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思わず好敏は、さっと壁に身を隠す。好敏の反応に、テーブルの全員が気付いた。
「どうした?」
最初に声を掛けてきたのは、熊蔵だった。好敏は黙って、口だけ動かし「ゴロス!」と伝える。
さすが軍人である。それだけで、熊蔵は判ったらしく、厳しい表情になった。
背を低くして、身を隠すように好敏の脇へ近づく。熊蔵と好敏は、用心深く、外を覗いた。
すでに蒸気船は遠ざかっている。蹴立てた白波だけが、残っていた。
「見たのか?」
熊蔵の短い問い掛けに、好敏は頷く。
「それで、見られたか?」
再度の問い掛けに、好敏は、曖昧に、首を左右にした。
見られたかどうか、判然としない。何しろゴロスは、いつもの、真っ黒な黒眼鏡を架けていたから、視線がこちらに来たかどうか、確かめる術はないのだ。
店内を振り返ると、すでに全員が緊張して、半ば腰を浮かしていた。
「川側からなら、店の表に停めてある車は見えないはずだ。ゴロスがなぜ、こんなところまで出張ってきたかは、全くの謎だが……」
熊蔵の推理に、好敏は口を開いた。
「俺たちを、尾行したのだろうか?」
熊蔵は皮肉な笑みを浮かべた。
「尾行されていたとすれば、ゴロスという奴、恐ろしいほどの腕利きだ。俺たちに、全く気付かれず、まんまと従いてくるなど、人間業とは思えない」
気がつくと、大公が間近に来ていた。大公の顔には、憂慮の色が浮かんでいる。
「そうではない、と仮定すると、一つ考えられるのは、彼奴らが独自の捜査で、我らの目的地を掴んだ、という可能性だ。まず、有り得ない可能性であるが、ゼロではない!」
乾いた笑い声に、三人は振り向いた。見ると、カシムが、天井を仰いで「かかか……」と聞こえる笑い声を上げている。
大公は眉間に皺を寄せ、鋭く声を掛ける。
「何が可笑しいっ!」
カシムは「くうくうくう……」と発作のような笑いに、身体を痙攣させている。あまりに笑って、涙が出たのか、目尻を拭って顔を大公に向けた。
「可笑しいさ! あんたら、仰々しくも、三台の車で街道を走って来たんだぜ! 他人の噂にならないと考えるのが、どうかしているぜ! 少し常識のある人間なら、そんな派手な行列、何のためか、すぐ推理できるはずだ。まるで『ここに大公閣下の行列がお通りで御座い!』と宣伝しているようなものじゃないか」
カシムの指摘に、大公は「ぐうっ!」と唸った。
それでも辛うじて自制して、唇を噛みしめただけに抑えた。確かに、カシムの指摘は、当を得ている。
熊蔵が、大公に口早に忠告する。
「となると、大公閣下、今すぐに行動する必要が御座いますぞ! あるいは、連中の待ち伏せが、あるやも知れませぬ」
大公は一つ頷くと、店内にきりっと顔を向けた。大公の身動きで、さっと部下たちが一斉に立ち上がる。
「武器を持て! 努々、油断するでないぞ!」
一瞬で、部下たちの手に、銃が握られていた。銃の点検に、店内に暫し、がちゃがちゃという騒がしい音が響く。
「あれっ! まあまあまあ……これは、何の騒ぎなんで御座います?」
食後のデザートを運んできた女将が、剣呑な空気に、厨房の出入口で棒立ちになっている。
大公は素早く近づくと、それでも優雅に一礼して話し掛けた。
「御無礼、申し訳なく陳謝いたします。少々、こちらの事情で、このような仕儀にいたったわけで……これは、食事代と、お詫びのお礼で御座います。お受け取り、頂きたい」
大公は部下に命じ、分厚いマルク紙幣の束を差し出した。女将は仰天して、口をぱくぱく金魚のように開閉させているだけだ。
部下は、女将の前掛けに、金をぐいっと捻じ込んだ。
好敏は熊蔵に近寄り、囁いた。
「戦闘があると、思っているのか?」
熊蔵は小さく頷いた。
「あるいは、な!」
好敏は、そっと大公に目をやった。
「まさか、ゴロスの奴、大公を亡き者にするつもりか?」
熊蔵は「いいや」と否定の意味で、首を振った。
「それは、流石に、ないだろう。ゴロス少佐は、ヨセフ一世の下で働いているが、大公は次期皇太子であり、王族だ。もし、身体に傷一つ、つけただけでも、反逆罪に問われる。だから、大公と、セーラ……おっと! この場合、エリーザベト姫とお呼びしよう……は無事でいられる。危ないのは、無関係の俺たち二人、それに、アドルフ坊やと、カシムの旦那。ヘルマンって小僧の計五人だろう」
熊蔵は言葉を切ると、なぜか意味深に、にやっと笑って見せた。
好敏も、猛然と闘志が湧いてくるのを感じている。今までお客さん扱いだったが、俄かに目に見える敵が現われたのだ。むしろ、好敏はゴロスに感謝したい気分である。
来るなら来いっ! と、好敏は密かに思っていた。




