ドアベルさんが叫ぶ
「おkおk、ちょい待ち。 」
頬を赤らめるヴィスカをなだめるフリをして、脳をフル稼働させて言い訳を考える。
ば、ば、ば、ばれてたーー!!??
くそ、あまりにも経験がないシチュエーションすぎて表情が露骨すぎたのかもしれない。
どうする? 否定する?
いやでも裸見ようとしたし、下着覗こうとしたし、本人が見てる前で彼女の足を弄繰り回したし。
けど、たとえ事実であったとしても否定しなきゃいけない時がある。
今がまさにその時だ。
僕にこれから失礼なことをする、彼女はそう言っていたが、ヴィスカという人物は先ほどから行動が読めない。
失礼=粗相=僕に災いが降りかかる? そういうニュアンスなら漠然としていて意味合いは幾数思いついてしまう。
……脅すつもりか?
それはおかしい。彼女は僕のことを”ネームレス”だということに気づいている。
その時点で僕は既に弱みが握られているんだ。
わざわざ自身の身を危険に曝してまで……ん?
「一つお伺いしたいことがございます、月谷唯花様。」
「今度は、本名かつ様付けなんですね……。どうしましたか?」
「貴方様は、男子の部屋でシャワー浴びて裸が見られそうな際どいことをして、僕に襲われる心配とかなさらなかったのでしょうか?」
「え、どうしてイチモツさんが襲うのですか?」
「え、なんでそんなに意外そうな顔してんの?」
「え?」「え」
わずかな間、ワンルームが沈黙に包まれた。
それはそれでちょっと切なくなるんだけど……とりあえず信頼されているのだとポジティブに考えておこう。
そんな会話をしている最中も、必死になって言い訳を考えていたわけだが。
『誰が貴様の裸になんて興味あるか!第一、証拠はあるのか、証拠は?』そう言おうか迷ったところで、ヴィスカさんが大事に抱いていた義足をはめ込んだ。
すると義足から電子音声が響き、《所有者情報以外の接触を確認しました。記録を参照できます》などと告げたから、速攻で諦めた。
というか、彼女の裸に興味がないなら、大半の女子の裸に興味がないと言うようなものだ。
「あの、考え事している最中にすみません。
そろそろ時間切れみたいです。 身体をお借りしている身でこんなこと言うと、”彼女”に失礼ですけど……悪い子じゃないんですよ?」
また意味深なことを……。
止む無く僕は一つ息を吐いて頷いていた。
――わかった。その失礼なことってどんなことを聞かせてもらえる?
「――くそっ、脅迫されるならもっとじっくり見ておけばよかった!」
あ、心の声が出しゃばった。
「い、今のは違う!」
彼女はまた俯いていた。もはやセクハラの範囲に突入した僕の発言に失望したのかもしれない。
頬の紅潮はなくなり、半開きになった鋭利な瞳を僕の足元に向けていた。
「何をッスか?」
怒りとも悲しみともわからない冷めたヴィスカの声音に少しだけビクつく僕。
嘘をいっても正直にいっても殺されそうな凄みがある。
「いや、その、君の足とか……裸、です」
嘘を考える余裕もなく、素直に答えた瞬間、ヴィスカの口元が三日月状に吊り上がった。
そして、聞きなれた電子音が短く響く。
「今の録音したッスから、もしアタシにこれ以上手を出すなら、これから学院に告げ口するんで。」
自身のスマホを掲げてヴィスカは快活な笑みを浮かべていた。
そして僕など眼中にないかのごとく、部屋を見回して、学校指定のバッグを見つけると、そこにしゃがみ込んで中をあさり始める。
「それ、僕のバッグなんだけど……君のはあっちのキーホルダーついてるやつだろ」
「存じてるッスよ。――お、あったあった。一つ聞きたいんスけど、アタシらどこまでやっちゃったの?」
「やっちゃったって、一体何を聞きたいんだ。 あ、それ僕の財布……」
僕のカバンから折り畳み式の財布を取り出すと、今度は別の位置にあった自分のカバンをあさり始めた。
「わ、結構持ってるッスねー。重畳重畳♪」
漁ったカバンから彼女は手のひらに納まるほどの丸っこい何かを取り出して、指先でつまみ上げ、訝った視線をむけて臭いを嗅ぎはじめる。
動いた拍子に引力で展開したそれは、光沢感あるシルクの生地が輝くピンクの……。
「パ――――」
首関節がへし折れんばかりのスピードで首を背ける。
それが何なのか認識した刹那、コンマ一秒すら立たずと僕は視線を逸らすことができたはずだ。
だ、だ、だ、だ、大丈夫。 パンツだってことはわからないくらいに早かった。
パンツだってわからないくらいには!(わかってる)
「アー……もしかしてヤる手前だった?
でも、この中身じゃアタシは使わせてあげられないッスね~。とりあえず、万札頂いとくッスね」
今月の生活費が入った財布が空になってベッドの上に投げ出される。
その事実よりも彼女の言葉があらゆる不穏なものを連想させて心臓が再び警鐘を鳴らしていた。
豹変した彼女の言動はあまりにも不自然すぎた。
「君、ヴィスカじゃないな。一体だれなんだ?」
風切り音が鼓膜を揺さぶる。
僕がそう聞くや否や、顔のすぐ横を義足の蹴りが通過した。
鋭い一撃だが、『スターダストオンライン』でリザルターアーマーに身を包んだプレイヤーを相手にしてきた僕であれば、身体が追いつかなくてもかろうじて避けることは可能だ。
「見た目ぼっちなのに、意外に反応がいいッスね。もしかしたら、押し倒されちゃうかもぉ……」
「ふざけるなって、急に変な喋り方して、一体何が起こってるんだよ?」
「ふざけてんのはそっちッスよ。
大体、ヴィスカって誰ッスか? アタシの名前は湯本紗矢ッスよ?」
いきなり何をわけのわからないことを!
「君自身が『スターダストオンライン』で自分をヴィスカと名乗っていたんじゃないか!」
「うわ!『スターダストオンライン』って言った?
ゲーム開始して、何もせず気づいたら朝になってた理由って、また”交代”してたからってことッスか。 ゲームの中ですらアタシは振り回されたわけッスか、悲しくて笑いも出ねーッス。ハハハ」
いや笑ってんじゃんか。
そう突っ込もうとしたところで彼女の目の端に涙があるのに気づいた。
「事情がわからないんだけど、交代って? 湯本紗矢ってのは月谷唯花の別名? 逆?」
多重人格者か何かか?
テレビやネット動画でしかそういった人を見たことがなかったけど、目の前の彼女は本当に”人が変わった”みたいに言動・態度・仕草なんかもすべて変わっている。
ヴィスカは今みたいにガニ股でしゃがんだりはせず、膝小僧を合わせるみたいに座り込んでいた気がする。
見た目はおんなじなのに中身が違う。まるで、別の人格が身体に流し入れられたような。
「……違う。と言いたいとこッスけど、よく他人からは多重人格者だと疑われることがあるッスね。
でも、先生――アタシの担当医は事故による後遺症だって言ってるッス。
この足がこんな有様になった事故ッスね」
二の轍は踏むまい。
差し出された義足になるべく目をそらす。
「ごめん。無神経だった。」
しかし、今度は対応があからさますぎて彼女に感づかれた。
「何スか、その反応。
仮にもアタシらこれからセックスしようとしてたのでは? 裸だってさっき見たって」
衝撃的な単語に思わず噴き出してしまう。
普通濁すところだと思うんだけど、湯本さん?はヤケにはっきりいってのけるな。
「ないないない! 誤解だ! 君は、僕の部屋でシャワー浴びた。 それだけだっ。
僕だってこれから何かするつもりはない!」
「え、マジでッスか? ……じゃあ、タカれないじゃん」
「なんか今聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたんだけど」
ビクリと身体を震わせた彼女は、一度咳払いをした。
そして、肩を小さくしたかと思うと、流し目でこちらを伺い始める。
なんだコイツ。
「なんでも無いッスよ。
あーでも、ちょっとショックかも。
アタシってお世辞抜きでも、目を見張るような容姿してると思うんスけどね。
アメリカ人のママと日本人のパパのハーフッスから、髪の色も瞳も大抵クラスの皆より目立っちゃうからよく小言なんかも言われますし。
そんな外見のアタシを据え膳で逃がしちゃうのは如何なもんでしょーかねぇ?」
「いや知らねえよ。さっき僕の財布から抜いた万札返せ。」
「チッ、思い出したか。 ……あーもう!
あんたにアタシの気持ちがわかるッスか!?」
うわ、いきなりキレた!?
というか、パーソナルスペース侵犯してらっしゃるから!
不快ではないけど、心拍数があがるからやめてくれ!
願った瞬間、彼女はこちらに距離をとってウソ泣きっぽい泣き声で喚き出した。
「気づいたら知らない学寮の一室に連れ込まれてたんスよ!?
しかも制服着てたのにいつの間にか部屋着代わりのパーカーきてるってもんだ!!
えぇ、どーですか!? あんたにこのショックがわかりますかい!?」
ロボット映画みたいに衝撃波でも出てきそうな勢いで彼女は床を勢いよく踏み出した。
義足による強力なスタンプ攻撃だ。床が抜けないものかと心配になる。
あと、ちょっと極道モノの主役っぽい。喋り方は下っ端だけど。
「そりゃ確かにパニクるだろうけど、かといって僕の2万円をそのまま着手していい理由にはならないだろ」
「この分からず屋!」
ダッ!(彼女が出ていこうと踵を返す音)
ガシッ!(僕がその肩を掴んだ音)
「とか言いながら出ていこうとするんじゃない! 二万円置いてきなさいって」
「えぇい、はなせーッス」
彼女の肩を掴んでとりあえず引き留める。
すると、ようやく観念したのか、彼女はその場にへたりこんだ。
「……わかったッスよ。返しますよー。」
力なく差し出される手には、二枚の万札が握られていた。
僕がそれを受取ろうとしたところで、彼女はぼそりと呟く。
「――ホント、ロクなことがない人生ッスよ。この世からいなくなりたいくらい」
その湿っぽい言葉にどこか淑やかさが含まれて、彼女が再びヴィスカの人格に戻ったように錯覚してしまう。
「外見は褒められても、内面がなんとやら……。親密になった人は皆、アタシにそう言うッス」
今度は涙どころではなく、本格的に声がときたま裏返ってグズっているようだった。
どうしたものかと思案する。
そりゃあ気づいたときに、いきなり知らない男とベッドの上にいた、なんて状態になってしまうのは辛いものがあるかもしれない。
気が落ち込むのも無理はない。
「ヴィスカって名乗ったアタシは、どうでしたか? アタシみたいな変な喋り方はしない淑女さんッスか?
――それなら、アタシの完全体ってやつですね。
湯本紗矢はきっとオワコンなんです。」
グスンッ。
空しく鼻をすする音だけが続く。
「……わかったよ。 何かあったら出来る限り協力する。
だからそんな悲しいこと言わないでくれ。
それに、湯本さんの性格は悪くない。
僕みたいな陰キャラでもこうして結構長く喋れてるし……。」
頭をあげて湯本は「ホントッスか?」と確認してくる。
涙目の瞳がきらりと光ってもっと煌めいてみえた。
僕は何度か頷いて見せた。
「あんたの名前、聞いていいッスか?」
「戸鐘。鳴無学院二年C組。」
「わかったッス。何かあったら、頼るかもしれない、です。
――今日はこのへんで失礼するッス。 これから診察なので……。
ありがと、ございました」
横隔膜を痙攣させてながらそう告げると、湯本は一度頭を下げてから部屋を出ていった。
診察……足のか?
ヴィスカがシャワー浴びたのもそれが理由?
月谷唯花、湯本紗矢、二人は同一人物でいいんだよな?
くそ、わからないことが多すぎる。
一度整理しないといけないな。
『えー、戸鐘さんドアベルさん。 二万円確かに頂戴いたしました。ではでは、アリベデルチッ』
いつの間にか応答していたインターホンから湯本の声が聞こえた。
あ”あ”……どうして僕ってやつは!




