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4 子供の足にしては

 アンシ・シの街まで戻り街中の宿屋アークティカへ向かっていたフリッツたちは、人気のない街外れの道を向こう側から歩いてきた少年がフェムールだと気が付いた。

「坊ちゃま、」

 知っている人に出会えた気安さからか、手を振って笑顔になるフェムールは夕闇の中ひとり歩いていた。周りにはロレッタも警備の騎士も従者もいないし、道に慣れている地元民ならではの気安さで、灯りすら手にしていない。不用心にも程がある。

「本来ならアークティカでロレッタと留守番をしているはずだろう。もう遅い時間だというのに何をやってるんだ、」

 見つけるなりフォートは叱りつけ、「ロレッタは何をやっている、」ときつい口調で尋ねた。

「お嬢さまは宿でお待ちです。私は、駐屯所から呼び出しの連絡が来たので向かっている最中です。」

「一人で来いという連絡だったのか?」

「はい。私をご指名で、話があるので急いでくるように、との大旦那様からの御言い付けだと聞きました。」

「こんな時間に父上がか?」

「はい。そのように聞いています。」

 フェムールは未分化の竜の子供だった。将来的には竜人となってロレッタと生きていくつもりでいても、それをすんなりと良しと認める者ばかりではないと思えた。フリッツには、半竜を飼いならして武器にして兵力とした先の大戦での資料が実在しているだけに、用心をして損はないと思えた。

 同じように感じていたようで、フォートの顔色が変わる。

「フェムールひとりで行動させるなんて、ありえない指示だ。本当に父上の命なら馬車を寄越すだろう。」

「なにか、妙ですね。」

 ビスターと顔を見合わせ頷き合うとフォートは考え込んで、「私も一緒に行こう、」と言い出した。

「それがいいと思います。」

「ビスター、悪いが宿に急いでくれ。ロレッタひとりの留守番では心配だ。」

「お任せください。では、カーク、ドレノ、あとを任せます。フリッツも気を付けてください。」

 俊足のビスターが駆けていくのを見送って、フェムールとフォートと別れたフリッツたちも宿屋へと急いだ。

 街の中心部だろうとこの街には化かし鳥が出没する。人ではないものも多い。

「杞憂だと良いのですが、」とひとり呟いたカークを先頭に早歩きでアークティカまで戻ると、すぐ近くの大通りでは道を塞ぐように人だかりが出来ていた。


 野次馬たちの喧騒を掻き分けて進むカークの後をフリッツが続き、ドレノが追いかける。


「なにがあったんです?」

 人が良さそうな雰囲気にカークが声をかけた男性は、隣の男と話をしながら気軽に答えてくれた。

「喧嘩だそうだ。怪我人が出て大騒ぎさ、」

「原因は判りますか?」

「女が原因だって話さ。盗った、盗らないで喧嘩になったって話さ、」

 うんざりしたような笑みを浮かべて、男は肩を竦めた。

 女を盗った、盗らない、なのか? 妙な表現の仕方だなとフリッツは思った。人なら女を取られた、獲らないではないのか?

「どっちもアークティカの客さ。別館の簡易宿の方と、本館の高級宿の方の客とだから、街の警備兵たちのお出ましさ。」

「アークティカはこの辺の宿屋じゃ珍しく娼婦の出入りを許さない宿だから、潔癖な客ばかりが集まってくるのさ。だけど今回の魔香騒ぎだろう? 八つ当たりじゃないかって話だよ、」

「高級宿の方の男は言いがかりだって困ってたけど、簡易宿の方はえらく怒ってたな。」

 ああ…と納得したようにカークは苦笑いをした。ナチョを思い浮かべたのかもしれない。

「この街の人間でさえ街の出入りが不便でうんざりしているくらいだ。皇国の人間はもっとだろうな。」

「商売でこの街に来たからって、言葉が不自由しないなんて甘い現実でもないだろうしな、」


 うんうんと頷く男たちを見て、カークが囁いた。

「女ではないのかもしれません。取った、取らないも、違う意味の言葉なのかも。」

「皇国の言葉を誰もが理解しているわけではないだろうからな、」

 この国でも方言があるように、皇国でも方言があるのだとしたら、なおさら意味は違ってくる。

「意思疎通が不便な者同士の諍いかもしれませんね、」

「そうかもしれないな、」とフリッツも同意して頷いておく。


「誰が怪我をしたのか判りますか?」

「騒ぎを起こした者たちはどっちも皇国の商人らしい。さっき町医者が入っていったから治療が必要なんだろうよ。」

「それだけでこの騒ぎですか?」

「ああ、みんな刺激に飢えているからな。もう10日近く、街から出られないだろ? 暴れるきっかけを探しているんだろうよ、」

 カークとドレノと顔を見合わせて、フリッツは警備兵たちは暴動になる前に沈静化を図ったのだろうなと思った。小さな諍いが連鎖して暴動になると、収拾がつかなくなるだろう。

「教えてくださってありがとうございます、」

 カークの手際のいい情報収集でなんとなく状況は判ったけれど、それにしても人が集まりすぎている気がするなと感じた。

 老いも若きも、この街の人間も地竜王の神殿への旅行者も、商人たちも、行き場のない怒りや苛立ちを発散したくてきっかけを求めているのだとしてたら、相当苛立ちや不安で思慮が浅くなってしまっているのだろうなとフリッツは思う。諍いの場に呼ばれもしないのに飛び込んでくるなんて、自分から不運に巻き込まれに来ているようにしか思えない。


 街を守る警備兵が既にアークティカの入り口を固めていて、フリッツたちの王都の騎士団の制服を見ると敬礼をしてくれた。

「この宿に滞在している者だ。入ってもいいか?」

「何か証明できるものはお持ちですか?」

 丁寧な口調でも容易く足を踏み入れる行為は許さないといった気構えが伝わってくる。

 何人かの警備兵と話をしている宿の従業員の中にイダとビスターの姿を見つけた。

「あの者たちの、いえ、イダの知り合いです。呼んでくれれば証明してくれます、」と伝えると、さっそくイダとビスターが呼ばれてフリッツたちを宿の中に入れてくれた。


「なにがあったのです?」

 カークがほっとした顔で尋ねると、イダは恐縮したのか頭を下げた。

「皆様には申し訳ありません。恥ずかしいところをお目にかけました。」

 ビスターはフリッツに、「ロレッタ嬢の警護はすでに宿の者に頼みました。ご安心ください、」と囁いた。

「怪我人が出たとの話ですよね?」

「血は流れていません。拳同士のぶつかり合いです。ただ、居合わせて巻き込まれてしまった女中のひとりが気を失ってしまいました。」

「女を取った盗られたの喧嘩だと聞きましたよ?」

 カークの質問に、イダは黙って微笑むと、じっとフリッツたちの顔を見回した後、「ここでは何ですから、奥へ行きましょう、」と言って奥へと促した。


 誰かの悲鳴が聞こえた気がして、フリッツは振り返った。

 通りの向こう側に見える宿の看板の影に、黒くて丸い鳥の姿が見えた。黄色くて丸い目が、闇に浮かんで光っている。

 化かし鳥だ。

 こんな夜でも、こんな街中でも現れるのか…。

 目が合ってしまい動けなくなってしまったフリッツの肩を、ポンとカークが叩いた。

 術が溶けたかのように意識が戻ったフリッツは何度か瞬きをして、カークの顔を見つめた。

「お疲れのようですね、無理もありません。今日もご活躍でしたから。」

 ビスターがカークの肩越しに微笑んで頷いていた。ドレノは心配そうにフリッツの顔色を窺っている。

「行きましょう、フリッツ、気にしてはいけません。」

「そう、だな、」

 ドレノを先に入らせてアークティカに足を踏み入れようとしたフリッツは、野次馬の人混みの中に、空中を白い手がまっすぐに伸びてくるのを見つけてしまった。

 不自然な方向から手だけが、伸びている。


 影から伸びてきた異常に長い白い手が、すーっと人々の肩の間を縫って現れて、アークティカの前を去っていく若い商人の集団が連れ立って歩いている傍までやってきた。若い商人たちは酔っぱらっているのか大きな声で大通りを占拠する野次馬たちを非難して怒っているようで、盛り上がっていて気が付いていない。

 さっと、白い手は、そのうちの一人の帽子に飾られていた赤黒い何かを摘まんでもぎ取った。

 宝石というには小さくてただの飾りかなにかだと思っていたフリッツは、もぎ取られた瞬間悲鳴が聞こえてきた気がして、略奪者の白い手を改めて注視した。

 

 白い指の間から、もがくように細く小さな赤い蜥蜴が苦しそうに身を捩らせている。

 あれは妖精だったのか…!

 白い手は、ひょいひょいと人々の方や頭の上に乗る何かを摘まんで捕まえてを繰り返していて、手に持てなくなってきたのか、縮んで、人込みに紛れて消えようとしている。


「なんだ、あれ、」

 精霊を捕まえる何かは、精霊か魔物(モンスター)か?

 まさか、人?


 人なら、追いかけなくては。捕まえて何をしようとしているのか、確かめなくては。


「フリッツ、どこへ行くのです?」

 カークが慌てて動き出そうとしたフリッツを呼び止めようとした。

 答える間が惜しくて、フリッツは答えずに走り出す。野次馬の中に飛び込み酔客の流れを逆に進んで、白い手の持ち主を追いかける。


 伸びていた白い手は何事もなかったかのように、人混みの後ろで、普通の人間の腕の長さに戻った。

 白い手の持ち主は、油断しているのか堂々と手にある宝石を眺めている。精霊だと思っていたものは色とりどりの宝石で、指の間で小さいながらも怪しく煌めいている。

 ゆらゆらと揺れる陽炎が見えて、精霊が魔石に戻ったのだと思った。

 魔石なら、持ち主に返さないといけない。

 窃盗は罪だ。騎士として正義と倫理を思い出したフリッツは捕まえる覚悟が決まった。


「お前は、」


 黒い丸い帽子に、白い顔に黒い穴のような目。赤い頬に常に笑っているかのような口。白いナイトウェアのような服の人ではない存在を、フリッツは知っている。

 あいつだ。アダンの、人形だ。

 顔を上げ追いかけてくるフリッツに気が付いたのか、カサカサと壁伝いに平行に移動して角を曲がり影に隠れようとした姿を追いかけて、フリッツは走った。

 もぎ取った赤い蜥蜴の精霊をあの人形が持っているのなら、あの人形を捕まえなくてはいけない。

 あの人形は、アダンの持ち物だ。


 でも、どうしてこのタイミングでそんな奇行を…?


 フリッツは走りながら考える。


 ランスが魔石と呼ばれる貴重な宝石を買って集めて雨を降らせようとしているのを、アダンは知っている。

 セサルは大金を手にしている。ランスが買えなかっただけで、他にも宝石を持っていると思われた。

 人形に石を略奪させるのなら、ランスは確実にいい石を持っているのをアダンは知っている。ベルムードやトマスだって、秘密裏に魔石を持っているだろう。

 ランスの手元にある貴重な魔石ではなく、どうして街行く商人の石を狙うのだろう?


「フリッツ、どこへ行くのです、」

 後方に追いかけてくるカークと、追いついてきたビスターに気が付いて、フリッツは「不審者を見つけた、」と叫んだ。

 見えない存在だとしても、あいつは犯人としか言いようがなかった。


 手が伸びていた。動きも人ではない。体の大きさを変えられるのなら、人が作った人形ではない。

 だいたい、あの人形は、何を動力に動いているのだろう。

 

 角を曲がる人形の後姿を掴みかけた瞬間、ぱっと答えが閃きかけてフリッツは一瞬躊躇ってしまい、慌てて追いかけて路地裏に飛び込んだ。


 暗がりの中、突き当りの壁を背に立つ黒いマントを頭から被った男が、丸いカバンの口を広げて待っていた。

 吸い込まれていく人形のピンク色の靴を履いた足が消える瞬間に出くわしたフリッツとビスターは、息を切らしながら、男と向き合った。


「そこで何をしている。」

 問いかけたフリッツに、アダンは「なにも? 月を見ようと歩いておりましたらなにやら騒がしくて身を潜めていたのですよ。騒ぎに巻き込まれるのはごめんですからね、」と笑った。カバンの口を閉じて撫でながら夜空を見上げて、「もうじきこの街とはお別れですからね、こんな夜もいいものです、」とフードを取った。

「申し遅れました。騎士殿、私は皇国の商人でございます。なにとぞ御目溢(おめこぼ)しのほどを、」

「古物商アダンですか、」

 名前を憶えていたビスターが尋ねると、「あなた様たちは今日の入札会での警備の騎士様ですな、」とアダンもフリッツたちの顔を覚えていた様子で尋ね返してくる。

「ここに、おかしなものが来なかったか? その丸いカバンに、足が入っていった気がしたが?」

 フリッツの問いかけに、ハハッと笑うと、アダンはにっこりと笑みを浮かべて「こんな小さなカバンに何が入るというのです?」とカバンの口を広げて見せてくれた。


 深紅の中布の張られたカバンの中には何も入っていなくて、フリッツとビスターは顔を見合わせた。

「何も入っていない…?」

「ええ、このカバンに土産をいっぱいになるように買い物に来たばかりですから、」

「執事はどうなさいました? 確か入札会の時に執事が一緒だったはずですね?」

 ビスターはよく覚えている。さすが王城の近衛兵だ。

「はぐれてしまいました。大通りで騒ぎがあったようですから。宿で合流すればいいだけの手間ですから、ご心配なく。」

「一緒に行こうか? 大金を持っているのなら、ひとりで出歩くのは危険だろう、」

 警護目的ではなく不信感からの提案だったけれど、フリッツは本音を隠して同行を提案してみた。アダンは本心なのかにっこりと微笑んだ。

「お気持ちだけで十分です。土産物を選んで買うだけですから。それに、この街にはクラウザー候の薫陶の行き届いた騎士様が大勢いらっしゃいます。ご安心ください、」

 丁寧な口調で拒絶して、アダンは頭を下げると「失礼いたします。おやすみなさいませ、」とフリッツとビスターの間を通り抜けて去っていった。ツーンと、微かなレモンのような香気を感じた。


「あのカバンはいったい何なんだ?」

「どうかしましたか?」

 ビスターの後方にいたカークがきょとんとした表情でアダンの後姿を見送っている。

「今の、見たか?」

「見ました。子供の足にしては大きかった気がしました。」

「なにを見たんです?」

 ビスターはやっぱり見えたようでフリッツは安心したけれど、カークは間に合わなかったこともあって見れていなかった様子だった。

「魔物ではないと思います。でも、人間でもないでしょうね。」

「だろうな。顔は、見たか?」

「いえ。黒い帽子だけ、ですね。」

「フリッツ、ビスター、ズルいですよ。秘密はいけません。教えてください。」

「ランスに報告するついでに教えるから、カーク、宿にまず戻ろうか、」

 不満そうなカークを連れてフリッツたちが宿に帰ると、入り口には困惑の表情を浮かべたドレノの傍に、ランスとキュリスたちも待ってくれていた。

「フォートは?」

「じきに来ます。まずは腹ごしらえをしましょう。」

「そういえば、まだ夕食を食べていません。お腹が空いてきました。」

「情けない声を出すな、カーク、みんな同じだ。」

 キュリスはくしゃくしゃとカークの髪を乱して笑うと肩を抱いて奥へと歩いて行ってしまう。ビスターとドレノも後を追いかける。

「情報交換をしないといけませんね、」と笑ったランスの目はじっと、フリッツの瞳の奥を覗き込んでいた。

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