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14 あなたに捧げるのは、

 数日はまだ安静にするように言われたメルがようやく自力で歩けるようになると、「気分転換に、」と、ダールにお茶に誘われてしまった。優しいウィエたちに手伝ってもらって入浴を済ませて、張り切るソージュたちによって見た目を整えて貰った。

 霧雨のように細かい雨が降っていた。雨音がしない。窓に打ち付けられていたはずの板はとっくに外されていて、降り続く雨の気配に慣れてしまってるのか、誰も窓の外を気にしようともしていなかった。メルが眠っている間に峠は過ぎた様子で、窓の外に見えていたはずの結晶の柱はほとんど見えなくなっていた。大きな洞窟である土色の天井が微妙にキラキラしている、というぐらいまでに小さくなっていた。

 不敵に微笑むシンにエスコートされて移動し、毅然としたトゥルネに言われた通りに広間で待っていると、「待たせたね、」と言いながらダールが部屋の中に入ってきた。

 ここはダールが暮らす神殿奥に近い客室で、いつもならダールの近しい友人しか入れない部屋なのだとソージュが教えてくれていた。

 部屋の中には丸い大きなテーブルを中心に、赤、黄、緑、水色、茶色の大きなソファアが5つと、窓際に置かれた大きな花瓶しかない。「寛いで待ってくれていればよかったものを」と言われても、地の精霊王に呼ばれている現実が恐れ多すぎて、メルは入り口の傍に立って、止みそうにない雨を、ただぼんやりと眺めていたのだった。

「君はそうやって女の子らしく着飾っていた方が可愛らしいね。髪が短いのが残念だけど、花を飾ればそんなことも気にならない。」

 緊張しているメルがおとなしく従っているのをいいことに、ソージュたちは丹念にメルを磨き上げてくれていた。腰のあたりで引き締め、裾にかけてふんわりと膨らませた踝丈の薄い青色の透かしレースを重ねた淡い菫色のシンプルなドレスに青色の靴を履いたメルは、短い髪を隠すようにいくつもの白を基調にした花のコサージュを髪に飾られていて、丁寧に愛らしくお化粧まで施されていた。


 こんな時どうやって振る舞えばいいのだろう。庶民なメルは素朴に悩んでしまう。貴族の令嬢ではないのだから本格的な礼を知らないのだし会釈だけでもしておこうと、背筋を伸ばしてぺこりと頭を下げた。


「よいよい。畏まるな。今日は私のお茶の相手をするだけだよ。君に何かをしてほしくて呼んだんじゃないんだ。」

 真ん中の黄色のソファアに優雅に座ると、ダールは手を打って執事を呼んで、お茶の用意をさせた。

「こっちに来て座りなさい。少し話をしようか、」

 メルが遠慮がちに一番ダールから遠い茶色のソファアの端に座ると、「君は面白いね、何も言わなくてもそこに座るのか、」と笑う。

 お茶の用意をしてくれた執事(トゥルネ)たちが部屋を出ていくと、広間にはダールとメルだけが残されていた。

「よく眠っていたからか、すっかり元気そうだね、」

「はい、おかげさまで。」


 メルが知らなかっただけで、メルはずっと、シンの為に用意された客室のベッドで眠っていたのだと聞いていた。シンはメルの傍にティヒと一緒に付き添ってくれていたらしかった。

 医務室で眠ってしまったメルはウィエたちによって治療され、本来なら自室に運び込まれるはずだったけれど、自分の所有物だからと権利を主張したシンが自分の部屋に運ばせたのだとウィエは教えてくれた。


「シンに感謝すると良いよ。もう、会ったのかい?」


 自覚はないけれど、メルはシンの部屋で昏睡状態に陥っていたらしかった。メルが浅くしか呼吸をしていないことに気が付いたシンが魔法を使ったのだと、目覚めて食事をしている最中にティヒが話してくれた。ティヒはシンがおかしな真似をしないか監視していたのだと言った。


「はい、さっきも、この部屋に来る前に会いました。」

 シンはメルの着飾った姿を見て、目を細めて「お前はやはり私の持ち物だけある、」と妙なことを言って何度も頷いていたので、メルはモヤモヤとしていた。

 似合うなら似合うと、似合わないなら似合わないと言われた方が判りやすい。本音を言えば、この部屋まで手を取ってエスコートしてくれたのも所有権を主張されているようで不満だった。一人で歩けるのに、と不快が口から漏れそうになる。


「そうか。」

 小さく微笑むと、ダールは優雅にカップを手に取った。お茶を飲んでいる姿からは不思議と、それ以上を求めない、という淡々とした距離感を感じてしまう。この人は、私に何かを期待している訳でもなくて、私に何かを期待させるつもりもないんだわ。本当にお茶の相手をするだけなんだ、と思うと、メルはおかしく思えてきた。

 話し相手でもなく、いるだけの相手なのに、私は着飾っている! 貴族とお茶などしたことないけれど、きっと領主様に呼ばれてもこんな感じなんだろうなと思う。自分のいる状況が面白く感じてしまう。感覚が、まるで庶民とは違うのね。お茶といえば話をして打ち解け合うことのように思っていた。父さんの店なら、お茶はいつの間にか酒に変わり、『お(ちゃ)け』と呼んで盛り上がった客から歌をねだられると、母さんが弾くピアノにあわせて父さんが歌っていた。いつの間にか大合唱に変わって、店中が一つになって歌っていた。静かにお茶をするだけのお客さんなんかいなくて、飲んで騒いで盛り上がって歌って、楽しんでいた。懐かしい…。


「どうかしたか?」

「いいえ、何にも、」

 メルは自分の家族を思い出して、懐かしくて胸が熱くなっていた。下手に話すと泣いてしまいそうで、微笑んで、ぐっと込み上がってくる感情を誤魔化して間を持たせる。

「もうじき夏が生まれる。君が眠っている間にあらかた溶けてしまったよ。」

 結晶が溶けると夏が生まれるのね。あの天井の微かなキラキラが消えてなくなると、夏なんだ…!

「雨の音が、目が覚めたら違っていたのでびっくりしました。」

「今日はもう、雨が降り初めて一週間経つからね。」

 メルはそのほとんどを眠って過ごしていたことになる。

「あれは、水の結晶なんですか? この上は、もしかして湖か何かですか?」

「違うな、この上には、君たちの世界でいうところの山脈が連なっている。ソローロ山脈、だったか? 精霊界と人間界が重なる場所のひとつだよ。」

 

 メルは頭の中にドラドリのマップを広げた。ソローロ山脈の中央部分の地下に広がっているという地の精霊王の神殿はゲームでの配置通りだ。ここはこの先勇者たちが雪山のイベントの後に訪れる地の精霊王の神殿であってるんだ…!


「お聞きしてもいいですか? では、あの結晶は、何なのですか?」

 

 ドラドリでは描かれていない地の精霊王の神殿の神秘に、メルは用心深く尋ねてみた。水ではないのなら、あれはどうやってできる結晶だというのだろう。


 ダールはカップを置くと、組んだ足に手を添えた。

「あれは、命の毒だ。」

 命の毒?

 聞きなれない言葉に、メルは瞬きしてダールを見つめ直した。命は毒なんか持ってないと思うけど?

「ここは、私が死から免れようとするものに選択を与えて、自らの運命を決めさせる神殿だと、君は知っているね?」

「はい。祝福は、ご褒美でもありお情けでもあるのですよね?」

 リュードを思い出して、メルは頷いた。あのひどい雨の中、リュードは大丈夫だったのかな。目が覚めてからも、リュードの姿は見かけなかった。誰も、リュードが怪我をしたなんて話もしなかった。

「そうか。リュードは成功したようだね。祝福か。良い代替だ。」

 小さく呟いてふっと微笑んで、ダールはメルの目を見つめて、優しく語り出した。

「生きるために、生まれるために、誰かを何かを犠牲にして万物は生まれる。生きたいと思う願いは、他の誰かの生きたいという思いを押しのけて叶えられている。生きたいと願えば他の者を殺す毒が生まれる。殺された者からは生きたいと思っても叶えられなかった毒が、生きたいと思った者を殺すために生まれる。生きたいと思う願いは、強い欲望だ。一瞬の火花の様な輝きを放ちながら命の毒は生まれて、相殺されて粉々に砕かれて、流れ流れてこの地に溜まる。命の毒は私の魔力と相性がいいようだ。この神殿の建つ洞窟はそんな命の毒が溜まるのに好都合な場所なのだよ。」


 頭の中でメルは、植木鉢に植えた沢山の花の種を思い浮かべていた。全部芽が出ても、間引いて育ちそうな苗だけ残して水をやる。その行為を、植物自身が自ら放つ毒素で他の苗を殺して行っているのだとしたら。負けまいと、他の苗も毒素を出していたのだとしたら。お互いに毒を振りかけ合って、その毒に負けた方が枯れていったのだとしたら。

 そんなことを、知らない間に、私たち人間もしているのだとしたら。


「ありとあらゆる場所から集められた命の毒は溜まり続け、私の魔力で結晶化する。その結晶も、一年に一度、形を変えて地に帰る。あの大雨は必然なのだよ。」

「それは、どうしてですか?」

「命の毒は、もともと生きたいという願望から生まれる欲望だ。こんなに思いが熱く濃いものはない。地に返せばまた生まれたいと願い生きたいという力に変わる。私はね、その瞬間の煌めきが美しいと思うのだよ。凍った地から芽吹く花の種の力強さを、私は美しいと思う。どんな荒野でも生きて体を変えてまで生きて、死に抗って生き抜こうとする動物の力強さを私は好ましいと思う。」


 ここに来た日、メルが怒りを堪えきれずに睨んだ時、ダールは確かに『生きている者の鮮やかさは美しいね、』と言っていた。あれは、怒りという強い感情を好ましいと思っていたんだとすると、じいちゃんの評したように、地の精霊王は安寧に変革をもたらす存在なのかもしれない。


「夏が生まれる期間は7日続く。その間、溶けた毒の雨が降り続ける。生きている者にとっては毒の雨だ。何しろ他者を殺してでも生きたいと願う強い思いの結晶なのだからね。だからこの時期は、神殿には誰も寄せ付けないようにしている。」

「どうやったら、雨は止むのです?」

 ダールは優雅にカップを手に取り、ゆっくりと口に含んだ。

「結晶がなくなったら自然と止むよ。この調子だといつも通り、7日目の明日の朝には止むだろうね。」

「夏が生まれる、というのはどうしてですか。この長雨が降らないと、夏はこないのですか?」

「偶然季節と重なっただけのことだよ。私と時の女神との取引で、ちょうど一年が半分になるこの時期に命の毒を地に返すと決めている。まあ、夏の暑さに命の毒は新しく芽吹きやすいという性質もちょうどいい。」


 地の精霊王の祝福は、時の女神の輪廻の輪に干渉しているからその代償なのかもしれないな、とメルはぼんやりと思った。ゲームの本筋(シナリオ)では地の精霊王が時の女神と取引をしているなんて下りは出てこない。ゲームで出てくる地の精霊王と姿かたちが違うのも、まだ何か秘密があるのかもしれないなと思う。


「リュードは、無事なのですか? ずっと、あの天文台にいるのではありませんか?」

「あの者は無事だ。そういう存在なのだから、命の毒にあてられてもどうってことないのだから。」

「そういう存在…?」

「君にシアンという役を与えたように、あの者もリュードという役を演じている。一つの体に二つの人格と性が同居している存在を、私はあの者以外に知らない。輪廻の輪から外れた存在であるあの者は生き物であって生き物ではない。」

 琥珀色の大きな石に何かを彫り込んでいた男性態のリュードと、質問しながら話を聞き続けてくれた女性態のリュードは、確かに(あやかし)というには不思議な存在だった。

「耳役と彫り役とで育てただろう? あの者がすべてを生み出して、時が満ちればすべてが終わる。『夏が生まれる』んだよ。」

 リュードと育てた…? あの部屋にあったものは、琥珀色の塊くらいだった。あれは、石ではなく生き物の卵とでも言いたいのだろうか。リュードは彫ると言っていたのに、石ではなく、卵なの?

「君はもう役目を終えた。リュードはきちんと仕事をしてくれたよ。だが、その前に、約束の舞を頼みたいね。」

 カップを置いたダールはパチンと指を鳴らすと、手の上に現れた鉄扇を持ち直してメルに手渡してくれた。

「これが必要なんだろう? 君さえ良ければ今ここでこの場で舞ってほしい。」

「この格好で、ですか?」

「ああ、紫陽花のようでとても可愛らしいね。そうだな、この前屋上で踊ったり歌ったりしていたよね? あの時のものとは別のものが聞きたいな。」

「もしかして、聞こえていたのですか?」

 ダールは目を細めると、ニヤリと笑った。

「この神殿で起こることは、すべて私の耳に入るからね。あれだけ踊れるのなら、できるだろう?」


 誰かが見ていた…? それとも、そういう能力があるの…?

 ゲームで描かれている地の精霊王ダールよりも、目の前のダールは狡猾な気がしてくる。

 私が知っているダールと、目の前のダールは見かけも違うし中身までも違うの…?

 ポカンと口を開けて驚いていたメルは、口の渇きにごくりと唾を飲みこんだ。

 できなくはないけれど、何の為の詠唱なのか意味が判らないまま舞うのは怖い気がする。シャナ様に伝えた詠唱は恋の歌だった。前世の記憶があるから意味を和歌から察することはできても、この世界で詠唱として使う時どういう意図があるのかを知らない。

 全部の音を思い出せる詠唱はいくつかあっても、そのそれぞれの効果をメルは知らない。咄嗟に思いついた詠唱が、この状況に適切なのかどうか迷ってしまう。

 その詠唱にあわせる演舞が完璧なのかも怪しいところだった。一番踊り馴れた基本を踊りたかったけれど、それとは違うものをと言われてしまっている。一度、おさらいがしたい。


「できないのかい?」

「やります。少し、練習をさせていただいてもいいですか?」

 こんな格好で踊るのは初めてだった。せめて、足が捌きやすいようにスリットが入っていたら、多少なりと動きやすいだろうに。

 部屋の広さも微妙に狭い。ソファアを片付けると広くなるかもしれないけれど、せめてあの、天文台の2階ほどの広さがあればなあと思う。

 黙ってしまったメルに「わかった、」とダールは微笑みかけて、提案する。

「そうだな、急な話だし、君の体調を考えると無理はあまりよくないだろうな。またシンが怒りそうだ。」

「できるなら、広い場所もお願いしたいです。」

「そうだな、明日には雨も止むだろうから、屋上で踊ってもらおうか。」

 それが終われば帰れるんだ…!

 メルは嬉しくなって「喜んで、」と答えて頭を下げた。

 一晩もあれば、詠唱も演舞も何度も練習できるだろうと思えていた。竜を捕らえる魔法陣を描かなくていいのなら、知っている演舞が未完成だったとしても、その分を埋めるためにメルのオリジナルを付け加えても大丈夫だと思える気がした。

ありがとうございました

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