136 潜入
『迎えを寄越すわ。その辺りの開けた場所――中央通りの交差点で待っていてちょうだい』
レティシアからの電話は、わたしが頷く前に切れてしまった。
気分は悪いが、レティシアがわたしの洗脳状態を疑っていない証拠でもある。
今いる場所は、米国大使館を中心とした封鎖線の外――秋葉原の駅前だった。
わたしも何度かこの街のゲームセンターでのイベントに呼ばれたことがある。
平日でもオタクたちで賑わう独特の街だが、今日はほとんどの店がシャッターを下ろしていて人通りは少なかった。代わりに要所要所に警察官や自衛官や私服の捜査員らしき人々の姿がある。
わたしとサンシローがその場で待っていると、すぐにヘリコプターのローター音が聞こえてきた。
わたしたちの目の前――ソフマップのある交差点に空色の米軍機が降りてきた。
数年前まで安全性を疑問視されていた輸送機で、名前はたしかオスプレイ。結局オスプレイは大きな事故を起こさないまま改良を重ねられ、米軍の主力輸送機となっている。
そこで、レティシアから着信。
『それに乗りなさい』
オスプレイ後部のタラップが開き、数人の米兵が降りてくる。
米兵たちは、どうみても民間人にしか見えないわたしとその隣りにいるアンドロイドに疑問を抱く様子もなく、わたしたちを格納庫へと案内した。
乗る間際に横目で振り返ると、通りにいた私服の男たちが慌てた様子でどこかに連絡を取っていた。おそらく自衛隊か公安の監視要員だろう。詳しくは知らないが、米軍機が日本の路上に直接着陸するのは、有事といえど日本国政府の承認がいるのではないか。
それで慌てているということは、彼らはまだレティシアに洗脳されていないということか。
安倍さんも陰陽師としてレティシアの催眠術に対抗する方法がないか模索してくれると言っていた。
『オールド・マギによれば、ミナギの任務は、マギをはじめとする日本国政府が態勢を整えるまでレティシアを足止めすること――とのことでしたね?』
オスプレイの機上で、サンシローが聞いてくる。
「そうね」
『でも、ミナギはそれ以上のことを考えていますね?』
サンシローの言葉に虚をつかれる。
「よくわかったわね。時間稼ぎというけれど、一体いつまで稼げばいいのか。そもそも、時間を稼げば事態が好転するとも限らないじゃない」
『ミナギの言うことには高い蓋然性があります。オールド・マギの言葉は楽観的な見通しに基づくものでした。』
「わたしの狙いは、レティシア・ルダメイアを捕縛し、周囲の人間の洗脳を解かせること」
『それは、かなり困難な目標だと思われます。』
「わかってる。そこまではまず無理ね。それはあくまでもマキシマムの目標だわ」
『では、ミニマムの目標もあるのですね?』
「ええ。最低でも、レティシアの口から彼女の目論見を聞き出すこと。条件によっては、日米両政府が交渉によって事態を打開することができるかもしれないわ」
『挑戦的ですが、現実的な目標だと思います。』
『なんだ、ブッ倒さないのか? せっかくあたしがスキルを封じてやるって言ってるのに』
最後に姿を見えなくしてついてきているアッティエラが言った。
オスプレイは上空を一巡りして、米国大使館そばの外堀通りに着陸した。
外堀通りは完全に無人だった。車通りも一切ない。
そこからわたしとサンシローは米兵に連れられてアメリカ大使館へと向かう。
アメリカ大使館。
言うまでもなく警備は厳重。建物の内部構造はおろか、何階建てかすら未公表だ。
日本でも有数の秘密に包まれた建造物に、わたしとサンシローはボディチェックすら受けずに足を踏み入れた。
建物の内部は完全に迷路だった。
案内の米兵は途中で何度か切り替わり、最後はSPらしき黒服の白人男性と黒人男性になった。スーツの上からでもわかるほど筋骨たくましい。いや、そう見えるようにキツめのスーツを着ているのかもしれない。目にはサングラスをしていて視線の先がわからないようになっている。
2人の案内役は、訪問者を迷わせるようにわざと複雑な道を選んでいるようだった。
が、こちらにはサンシローがいる。遠回りすればするほどサンシローはこの建物の構造を理解し、推定していく。
帰り道の心配は機械の相棒に任せて、わたしはこれから起こる会見に意識を集中することにした。
といっても、ここに来るまでにシミュレーションは済ませてある。
今は頭をまっさらにして過度に緊張しないよう心がけるだけでいい。
案内役のSPがひときわ豪華な扉の前で止まった。
ノックをする。
中から返事。若い女性の声――おそらくはレティシアだ。
扉が開く。
左右に分かれたSPの真ん中を歩いて、わたしは部屋の奥にいるレティシアに近づく。
「レティシアさん!」
なるべく弾んだ声を出す。
「よく来てくれたわね、ミナギ」
レティシアが柔和に微笑みながら言った。
「あなたに、やってもらいたいことがあるのよ」
「やってもらいたいこと……ですか?」
「ええ。でも、その前に、これを見てもらおうかしら?」
レティシアは大使が座るのだろう革張りの椅子に躊躇なく座り、執務机の下からジュラルミンのケースを取り出した。
レティシアはそのケースを開いてわたしに見せる。
「これ、何だと思う?」
笑って、レティシアが聞いてくる。
「何かの……スイッチ、ですか?」
ジュラルミンケースの中身はいくつものスイッチとボタンだった。ボタンのいくつかはプラスチックのカバーに覆われている。所々に鍵穴があるが、そのすべてに既に鍵が刺されていた。
それは、複雑極まりないスイッチのようだった。
その無骨さをみるに、軍事関係のものだろう。
そこまで考えて、わたしの頭から血の気が引いた。
スイッチ!
ミサイルの――おそらくは、核弾頭を積んだ大陸間弾道ミサイルの発射スイッチだ!
「わかったようね? さすがは才媛で有名なミナギね」
「才媛だなんて……そんなこと」
わたしは冷や汗をかきながら必死で思考を巡らせる。
まさか、レティシアがアメリカの核スイッチを手に入れていたなんて。
「彼に頼んだら用意してくれたのよ。……ねえ?」
レティシアが大使室の奥にあるドアに向かって言う。
ドアから壮年の白人男性が現れた。
その顔を見て、わたしは声を上げそうになった。
現合衆国大統領、ロジャー・サリヴァン・トンプソン。
なるほど、彼を籠絡したなら、核ミサイルのスイッチだって手に入るか。
「どこに使うんです?」
平然を装ってレティシアに聞く。
「もちろん、世界のありとあらゆる都市を狙うのよ。もっとも、わたしがいるこの東京だけは例外だけれど」
「……どうしてです?」
「世界を液状化させるのよ。主要国の政治・経済・軍事が麻痺したら、押さえつけられていた過激派やテロリストは息を吹き返したように暴れまわるでしょうね。同時に各国は疑心暗鬼になる。いえ、それ以前にアメリカに対して核による報復攻撃が行われるわね。世界の中心たる米国の主要都市は核の炎に焼かれることになるわ。ミサイル防衛システムも完全ではないのだから」
「何のために?」
「第三次世界大戦を引き起こすの。世界がどうすれば混乱するかは、彼を始めとする米国の優秀なスタッフたちに考え抜いてもらったわ。本当に、この世界の人々は優秀ね。マルクェクトでは想像もつかないような精度で、世界を混沌に陥れるための具体的な行動計画を立ててくれたわ。その過程で彼らが最大限の利益を得るにはどうしたらいいか、そんなことまで綿密に計画を立てているようね」
「っ!」
「もっとも、アメリカ有利にばかりことが進んではつまらないわ。これから、わたしはアメリカに魔物や怪物を輸出する。アメリカ人好みの展開よね、ホームフロント、最前線と化した自分の街で、化け物となったかつての隣人たちと戦うのよ」
おそろしい計画だった。
ここに至るまで、わたしはレティシアの目的は権力を握って好き勝手をすることにあると思っていた。その「好き勝手」の中に、ニュースにあったような化け物を暴れさせることも入るのだとは思ったが、まさか世界大戦を起こして地球を地獄と化そうとしているとまでは思っていなかった。
「……どうしたの? 顔色が悪いわよ」
レティシアが心配そうにわたしを覗きこむ。
「い、いえ……その、あまりに壮大な計画だったので驚いてしまって」
なんとか笑顔を浮かべ、答えをひねり出す。
「そう。無理もないわね。あなたがまどろんでいた平和が今日この時をもって終わってしまうのだから」
「そ、それで……レティシアさんは、わたしに何をして欲しいんです?」
わたしは追及を避けるため話題を逸らした。
「私が異世界の魔術師であることは話したわね?」
「え、ええ……とても信じられなかったですけど、レティシアさんが言うならそうなんでしょう」
「でも、所詮は異世界の魔術。徐々に調子が悪くなっているのよ」
「そうなんですか」
アッティエラも、この世界と向こうの世界の魔法レジストリとやらを結ぶリンクは不安定だと言っていた。
「だから、操れる人材の数も限られてしまっているの。そこで、あなたにやってもらいたい仕事があるのよ」
「な、何ですか? わ、わたしにできることならなんでも言ってください!」
洗脳されているフリもいい加減辛くなってきているが、レティシアはまだ気づいていないようだった。
「――お母さんになってほしいの」
レティシアが言った。
「お、お母さん……ですか?」
「ええ。子どもを育ててほしいのね。ううん、その前に、産んでほしいのよ」
「育て……う、産む?」
わたしは思わず後退ってしまった。
「ええ。悪神モヌゴェヌェスは、この世界に直接魔物や憑依体を生み出すことはできないわ。でも、それにはひとつ抜け道がある。母体を利用することよ。妊娠した女の、お腹の中にいる胎児に呪いをかけるの。魔物になるように、憑依体になるように。赤ちゃんによって向き不向きはあるけれど、大丈夫、いずれにせよ立派な化け物の仔が産まれるから」
「ひっ……」
「もちろん、母体もそのままでは利用できないわ。悪神の呪いを受け入れて、魔物の仔を孕み、産むためだけの生物へとあなたを作り変える必要があるの。ジェネレーター、と私は呼んでいるけれど」
笑みを浮かべたまま、なんでもないことのように語るレティシア。
わたしは戦慄で足下から崩れてしまいそうだった。
「もう既に、大使館にいた女性にはジェネレーターになってもらったわ。男性は適性に応じて悪神の憑依体にしたり、洗脳して手駒にしたりしたの。もうこの大使館は私の城も同然ね」
なんてこと……。
わたしはサンシローをちらりと見る。
サンシローはレティシアを見つめたまま動かない。
なるべくロボットらしくしていてくれと頼んである。サンシローをこの場に置くためには、わたしの忠実な下僕のようなものだと認識させる必要があったからだ。
そこで、ようやく待ちに待った声がした。
おかげさまで少し前に累計9万ptを達成することができました。皆様の応援に心よりお礼申し上げます。
書籍版第3巻も4/25に発売となります。
ウェブ版書籍版ともども、今後ともよろしくお願い申し上げます!
天宮暁




