修羅場
俺には一つ年下の後輩が存在する。
過去に幾度と無く俺を弄ってきて、それを拒み続けるも虚しく、彼女は俺の主張を無視して纏わり付いてくる。そんな生活がもう三年以上も続いていているが、よく俺も彼女のことを強引に突き放すようなことをしていないなと、自分の懐の広さに呆れてくる。
……ただ、最近は他にも思うことがあった。
毎度毎度俺を弄りに来る後輩、ヒノちゃん。俺の妹であるミノちゃんの大親友でもあり、最近隣に引っ越して来てからほぼ毎日顔を合わせるようになった。
引っ越して来ると聞いた時は、それはもう拒みに拒んだ。そりゃそうだ、毎日ヒノちゃんに弄られることになることを恐れていたんだから。まぁ結局、俺の日々は予想通りのものと化したのだけれど。
でも、それだけじゃなかった。弄って来ることに関して若干憤りを感じたり、羞恥心を感じることは勿論あったけど、他にも予想だにしていない気持ちがあった。
和みと安らぎ。ヒノちゃんと二人きりでいる時に限るが、いつの間にかそんな細やかなものが芽生えていた。
何故かは分からない。でも悪い気分でもない。むしろ、落ち着くと思っている自分がいる。
「ツム君、冷たいお茶でも如何ですか? それとも逆に熱いお茶をどうですか?」
今もこうして気まぐれを起こし、俺は一人でヒノちゃんの家に遊びに来ていた。今までの俺ならまずありえないことだ。俺は一体どうしてしまったんだろうか?
「何故余計に熱いお茶を勧めた? 普通に冷たいお茶でいいから」
「ぷくくっ……本当にそれで良いんですか? ウケを狙うなら今がチャンスですよ? ここでツムが熱いお茶を飲んでリアクションを起こしたら、私は十中八九笑いますよ?」
「俺がいつ何処で身体張る芸人になった? まずそこまでして人を笑わせたいと思わないから」
今はいつものようなやり取りをしているせいで、安らぎのやの字すら感じない。むしろ疲れという求めていないものが一方的に押し寄せてくる。目障りなことこの上ない。
でもこれはほんの一時のことだけ。すぐに心は平常心になり、落ち着きを取り戻す。
ヒノちゃんが冷蔵庫からお手製の冷やし麦茶を取り出し、予め用意していた二つのコップに中身を注ぐ。こぽこぽと液体が入る音に続き、からんからんと氷同士がぶつかり合う音が聞こえた。
コップを両手に持って戻って来ると、ソファの前に設置されているテーブルの上に置いた。
「どうぞ。ずっと冷やしていたので美味しいですよ」
「ありがとヒノちゃん。頂きます」
コップを手に取って半分程口の中に含み、一気にごくりと飲み込む。ひんやりした感覚が全身に迸り、この馬鹿みたいな暑さの中で涼しい快感を覚えた。
「あぁ〜、冷えるわ〜。早く夏なんて終わってしまえばいいのになぁ〜」
「でも夏が終わればまた学校に通う時期が待ち受けていますよ?」
「……夢くらい見させてくれたって良いじゃん。たまには現実から目を背けても良いじゃん。ヒノちゃんは配慮ってものをもう少し覚えるべきだと思うよ?」
「そうですか。でも逃げたり忘れたりしたところで、それは後で思い出した時に降り掛かる絶望感が増長するだけですよ?」
「えぇい! 空気を読みなさい! 今だけは何も考えずにダラけていたいの! ヒノちゃんにだってそういう時あるでしょ!?」
「いえ、私は時間を無駄に過ごさないようにするのが信条なので」
「……そうですか」
同意を求めた結果がこれか。バッサリ切り捨てられたような気がして、少し寂しさを感じてしまった。
「ぷくくっ……ちなみに今の言葉に悪気があったと思いますか?」
「んなこと知らんがな! 何!? 今度は俺の心を抉る形で弄りに来るの!? もしかして本当は俺のこと嫌いだと!?」
「いえいえ、それはないですよ。ただ私はツム君のしょんぼりした顔を見たくなっただけです。兎かハムスターのようで可愛いですからね、ツム君のしょんぼり顔」
「人をペット扱いするんじゃありません! 俺にも人権はあるんだよ!」
「…………え?」
「リアルに驚く反応しないでくれません!? 本気で泣きそうになる!」
「ぷくくっ……すいません、今のはタチが悪かったですね」
演技だと分かっていても、その演技力がリアル過ぎるから騙されてしまいそうになる。頼むから精神的に追い詰めてくる仕打ちだけは控えて欲しい……。
「それでツム君。話はがらりと変わるんですが……今日は何の用で遊びに来たんですか?」
「え? そ、それは……」
まさか目的を聞かれることになるとは思っていなかったため、そこで言葉を詰まらせてしまった。というか、その問いには答えられなかった。その答えが存在しないからだ。
強いて言うのであれば、気まぐれ。特に大事な要件もないし、敢えて言うとすればそれだった。
だが、それは口に出して言ってはいけない答えだ。「別に……ただの気まぐれだよ」とか、そんな意味深な言葉を発してはいけない。その発言は間違いなく、あらぬ誤解を生んでしまうことになるから。
そもそも俺は気まぐれでヒノちゃんに会いに来た時点で、既に異質だった。一人でいることをあんなに求めていて、しかも弄られることは目に見えている。なんで俺はわざわざヒノちゃんに会いに来たんだろう?
自分のことのはずなのに、その答えが一向に分からない。本当にどうしてしまったんだろうか?
「ツム君? どうしました?」
「あっ……いや……その……」
少しだけヒノちゃんが距離を詰めて俺の顔色を覗いて来た。瞬間、俺の肩は跳ね上がり、すぐにまた同じ距離感を保って目を逸らした。
取り繕え! 誤解されないようにいつものノリで乗り切るんだ!
「い……いやさぁ? 最近ヒノちゃんって俺の家に遊びに来てなかったでしょ? それでもしかしたら夏休みのせいで干からびてるんじゃないかと思った的な? だから生存確認のために遊びに来た的な? 他に深い意味とかないから、いや本当に」
我ながらくどくどした言い方だ。でも気まぐれでやって来たと言うよりはマシだろう。
実際、最近になってヒノちゃんは家に遊びに来ていなかった。そしてその原因は、何となく俺にも分かっていた。
ヒノちゃんが来なくなったタイミングは、つくもちゃんがやって来た時と丸被りしていた。つくもちゃんが今家に住んでいることは俺が伝えてあり、つくもちゃんにもヒノちゃんという人がよく家に遊びに来ていることを伝えてある。
ヒノちゃんが気を遣っているのか、もしくはミノちゃんがヒノちゃんに何かを言ったか。コミュニケーション力において優れているヒノちゃんが人見知りなんてことは有り得ないし、あるとすれば後者かもしれない。
何にせよ、このまま遊びに来なかったらミノちゃんが寂しい思いをしまう。決して俺が寂しいわけではない、全ては親友同士であるヒノちゃんとミノちゃんのためだ。無論、深い意味はない。
「つまり、私を心配して遊びに来てくれたってことですか?」
「心配っていうか……か、確認だよ確認。心配とかするわけないじゃん? 隣に住んでるんだから何があってもすぐに駆け付けられるし、心配する必要なんてないじゃん? だから仕方無〜く見に来てやった的な? 先輩としての慈悲的な?」
「ぷくくっ……そうですか。安心して下さいツム君、私は見ての通り元気ですから」
「安心も何も、元々不安になんてなってなかったし! どうせ元気に一人暮らし満喫してるだろうと思ってたし!」
まぁ元気でいたのならそれに越したことはないけど……。
「というかさ、ヒノちゃん。最近めっきり遊びに来なくなって夕飯も食べに来てないけど、もしかしてつくもちゃんに気を遣ってたりする?」
「いえ、私は初対面の人でも基本仲良くなれるのでそんなことはないです。ただ何故か、ミノちゃんが今は家に遊びに来ちゃ駄目だって言っていたので、それで遊びに行くのを控えていたんです」
やっぱりミノちゃんのせいだったか。でもミノちゃんがヒノちゃんに対して駄目と言うのは珍しいな。「相手がヒノなら抱かれても良いわ〜」とか、馬鹿なこと言うくらいに寛大なのに。
「どうせロクな理由じゃないし、気にする必要なんてないよ。だからいつでも遊びに来て良いからね? ミノちゃんの兄である俺が許可してしんぜよう」
「分かりました。ツム君がそんなに寂しいと言うのなら遊びに行きますね」
「いつ誰がそんなこと言った!? 誰も寂しいなんて言ってないし〜!? むしろヒノちゃんの方こそ寂しいとか思ってたんじゃないの〜!?」
「ぷくくっ……そうですね。正直二人に会えないのは寂しく思ってました」
「ほ〜ら、やっぱりそう思ってたんじゃん。やれやれだなぁ全く。そんなんでこの先一人暮らしやって行けるのかな〜?」
「大丈夫ですよ。私に何かあったらツム君が助けに来てくれますから」
「お、俺はそんなこと約束した覚えないし……」
「でも助けに来てくれますよね?」
「……まぁ」
「ふふっ、やっぱり心配してくれてるじゃないですか。優しいですねツム君」
「なっ!?」
ここに来て久し振りの赤面症が発生。ヒノちゃんの巧みな話術により、俺の本心を探られた上、湯気が立ち上りそうになるくらい顔を真っ赤にさせられた。
でも見た感じ弄って来てるわけじゃない。これはただ、俺が勝手に発言ミスをして、勝手に恥ずかしがってるだけだ。なんで自滅してんの俺? 馬鹿なの? 阿呆なの?
「こんなに優しくされちゃうと、私の方が誤解してしまうかもしれませんよ?」
「ご、誤解ってなんだよ」
「ぷくくっ……なんだと思います?」
ここで弄りパターンが入った。故に相手をする必要は無くなった……けど、ここで逃げたら負けた気がしてなんか嫌だ! でもなんて言えば良いかも分からないし!
「べ……別にそういうのじゃねーし!」
「そういうのって、どういうのですか?」
「だからほら……分かるでしょ? というか分かってるでしょ?」
「いえ、分からないです。だから聞いてるんじゃないですか」
「ニヤニヤしながらよく言うよね!? 顔に出てるんだよ顔に!」
「ぷくくっ……とにかく教えて下さい。その誤解ってどんな誤解なんですか?」
くっそ、このままじゃいつものように押し負ける。こうなったら……言ってやる! 今までは一度も言えなかったけど、そのキーワードを言ってやる! 俺は今度こそ負けねぇぞ!
「だから……その……気があるとか、そういう感じなんじゃないの……」
「っ!」
俺がそう言うと、ヒノちゃんは一瞬だけキョトンとした顔になり、より一層濃いニヤニヤ顔に変化した。
「え? ツム君って私に気があったんですか? そうなんですか?」
「はぁ!? バッカじゃねーの!? ヒノちゃんバッカじゃねーの!? そそそそんなわけねーし! つーかなんでそういう流れになるんだよ!」
な、なんだこれ? なんかいつにも増して焦ってるような気がするような……。
「ぷくくっ……その否定の仕方は逆に誤解を生むのでは?」
「だから違うし! ヒノちゃんに気がある? ハハハッ! 笑えないジョークだわ〜!」
「……笑ってるじゃないですか」
「…………ホントさ」
「くくっ……あははははっ! そこで同意するのは駄目ですって! あははははっ!」
ヒノちゃんの大爆笑、なんかいつ以来だろうって思うくらい久し振りに見た気がする。そしてこの負けた感じがある屈辱感はなんだ……。
「くくくっ……いやぁ、やっぱりツム君は面白いですね。笑い過ぎて涙出てきました私」
「全っ然嬉しくないわその褒め言葉! こっちはあれこれ必死になってんのに、急に冷めるような発言しないでよ!」
ヒノちゃんの肩を掴んで激しく揺さぶる。こっちまでなんか涙出てきたよ、拒絶された感があるせいで。
「いえいえ、私はただ思ったことを言っただけなんですよ。そしたら急に静かになって……くくっ……ツボですよこんなの、あはははははっ!」
本当に笑いのツボに入ったようで、横に倒れて腹を抱えながら笑い出した。スッゲーむかつくんですけどこの後輩。
「くそっ! もうこの際だからずっと笑っとけ! 確かミノちゃん情報によれば、ヒノちゃんは腰回りをくすぐられるのが弱いはず!」
「あっ、駄目ですってツム君! あははっ! そこは本当に弱っ、あははっ! あははははっ!」
ヒノちゃんの身体を持ち上げて後ろに回り、腰回りを両手の指先でこちょこちょとくすぐる。すると本当に弱いようで、今さっき以上の笑い声が出た。
なるほどなるほど、これは良い弱点を知ってしまったようだ。良い機会だからこのまま過去の雪辱を晴らさせてもらおう。
「ほっほっほっ! ここがくすぐったいのか〜? ここがこちょばしいのか〜? ほらほらどうなんだヒノちゃんよぉ〜?」
「あはははははっ! 駄目ですってツムく、あはははははっ! なんか変態みたいですって、あはははははっ!」
「……変態って」
その時、俺の何かがボキィッ! と折れた。きっとそれは俺の心に近しい何かか、もしくは心そのものか。
変態、というワード。それを女の子に言われることが、どれだけ俺の精神を抉る言葉なのか。この瞬間に身を持って初めて知った。
「これが……これが絶望か……」
ヒノちゃんから離れて床に両手を付き、額も付けて項垂れる。気分もお先も真っ暗だ。
「ぷくくっ……隙を見せましたねツム君。駄目ですよ不用意に背中を向けたら。今は戦闘中なんですよ?」
「戦闘中って何――ハッ!?」
し、しまった! さっきの発言はヒノちゃんがくすぐりから抜け出すための布石! まずい体勢を――
「とりゃっ!」
「っ〜〜!?」
すぐに起き上がろうとした瞬間、後ろからヒノちゃんが抱き付いてきて拘束された。
それと同時に、押し付けられる胸の感触に身が凍り付いた。腕も足も冷凍庫に入れていたスポーツドリンク並みにカッチカチだ。
「ふぅ〜」
「びゃぁぁぁあ!?」
すると否や、突如右耳に息を吹かれて硬直が解けた。物凄い声出たぞ今。
「ふっふっふっ……私は知ってるんですよツム君。耳フェチであるツム君は、自分の耳を責められるのが弱いと。この前ミノちゃんが教えてくれました」
俺達の情報源全部ミノちゃん寄り過ぎない? つーかなんで何でも知ってんだよあいつ! 最早俺達に関して知らないことないんじゃないか!?
「例えばほら、こうして耳をさわさわすると身体から力が抜けるんですよね?」
「や、止め……ぁぁぁぁ……」
絶妙な触り具合による気持ち良さに、腑抜けの如く身体から力が抜けていく。まるでどんどん干からびていく干物のように。お湯に浸し続けた食パンのように。
「どうですか? 気持ち良いですか?」
「ぁぁぁ〜……」
「ぷくくっ……あまりの気持ち良さにまともな返事も返せませんか? ならそんな人にトドメです」
トドメとは何か。それを考える猶予もなく、ヒノちゃんはすぐ実行に移した。
「はむっ」
「っ〜〜〜〜!!」
それは俺にとって絶対にされてはいけない行為。右耳を一度だけ甘噛みされ、その瞬間身体中に稲妻が迸り、ピタリと思考が停止した。
「また私の勝ち、ですね」
ヒノちゃんが俺から離れ、俺はぬいぐるみのようにぱたりと静かに崩れ倒れた。ピクピクと身体が痙攣することもなく、白目を剥いたまま顔を真っ赤にさせて固まっていた。
「ぷくくっ……ちょっとやり過ぎてしまいましたか?」
「……まだ……だ」
良いように弄ばれた右耳を抑えつつ、首から上が正常化しないまま何とか立ち上がる。熱で頭がくらくらするし、白目を剥いているから視界も見えず、情緒不安定にも程があった。
「私がしておいて何ですが、それ以上は無理しない方が良いですよツム君」
「喧しい! こんな屈辱的な仕打ちを施しておいて、しかも黙ってそれを見送れと!? 俺はそこまで聞き分け良くないんじゃ!」
といいつつ、今度は顔からうつ伏せに倒れてしまう俺は浅はかだった。
「ふらふらじゃないですか。本当に弱いんですね、耳が」
「……生まれつきなんだよ。克服しようとしても、俺にはどうしようもなかったんですよ。分かりますこの気持ち?」
「いえ全く」
「酷い! あんまりだ!」
顔を両手で覆っておいおいと泣き出す俺。今日はもうボロクソにやられてしまった。そりゃ泣きたくもなるわ。
「ぷくくっ……冗談ですって。ほら泣かないでくださいよ、オレンジ味の飴ちゃんあげますから」
「子供扱いするなよ! 大体君はいつもいつも――」
その時、俺が説教を始めようとした瞬間にインターホンが鳴り響いた。
俺とヒノちゃんはピタリと止まり、首だけ動かして玄関の方を見つめた。
インターホンの音が消えてほんの少しの間が開くと、またインターホンの音が鳴り響く。何度も、何度も、何度も、間がほんの少し開く度にインターホンが押される。
すぐに玄関に向かうべき。そんなことは俺もヒノちゃんも分かっている。でも何故か俺達は動くことができないでいた。
ただのインターホンのはずなのに……何故なんだろうか。こんな感覚は生まれて初めてだ。
玄関に行ってはいけないという、疑惑に満ちた謎の感情。何故俺はこんなに恐れているんだ?
「……すいませんツム君。ちょっと出て来ますね」
「え? あっ、うん……」
ヒノちゃんも何か思うところがあるのか、珍しく神妙な顔付きになっていた。きっとヒノちゃんも俺と同じく、何かを感じっているんだろう。それでも尚、玄関へと向かうその背中は勇ましく見えた。
しかし一人で行かせるのもアレなので、妙な違和感を抱いたまま俺も後を追った。そして玄関の前にやって来て尚も、インターホンの音は止まらなかった。
少なくとも、この先にいるのはミノちゃんではない。ミノちゃんだったらインターホンなんて押さず、ヒノちゃんから貰った合鍵で勝手に入ってくる筈だから。
そして、疑心暗鬼に満ちたこの場で、ヒノちゃんは玄関先にいる人物に対して声を掛けた。
「どちら様でしょうか?」
すると、ずっと押されていたインターホンが鳴り止んだ。しーんとした沈黙が少しだけ続き、後にその声は聞こえて来た。
「日向と言います。ここは天城さんのお宅で間違いないでしょうか?」
「はい、そうですが……」
その人物の正体はつくもちゃんだった。ここに来てから買い物以外で外に出ることが無かったつくもちゃんが、何故ヒノちゃんの家にやって来たんだろうか? 取り敢えず安心――
「……?」
おかしい。相手がつくもちゃんだと分かっているのに、一向に妙な違和感が消えてくれない。なんだ? もしかしてさっきのやり取りで感覚がおかしくなってしまったんだろうか?
でも取り敢えず開けてあげよう。このまま向こう側に立たせておくのも可哀想だ。
「ヒノちゃん開けてあげて。多分だけど、俺のことを捜しに来たんじゃないかな。挨拶も含めて」
「分かりました。今開けますね」
俺の要望を聞いてくれると、ヒノちゃんは鍵を外して玄関の戸を開く。
すると否や、即座に戸の間に草履を履いた足が割り込んできて、勢い良く右手がこちら側の玄関の戸を掴んで来た。
そして次に俺達が見たのは――結膜が真っ赤に染まり、ギンギンに見開いている眼球だった。
「ツ〜ムく〜ん……」
「ギャァァァ!?」
カチューシャで結われた胡桃色のポニーテール。木の葉の柄が付いた黄緑色の着物。その姿は嘘偽りなくつくもちゃんであったが、その形相は今までに見たこともない不気味な表情であった。もしそれを例えるのであれば、俺は一言でこう言い表わすであろう。
化物、と。
「……な〜んちゃって」
「へ?」
完全に玄関が開いたところで、俺はつくもちゃんが持っている物を見て目を丸くした。
「……お面?」
「あははっ、びっくりした? ごめんね二人共?」
ペロッと舌を出して悪戯っ子の笑みを浮かべるつくもちゃん。なんてタチの悪いドッキリだったんだ……。
「えっと、貴女がつくもさんでしょうか?」
「そっ、話は聞いてるわ天城さん」
流石はヒノちゃんと言ったところか、つくもちゃんのドッキリに何ら臆することもなく、いつも通りに立ち振る舞って見せた。順応力の高さよ……。
「もっと早く挨拶に来たかったんだけど、ミノちゃんが駄目だ駄目だって言うからこんなに先に伸びちゃって……ごめんなさい天城さん」
「いえいえ、気にしないでください。実を言うと、私もミノちゃんに引き止められていたんです。なので丁度良かったですよ」
「そうなの? 今度は何を企んでたんだろうミノちゃん……」
首を傾けてうーんと考え込むつくもちゃん。ホント何考えてんだかあいつは……。
「私にもそれは分かりませんが……取り敢えず上がってください。積もる話は中でしませんか?」
「あっ、ううん大丈夫よ。今日は本当に少しだけ挨拶しに来ただけだから。簡単な紹介を……ね」
するとつくもちゃんは、チラッと俺を見てすぐにヒノちゃんの方に視線を戻すと、ニッコリと笑って言い放った。
「“ツム君の許嫁”の日向九十九です。宜しくね、“ツム君の後輩”の天城さん」
「……許嫁?」
ヒノちゃんが本日二度目のキョトンとした反応を見せ、すぐ後ろにいる俺を見つめて来た。「そうなんですか?」と、その目は俺に質問をしていた。
「あ、あのねつくもちゃん? それはあくまで子供の時にした約束であって……」
「でも約束は約束でしょ? 私をお嫁さんにしてくれるって、指切りしてくれたもん」
「そ、それは……」
否定することができなかった。できるわけがなかった。だってつくもちゃんはずっとその時のことを覚えていて、こうして俺に会いに来たのだから。ずっと忘れていたボケナス野郎の俺とは違って。
「えっと……つまりお二人は幼馴染ってことですか?」
「うん、そうよ。“許嫁関係”の幼馴染なの」
やたらと許嫁というワードを強調してくる。なんでよりにも寄ってヒノちゃんにその発言を何度も浴びせるんだよつくもちゃんよ……。
「これは私の憶測なんですけど、ツム君のことだからその約束をずっと忘れていたんじゃないですか?」
「……流石ッスねヒノちゃん」
ミノちゃんと同じくらい俺のことを把握しているヒノちゃんには、全て丸分かりらしい。何度聞いても甲斐性無しの自分が人として恥ずかしく感じてしまう。
「……もしかしてなんですがツム君、その約束を本気にしてなかったんじゃないですか?」
「はいそうです。どうせ大きくなればお互い忘れるだろうと思ってました」
「いかにもツム君らしいですね。駄目ですよ、女の子は常に恋愛に本気なんですから。冗談半分とか、軽い気持ちでとか、そんな中途半端な気持ちでいい加減なことをしては駄目です」
「本当にごめんなさい! 悪気は無かったんです! 子供心の勢いだったんです!」
よーく分かった。俺に恋愛は向いてないということを、身を持って痛い程知りました今。
「それで結局のところ、今はどうなんですか?」
「どうって……」
今の俺はつくもちゃんに気があるのかどうか、という疑問だろう。流石に今の「どうなのか」の意味が分からなかったら、ミノちゃん辺りにぶっ飛ばされてるところだ。
つくもちゃんはあくまで俺にとって幼馴染だ。女性としてとても綺麗になったし、凄く魅力的な人になったと思ってる。でもそれは恋愛感情とは別の話。好きという感情より、憧れと表現した方が今はしっくりくる。
「つくもちゃんには悪いと思ってるけど、俺はその……誰かを好きになるとか、そういう気持ちをよく分かってないから……。だから許嫁とか言われても正直困るというか……いや身勝手だってことはよく分かってるんだけど……」
「気にしないでツム君。許嫁っていうのはあくまで肩書きの言葉ってだけで、そこに意味はまだないから。それに私言ったでしょ? 返事はいつでも良いからって」
「……うん」
出会って間もない時に俺のことを好きだと言って、俺の返事はいつでも良いと言ってくれた。俺からしたら身勝手な約束だ。後から後から罪悪感が湧いて来る。
それでもいつか俺は答えを出さなくちゃいけない。それも出来るだけ早く。でもさっきヒノちゃんに言われた通り、中途半端な気持ちで答えを言うわけにいかないし、どうすれば良いんだ俺は……。
「つまりまとめると、つくもさんはツム君のことが好きだと告白して、今はツム君がその返事をどう返すか試行錯誤中ってことですか?」
「そういうこと。つまり今の私達は親友以上恋人未満の関係ってことなの」
「そうなんですか。なら許嫁というのは本当に中身のない意味だったんですね」
「……ん?」
その時、空気の流れが変わったような気がした。ヒノちゃんもつくもちゃんも笑顔を浮かべているはずなのに、威圧感のようなものを感じるような……?
「確かに中身はないのかもしれないけど、それはあくまで“まだ”ってだけよ? ツム君の返答によっては、本当に私達は許嫁という関係になるんだから」
「ということは、返答が無ければずっと中身は無いままということですね」
「…………そうね」
一瞬だけだったが、つくもちゃんの目の色に闇が混じったような……いやいや気のせいだ気のせい。きっと疲れてるんだ俺。あの温厚なつくもちゃんに限ってそんなことは……。
「確かに天城さんの言う通り、何も無ければ何も変わらないと思うわ。でも少なくとも、私はただ黙ってツム君の返事を待つつもりはないよ? これからもどんどんアピールしていくつもりだから。その覚悟でキスもしたんだし」
「……キス?」
あっ、ヤバい、この人今すぐ黙らせないと駄目だ。お口チャックさせないと駄目だ。
「Hey、Mrs.TUKUMO。そこいらでWaitしましょうか。それ以上はもう――」
「そうなんですかツム君?」
「……うん?」
「したんですか、キス?」
「…………」
だらだらと頭一帯を覆い尽くす量の汗が流れ出てきた。言い訳がましくなるだろうけど、ここで答えなければ俺は一生ヒノちゃんに口を聞いてもらえなくなるような気がする。
「えっと……つくもちゃんが家に来てから部屋作りのために俺が手伝ってたんだけど……その時に押し倒されて半ば強引に……」
「……そうですか」
俺の話を聞き終えて尚、ヒノちゃんは笑顔の表情を解かなかった。ただ、少しその笑みが寂しそうに見えたような気がしたのは多分気のせいじゃない。まるで笑っているのを無理してるみたいだ。
「……凄いですねつくもさん。ツム君の意志にも関わらず“そういうこと”を平然としてしまうんですから」
「……そういうこと?」
さっきまでずっと感じていた違和感。それは今のヒノちゃんの一言により、確かなものになった。
原因は多分俺……なんだろうけど、その真意は分からない。けど、他に確証を得られたことが一つだけある。
誰に対しても友好的で、悪戯っ子だけど人が良くて、温厚で本当に優しい女の子。俺が今まで見てきたのは、そういうヒノちゃんだった。
そんな彼女が――静かに怒っていた。決して表に出していないはずなのに、不思議と俺だけはその憤りを感じ取っていた。
「これは私の偏見なのかもしれません……けど、やっぱりツム君の意志を無視して無理矢理“そういうこと”をするのはどうかと思います」
ピクッとつくもちゃんのこめかみ辺りが少し動くと、明らかに目付きが変わった。これってもしかして、つくもちゃんも怒ってる?
「えっと……一ついいかな天城さん? そういうことってどういうこと?」
「……分からないんですか?」
いつもなら「どういうことだと思います?」と言ってニヤニヤ笑っているはずなのに、少し言い方が違うだけでこんなにも印象が変わるなんて……。
その変わり様を一言で説明すると……凄く怖く感じた。もし俺がこういう風に言われていたら青ざめているところだ。
「分からないから聞いてるんだけど……逆に天城さんはそんなことも分からないの?」
「そうですか、それはすいませんでした。一見つくもさんは頭の良い人に見えていたんですが、そういうわけじゃなかったんですね」
「フフフッ……ごめんなさい物分りが悪くて」
お互い笑っているはずなのに、目が全く笑っていなかった。こんなヒノちゃんとつくもちゃんを見るのは初めてだ。特にヒノちゃんに関しては何て言えばいいのか……軽くキャラが変わってしまっているような気がする。
「単純に説明すると、私は“不純なこと”だと言っていたんです」
「不純なこと? 天城さんはキスが不純なことだって言いたいの? なら世の中の恋人関係にある人達がキスをしていたら、それは皆不純な行為ってこと?」
「そうじゃないですよ。私が言いたいのは、相手の意見も聞かずにキスをすることが不純な行為だということです」
「でもそれって相手が……ツム君が嫌がっていた時の場合よね? ならツム君とのキスは不純な行為じゃないわ。だってツム君は嫌がってなんかいなかったもの」
「それはそうかもしれませんが、ツム君は優しいんです。だからつくもさんが傷付かないように、気を遣ってあげていた可能性があるんじゃないですか?」
「それはツム君自身に聞いてみないと分からないことでしょう?」
と、そこで二人同時に俺に視線を向けて来た。
俺は目を逸らそうにも逸らすことができず、ただ動揺と恐怖の汗を流すことしかできなかった。
「どうなんですかツム君? 実際嬉しかったんですか? それとも嫌だったんですか?」
ぐいぐい近付いてくるヒノちゃん。その笑顔は今まで見てきた中で一番不気味だ。
「正直に答えてツム君。どんな答えでも私は怒らないから」
同様にぐいぐい近付いてくるつくもちゃん。ならその充血した目をどうにかして欲しい。
「あ、あのさ二人共。なんでそんなに啀み合ってるの? まずそこから説明して欲しいんだけど?」
「別に啀み合ってないです」
「別に啀み合ってないよ」
まるで信憑性のない発言なんですけど。空気がピリピリしたままなんですけど。
「取り敢えず落ち着こう? 二人共冷静さを欠いてるように見えるし、冷たい麦茶でも飲んで――」
「話逸らさないでくださいツム君」
「……ごめんなさい」
こ、怖い! 怖いよヒノちゃん! まさかそんな冷たい態度取られるとは思ってなかったよ俺! 詳しいことは全然分からないけど、ヒノちゃんも怒る時は怒るんだね!
「早く言ってくださいツム君。良かったんですか? 悪かったんですか?」
「さぁ言うのよツム君! はっきりと! 大声で! 確実に!」
なんで!? なんでこんなことになっちゃってんの!? だ、誰か助け――
「……おい」
その時だった。小さな声なのに迫力のある声が、すぐ近くから聞こえてきたのは。
「あ゛っ……」
突如背後に現れたその人物を見て、つくもちゃんの顔色が一変して青白くなった。同時にヒノちゃんも落ち着きを取り戻したのか、キョトンとした顔になっていつもの雰囲気に戻っていた。
「何してんの。居候の分際で」
「いや、えっと、その……」
その人物――我が妹ことミノちゃんは、ドス黒い目付きでつくもちゃんを萎縮させていた。今まで何度かミノちゃんに怒られてきた俺ではあるが、あれほど恐ろしい形相で叱られたことはない。
さっきのヒノちゃんも大概だったけど、今のミノちゃんも相当ヤバい。俺にはもう鬼か物の怪の類いにしか見えない。
「私言ってたっしょ? 私の許可無しにヒノの家に行くのは駄目だって。ねぇ? 私言ってたっしょ?」
「だ……だって、気付いたらツム君が家からいなくなってて、それで寂しくなって隣の家かなぁって思って……」
「お前は兎か? 寂しさ余る度にツム兄に縋り寄らないと生きられないってか? お前はそういう“重い女”なのか?」
「重っ!? ち、違う! 違うよミノちゃん! 私にそういうつもりは――」
「御託はいいからちょい来いや」
「痛っ! 痛い! 痛いよミノちゃん! もげちゃうから! ポニーがもげちゃうからぁ! ひぇぇぇ……」
ミノちゃんは怒り余りに口から湯気を吹きつつ、つくもちゃんの髪の結んだ部分を引っ張って我が家に消えた。
ドアが閉められた瞬間に全く声が聞こえなくなり、その一部始終はホラー以外の何物でもなかった。
〜※〜
「本当に申し訳ありませんでした……」
約三十分後。全体的にボロボロの姿に変わり果てたつくもちゃんは、平常時のミノちゃんと共に再び姿を現した。
取り敢えずヒノちゃんの許可を得て上がってもらい、リビングに来たところでつくもちゃんがヒノちゃんに土下座した。間違いなくミノちゃんによってしばき倒された影響だろう。
「いえ、私も妙に突っかかって熱くなっていました。こちらこそすいませんでした」
ヒノちゃんもヒノちゃんで思うところがあったようで、苦笑しながら頭を下げつつ、つくもちゃんに手を差し出していた。うん、いつものヒノちゃんでようやく安心したよ……。
「うぅ……本当にごめんね天城さん……」
「ヒノで良いですよつくもさん。それにもう気にしてないので、つくもさんも気にしないでください」
「う、うん。分かったわヒノさ……ちゃん」
つくもちゃんがヒノちゃんの手を両手で握り、ようやく仲直りした。やれやれ、一時はどうなるかと思った。
「悪いねヒノ、うちの居候が迷惑掛けて。こいつツム兄のことになったら躊躇しない重い女だからさぁ、実はこっちも困ってんだよね」
「ミ、ミノちゃん……せめて重い女と言うのは止めてもらえると……」
「喧しい。二重の意味で重いくせに、図々しいこと言うなボケ」
「お、重くないもん! 少なくとも体重は女子の平均より下の方だもん!」
「知るか」
「そんな残忍な!?」
余程ヒノちゃんに迷惑を掛けてしまったことが引っ掛かっているのか、つくもちゃんに対する態度がいつも以上に厳しいものになっていた。でも流石に重い女は言い過ぎな気もするが……援護したら今度はこっちに飛び火しそうだし、何も言わないでおこう。触らぬ神に祟りなしだ。
「改めて紹介しておくけど、こいつは日向九十九っての。私達の従姉妹であると同時に幼馴染でもあってさ。昔引っ越したせいで離れ離れになってんたんだけど……目障りなことに一人帰って来たわけ」
「ミノちゃん……発言される度に私の心が抉られるんだけど……」
そう言うつくもちゃんだったが、ついには無視されて聞く耳を持たれなくなってしまった。極端に落ち込んでいて不憫だけど、やっぱり黙っていよう。
「でも珍しいねヒノ。喜怒哀楽の怒が抜けてるんじゃないか、という異名を持つあのヒノが怒るなんて」
「それは大袈裟だよミノちゃん。私だって怒る時は怒るよ?」
「でも私一度もヒノに怒られたことないけど……」
何が不満なのか、拗ねたように頰を膨らませるミノちゃん。
別に良いじゃん怒られた経験無くても。むしろ喧嘩なんてしない方が平和的じゃん。怒ったヒノちゃんなんて何も需要無いよ。
「ツム兄の怒声なら嫌という程聞いてるけど、何も怖くないからつまんないし。むしろ怒り顔を見ると笑いそうになる」
「それはお前が俺を常日頃から舐めて見てるからでしょうが! 少しは兄に威厳というものを持たせてくれませんかね!?」
「兄の威厳って……ぶっちゃけたこと言っちゃうと、ツム兄って兄って感じがしないんだよね。ポジション的にも私の方が姉っぽいし」
悔しいけどその通りだから否定できない。我が家の家事についてはミノちゃんが鍵を握っていると言っても過言じゃないし。
「それは流石に言い過ぎなんじゃミノちゃん……。ツム君にだってお兄さんみたいなところがあるはずよ」
「なら言ってみろよ。はい、ツム兄の兄っぽいところをお一つどうぞ」
「…………」
フォローしてくれようとしたつくもちゃんだったが、その結果は無言を押し通すことだった。気遣いはありがたいんだけど、その反応のせいで余計に兄心が傷を負ってしまったよ……。
「フッ、所詮は口だけか小娘が。それでツム兄の懐に付け入ろうだなんて烏滸がましいわ」
「だ、だって……ツム君と一緒にいた期間はずっと昔のことだし、兄らしい部分なんて見たことなくて……」
「なら代わりにヒノが言ってみてくださいな。ツム兄の兄らしい部分」
「ツム君の兄らしい部分かぁ……」
チラッと視線を送ってくると目と目が合い、俺はすぐに視線を逸らす。そんな反応を見たヒノちゃんはニヤついていた。
「う〜ん……私やミノちゃんの面倒見が良いことかな。ほら、ツム君って基本的に私達の頼み事を断らずに付き合ってくれるでしょ? そういう懐の広さがツム君の兄らしい特徴だと思うかな」
何これめっちゃ恥ずかしいんですけど。嬉しくない、別に嬉しがってなんかいない。なんでこういう時は悪ふざけせずに真面目に答えちゃうんだよ。空気読もうよヒノちゃん。
「ツム兄、ヒノに褒められて嬉しいのは分かるけどさ。流石に顔に出過ぎじゃない?」
「は? な、何言ってるのさミノちゃん。嬉しい? 歓喜? ワッツ? ワタシハッピーワカリマセーン」
「ぷくくっ……誤魔化すのが下手過ぎますよツム君」
すっかりいつものノリな空気に戻って来た。俺達らしいと言えば俺達らしいんだけど、やっぱり俺が弄られ役なのね……。
「……皆仲が良いのね」
そんな呟きをしたつくもちゃんの方をふと見ると、寂しそうに俯いていた。
「え? 何? 仲がなんだって? 言いたいことがあるならはっきり――痛いっ!?」
憎たらしい顔でつくもちゃんを追い詰めようとする妹にゲンコツ一発。何処ぞの姑かこいつは。
「あのさ、つくもちゃん。正直なことを言うと、つくもちゃんが帰って来てくれたことに関しては凄く嬉しいんだ俺」
「え……?」
「いや、ほら、なんていうかさ……俺って言うほど親しい友達っていうのがいないから。気兼ねなく話ができる人が近くにいるっていうのは、俺にとってありがたいというかなんというか……口下手で上手いこと何も言えないけど、とにかくつくもちゃんが帰って来てくれて嬉しいんだ」
「本当口下手だよね。結果的に嬉しいとしか言ってないじゃん」
人が真面目に話しているのに水を差してくる妹。お願いだから今だけは空気読んで。
「つくもちゃんと会えなかった時間は長くて、思い出といえば小さい頃によく三人で遊んでいたことだけ。つくもちゃんはそれが悲しいと思ってるのかもしれないけど、もう悲しむ必要はないよ。だってこれからは皆でまた新しい思い出を作っていけば良いんだから」
「ツム君……」
「ほ、ほら! 二人もそう思うでしょ? そう思うよね? そう思うと言ってください!」
「「そう思うと言ってください!」」
「違うそうじゃない! 俺が求めているのはそういうのじゃない!」
二人にしてニヤニヤしてまた俺をからかいやがってぇ……こんな時くらい真面目なってくれたって良いじゃないか! この鬼畜年下ズめ!
「冗談ですよ怒らないでくださいツム君。ツム君の言う通り、私もつくもさんとの思い出はこれから作っていけば良いと思います」
「ヒノちゃん……」
色々あって喧嘩していた二人だったけど、もう大丈夫だろう。きっと二人はこれからもっと仲良くなれると思う。
「ぶっちゃけ気に食わないけど、弁当のバランくらいの扱いで妥協してあげるよ」
「なんでお前はそんな当たり方が強いんだよ! 従姉妹なんだからもう少し優しくしてあげなさい!」
「分かったよ……要は、割り箸に付いてくる爪楊枝の扱い方くらいにしろってことでしょ?」
「さっきからその妙な例えは何!? 余計に分かりにくいからそれ!」
「ちなみに私は卵焼きで、ヒノはハンバーグ。ツム兄は米ね」
「遠回しに俺が地味だって言ってるディスりワードだよねそれ!? 日本の主食を馬鹿にするんじゃない日本人!」
「ぷくくっ……言い得て妙ですね。確かにツム君は弁当の物に例えると米だと思います」
「うん、私もそう思う。ツム君は米以外に無いと思うわ」
妹だけじゃ飽き足らず、二人も便乗して俺を米だと言う。どいつもこいつも俺を馬鹿にしおってからに。
「どうせ俺は地味ですよ、えぇ分かっていますとも。米の有り難みも分からぬ欧米被れの娘共め……米の有用性をなめるなよ!」
「……褒めてるつもりなのに」
「え? つ、つくもちゃん?」
「……ぷふっ」
すると、つくもちゃんが口に手を当てて、ころころと笑い出した。また便乗するようにヒノちゃんとミノちゃんも笑い出し、俺一人だけ完全に取り残されていた。
「ありがとうツム君。ツム君のお陰で元気が出て来たわ」
「つくもちゃんもか! つくもちゃんも俺を弄ることで活力を手に入れるのか! つくもちゃんは俺の味方だって信じていたのに!」
「ううん、私はツム君の味方よ。だって好きだもん」
「はい出たよ好き好きアピール。ぶりっ子って受け付けられないわ〜。ほら見てヒノ、鳥肌こんなすんごいの」
「ぶりっ子じゃないってばぁ!」
また騒がしいメンバーが一人増えたけど……楽しいからいっか。元気になってくれたのなら俺はそれで良い。
これは後に聞いた話だけど、皆が俺を米と例えていたのは、俺は皆とでも合う食べ物だからとのこと。
その意味を知った時、また俺が一人で顔を赤くさせていたのは俺しか知らない話だ。