方へと戻って行く。
もう二度と……二度と女の子と買い物には行かない。例え相手がヒノちゃんだろうと、由利村さんだろうと、家族のミノちゃんだろうと絶対に行かない。
そう言えば、結局ヒノちゃんの好きな人の正体を探れなかったな。でももういいや、今日は何も考えたくない。
部屋に戻って来ると、俺は二度と拝むことはないであろうあの水着姿を泣きながら思い出し、夕飯までずっと部屋に引き篭もってふて寝していた。