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7 話に乗ってはいけません

「では、年老いた者の戒め話とでも思いながらお聞きください。半妖は、存在が脆いのです。心が挫けてしまって輪廻の輪から外れ、時の女神の呪いを受ける者がいます。その者たちは幸いを願う祝福や庇護を頂く加護の力の宿ったものが毒となるのです。私たちはそれを、闇落ちと呼んでいます。半妖は、闇落ちしやすい。泉の水に触れられなくなったら、闇落ちした証拠だと思っております。」

 泉の水は聖水で、聖水は清きものの証とでも言えるのだろう。

「同族の命を理由もなく奪った者が闇に落ちると言われています。生きるために食べることで生き物を殺すことと、快楽のために生き物を殺すこととは違うでしょう?」

 私たち騎士は、誰かを守るために戦う。決して快楽のためではないから違う、と言いたいけれど、闇落ちと言える状況に人間も落ちることがありそうだとフリッツは思った。

「闇落ちする者は、人間の知恵と獣の能力を自分の快楽のために使った者だと言えるのです。私が思うに、魔物は、辺境の地で自分の能力を誇示するために同族を殺した者たちの慣れの果てだと考えています。ですから、聖水の効果が、闇落ちした者には毒と同じになってしまっている、と思うのです。」


 ビスターが、小瓶に汲んだ聖水を光に翳した。青紫色のガラス製の小瓶はしずく形ではなくて6角形をしていて、光が乱反射して美しくて眩しい。


「この神殿に湧き出る聖水は、純粋な愛です。女神さまが私たち生き物へお与えくださる愛だと思ってください。闇とは汚れ濁った泥と言えます。聖水は濁り切った泥を洗おうとします。」

 女神の愛は魂を救おうとするのだろうか。だから、春の女神は豊穣の女神と呼ばれるのだろうか。

「快楽のために人を殺めれば殺めるほど、魂は泥に侵食されていきます。そんな彷徨える魂を無に帰して輪廻の輪に戻る助けとなるために、泉は清き水を湛え続けるのです。」

 輪廻の輪に戻すために魂を清め無に帰すのは命を奪うのと同じことで、それはつまり毒のような作用になるということか…。

 ほう…、と感嘆の溜息を洩らしたフリッツを見て、神官は優しい眼差しで微笑んだ。

「あの者たちはここで薔薇を育てて暮らしていく中で、確かに薔薇との物々交換でおいしいものを食べるという欲を覚えましたが、それ以上に、この神殿が好きなのです。雨の日もここにやってきて花を世話して、誰も来ない日があっても、ここへ通ってきます。誰かの役にたちたいと願っている限り、心配はありませんよ。」

 狸の半妖の麦わら帽子に、蝶が止まった。

 気にしていないのか、振り払おうとも捕まえようともしない。

 フリッツは手にした薔薇の花を見つめて、純粋なものは迷いがないのだなと思った。

 私は迷ってばかりだ。

 なんて、弱いんだろう。


「フリッツ、貸してください。」

 すっと手を伸ばしてカークが提案しながらフリッツの手にしていた薔薇を手に取って、爪で棘を折っていった。整え終わった薔薇の花をフリッツに持たせて、「帰りますか、」と微笑んだ。

「さすがカーク、気が利くなあ。さすが私の弟、」

「キュリスの弟ですからね、当たり前です。」


「面白いご兄弟ですな、」

 神官がまたホッホと笑った。「またいらっしゃってください。薔薇の花を見に、」


「帰ろうか、」

 キュリスが提案すると、カークもビスターも頷いている。

「また来たい。いいだろうか、」

 フリッツが尋ねると、「ええ、機会さえあれば、」とキュリスは同意してくれた。


 神官が「お待ちしております、」と小さく頷いてくれた。

 この神官になら古い呪いの話を相談してもいい気がすると思った。すぐにでもまた、と言いかけて、フリッツは黙った。古い呪いの話は、あの場にいたカークは知っていても、キュリスとビスターは知らない。

「祝福が必要なら何度でも。お待ちしております。」


 頷いてフリッツは、キュリスたちとともに神殿奥の女神像に向かって深くお辞儀をして、表の庭へと出ると神殿を後にした。

 

 緩く下っていく坂道の向こうには村の外へと続く草原の道まではっきりと見えて、フリッツは今日ここに来れてよかったなと晴れ晴れとした気持ちになった。


「キュウウウウウん!」

 妙な鳴き声に振り返ると、神殿の表の庭に狸の半妖たちが揃って手を振ってくれていた。

「砂糖菓子、美味しかったようだなあ、」

 キュリスが大きく体を揺らしながら手を振り返した。ビスターも、真似をする。

「すっかり懐かれていますね、」

 フリッツと手を振りながらカークも呟く。

 

 手にした薔薇の花を見る度に穏やかな気持ちになって、フリッツたちは和やかに笑いながら帰り道を急いだ。

 星に似た砂糖菓子を均等に分けて、フリッツは自分の分の星を、口に放り込んだ。甘さが口に広がって、飴のようにしばらく残る。あの狸たちが踊った様子を思い出して、楽しく思えてくる。

「聖水も分けてもらえましたし、あとは雨が降ればいいんですけどね、」

 フリッツが分けた砂糖菓子を一度に全部口に頬張りながら、カークが青い空を指さして言った。刷毛でさっと綿を流したような雲が微かに見えるばかりの青い空だった。

「雲なんてあのうっすいのばかりですよ。一向に降りそうにありません。」

 空を見ながら歩いていると、遠くまで青い色が続いていて、明日も晴れそうだなと思えてくる。

「そうだなあ、あんな感じに雲が広がればまた違うんだろうけどなあ、」

 砂糖菓子の星を摘まんで空に翳して流れ星のように動かしながら、首をひねって山の手の空を指さしたキュリスがふと言った。

「あれじゃダメですよ、キュリス。狼煙にもなりませんよ、」とさっさと砂糖菓子を食べてしまって上機嫌のビスターが笑うのをやめて真顔になった。

「あっちは村などない方角ですよね? ルルディ山とソローロ山脈とで、村などない…! あれは火事です!」

「あんな方向に何かあったか?!」

 顔色を変えたキュリスが手持ちの地図を広げて確かめてみる。

「こんなもの見なくたって、キュリス、あっちはさっきいたオゾス村と検問所との間のあたりの、隣のカルポス領に近い山でしょう!」

 引き返して走り出そうとしたカークに、キュリスが、「カーク、お前は一緒に来い。ビスター、フリッツを連れて街まで戻れ、二手に分かれる。火事なら火をつけた者がいるはずだ。まだその辺にいるかもしれない、」と咄嗟に振り分けた。

「判りました。いったんアンシ・シまで戻って、国境警備隊宿舎まで向かいましょう。あちらには馬もありますし、何より人手がいます!」と叫んで走り出したビスターを追って、フリッツも走り出した。


 ※ ※ ※


 フリッツが息を切らしながら先に行ってしまったビスターを追いかけて国境警備隊宿舎の門番たちの詰め所に駆け込むと、既に門番や騎士たちにビスターから説明が終わっていたのか、門を抜けた広場でクラウザー侯爵やラウル、フォートが険しい顔をして騎士や領官たちに指示を出していた。

「何事ですかな、」と国境警備隊の宿舎から黒いマントの男たちとともにブノワ―が顔を出した。

「火事です、山火事です!」

 領官に水を貰って飲んでいたビスターがコップを返すと手を挙げた。「案内に行けます、私にも馬を、」

 薔薇の花は走り始めてすぐに、「薔薇の花を持って走るのは大変でしょう、」とビスターが代わりに持ってくれていた。膝に手をついて肩で息をするので精一杯になっていたフリッツは、とても話なんかできる状態ではなくて、ビスターがいてくれてよかったと心底思った。

「少し休んでいけビスター。方角が判っているんだ、煙が上がっているほどの火事なら、案内がなくてもわかるだろう。」

 フォートが優しく答えて、「誰か、この者たちに食事を。休憩を取らせてやってくれ、」と領官たちを呼んだ。


 やってきた領官に案内されてその場を去ろうとすると、フリッツは、表情を無くしているブノワ―と目が合った。ブノワ―の背後には黒い服を着た魔法使いたちがいた。見かけない顔だ。赤茶色い髪に緑色や青緑色(コーネルピン)の瞳…、公国の風水師たちだろう。ブノワ―はこの者たちを警戒して私に直接声をかけてこないのだと悟った。

 大丈夫だ。安心しろ、とばかりに目を合わせ小さく微笑んだフリッツを見て、ブノワ―はほっとした表情になった。


「ほう…、この方たちは、」

 黒い服を着た魔法使いたちの中の、一番冷酷で強かそうな細身の中年の男がビスターやフリッツを見比べて目を細めた。青い王都の騎士団の制服を着ているフリッツたちを見て、何かに感づいたのだろうか。

「あなたたちには関係の無い者たちです。ここにいてはあなたたちも危ないですから、どうか宿舎の方へお帰り下さい。」

 フォートが公用語(マザー・タン)ではっきりと言った。たどたどしい口調だったけれど感情が抑えられている感じが伝わってきて、この混乱の中で異国民に干渉している暇はないのだという事情は伝わったかと思えた。

 一番奥にいた一番老年の人物が、公国(ヴィエルテ)語で「私が力を貸そう、」と静かだけれど力強い声で言った。

 聞き取れてしまったフリッツは、思わず歩みを止めた。

 力を貸す?

 …。

 しまった!

 公国(ヴィエルテ)語は、いくら貴族といえども、話せるものは少ない。貴族の嗜みとして、この大陸のどの国の者とでも意思疎通ができる公用語(マザー・タン)を押さえておけばいいという風潮があった。ましてや庶民は住む地域が南方の公国寄りでもない限り生活に馴染みがない。先の大戦での南方の公国への偏見は、どんなに時間が経っていても綺麗さっぱり払拭されているとは言い難い。

 そっと顔を上げると、目が合ってしまった。緑色の瞳が、好奇心の光に満ちて輝いている。


「そこにいる若者と話をさせてくれるのなら、私が力を貸そう、」

 確実にフリッツを指さして、その老年の魔法使いが公国語でまた云った。


「なにを言っているのだ?」

 不快そうに眉を顰めて、ブノワ―が魔法使いたちを振り返った。素なのか、この国の言葉で尋ねている。「公用語で話せないのか?」


「エドガー師が、その少年との面会を条件にお力をお貸しくださると仰っておられます、」

 にこやかにこの国の言葉で公国の魔法使いのひとりが言い出した。あれがエドガー師か。通訳兼魔法使い…、この青緑色の瞳の賢そうな若者がドニなら、あの細くて冷徹な印象の男がイリオスだろう。

 エドガーは場の険悪な雰囲気をものともしないのか、「その若者が私の知りたい答えを知っている。教えてくれるのなら力をいくらでも貸そう、」とまた公国語で言った。

 この国(スヴィルカーリャ)の騎士や兵士までも魔法使いたちと同じように一斉にフリッツを注視した。

 言葉の意味が判らなくても、魔法使いたちの態度でどういう意味の言葉が告げられたのか察せられたのだろう。クラウザー候やブノワ―たちの顔には緊張が走り、ビスターが、さっとフリッツの前に立ちはだかった。フォートは腰の剣に手をかけている。

「何も取って食おうと仰っているのではありません。お話を望まれています。お話させていただけるのなら、エドガー師はお力をいくらでもお貸しくださると仰っています。」


 現在の状況で、フリッツが見ず知らずの異国の風水師の力を借りることは危険に思えた。

 でも、話しをするだけで力が借りれるのなら。

 願わくば、風水師としてではなく、召喚魔術師(ウォーロック)として力を貸してほしいと思う。

 山火事に必要な水を汲み上げて運ぶだけで、鎮火までにどれだけ時間がかかるというのだろう。

 大精霊(エレメンタル・)使い(マスター)なら一瞬にして水の精霊を召還できるかもしれない。


「…一対一で、話をするのか?」

 フリッツはわざと公用語(マザー・タン)で尋ねた。「話をするだけなら、茶会という形でなら考えましょう。」

 あくまでもこちらが優位だと思わせるために、断言は避ける。

「話に乗ってはいけません、」

 ビスターが小声でぴしゃりと言う。「相手は何を考えているのか判らないのですよ?」

「大丈夫だ。茶会なら同席できる。」

 フリッツはビスターとフォートを見てこの国(スヴィルカーリャ)の言葉で答えた。「もちろん新人騎士の私には、主人役はやれない。そうだろう?」


 この国(スヴィルカーリャ)の貴族の作法として茶会を催すのなら、主催する男性もしくは女性が主人役(ホスト)として会場を整え趣向を凝らした食事で存分に客をもてなし、誰一人として不満を感じさせないように気を配り続ける必要があった。王太子フリードリヒ・レオニードとしてなら可能でも、単なる新人騎士としてのフリッツの立場では経済力も影響力もなく、主人役は到底無理だと思えた。


「父が主人役を受ければ、私は騎士として警備に寄り添えるということだな。判った。その話、私は乗ろう。」

 フォートが覚悟を決めれば、ビスターが、「近衛の騎士として警護いたします。お任せを、」と囁いてきた。 


「茶会でも何でも構わない。貴方と話がしてみたい。条件を飲もう。」

 不明瞭な発音の公用語(マザー・タン)で話すとエドガーは嬉しそうに前に出ると、「ドニ、イリオス。少し外の空気を吸ってくる。ここは少し飽きた。遊んで来ようと思う。お前たちも来たいなら来なさい、」と公国語で指示を出し、「明日が楽しみですな、」とフリッツに微笑みかけた。


「どういうことなんだ?」

 展開についていけないのか、戸惑った表情を浮かべたブノワ―がドニに尋ねると、ドニはフリッツとエドガーの顔を見比べて不思議そうな顔つきになった。

「エドガー師はあの少年に拘っておられるようです。そんなに価値がある存在なのでしょうか。」

「なんのことだ?」

「エドガー師とそちらの少年がお茶会をすることになりました。しかも明日です。それを楽しみにエドガー師が山火事を鎮静化してくださるそうです、」

 目を見開いて驚いたクラウザー候とラウルがフリッツに何かを言おうとして、口を噤んだ。

 ブノワ―は顰め面をして唇を噛んでいたけれど、やがて、頭を切り替えたのか、「お手並み拝見、」と呟いた。


「判った。明日のことは明日整えよう。皆のもの、支度が出来次第、馬を出せ。フォート、現場の指揮官はお前に任せる。あとで報告を楽しみにしている。」

「父上、行ってきます、」

 フォートが馬に乗ると、クラウザー候は、馬に乗る騎士たちや焼けた草木を刈って延焼を食い止めるのに使う大鎌や火消し道具を持った領官たちに号令を出した。

「オオオオォ!」

 雄たけびを上げて飛び出していく者たちとともに、騎士に用意された馬を借りると機嫌よく敷地から去っていった魔法使いたちの後姿を見送って、ビスターが「お守りしますのでご安心を」と囁いてきた。


「茶会とは、何故(なにゆえ)、」

 残ったブノワ―とクラウザー候もフリッツの顔を見て尋ねてくる。「力を借りることの交換条件が茶会とは…、」

「一対一で話をするには言葉が不自由だ。通訳がいた方がいい。かといってあの魔法使いたちと私一人とではさすがに荷が重い。侯爵たちも何の話をしたのか気になるだろう?」

「そうですな。」

「茶会なら、おかしな術はかけにくいでしょうからな。」

「茶会なら主人(ホスト)役が必要となる。侯爵、頼まれてくれるか?」

 悟った顔になったクラウザー候は大きく頷いた。

「もちろんですとも!」

 ふっふっふと笑いだして、ブノワ―が、「クラウザー候、私は茶会に参加しますぞ。こんな面白い茶会、参加しないのは損というもの、」とにんまりと笑った。

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