第20話 亡霊遭遇
薄暗く入り組んだ路地のごみ溜めとも糞尿の匂いともとれる何とも不快な臭いが鼻につく。
時折見かける人間は襤褸を纏って何日も清潔にしていないだろう体は黄ばみ、髪はボサボサで虱が湧いていた。見るからに不潔だ。彼らは路上にうずくまっていたり、通りかかる人間に手を伸ばしてはねだるような視線を送る。
ここはベロニカの発展とともに自然形成された街の陰。外周区に幾つか点在するスラムのうちの一つだ。
そこを一人のローブ姿が無造作に紙袋を抱えて歩いている。中身は果物にチーズである。もう片方の手にはバゲットが握られており、しばしば口元に運ばれては咀嚼していた。
しかし、フードに隠れた眼光は油断なくスラムに向けられており、些細な情報も見逃してはいなかった。
(どうやら、昨日と変わった様子は見られないな)
ローブの少年――ウィルは昨日から足繁く通っていたスラム状況はだいたい把握していた。
彼の五感――ともすれば第六感をも含めて、と言ってもいいかもしれない――はスラムのおおよその事柄を教えてくれた。
それ故に今、彼を陰から見つめる視線も感じていた。
(害意……というほどのものは感じられないな。せいぜいモノ盗り――スリと言ったところか)
それもどうも素人臭い。
手慣れていなさそうな躊躇いと緊張も感じた。
こんなやつなら取り立てて注意するほどのことでもない、ということでスラム全体に意識を戻した。
それからしばらくして。
隙を見せたつもりはない。しかし、にもかかわらず――どうやら事に及ぼうとしているようだ。
(素人だな)
気配どころか足音も消せていないじゃないか。
仕方ない。一捻りにしてやるか。狙う相手が悪かったな。
とウィルは自然体のまま待ち構えた。
スリの接近に合わせてローブを翻し、視界を奪った。そして、慌てた相手の腕を捻り上げた。
「いたいっ」
存外高い悲鳴が上がった。
(女? それも子どもか)
特に感慨も何もなかった。
しかし。
「これに懲りたら俺のことは二度と狙わないことだな」
腕を放して突き飛ばし、そう口にしようとして――。
失敗した。
言葉が出てこなかった。
スリの正体は小柄で華奢な少女だった。
華やかな金髪を埃や泥で汚し、宝石のような碧眼は怯えを湛えていた。
鼻筋は通り、唇はやや薄く、頬は少女の幼さを表すようにまだあどけない丸みを帯びていた。
あと数年もすれば美人になるだろうと思わせる美貌だ。
歳は十四ぐらいだろうか。
美少女だった。
「――セレン……⁉」
「――っ。」
ウィルは動けなかった。
頭が真っ白だった。
信じられないものを見た。まるで幽霊でも見てしまったかのような。
いや、それが本物なら本当に幽霊を見てしまったことになる。
しかし、幽霊なんているわけがない。少なくとも、ウィルには霊視の能力なんて神通力は持っていない。だからあれは幽霊なんかであるわけがなかった。
だったらあれは何なのか。
わからない。
わからない。
わからない……。
混乱してウィルは思考停止の機能停止状態がしばらく続いた。
ぽつねんと立ったローブの少年の周囲には散乱した食料が。
そして少女は、逃げたのだろう。もう姿が消えていた。




