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救世主

 俺には一つ年下の後輩が存在する。


 俺の隙を見計らい、何かとあっては弄ってこようとちょっかいを掛けてくる。別にそれで迷惑してるというわけではないが、常々自重して欲しいとは思っている。そういう意味では非常に困った可愛――おほんっ、ただの後輩だ。


「ベッタベタな恋愛映画ですなぁ。私には合わないわこれ」


 リビングにて俺が床を雑巾掛けしている中、二人の女の子達がソファーに座りながらお茶菓子を摘みつつ、ブルーレイを使って映画を見ていた。


 黒髪セミロングの女の子こと、俺の妹であるミノちゃん。そして、今日は長い黒髪をポニーテールにしているタレ目の俺の後輩こと、ヒノちゃん。今日も仲良くしているようで何よりだ。


 そういえば最近になってからか、ヒノちゃんが家に遊びに来る回数が増えた気がする。三人で夕食を食べることが自然の流れになっていて、まるでこの家に住民がもう一人増えたような感覚だ。


 俺からしたら、もう一人の妹ってところかな。ミノちゃん以上に俺を弄ってくるというタチの悪い妹だが……。


「ミノちゃんはアクション映画が好きだもんね。たまには恋愛映画もいいんじゃないかなって思ったけど、余計なお世話だったかな?」


「いやいやそんなことはないよ。たださぁ、どうにも私には恋愛ってものが合わなくてさぁ? 人としておかしいのかな私って?」


「おかしくはないと思うよ? 考え方は人それぞれなんだし、そういう人がいても普通だって私は思ってるから」


 ははっ、模範解答だねぇヒノちゃん。俺なら正直に『お前がおかしいのは今更なことだ』と言っているところだ。


「ツム兄〜、今失礼なこと考えてない〜?」


「えっ!? な、何のことかな……?」


「……ヒノ、今日の夕食の肉じゃがなんだけど、ツム兄のだけジャガイモ抜いといて」


「すいませんでした! それだけは勘弁して下さい!」


「うむ、宜しい。駄目だよツム兄、私も一応女の子なんだからさ〜?」


 なんて勘の鋭い女の子だ。これが血の繋がりの力なのか? 恐るべし我が妹。


 そうこうしているうちにようやく雑巾掛けが終わり、雑巾を洗って片付けたところで、夕食用の椅子に座って一息をついた。


「ま、私には恋愛感情が必要ないってことだよね。この先で困ったことがあったらツム兄に養ってもらえばいいんだし」


「都合の良いこと言うんじゃありません。その時は自分の力でどうにかしなさい」


「ぶーぶー、心が狭いぞツム兄〜。なら仮に私が命の危険に晒されていたとしても、ツム兄は見て見ぬフリをするってことなんだ……」


「例え話が重いんだよ! その時は死に物狂いで助けに行くっての!」


「にししっ、だよねだよね〜。やっぱ私は今のままでいいや〜」


 ご機嫌な様子でミノちゃんはソファーに横になり、ヒノちゃんの膝の上に頭を乗せた。単純な妹だな全く。


「恋愛ねぇ……ちなみにヒノは、どんな恋愛をしたいかっていう願望はあるの?」


「恋愛の願望? うーん……」


 唐突な質問に唸り声を上げて首を傾けるヒノちゃん。それは地味に俺も気になるな。決して深い意味ではなく、ただの興味本位という意味で。


「そうだなぁ……無難にラブレターとか良いかもって思うかな」


「……ぷっ」


 思わずちょっとだけ笑ってしまった。まさかの王道的解答とは……。失礼だとは思うけど、ヒノちゃんには似合わないなぁ。


「……ミノちゃん。今日の夕食の肉じゃがだけど、ツム君のはお肉を抜きにしてくれるかな?」


「ごめんなさいでした! ほぼ汁しか残らない肉じゃがだけは勘弁してください!」


「ぷくくっ……冗談ですよ」


 今のは俺の失態だった。弄られても文句は言えまい。ヒノちゃんも歴とした女の子なのだから、恋愛に対する憧れの一つや二つがあってもおかしくはない。


 軽率だったな、俺。ちゃんと反省しておこう。


「ラブレターねぇ……そういやさっきの恋愛映画でもやってたっけ。でもああいうのって携帯のメールと同じで、あんまり気持ちが伝わらないんじゃないの?」


「分かってないなぁミノちゃん!」


「むぉ? ツム兄?」


 バンッと一度だけテーブルを叩く俺。今のは少女漫画好きの俺としては、見過ごせない発言だった。やれやれしょうがないなぁ……。


 椅子から立ち上がって団らん用のテーブルまで移動し、ミノちゃん達と向かい合うように胡座をかいて座った。


「いいかいミノちゃん? 確かに君の言う通り、携帯のメールは告白には最適とは言えない手段だ。でもラブレター……というか手紙か。そっちはメールとは全く違う要素があるんだよ」


「おぉ、珍しくツム兄が語り出したよ。なんか面白くなってきた私」


「ぷくくっ……私も興味がありますね」


 興味を持ってくれたようで、二人共身を乗り出してきた。うんうん、恋愛に目を付けようとするその心掛けや良し。


「それでツム兄、その要素ってのは何なの?」


「うん。例えばだけど、手紙というのは当然手書きで書かれるものだよね? 機械で書かれたような文字とは違って、手書きだとその字体から相手の気持ちが読み取れることがあるわけさ。この娘はそれだけ必死なんだなぁ、とかね」


「あ〜、なるほどね。でもその手紙の字が滅茶苦茶汚かったら笑えるよね。私だったら草生えるよ絶対」


「台無しになるようなこと言うなよ! 字が下手でも気持ちさえ伝わればそれで良いんだよ!」


「ふーん、そういうものなんだ。私には全然分からないや。ネタとしてなら笑えるけど」


 駄目だこの妹。この世で最も恋愛という文字が合ってない。恋愛要素皆無のこいつに話を振った俺が浅はかだった。


「ヒノちゃんは? ヒノちゃんは分かってくれるよね?」


「はい、私は分かりますよ。まさに私が言いたかったことの内の一つです」


「おぉ……」


 実は今までこういう話をしたことがなかったが、同意されるとこうも嬉しいものなのか。ヒノちゃんが凄い良い人に見えるとか、温泉旅行の時以来かも。


「他にはどんな要素がありますか? もっとツム君の意見を聞いてみたいです」


「そ、そう? なんかグイグイ来るね今日のヒノちゃん」


「はい。実は私もこういう話は好きなんですよ。ミノちゃんとはこういう話を殆どしないので、正直嬉しいですね」


「良いねぇヒノちゃん。今日のヒノちゃん実に良いよ!」


「ふふっ、ありがとうございます」


 まさかこんな身近に話せる相手がいるとは思わなんだ。相手が女の子だから少し抵抗は感じるけど、まだ話せるだけ全然マシだ。


「私だけ置いてけぼり? 寂しいなぁ、私にも構ってよツム兄〜」


「お黙り娯楽脳。お前は大人しくアクション映画でも見てウハウハしてなさい」


「ちぇ〜、冷たいなぁ。いいよいいよ、私ターミ姉たん3見るから」


 ブー垂れながら拗ねてしまい、ミノちゃんは一人で細々とブルーレイに没頭し始めた。後で機嫌取らなきゃいけないパターンだよこれ。ま、後のことは後で考えよう。


「それで話を戻すけどさヒノちゃん。他の要素だけど……これは男としての偏見なんだけどさ。男は誰しも、どれだけ時代が流れてもラブレターを貰えると嬉しいものなんだよね。現に俺の友達の一人がラブレターを貰った時があったんだけど、泣いて喚いて裸になって喜んでたよ。後で先生に説教されてたけどね」


「あははっ、そんなことがあったんですね。ちなみにツム君はラブレターとか貰ったことあるんですか?」


「…………」


「ん? ツム君?」


 ラブレターを貰ったことあるんですか……か。できれば聞かれたくなかったその質問。何故ならその発言は、俺の黒歴史の一つを掘り起こすトリガーとなるから。


「聞いちゃうんだねそれ……ヒノちゃんって実は無神経だったんだね……グスッ」


「えっと……すいませんツム君。聞いてはいけないことだったら謝ります」


「いや、別に怒ってはいないんだけどね? ちょっと思い出したくない過去があると言いますか……」


「……ぷくくっ」


 その時、ヒノちゃんが例のニヤ顔を浮かべた瞬間を俺は見逃さなかった。まずい、このパターンは非常にまずい。


「あ、あのさヒノちゃん。これは割とマジで言いたくな――」


「ミノちゃんミノちゃん。ツム君が一つ面白い話を持ってるんだって」


「ほぅ……それは聞き捨てならない情報ですなぁ?」


 止めようとしたが間に合わず、再び面倒臭い妹が召喚された。俺の後ろに回って首に手を回してきて、俺が逃げられないようにくっ付いてきた。


「さぁさぁツム兄、大人しく面白い話を吐くんだ。吐かないというのであれば……今日から明日以降、ずっとツム兄の目覚まし時計を二十分間遅らせます」


「何だその地味な嫌がらせ。地味に困るから止めてくれない?」


「だったら大人しく吐くのです。ちゃんと最後には笑ってあげるからさ」


「笑ってあげるからさ、じゃねーよ。だから言いたくないんだよこっちは!」


 ジタバタと足掻いてみるが、ミノちゃんは木にくっ付いた蛹のように離れる気配がない。くそっ、最早避けられぬ運命か……致し方あるまい。


「わ、分かったよ。話せばいいんだろ話せば。でも周りには絶対言わないと約束してよ?」


「それは安心してください。私達の胸の中だけにしまっておきますから」


「そこは信用してくれて良いよツム兄。それにこういう話は、独り占めするからこそ価値があるからね〜」


「なんか納得できないけど……まぁいいか」


 気乗りしないがしょうがない。ここだけの話として二人に話すことにしよう。


「これは小学四年生の話なんだけど……熱い夏の頃だったかな。いつものように靴を履き変えようと下駄箱を開けたんだけど、そしたら中に手紙が入ってたことがあったんだよね」


「はぃぃ!? もしかしてツム兄、ラブレター貰っていた経験があったってこと!? なんでそんな面白いことを今まで黙ってたのさぁ!」


「落ち着けミノちゃん、俺の様子を見て分かるだろ。これは決してハッピーエンドで終わらない話だ」


「ふむふむ……取り敢えず続きを聞いてみようよミノちゃん」


「ぐぬぬ……分かった。続きをどうぞツム兄」


「うん……」


 苦し紛れに一度咳を立てて、話を再開する。


「当然初めてのことだったからさ。俺混乱しちゃって慌ててたんだけど、取り敢えずその手紙を取ってトイレに駆け込んだんだよね。そこで中身を確認したら、放課後に最寄りの公園に来てくださいって時間指定で書かれてたわけ」


「ほぅほぅ。それで?」


「それで急いでその公園に向かってさ。それはもうウキウキしてたから、スキップしながら歩いてたのを覚えてるよ。何度か石に躓いて転んでたけど」


「ぶっ……くくくっ……」


 早速ミノちゃんが笑い出したが、構わず俺は続ける。


「で、指定された時間の十分前くらいに公園に着いて、その娘が来るのを待ってさ。それで数分後、本当に一人の女の子が来て……慌てて駆け寄ったんだよね。それから手紙を見せて話をしたら……『誰?』って言われたんだ」


「ん? それってどういうことで……いや、まさかそれって……」


「そう。その娘は間違って俺の下駄箱に入れたらしくて、本当は違う男の子だったらしい」


「ぷくっ……そ、そんな漫画みたいな話を体験したんですか。それはまた……くくっ……」


 必死に笑いを堪えて涙目になるヒノちゃん。一方ミノちゃんは限界スレスレで、床に縮こまって身体を丸めながらぷるぷると身を震わせていた。


「でしょ? 漫画みたいな話でしょ? でもこの話はのれで終わりじゃないんだよ……」


「ま、まだ続きがあるんですね。ぷくくっ……くくっ……き、聞かせてください」


「うん。それで話を戻すけど、誰って言われた後に事の流れを子供ながらに説明してさ。そしたらその女の子に『なんで君が持ってるのぉ!?』って叫ばれて、思いっ切り泣かれちゃったんだよね」


「そ……それ、で? くっ……ぶぐっ……」


「それでその出来事が俺のクラスに何故か伝わってたらしくてさ。理不尽にも先生からは叱られ、クラスの女の子達から軽蔑の眼差しを送られ、挙句の果てにはその娘が呼び出そうとしてた男の子からぶん殴られて、それはもう酷い目に遭ったよ……」


「くっ……もう駄目……アッハッハッハッハッ!!」


「ニャハハハハハッ!! は、腹が!! 腹が痛いよぉ〜!! ニャハッ! ニャハハハハハッ!!」


 笑いのツボの沸点を越えた二人は、腹を抱えて一気に爆笑し出した。ミノちゃんはともかくとして、ヒノちゃんもジタバタ手足を動かして爆笑するという、それはそれは珍しい姿を見せている。


「そ、そんな過去があったとか……ニャハハッ! は、半端ないよツム兄! すべらない話で話したらMVP取れるよ絶対それ!」


「ぷくくくくっ……ほ、ホントですよ。ある意味才能なんじゃないですかそれ? だ、駄目、また笑いが……アハハハハッ!!」


「くっ……だから言いたくなかったんだよぉ……」


 過去の思い出に浸って涙目になりながらテーブルに向かって塞ぎ込んだ。今思うと子供って残酷だよね。たったそれだけの出来事で俺を全力で突き放そうとしたんだから。


「でもさ、冷静に考えると本当に酷い話だね。だってツム兄、何も悪くないじゃんか」


「そうなんだよ。完全にとばっちりだったんだよねぇ……」


「でもツム君は、その女の子が書いた手紙を見たんですよね? 多分それが恥ずかしくて泣かれてしまったんじゃないですか?」


「そうなんだろうけど……でもどうしようもないじゃん? 下駄箱に手紙が入ってたら普通見るじゃん? 二人だってそうするでしょ?」


「そうですね。私がツム君の立場だったら、全く同じことをしていたと思います」


「つまりその出来事は、運の悪い事故だったってことだよね。可哀想なツム兄……くくくっ」


 可哀想と思うならその笑みを止めていただきたいなぁ……。もう過去のことだからあんまり気にしないようにしてたけど、いざ思い返すと精神的に結構堪えるわぁ……。


「黒歴史って本当に存在したんですね。私そういう話は初めて聞きましたよ」


「お肌はこ〜んな白いのに、過去は真っ黒クロスケとな? ぷぷぷっ〜、面白いですなぁツム兄〜」


 この野郎……自分のことを棚に上げやがって。見てろよこいつ。


「ちなみにヒノちゃん。俺はミノちゃんの黒歴史も一つ知ってるんだけど、興味があるなら教えてあげるよ?」


「え? ちょ、ちょっと待ってツム兄? まさかあの話をするつもりじゃ――むぐぅ!?」


 今度は俺がミノちゃんの背後に回って拘束した。口を塞いで身動き取れないように寝技を仕掛ると、ミノちゃんは何とか抜け出そうとするも、俺の力に抗うことはできないようだ。


「ぷくくっ……それはまた興味がありますね。教えてください」


「ん゛ん゛〜!!(ヒノぉぉぉ!!)」


 親友の黒歴史にも興味津々なご様子のヒノちゃん。その反応に俺は思わずニヤリと笑った。


「うんうん、だったら話してあげるよ。これはミノちゃんが中学二年生の頃という、実は結構最近の話なんだけどさ。まず先に聞くけど、ヒノちゃんってミノちゃんが厨二病患者だったって知ってる?」


「え? そうだったんですか?」


「ん゛ん゛ぇ〜!!(止めてぇぇぇ!!)」


 いつになく必死に暴れるミノちゃん。良い機会だから日頃のお返しにプレゼントしてやろう。羞恥心という悶え苦しみ物のプレゼントを!


「あ〜、やっぱりヒノちゃんですら知らなかったんだ。実はミノちゃんって少しだけ内弁慶なところがあってさ。学校とかでは今みたいに普通にしてたんだけど、家に帰ってくると否や、不器用にもそれっぽい言葉を使って厨二病アピールしてたんだよ」


『ふっ……やはりマイホームに帰還すると……じゃ、邪竜と激しい激闘を繰り広げた時に負傷した古傷が疼く疼く……しかしこれも我が……宿命。しかしこの運命を我は受け入れよう。この我が愛刀、ジャスティスコンポレーションと共に……』と言ったように、ツッコミ所が満載の塊みたいな人間の頃があったのは懐かしい話だ。


 その例を上げてヒノちゃんに伝えると、腹を抱えてまた笑いを堪えていた。


「ぷくくっ……可愛いですねミノちゃん。私全く知りませんでした」


「ちなみに愛刀の名前だけど、コンポレーションの意味を知らずに使ってたらしいよ。なんか響きが格好良くね? 私に合ってね? 相応しくね? みたいに自惚れてたなぁ。全く訳分からなかったけど。で、この愛刀は後に大きな事件を起こすことになったんだよ」


「ふむふむ。是非教えてください」


「うん、分かっ――痛ぁ!?」


 ずっと抵抗し続けていたと思いきや、がぶりと口を塞いでいた手を噛まれた。


「うがぁぁぁ! 言わせん! それだけは言わせん!」


「くっ、獣かお前は!? そうは問屋が卸さん!」


 少々手荒になってしまうことを心の中で謝りつつ、今度は口ではなく首に手を回して拘束した。息苦しそうに「うげげげ……」と声を漏らすが、窒息する心配がない程度には力を緩めているので問題ない。


「それで続きだけど……家でしか厨二を発揮しないはずのミノちゃんだったんだけど、きっと血迷っちゃったんだろうね。いつしか家の中だけに留まらず、わざわざ学校の屋上で一人の時にもあれやこれやと台詞を叫んで遊んでたらしい」


「ぷくくっ……それで?」


「そういう日々が少しだけ続いた後……運悪く屋上に見知らぬ人がやって来たみたいで、ばっちりそういう姿を見られちゃったんだって。それで錯乱したのか、新聞丸めた剣に自前のライターで火をつけて、『我の愛刀の(ほむら)の前に散れぇぇぇ!!』とその人を追いかけ回したらしい。そしてその出来事が学校内に伝わって、ついたあだ名が――」


「聖火リレーのキチガイ女、ですよね。他にも、時代に取り残された縄文人というのもありました。それってそういうことだった……んですね……くくっ……アハハハハッ!」


「ヒノぉぉぉ!! 貴様ぁぁぁ!!」


 涙目になったミノちゃんがヒノちゃんに向けてシャウトするが、俺の拘束からは相変わらず抜け出せない。それからようやく落ち着きを取り戻したところで、俺はミノちゃんを解放した。


 ミノちゃんはお尻を突き出す形で床に崩れ倒れて、びしっ、びしっ、と俺の太もも辺りに何度もチョップしてきた。


「うぅぅ〜……これだけはヒノに知られたくなかったのにぃ〜……酷いよツム兄ぃ〜……」


「酷いのは普段のお前だお馬鹿。これで少しは俺の苦労を理解しなさい」


「くっそ〜、なんか納得いかない。ていうか、なんで天川家だけこんな目にあってるのさ!? こうなったらヒノにも一つ黒歴史をお一つ白状してもらおうかぁ〜?」


 ミノちゃんは不気味な笑みを浮かべ、じりじりとヒノちゃんの元に躙り寄っていく。対するヒノちゃんは黙っているわけもなく、ソファーを盾にするようにして立ち上がった。


「あははっ、勘弁してよミノちゃん」


「いいやしない! そういえばだけど、私もツム兄と同じでヒノが困る姿を見たことないんだよねぇ? 良い機会だからここでその素顔の裏を曝け出してもらおうか〜?」


「うーん、これは身の危険ですね。というわけで、助けてくださいツム君」


 ミノちゃんから逃げて来たと思いきや、ささっと俺の背中に隠れて縋り付いて来た。近い近い近い! 距離が近いんだって!


「ツム兄! そのままヒノを取り押さえてよ!」


「お、おう」


「ツム君。ミノちゃんがまた錯乱しているので正気に戻してあげてください」


「お、おぉう?」


 一方は捕まえろと言い、一方は助けてと言ってくる。こ、これはどっちに味方すれば良いんだ? 妹? それとも可愛――ただの後輩?


「ツム兄早く! 妹の切実なお願い、聞いてくれるよね!?」


「お願いしますツム君。ツム君の親しい後輩としてのお願いです」


 板挾みになって悩まされる俺。しかし思いの外、結論はすぐに出た。


 何事も世の中は平等に。故に俺は、未だセーフティゾーンにいるヒノちゃんをこっち側に引き摺り下ろす!


「ごめんヒノちゃん! 今回ばかりはそのお願いは聞き入れられない!」


 多少の罪悪感を感じながら、俺はヒノちゃんを羽交い締めにして身柄を捕らえた。


「あらら、ミノちゃんに負けてしまいましたね。これはもう観念するしかないですね」


「フッフッフッ……よくやったでマイブラザー。さぁ、席につくんだ我が親友。その清い身体を恥辱してしんぜよう……」


「止めぃその言い方」


 俺はヒノちゃんから手を離すと、俺達はまたさっきと同じ位置に座り直した。


 ついに見られるのか。ヒノちゃんが困った姿、または悶える姿を……。


「ツム兄、気持ちは分かるけど落ち着きなよ。少し息が荒くなってるよ」


「はぃ!? べ、別に落ち着いてるしぃ? 冷静沈着そのものだしぃ?」


「ぷくくっ……なるほど。ツム君は女の子の悶える姿を見たら興奮する人なんですね? そういう性癖を持ってるんですね?」


「ち、違う! 断じて違う! そんなことで興奮してたら完全に変態でしょーが! 俺は至ってノーマルだ!」


「え? ツム君って変態じゃないんですか?」


「……泣いていい? ていうか、これ前にも似たようなことしてたよね!? 止めてくれない掘り返すの!?」


 バンバンッとテーブルを叩いて抗議する。蜂は二度刺すと言うけれど、人が一度も二度も刺す必要性はないんだよ。


「俺を弄るのはいいから、今はヒノちゃんの話をしなさい! たまには味わえ俺の立場を!」


「分かりました。そうですねぇ……それじゃ、私が小学生の頃のことを話しますね」


「おっ、それは私も知らない話っぽいね。ヒノと知り合ったのは中学からだったし」


 へぇ、そうだったのか。付き合いの長さはまだそこまで長くなかったってわけか。てっきり小学生からの付き合いかと思っていたけど、ホントに仲良いよなぁこの二人。その関係性が正直羨ましい。


「これは誰にも話したことなかったんですけど……実は私、小学生の頃に苛めを受けていた時期があったんです」


 ……あァ?


「うわっ、胸糞悪い話っぽい。誰さ、そんな腹立つことしてきたの――ツ、ツム兄?」


「……い、いや、大丈夫だ。何でもない何でもない」


 一瞬だけ顔に出てしまったようで、ミノちゃんが俺を見て片頬を引き攣らせていた。自分のことなのにビックリしたな。何だ今の感情? ひょっとして怒ったのか俺?


「落ち着いてください二人共。苛めと言っても、テレビで騒がれてるような酷いものじゃないです。男の子達のちょっとした悪戯といいますか、大人から見たら可愛い感じの方ですよ」


「なんだそういうことか〜。つまりはアレね? 可愛い子程ちょっかい出したくなるっていうやつ」


「うん。可愛いかどうかは知らないけど、ミノちゃんの考え方で合ってると思うよ」


「あらあらまぁまぁ、この娘ったら子供の頃からモテてたのねぇ〜? もしや貴女には、学園裏アイドルの器があるんじゃありませんこと〜?」


 うっざい顔でヒノちゃんの頬をぷにぷにと突っつくミノちゃん。よくあんなことされて笑顔でいられるなぁヒノちゃん。親友相手だから自然と心が広くなるのかも。元々ヒノちゃんの懐は大きい方だとは思ってるけど。


「それでその頃の話なんですが……私もその時はまだ子供でしたから、その苛めを間に受けていたんです。その度に落ち込んでいたんですけど、ある時についに泣いてしまったんです」


「……想像できんわぁ」


 全くだ。ヒノちゃんが泣くとか考えられない。昔からニヤニヤした女の子だと思っていたけど、実は普通の女の子だったのか。しかも思っていたより気弱そうだし。


「公園で三人くらいの男の子達に苛め……いや、からかわれて泣いてしまったんですが……その時に思わぬ人が現れたんです。確か、私とそんなに歳が離れていない男の子でした」


「ほぅ……それは所謂、救世主ってやつ?」


「ふふっ、そういうこと。救世主と言っても、足はガクガクに震えていて、声も裏返って涙目になってる不恰好な救世主だったけど。でもその男の子は私のことを守ってくれて、『お、女の子を泣かせるなよ!』って言ってくれたの」


「へぇ、格好良いじゃん。それでそれで?」


「でもその後に喧嘩になっちゃって、三対一だから助けに来てくれた男の子の方が負けちゃったの。でも結果的にからかいに来てた男の子達はいなくなって、私はその男の子に助けられたんだ。今思い出しても、その男の子が格好良く見えたの覚えてるなぁ……」


 ……なんだろ。今更だけど、どっかでそれに似たような話を聞いたことがある気がするような……? いや、似てるというか同じ? うぅーん、なんかもやもやする。


「なるほどねぇ。ちなみにその後、その男の子とは進展あったの?」


「ううん。その日会ったっきりで、もう一度も会ってないよ。でもその時に良いことを教えてもらったんだ」


「良いこと? それは?」


「ふふっ……それはね。どんな時でも笑顔でいれば、嫌なことがあっても楽しくいられるってこと。その頃からだったかな。私がよく笑うようになったの」


「ほぉ〜、そんなことがあったんだ。良い切っ掛けだったってことじゃん。微笑ましい思い出だねぇ」


「…………」


「ん? どったのツム兄?」


「え? い、いやなんでもない……」


 ……いやまさかね。流石にそれはない。俺がヒノちゃんと出会ったのは中学生からだし、きっと同じことようなことがあったってだけだよね。


「……って、ちょっと待てぃヒノ! それの何処が黒歴史なわけ!? こっちはこっちで聞き入っちゃって騙され掛けたけど、冷静に考えると何も失態を犯してないじゃん!」


「ぷくくっ……私は黒歴史を話すなんて一言も言ってないよ?」


「おのれ貴様ぁ……そこに直れぃ! 私が鉄槌を下してやろう!」


「遠慮しておきまーす」


「あっ、逃げるなコラー!」


 二人がリビング内を走り回っている最中、俺は本棚の前に立って手を伸ばし、徐に一冊のアルバムを取り出した。


 幼い頃の俺とミノちゃんの写真が綴られているのを流し見して、ペラペラとページを捲っていく。やがて目当てにしていた写真が見つかり、ピタリとページを捲るのを止めた。


「…………ふぅ」


 パタンッとアルバムを閉じて本棚に戻す。それから後ろを振り向くと、ヒノちゃんを捕まえたミノちゃんが纏わり付いて、脇の辺りをくすぐっていた。


「や、止めてぇミノちゃん。あははっ! ははっ!」


「うりうりうり〜。私のくすぐりテクニックに酔い痴れるがいい〜」


「……狭い世の中だなぁ」


 二人のやり取りを目尻に笑みを浮かべながら、俺は一人部屋に戻って行った。




〜※〜




「あっ、ツム君。おはようございます」


 翌日。いつものように一人で登校していると、普段はミノちゃんと登校しているはずのヒノちゃんが後ろからやって来た。


「あれ? 珍しいねヒノちゃん、こんな時間に。ミノちゃんはどうしたの?」


「私今日は日直なので、早めに出て来たんです。ツム君こそ、こんな朝早くからどうしたんですか?」


「俺は遅刻を恐れてる人だからさ。いつも早めに登校してるんだよ」


「そうだったんですね。一緒に登校しても良いですか?」


「ん〜」


 手を上げて了承し、欠伸を噛み殺してむにゃむにゃと口を動かす。昨日は夜更かししたせいで眠気が強いな。これは授業一時間潰して寝てしまうパターンかも。


 他愛もない話を交わしつつ、並んで登校する。性懲りも無く弄ってくるような会話だけど、ツッコミで叫んでる内に眠気が取れたから良しとしよう。


 やがて学校に辿り着き、誰もいない生徒玄関を潜り抜ける。この時間帯は人が少ないから凄く落ち着くわぁ。


「それじゃツム君、私はこっちなので。昼休みにまた顔を出しに行きますね」


「……遠慮しておきます」


「ぷくくっ……なら勝手に行きますね」


 ヒノちゃんと別れて自分の下駄箱のある置き場に向かった。そして自分の下駄箱に手を掛ける――途中でピタリと手を止めた。


 そこで何故か、昨日ヒノちゃんと話していたラブレターの話を思い出した。これを開けば本当にラブレターが……なんて、あるわけないか馬鹿馬鹿しい。


 下駄箱を開いて上履きに履き替える。無論、ラブレターなんて入っているはずもなし。昨日そんな話をしたからって入ってるわけないっての。


 そもそもそういうことには期待してないし。それに、もし仮に入っていたとしても、俺の場合は先の先まで警戒すると思う。もう二度とあんな理不尽な目に合いたくないしね。


 過去の思い出に呆れながら階段の方に向かう――途中、下駄箱を抜けた先で立ち止まっているヒノちゃんの姿が見えた。


「…………っ!?」


 その時、俺は自分の目を疑った。あまりにもタイミングが秀逸過ぎると思ったから。


 ヒノちゃんの手には、一枚の手紙が持たれていた。中身はまだ取り出していないようだが、ハートのシールで閉じられているそれは、何処からどう見てもラブレターそのものだった。


「…………ふぅ」


 ヒノちゃんは一息つくと、無表情のまま手紙を鞄の中に入れて、俺の存在に気付かないまま廊下の奥へと消えていった。


 俺はまたモヤモヤした何かを感じながら、その場で固まったまま動くことができなくなっていた。




〜※〜




 放課後。掃除も終わって誰もいなくなった教室で、俺は自分の席に座って一人惚けていた。


「あっ……天川君。こんなところで何してるの?」


 何も考えないようにして頬杖をつきながら空を見上げていると、不意に由利村さんが教室の中に入って来た。できたら今は一人でいたかったんだけど、この人を拒むのは大いに気が引ける。


「由利村さんこそどうしたの? もう放課後なのに、帰宅部の人ならとっくに家に帰ってる時間帯だけど?」


「えっと……私、裁縫部に所属してるから、今までずっと部室で部活動してたの。今は休憩中で気分転換に校内を散歩してたんだけど、そしたら天川君の姿を見つけたから……あっ、ひょっとして迷惑だったかな?」


「い、いやいやそんなことはないよ。俺なんぞにお声を掛けてくださってありがたいことですアイドル様……」


「そ、それ止めてよぉ。最近友達から詳しく教えてもらったけど、凄く恥ずかしい思いしたから……」


「はははっ、冗談だよ冗談。はははっ……ははっ……」


「……天川君?」


 試しに空元気で笑ってみたけど、気分が優れることは無かった。その代わりに大きなため息が出て、ぺたんと机に頬を付けた。


「どうしたの天川君? なんだか元気が無いみたいだけど……私で良かったら相談に乗るよ?」


「えっと……俺は別に……」


 ……いや、もしかしたら話すことで気分が優れてくれるかもしれない。悩みは誰かに話すことで楽になるってよく聞くし。


「……実はちょっと気掛かりなことがあってさ。それでちょっと……ね」


「……聞いても良いかな?」


「うん……」


 それから俺は今朝のことを由利村さんに全て伝えた。と言っても、俺の謎のモヤモヤ感は伏せたが。


「ラ、ラブレターって……それって本当にラブレターだったのかな?」


「絶対的な確証はないけど、便箋にハートマークのシールが貼ってあるのが見えたから、十中八九そうなんじゃないかな。俺もそれを見た時は驚いたよ」


 ちなみに、昼休みに会いに行きますと言っていたヒノちゃんだったが、結局ヒノちゃんは顔を出しに来ていなかった。自分から行きますと言って来なかったのはこれが初めてのことだったから、余計にあの手紙がラブレターの可能性が高いという根拠にもなっていた。


「それで悩んでたんだね。天川君はヒノちゃんの事が心配なのかな?」


「心配……そうだね。心配といえば心配なんだけど……」


 でもそれだけじゃない。このモヤモヤが何なのかは全く分からないけど、決して良いものじゃないということだけは分かる気がした。


 なんでだ? あれはヒノちゃん個人のことなのに、どうしてこんなに焦ってるんだ? ……いや、焦り? 俺は今、焦っているのか?


 分からない。分からない上に気持ち悪い。脆い壁が近くにあったら八つ当たりしたい気分だ。なんだよこれ、訳わかんねぇよ……。


「……もしかしてなんだけど」


「ん?」


「えっと……これは天川君自身のことだから、本当のことは私には分からない。でもきっと天川君は――」


「いたぁ!! ツム兄!!」


 由利村さんが何かを言いかけた時だった。何かあったのか、激しく息切れを起こして額に汗を滲ませている姿のミノちゃんが、慌てて教室の中に入って近付いて来た。


「こんにちはミノちゃん。どうしたのそんなに慌てて?」


「どーも紫先輩……って、呑気に挨拶してる場合じゃないっての! ツム兄、何処かでヒノのこと見掛けなかった!?」


「え? い、いや、今日は朝に一緒に登校してからそれっきり会ってないけど……」


「ツム兄のところにも顔出してないって……あぁくそっ、何処に行ったんだよヒノってば……」


 ミノちゃんが珍しく取り乱していて、居ても立っても居られない様子でせかせかと動き回っている。何があったんだ?


「ちょ、ちょっと落ち着いてミノちゃん。何をそんなに慌ててるのさ?」


「その様子だと只事じゃないように思うけど……まさかヒノちゃんに何かあったの?」


「はぃぃ!? 知らないの二人共!? 今日学校中で騒がれてたことだったじゃん! ヒノが野村先輩から告白されたって話!」


「…………は?」


 告白? あのヒノちゃんが? それに野村先輩って、確か三年生のバスケ部キャプテンの人……だったはず。


 ということは……あの手紙はやっぱりラブレターだったのか……。


「そ、それで、ヒノちゃんはなんて返事を返したのかな?」


「そんなの断ったに決まってるでしょーがぃ! ヒノには既に好きな――って、そんなことはどうだっていいんだって! 問題なのは今なんだよ!」


「話が見えて来ないんだけど。結局お前は何に慌ててるんだよ?」


「だ〜か〜ら〜……ヒノと連絡が付かないんだよ! こんなこと今まで一度も無かったのに!」


「っ!」


 ヒノちゃんとミノちゃん本人達から以前聞いた話によると、二人は基本RINEを使って通話や連絡を取り合っているらしく、メッセージを飛ばしたら必ず一分以内にお互い返事を返しているらしい。だからミノちゃんはこんなに慌てている、ということなんだろう。


 別にそこまで慌てる必要はない。ヒノちゃんにだってプライベートがあるんだし、一度くらい連絡が付かなくなってもおかしくない……と、いつもだったら俺はそう言っているところだ。


 ラブレターで呼び出されて告白されたこと。そして放課後になって突然連絡が取れなくなったヒノちゃん。確証はないけど、この二つの出来事が繋がっているとしか思えなかった。


「わっ!? 天川君!?」


 居ても立っても居られない気持ちがミノちゃんから移ったのか、俺は一目散に教室から飛び出して行った。


 信憑性のない俺の勘だけど、何か嫌な予感がする。ミノちゃんの様子からして、学校中は全て探し回ったはず。つまり、ヒノちゃんは学校外にいる可能性が一番高い。


「相変わらず足速いなぁツム兄! 気持ちは分かるけど、ヒノが何処にいるのか分かってんの!?」


「知らん!」


「いや知らんって……」


 アテはない。だとしてもジッとなんてしていられない。見つけられる可能性は限りなく少ないかもしれないけど、何もせずにいたら頭の中がどうにかなってしまいそうだ。


 靴を履き替えないまま学校を出て行く。続いてミノちゃんも靴を履き替えないまま後を追って来たところで、教室の窓から由利村さんが顔を出しているのが見えた。


「天川君ー!! 三丁目にある公園に向かってー!! 私も後で必ず行くからー!!」


「三丁目の公園……分かったっ!! ありがとう由利村さんっ!!」


 由利村さんの手に携帯が握られているところを見ると、どうやらこの限りなく短い時間に情報を掴んだらしい。本当にそこにいるのかどうかは分からないが、ここは由利村さんの情報を信じよう。


 全力で駆け抜けている最中、ミノちゃんがスタミナ切れを起こして足を止めていた。


「ご、ごめんツム兄〜! 絶対追い付くから先に行ってて〜!」


「分かった! 先に行ってるぞ!」


 ミノちゃんも一旦置いて、俺は一人で公園へと向かった。ふつふつと湧き上がってくる何かを胸の中に感じながら。




〜※〜




「ここって……」


 しばらく走り続けると、薄っすらと見覚えのある公園に到着した。確かここが由利村さんの言っていた公園のはずだが……ここって“あそこ”だよな。


「なぁ、考え直してくれないか天城さん。しつこいなんてことは重々分かってるんだ」


「っ!」


 よく聞き覚えのある苗字。そして公園の奥の方から聞こえてきた声を聞いて、俺はバレないようにこっそりと中に入っていった。


 すると、上手い具合に茂みに隠された公園の隅の方に、一人の男――野村先輩と、ずっと連絡が取れなくなっていたヒノちゃんの姿があった。


 ……ただ、俺はすぐに飛び出すことができなかった。『やっと見つけたよヒノちゃん!』と行けば良い話のはずなのに、何かが引っ掛かって足を運ぶことが戸惑われた。


 何故か動いてくれない足を気にしながら、同時に耳を傾けて二人の会話を聞き取る。


「すいません野村先輩。私にはその気がありませんので、どうかお引き取りください」


「くっ……それでも俺は君が好きなんだ! この世の誰よりも君が好きだという自信があるくらいなんだ!」


 相変わらずヒノちゃんは冷静で、相手の野村先輩は少し冷静さを欠いているように見えて、じりじりと少しずつヒノちゃんに歩み寄っていた。


 ……雲行きが怪しい。


「お気持ちはとても嬉しいです。それでも、私は貴方と付き合うことはできません」


「だ、だったらせめて事情を教えてください! じゃないと俺も納得できない!」


「……簡単な話です。私には他に好きな人がいるんです。だから貴方とは付き合えないんです、野村先輩」


 ……今、彼女はなんて言ったんだ?


「好きな人って……誰のことなんだ!?」


「ごめんなさい、それは言えません。あまり広めたくないことなんです」


 ヒノちゃんに好きな人がいる……? そ、そうだったんだ……それはまた……意外な事実だな。


 ……なんで俺の身体は震えてるんだろうか。なんでこんな気分になってるんだろうか。何もかもが気持ち悪い。胸の中が張り裂けそうなくらいに痛む。本気で叫び出したい気分になるだなんていつ以来だろうか?


 俺がここにいるのは無粋だ。人の恋路を邪魔するようなことはしたくない。これは野村先輩と、ヒノちゃんの二人の問題だ。


 俺は静かに立ち上がり、この場から去ろうと足を――


「……なんだよそれ」


 出口に向けようとした……が、野村先輩の声のトーンが変わったことに気付き、自然とまた足が止まった。


「言えないって……俺は正直に伝えたのに、君は何も教えてくれないってのか!? それは酷いと思わないのかよ!?」


「それはおかしいですよ野村先輩。確かに野村先輩は私が好きだと言いましたが……それは貴方個人の意思です。貴方の都合を私に押し付けるのは間違っていると思いませんか?」


「このっ……言わせておけば好き勝手言いやがって!」


「っ!?」


 野村先輩の頭に血が登ったのか、ヒノちゃんが先輩に胸ぐらを掴み上げられた。


「さっきから冷静にベラベラと正論を語りやがって!! どうせその裏じゃ俺のことを馬鹿にしてんだろ!? それに知ってんだぞ俺は!! 俺以外にもお前に告白していた奴らも全員断ってたってな!!」


「うっ……や、止めてっ……」


「楽しいか!? お前に告白して振られる奴らを見てよぉ!! 本当は好きな奴なんていないんだろ!? そうやって自分に告白して振られていく奴らを見て楽しんでたんだろ!! 少し男からモテるからって調子に乗りやがって!!」


「っ……」


 野村先輩が右腕を振り被って握り拳を握り締める。それを見たヒノちゃんは怯えたように目を瞑り、薄っすらと目尻に涙粒を浮かべたのが見えた。


 そして、それを見た瞬間――俺の中で何かがブチ切れた。


 動かなくなっていた足が急に軽くなり、茂みを抜けて一気に飛び出す。


「このっ――ぐぁ!?」


 ヒノちゃんが殴られるよりも先に、右腕に有りっ丈の力を込めて野村先輩の顔を殴りつけた。先輩は少し先のところに吹き飛んで、背中から地面に倒れる。


「アンタ……今この娘に何しようとした…………? 自分が今、何しようとしたのか分かってんのか?」


 自分でも不思議と思うくらい、後から後から怒りが湧き上がってくる。こんな経験は生まれて初めてだった。


「この娘のことが好きなんだろ!? なのになんでそんな酷いことするんだよ!? なんでそんな酷いこと言うんだよ!? この娘がそういう人じゃないってことくらい、アンタにだって分かってるんじゃないのかよ!?」


「っ……」


 頭に血が登っていた野村先輩だったが、殴られたことで冷静になったらしい。何処か弱気な表情になっていて、少し怯えた様子が感じられた。


「この娘の笑顔を枯らすようなことをするなんて、俺は絶対に許さねぇ!! 失せろ!! 二度とこの娘の前に顔を出すな!!」


「なっ……なんなんだよお前! 一体何処の誰――」


「失せろっつってんのが聞こえねぇのかぁ!!!」


「うっ……」


 野村先輩はすぐに立ち上がると、尻尾を巻いて逃げるように公園から出て行った。やけに高鳴る心臓の音を感じながら、俺は激しく息切れを起こした。


「……ツム君」


 名前を呼ばれて咄嗟に後ろを振り向くと、唖然……いや、俺を心配した様子でヒノちゃんが近くに立っていた。


 その顔を見た瞬間、俺は徐々に落ち着きを取り戻していき――やがて心臓の音が聞こえなくなり、呼吸の速度も元に戻って我に返った。


 一気に全身から力が抜け落ちて、その場に尻餅をついて目を瞑った。


「……怪我はないヒノちゃん?」


「はい。私は大丈夫です」


「……そっか」


 色んな感情が揉みくちゃになっていて落ち着かない。けど、ヒノちゃんの無事が確認できると、少しだけ胸の中がスッと収まったような気がした。


「……すいませんでした。心配して……来てくれたんよね?」


「あ……たり前だろ。ミノちゃんや由利村さんにも心配かけて、何してんだ君は……」


「……ごめんなさい」


 申し訳なさそうに俺に向かって頭を下げてきた。違う、俺はこの娘に謝って欲しいんじゃない。


「謝らなくていいから。ただ……無事で良かったらそれでいいんだよ」


 右手で自分の両目に手を当て、左手でヒノちゃんの頭の上に手を置いた。普段なら恥ずかしくて絶対にできないことだが、今だけは抵抗を感じなかった。


 この娘の無事が確認できた。その安堵感に胸の中が満たされた。さっきまでの怒りや動揺が嘘だと思うくらい、今の俺は落ち着きを取り戻していた。


「二度目……ですね。こうしてツム君に助けられたのは」


「え? な、何のこと?」


「昨日話したことですよ。私がからかわれている時に来てくれた男の子。あれってツム君なんですよね?」


「…………何のことやら」


「ぷくくっ……顔に出てますよ。ツム君は本当に物事を隠すのが下手ですね」


 こんな時にも顔に出すのか俺は。なんか屈辱だ。でもまぁ、ヒノちゃんがいつもの感じに戻ってくれたからいいか。


「ありがとうございます。また大きな借りができてしまいましたね」


「いや、借りだなんて思わなくていいよ。これは俺が好きでやったことだから」


「……そうですか」


 ヒノちゃんは嬉しそうに笑うと、野村先輩を殴りつけた俺の右手を持って両手で触れた。手の甲に額を付けてきて、そのままピタリと動かなくなった。


「ヒ、ヒノちゃん?」


「……少し……このままでいさせてください」


「う、うん……分かった」


 キュッと手に触れる力が強まった。多分だけど、さっき野村先輩に殴られそうになった恐怖が、まだ少しだけ残っているのかもしれない。


 こういう時、イケメン男子ならそっと抱き寄せるんだろうが……生憎俺にそんな度胸はない。ていうか段々この状況が恥ずかしくなってきた。


 あっ、やばいやばい。冷静になって色々と思い返すと、色んな恥ずかしさが込み上げてきた。さっき凄い恥ずかしい台詞言ってなかったか俺? それに状況が状況だったとはいえ、目上の先輩を思いっ切り殴り飛ばしてしまった。


 うわっ……うわぁぁぁ……今になって恥ずかしさが有頂天に達しやがったぁ! は、早く手を離してくださいヒノちゃん!


「……そういえばツム君。さっきの会話ですけど、一体何処から聞いていたんですか?」


 そのままの状態でそんな質問をしてきた。えっと……何処からだったかな? さっきまで動揺してたからよく思い出せない……。


「あ〜…………あぁそうだ、思い出した。野村先輩が考え直してくれないか〜ってところだったかな」


「そうですか。それじゃ、殆ど最初から聞いていたってことですね」


「そ、そうなんだ。で、それがどうしたの?」


「……ツム君は」


 俺の手から少しだけ顔を離し、チラリと見える右目で俺を真っ直ぐに見つめてきた。


「私が好きだと思ってる人……一体誰だと思いますか……?」


 まさかの発言に俺は絶句。恐らく物凄い顔で硬直していることだろう。普段のヒノちゃんなら大爆笑してるであろう顔で。


 だが、ヒノちゃんは笑う様子を一切見せず、熱が込められた瞳でただ俺を一心に見つめてきている。まるで、俺に言って欲しい“その答え”を待っているかのように。


 ……どーしよ。口から言葉が出てくれない。どーすりゃいいんだこの状況!?


「お…………俺は――」


「ヒノぉぉぉ!!」


「おぉう!?」


 どうにか言葉を絞り出した瞬間に、すぐ近くから声が聞こえてきた。そしてそのすぐ後に、やっと追い付いてきたミノちゃんがヒノちゃんに向かって飛び付いた。


 ヒノちゃんは俺の手から強制的に離されて、ミノちゃんと共に少し先のところまで吹っ飛んでいった。地面が草だから痛みはないだろうけど、制服は確実に汚れたな。


「こんの小娘ぇ! 一体何処をほっつき歩いていたんだぁ! えぇコラァ!?」


「ご、ごめんねミノちゃん。ミノちゃんにも心配掛けちゃったみたいで――」


「駄目だ許さぬ! 罰として私のぱふぱふ耐久地獄に処す!」


「ま、待ってミノちゃ、わぷっ……」


 とてもぱふぱふなんてできない胸にヒノちゃんの顔を埋めさせて、ミノちゃんはギュッとその身体を抱き締めた。あいつもかなり心配してたんだろうなぁ。校内中を探し回っていたくらいだし。


「天川くーん! ヒノちゃーん! 大丈夫ー?」


 そこでやっと由利村さんも追い付いて来た。へとへとな状態で足をふらつかせながら走って来ているのが見えた。


 俺達の元までやって来ると、崩れるように前のめりに倒れてしまった。裁縫部って言ってたし、運動には慣れていなかったんだろう。悪いことしちゃったな。


「由利村さんこそ大丈夫? わざわざ走らせるようなことさせてごめん」


「う、うぅん……わ、私なら大丈夫だよ……それよりヒノちゃんは!? ヒノちゃんは大丈夫!?」


「うん。ほら、あそこでミノちゃんと一緒にいるでしょ? 窒息しかけてるけど大丈夫大丈夫」


「あっ、本当だ……って、全然大丈夫じゃないよ!?」


 慌てて二人の元に駆け寄っていく由利村さん。その後の三人のやり取りを見ながら、俺はさっきのヒノちゃんの言葉を思い出しながら、誤魔化すように頭を掻いていた。


 あれはどういう意味だったのか。……いや、まさかね。有り得ない期待はしないでおこう。


「ほら、暗くなって来たから戻るぞ〜。学校に鞄忘れて来ちゃったから、皆は先に帰っててくれ〜」


「そんな硬いこと言わないのツム兄〜! 皆で戻って皆で帰ろうよ〜! ついでにラーメンでも食べに行こ〜!」


「ミノちゃんミノちゃん! ヒノちゃんがぐったりしてるから離してあげてー!」


「……やれやれだな、全く」


 目を回してくらくらしているヒノちゃん。そんな彼女の珍しい姿を見て、俺は呆れながら笑っていた。

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