6 神官として言わせていただけるならば
薪割りを終え女中たちの計らいで水風呂の支度をしてもらい汗を流したフリッツとカークは、戻ってきたランスたちとともに昼食を終えると、制服に着替え、キュリスとビスターと一緒にアンシ・シの街に南接するオゾス村の春の女神の神殿まで出かけることになった。フォートはフリッツも同行するのだと判ると安心した顔になり、残してきた仕事を片付けに行く取って出かけてしまった。夕方には戻るとのことだった。
「フリッツが自分から興味を示すなんて珍しいですね、」とランスは首を傾げていたけれど、「好都合だと思います。ここにはいさせたくありませんから、私から提案するつもりでした、」とカークが怒りを抑えた口調で言った。
「何かあったのですか?」
「そういえば、裏庭でもめる声がすると話していた者たちがいたな。」
宿屋のカウンターに座って、用心棒代わりに午前中を過ごしたキュリスとビスターも口を挟んでくる。
「カーク、何かあったのか?」
「何でもありません。不快な者に不愉快なことを言われただけです。」
「お前がか?」
「私ではありません。だから、余計に腹が立つんです。」
「ふうん、そうか、」
キュリスとビスターは察したのか、追及してくることはなかった。
カークも、口をへの字に曲げてしまって話しそうになかった。もちろん、フリッツも話したいと思わなかったので黙っていた。こんな体験はこの先、フリッツたちだけで旅に出る日が来たら当たり前のように浴びせられる『世間の評価』のように思えた。聞き流してしまうしかないようなことで、かといって、意識せずにはいられないことでもあった。
悔しいけれど、魔力があっても魔法が使えないのは事実で、剣が使えると言っても三国に名を馳せるようなほどの剣豪でもない。評価を変えたければ自分が変わらなくてはいけない。
キュリスとカークは聖水を手に入れるために春の女神の神殿へと向かうようだけれど、魔力を封じる『古い呪い』が何かを知りたいフリッツとしては、手掛かりを求めに行こうとしていた。
『古い』という言葉から連想するのが12人の神話の存在だった。
地竜王の神殿で道しるべを貰えたように、神官と話をすれば、何かを得られるかもしれない。そう思えてならなかった。
「春の女神さまの神殿は片道一時間もすれば到着するそうですが、フォートが戻るまでの夕暮れ時までには帰ってきてほしいですね。出発しませんか。」
沈黙を破るようにパンパンと手を打って、ランスがにこやかに提案した。
キュリスが事前にメイシーたち女中に聞き取って作成していた地図のおかげで、サクサクと街中を進んで、検問所や地竜王の神殿とは正反対の方角の、街の西側へと出た。
「アンシ・シの街の周辺にはステレ村、クラディ村、クラドス村、オゾス村があって、どの村もアンシ・シの街に集まってくる商人や旅行者を対象に産業が栄えている。ステレ村は宿が多く、クラディ村は農作物と言った食材、クラドス村は薪や木材といった林業、オゾス村も林業だ。ただ、一番オゾス村が小さくて一番山深い土地にあるようだ。」
地図を手に先を行くキュリスがフリッツとカークに解説してくれる。後ろを守って歩くビスターが「春の女神さまの神殿は豊穣を願う地にありますからね。地竜王さまの神殿の近くの村にあるなんて珍しいと思いますよ、この付近で一番ソローロ山脈に近いですからね」と肩を竦めた。
街を抜けると出た道は、3つに分かれていた。北西、西へと続く道は大きな荷馬車が行き来できるように丁寧に石畳で舗装されているけれど、南西のオゾス村へと向かう道は土がむき出しのでこぼこ道で、舗装がされていなかった。
「こんな道を行くなんて、人が住んでいる村があるんですかね、」とカークが呟いたのを聞いてフリッツは、人が住んでいても舗装できるほどの財力はなさそうだなと思った。
人通りも途切れ、道を行くのはフリッツたちだけになっている。
フリッツの背丈ほどもあろうかという草が生い茂る草原に囲まれたでこぼこ道を進んでいると、カークが、ぽつりぽつりと、午前中に出会ったナチョという青年に言われたことを話し始めた。
女装して召喚獣をおびき寄せるエサの役をしてほしいと言われた話は、初対面でするには失礼すぎるし、王国の騎士に対して不敬すぎるとカークは怒り、フリッツに対して役でもエサを演じることを頼むなんて万死に値すると、言われた時の感情を思い出したのか肩を震わせて話していた。
改めて聞き返すと、ひどいことを言われたなとフリッツは冷静な気分で聞いていた。
見ず知らずの人間にここまで言われなくてはならない原因が自分の容姿にあるのなら、これはもうどうしようもないことのように思えて、やっぱり、聞き流して忘れてしまおうと思えてくる。
「…そうか、からくり屋ナチョといったか。」
「そういってましたね、」
「祓い屋という職業は好意を持っていましたが、そんな調子で人をあしらって仕事を請け負う者であるのなら、軽蔑しますね。」
ビスターが「残念です、」と拒絶するように言った。
「で、フリッツは逃げ出したのか?」
急に話を振られて、フリッツはキュリスの言葉の意味を考えた。
「何もしなかった。」
「どうして?」
「フリッツにとって、暴言ではないのですか?」
ビスターも興味がある様子で尋ねてくる。
「戦う相手ではない。」
フリッツにとって、倒さなくてはいけないのは魔物で、考えなくてはいけないのは、魔力が使えない原因となっている古い呪いをどうにかすることの方が重要だった。
「そうか、それもそうだ、」
クックと笑ったキュリスが、振り返ってビスターに何かを言おうとして、真顔になった。
「急ごう。何か嫌な気配がする。」
「何かを見たんですか?」
「いいや、気のせいだと良いんだが…、ドレノはついてこないはずだったよな?」
「ええ。ランスが聖堂からドレノが来ても『フリッツは出かけた』と言って帰らせると言っていましたね、」
「そうか、」
一瞬驚いた顔つきになったキュリスが、きっと顔を引き締めた。何かを見つけたのか後方を睨みつけている。
「急ごう。化かし鳥ならいいが、この付近に魔物がいないとも限らない。」
「どっちにしても嫌ですよ、」
カークの言葉にフリッツも頷いた。帯剣していると言っても、慣れない土地で未知の敵を相手にむやみに剣を振るいたいとは思わない。
急ぎ足で道を歩み始めたキュリスの背を追うように歩いてしばらく経った頃、草原が畑に変わって村が見えてきた。
※ ※ ※
オゾス村の周囲には柵も塀もなくて、道を挟むようにして家が固まって建っていた。どの家も庭の奥に家が建っていて、家の奥には畑が続いているようだった。庭に椅子を置いて農作業をしている村人は見かけない騎士服姿のフリッツたちが歩いていても気にならない様子で、会釈をしても黙って会釈を返してくれる。
「凄いなこの村、」
キュリスが呆れたように呟いた。「通りは一本しかないのに、どの家も入口のドアが開いたままだ。いくら庭で作業をしている者ばかりだと言っても、無防備すぎじゃないのか?」
「村の周りに柵がないのもすごいですね。野党や魔物に襲撃されないようにどの街も自衛しているのが当たり前だと思っていました。」
カークも妙に感心している。
「この道の奥に春の女神さまの神殿があるのですよね? なんだかワクワクしますね、」
「お前は気楽でいいな、ビスター、」
「そうですか? ミンクス領の月の女神さまの神殿も興味深かったですが、ここは、こんな山深い村のこんなに開放的な村にある神殿は違う意味で楽しみですよ。」
「…小瓶は持ってきているんだよな?」
「ええ、大丈夫ですよ、」
胸の内ポケットに入れているのか、ビスターは服の上からそっとポケットの膨らみを撫でた。
緩やかな上り坂を村の奥へと進むと、道の行き止まりに、こじんまりとした石造りの神殿が見えてきた。
大きさは普通の民家ほどだったけれど、開けた山を背に立つ神殿は丁寧に整備されているのか苔ひとつ生えてはおらず白く輝いていた。可愛らしいオレンジ色の薔薇の生け垣に囲まれていて、入り口には赤い薔薇で彩られたアーチが作られていた。神殿の庭には赤や黄色、白やオレンジ色の薔薇が所狭しと植えられていて、可憐な蝶が飛び交い、小さな鳥たちが囀りながら飛び回っている。
「へえ…、」
立ち止まり見上げて感心するカークやビスターとともに、フリッツも薔薇園の美しさに心を奪われてしまった。
「予想を超えていましたね、」
「ほんとに、意外だ、」
アーチをくぐって開け放たれた神殿の中に入ると、窓が大きくとられていて明るく、石造りの大広間には薔薇の花の活けられた花瓶がいくつも置かれていた。祭壇の奥には春の女神マリの石像があり、足元には水の湧き出る小さな噴水があった。
「春の女神さまの祝福の濃い神殿なのですね…、」
感慨深そうに瞳を潤ませながら、ビスターが入るなり頭を垂れて跪いた。「この神殿の空気はとても清くて清々しいです。薔薇の香気が何とも芳しい…。」
「…旅のお方、どうぞお進みください。もっとお近くで参拝なされませ。」
気配を感じさせることなく現れた神官が現れた。
ビスターとキュリスが並んで入口に立って深々と頭を下げ、「突然の訪問申し訳ありません。私たちは王都からやってまいりました。春の女神マリさまの聖水を分けて頂きたく遥々参上いたしました、」と洗練された美しい所作で敬礼しながら話した。
神官は年老いた背の低い男で、目が見えにくいのか線のように細い目で、キュリスの声のする方向を見ている、といった印象だった。
「それはそれは。そこにも女神さまのありがたい聖水は湧き出ておりますが、この神殿の裏庭にも泉がございます。村の者たちは生活の水に泉の水を汲みにまいります。いかがされますかな?」
「水をこちらでいただいて、あとでお庭を拝見してもよろしいでしょうか。薔薇がとても美しいお庭です。」
「喜んでご案内させていただきましょう。」
フリッツたちは案外足取りがしっかりしている神官の後について春の女神像の前へと赴いた。
足元に傅いて、神官に倣って礼を捧げる。
「この者たちに祝福をお与えください。」
そう告げた神官の声とともに、女神像から甘い薔薇の花の香りが漂ってきた。
ひらひらと赤い薔薇の花びらが舞い落ちる。
花弁は、手に触れると消えてしまった。
体の中に、何枚も花弁が吸い込まれていく。
体のどこに、という感覚はないのだけれど、赤い薔薇の花びらが何枚も、フリッツの体の中の、からっぽだった花瓶のような器に溜め込まれていくのを感じた。花瓶の底から先上がるような水が、花弁を押し上げて満ちていく。
砂糖のたっぷり入った紅茶を連想して、フリッツは飲んだわけでもないのに、潤い、満たされていく錯覚を覚えていた。
驚いて顔を上げると、神官と目が合った。カークやキュリス、ビスターは、頭を垂れたままだった。
この老神官は見えている。
この神殿での春の女神の祝福がどんなことが起こるのかを知っているし、それが見える者と見えない者とがいると判っている。
気が付いたフリッツに、神官は優しく微笑みかけて、「女神さまの祝福をお受け取りいただけましたかな、」と言った。
※ ※ ※
フリッツは聖水を持参した小瓶に入れて満足そうなキュリスたちと一緒に、神官に連れられて裏庭に出た。裏庭には表の庭同様色鮮やかな薔薇の木が多く植えられていて、農作業用の小屋の傍に幼い薔薇の木の苗を植えた鉢が棚にはいくつも並んでいる。表へと続く小さな木戸の傍には白いタイルが貼られた石造りの大きな貯水池があり、神殿の中へ細い用水路が続いていた。あの池が源泉なのだろうなとフリッツは思った。
「この庭の整備をしてくれている者は少し変わっております。お許しくださいませ、」
穏やかな日差しの中草むしりをしている後姿が、裏庭にはいくつもあった。農夫のような作業ズボンに作業服を着ている者たちのフカフカとした手は明らかに人間のものではなくて、麦わら帽子からはみ出ているモサモサとした顔や黒い耳はどう見ても動物のものに見えた。
「この神殿に働きに来てくれている者たちです。」
神官が裏庭の中心に立ちパンパンと手を軽く打つと、作業する手を止めて、3人いた者たちが立ち上がり神官の傍までやってきた。
「獣人、ですか…、」
警戒心をあらわにしたキュリスとビスターがフリッツを背に庇った。
「似ていますが違います。この者たちは昔からこの付近の土地を守って暮らしてくれている半妖です。先祖に妖の血が混じっています。人間としては生きていけないでしょうが、野に棲まう精霊として生きるのも難しいでしょう。穏やかな性格で…、花を好みます。特に薔薇の花を手入れするのが好きな者たちなのです。」
狼頭男や犬頭男なら見たことはあっても、狸の半妖は初めて見るなとフリッツは思った。遠目に見るとよく日に焼けた小太りの人間に見えなくもない。
背丈は神官とそう変わらないけれど、体には厚みがあってふくよかで、とぼけた顔には愛嬌がある。性別は判らないけれど、3人の狸の半妖は顔の印象が似ていて家族か兄弟かに思えた。
キュリスやビスター、カークを見た後、フリッツを見ると、狸の半妖のひとりは嬉しそうに「キュウン」と鳴いた。あとの二人はフリッツの顔を上目遣いに見つめている。
「おや、気に入ったようですな。この者たちは人の言葉が判るようですが、御覧の通り話せません。こちらの表情を読んでいるようですが、何とも言えません。ですが、村人も慣れているのでお互いにいい関係でいられます。」
「あの者たち、怖くないですか?」
カークが恐る恐る尋ねてみる。「言葉が通じないみたいですよ?」
「オッホッホ、」
神官はおかしそうに肩を震わせて笑った。
「話が通じたって怖い人間などいくらでもいるでしょう。この者たちは話せませんが、誰にも危害を加えたりもしません。食事は果物や木の実です。薔薇のお礼に村人たちがパンを焼いてきてくれたことがありましてな。大喜びして以来、薔薇を丹念に育てて参拝者に配ってくれております。ほら、このように、」
早速フリッツにも狸の半妖がオレンジ色の薔薇の花を一本手渡してくれる。
「お礼なんて…、あ、あれをお渡ししたらどうです?」
カークの言葉に、フリッツは宿を出る時にメイシーにもらったお菓子を思い出していた。
「ああ、あれか、」
腰のベルトに付けている革製の小物入れから赤い包みを出すと、フリッツは掌の上に広げた。
「カーク、お前が把握してどうする?」
「フリッツはよくお菓子を貰っているんですよ。羨ましいですよね。フリッツは私に分けてくれるので不満はありませんが、私には直接誰もくれないんですよね。」
「人徳の差だろうなあ、」とキュリスが肩を竦めて笑うと、「カークはフリッツに分けてもらっているのならいいではありませんか、」とビスターも微笑む。
赤い薄いラシャ紙の中には、星屑のような砂糖菓子がいくつか転がっている。
「これと交換だ。貰い物で悪いな、」
差し出すと、不思議そうに爪先でフリッツの掌の上の砂糖菓子をひとつ摘まむと狸の半妖がポイッと口に放り込んだ。嬉しそうにその場で踊り出して、その様子を見ていた他の狸の半妖ふたりもフリッツに薔薇の花を一本差し出すと、交換とばかりに砂糖菓子を摘まんでいった。それぞれに口に含むと、嬉しそうに体を揺すりながら踊り出す。
「お前たち、いいものを頂いたようですね。お礼をきちんとするのですよ、」
慌てて狸の半妖たちは頭を下げるとそそくさと草取りに戻っていった。
「高価なものをありがとうございました。村では菓子などは貴重品で、そうそう手にはいらないのです、」
何かを言いかけたキュリスの脇腹を突いて、カークは黙らせる。
フリッツは赤いラシャ紙を包み直しながら、このまま全部あの者たちに上げてしまってもいいなあと思ったけれど、薔薇の花との等価交換の関係を壊してしまうようで止めておいた。丁寧に包み直してまたポケットにしまう。
「薔薇は差し上げます。どうかお持ちください。」
「似合いますよ、フリッツ。」
手にした薔薇の花を見ているフリッツに、カークがニヤニヤと笑った。視線を感じて見れば、狸の半妖が手を止めてフリッツの様子を観察している。フリッツと目が合うと、照れたのかぎこちなく視線を外してまた背を向けて作業を始めてしまった。
老いた神官と狸の半妖たちの暮らす薔薇園はとてもほのぼのとしていて、フリッツは清らかな時の流れに心が癒されていく感覚がしていた。
ここはとても穏やかで美しい世界だと思えて、自分がとても穢れている存在に思えた。
「あの者たちは、水を、聖水を怖がらないのですか?」
カークが躊躇いながら尋ねている。「獣人は、聖水を怖がるのだと思っていました。」
狼頭男を頭に思い浮かべて、フリッツも神官の答えに耳を澄ます。
「獣人とは、魔物のことですかな?」
「上半身だけ犬や狼のような特徴があって人間にも変身できる狼頭男は、聖水を怖がったな。」
「魔物はよく判りませんが、あの者たちは先祖が野に棲む精霊ですから地の精霊王さまの眷属になります。聖水を怖がりません。この庭の薔薇も、あの泉から湧いた水で育てているくらいですから。」
神官は優しく狸の半妖たちの働く後姿を見つめていた。
「ただ…、神官として言わせていただけるならば、」
フリッツはじっと見つめて、神官の言葉が続くのを待った。
ありがとうございました




