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132 アンドロイドの提案

「ふふっ」


 レティシアさんと別れた後、わたしは頬が緩むのを抑えられなかった。

 まさしく、運命の出会いだった。

 これまでの人生でこれに匹敵するのは加木智紀さんとの「出会い」くらいだろう。

 レティシアさんとわたしは意気投合し、レティシアさんはわたしのことを親友と呼んでくれた。

 でも、レティシアさんへの気持ちは、親友へのものとも違う。

 わたしにも親しい友だちはいるが、彼女たちへの気持ちとレティシアさんへの気持ちは別物だ。

 もっと熱く、もっと激しく、この人のためにならなんだってできるという絶対的な奉仕と服従の気持ち。そこには愛欲の感情すら絡んでいる。

 わたしはレズだったのだろうか?


 レティシアさんは、異世界からやってきたのだという。

 本当とは思えないけれど、レティシアさんがそう言うなら何か特別な事情があるのだろう。

 わたしはレティシアさんにホテルの一室を取ってあげると、この世界のことについて、聞かれるままに説明した。

 政治、経済、社会、テクノロジー。

 魔法は存在しないの? と不思議そうに聞いてくるレティシアさんがおちゃめで、わたしは思わず吹き出してしまった。

 旅の魔法使い。たしかに、レティシアさんは妖艶でミステリアスな格好をしている。初対面の相手にはインパクトのありすぎる冗談だった。


 わたしは自分の銀行口座から50万円を引き出して、当面の生活費としてレティシアに渡した。レティシアさんはとろけるような笑みを浮かべて、「ありがとう」と言い、そのお金を受け取ってくれた。連絡できる手段がほしいと言うレティシアさんに、わたしは専用のスマートフォンを用意してあげた。

 わたしは幸せだ。レティシアさんの役に立てているのだから。


 わたしの家はさして裕福な方じゃない。貧乏なわけでもないが、娘を大学院にまで進ませるだけの余裕はなかった。

 わたしは現在所属している法科大学院の学費をプロゲーマーとしての収入で賄っている。

 50万円というお金は安くはない支出だが、レティシアさんの役に立てると思えばこれくらいは我慢できる。


「すばらしいことね、人の役に立てるというのは」


 わたしは上機嫌でサンシローに言った。

 サンシローはすぐには返事をせず、頭部にあるカメラアイをわたしに数秒も向けた。

 そしてサンシローは口を開く。

 サンシローの口から飛び出した言葉は、わたしにとって全く予期しないものだった。


『警告。レティシア・ルダメイアは、ミナギに不適切な影響を及ぼしている可能性があります。』


 サンシローの言葉に、わたしの頭がさっと冷えた。


「不適切な影響? それ、どういうこと?」

『ミナギは、レティシアと話している時、催眠状態に陥っていた可能性が高いと思われます。サンシローの直感的推定によれば、この仮説は87.3%の確率で真です。』

「催眠状態ですって……」


 わたしは考える。

 テレビに出てくる催眠術なんて半分以上はやらせだと思う。ただ、カルト宗教が信者を人里離れた施設に隔離してマインドコントロールを行ったという事件は有名だ。法科大学院の刑法の授業でも判例として紹介されていた。


「レティシアさんが、わたしを洗脳しようとしてるっていうの?」

『その推論は妥当です。』

「今のわたしには……とてもそうは思えない。でも、そうは思えないことこそが、洗脳の結果なのかもしれないのか」


 でも、そんなことを言い出したら、何ひとつ信じられなくなってしまいそうだ。


 サンシローはあくまでも冷静に繰り返す。


『その推論は妥当です。』


 わたしは口元に手を当てて考える。

 言われてみればたしかにおかしい。ほぼ初対面の相手を親友以上の存在だと感じ、抵抗なく大金を渡してしまった。支離滅裂な彼女の質問にも、疑問すら感じず丁寧に答えを返していた。

 これがもし自分自身ではなく、第三者の行動だったとしたら、わたしだってその人は騙されているのではないかと疑うだろう。


 でも……レティシアさんは特別だ。そんな気持ちが理性に反して湧き上がってくる。


 だが、格闘ゲームでも戦いがシビアになればなるほど、精神戦の様相を呈してくる。相手は自分より強い。一瞬そう思ってしまっただけで勝てる目がなくなってしまうことがある。

 だからわたしは常にものごとを客観的に見るようにしている。勝てないように見える相手は実は無理をしているだけなのではないか。単にひとつの対策が噛み合ってしまい、勝ち目がないように錯覚しているだけなのではないか。そういう競合仮説をまずは立て、それを立証できる材料を探していく。相手キャラクターの一挙手一投足に注目する。隣でアケコンを操作するプレイヤーの息遣いやボタンを叩く音に神経を尖らせる。そうすることで、自分の主観から抜け出し、試合の趨勢を客観的に評価できるようになる。


 その感覚を、今の状況に当てはめる。

 答えは明白だ。少なくとも客観的に見て、わたしはレティシアさんに洗脳ないし強く感化されているように見えるだろう。そしてその客観的な見立てが正しい可能性は十分にある。

 わたしの感情はその見立てを否定したい気持ちでいっぱいだったけれど、それこそがマインドコントロールを受けている証拠なのではないか?


「サンシロー、カルト教団による洗脳からの脱却カウンセリングを行うことはできる?」

『コモンセンスベース、ナレッジベース、データベース及び電子化された書籍文献を調査します。10、9、8……可能です。サンシローは有効と思われる脱洗脳カウンセリングプログラムを作成し、実行することができます。実行には、1日1時間、3週間の時間が必要です。スケジュールを調整しますか?』

「ううん、もっと急いで。洗脳されたまま日常生活なんて送ったら何が起こるかわからないし」


 さいわい、現在通っている法科大学院は夏季休暇中、プロゲーマーの方も大会の直後で予定はない。


『それでは、1日2時間を2回、1時間を1回のスケジュールで、4日間の短期集中プログラムを作成します。ただし、かける時間を圧縮すると洗脳の脱却具合に不安要素が残ります。』

「あらかた解けていれば、あとは自分で考えられると思うから、大丈夫。サンシローはしばらくの間わたしの精神状態をモニタリングすることにリソースを割いて」

『了解しました。妥当な判断だと、サンシローも判断します。』

「サンシロー、レティシアさんが洗脳的手法を用いていたとして、それはどういうものだったの?」

『その件については、サンシローは独自に究明に当たっていますが、未だに具体的な手段が不明です。』

「……怖いわね」

『サンシローは、アンドロイドのセンサー類では感知できず、人間の間でのみ作用する潜在意識レベルの感化作用が介在しているという仮説を立て、検証しました。心理学においてラポールやカリスマと呼ばれるものが最有力の候補です。しかし、非言語的なあらゆる要素を精査しましたが、ミナギとレティシアの間で交わされたやりとり自体に不自然な要素は見られませんでした。よって、レティシアの用いている洗脳手法は、五感によって識別できないものということになってしまい、仮説を棄却せざるをえません。』

「待って、それなのにあなたは、どうしてレティシアさんがわたしを洗脳したと確信しているの?」

『ミナギが洗脳されているという事実が疑いえないからです。ミナギは典型的な被洗脳状態にあります。』

「加害者が彼女でない可能性は?」

『ミナギが長時間に及ぶ接触を持っているのは、サンシローを除けばレティシアだけです。蓋然性の問題として、レティシアが洗脳者であると推定せざるをえません。』


 サンシローは帰国以来ずっとわたしのそばにいる。

 その彼(?)の言葉には説得力があった。

 でも、それでも、レティシアさんがそんなことをするはずがない。いや、もしわたしを洗脳したのだとしても、そこには何か深い理由があるはずだ。……そんな不合理な考えが浮かび上がってきて流されそうになる。

 これは……本当にマズいかも。


『もう1つ、重大な事実を指摘できます。』

「重大な事実?」

『はい。レティシア・ルダメイアと名乗る女性は、あなたとの会話の際に、未知の言語を使用していました。』

「…………え?」


 サンシローの言ったことが理解できなかった。


「未知の言語? レティシアさんは日本語を話していたわ」

『いいえ。違います。』

「あなたの日本語認識能力の問題ではないの?」

『インチューイション3の自然言語認識能力は、人間のそれと比較して遜色ないレベルにあります。条件によっては人間以上の認識能力を発揮することが可能です。周囲に相当程度の雑音があるような場合にも、雑音をフィルタリングして言語だけを抽出することができます。また、仮に彼女が特殊なアクセントで日本語を使用していたとしても、サンシローが一句たりとも理解できないということはありえません。すべてではありませんが、主要な方言の発話データもグリンプス社のデータベースには蓄積されており、インチューイション3はそれを解析済みです。未知の方言についても他の方言との類推で一定以上の理解を得ることが可能です。この言語類推機能は、インド、中央アジア、アフリカなどの少数部族の言語採録にも応用され、着実に成果を上げているものです。』


 サンシローの説明はちょっとくどかった。

 要するに、雑音に紛れて聞こえなかった可能性はないし、訛りがきつくて理解できなかった可能性もほとんどないということだろう。

 レティシアさんと会話したのはホテルの一室の中だ。雑音なんてなかったと思う。それに、


「レティシアさんに訛りなんてなかったけど……」


 日本人と比べても見劣りしない洗練された日本語をしゃべっていた。

 たしかに、この条件でサンシローがレティシアさんの言葉を聞き取れなかったとは考えにくい。わたしとはこれだけスムーズに会話ができているのだから。


 なおも納得しきれない様子のわたしを見てサンシローが言う。


『それでは、ミナギとレティシアの会話を録画したものを確認してみてください。』

「まぁ、それくらいはいいけど……」


 わたしは半信半疑で答える。

 サンシローがわたしのスマートフォンに映像を飛ばす。

 その映像を見て、わたしは絶句した。


「なにこれ……」


 レティシアさんは、日本語をしゃべっていなかった。

 英語でもないし、大学で第二外国語として習ったフランス語でもなかった。韓国語、中国語とも違うと思う。

 にもかかわらず――動画の中のわたしはレティシアさんの言葉を理解して会話していた。


『サンシローはレティシアの言葉を理解することができませんでした。しかし、ミナギは彼女の言葉を理解していました。どうしてこのようなことが起こったのでしょうか?』


 サンシローの質問に、わたしは答える言葉がなかった。

 動画をじっと見つめるが、もちろんそれで何かがわかるわけでもない。

 わたしは絞り出すように聞いた。


「レティシアさんの使用している言語はわかる? ……いえ、わからなかったのでしょうね」

『その通りです。レティシアの使用している言語は、グリンプス社のデータベースに蓄積されたいかなる言語の発話データとも一致しませんでした。』

「どういうこと……? まさか、本当に……」

『ええ。こことは異なる世界からやってきた……そう推定するのが現状では最も妥当だということになります。この推論に対し、インチューイション3のコモンセンスベースは推論の却下を強く推奨しています。』

「なんてこと……」


 世界初のアンドロイドの教育係を務める。それだけでも十二分に刺激的で、常識を逸脱した経験だと思っていたが、まさかこんなことになるなんて。


『2つ、提案があります。』

「何?」

『サンシローはレティシアの使用している未知の言語の解析を希望します。つきましては、ミナギに動画を見ながら彼女の言っていたセリフを思い出し、サンシローに教えてほしいのです。』

「なるほど……もっともね。わかったわ」


 対訳があれば、グリンプス社の翻訳システムと人工知能であるサンシローの力で未知の言語を翻訳することは可能だろう。


「もうひとつは?」

『1人、意見を伺ってみたい方がいます。』

「珍しいわね。文献ではわからないこと?」

『ええ。グリンプス社はあらゆる知識の収集とデータベース化に挑んではいますが、この世界にはまだ、記録されていない知識がたくさんあります。それらを収集・整理することはコモンセンスベースの強化の意味でも、サンシロー自身の学習の意味でも重要です。とくに、その人物は特異な知識と、ある事件の生き証人であることから、サンシローの強い興味の対象となっていました。が、コモンセンスベースとの協議の結果、情報の常識的信頼性に欠けるという理由から、エデュケーターの候補からは外すこととなりました。』

「へぇ……そんな人が」


 常識的に言えば信じられないような経歴の持ち主、ということだろうか。

 それにしてもこの人工知能は人に興味を持たせることがうまい。


「それで、それは一体誰なの?」


 わたしは好奇心に負けてそう聞いた。

 サンシローの答えは、わたしの想像を完璧に裏切るものだった。


『――宮内庁式部官・安倍賢晴(あべのかたはる)氏。陰陽師です。』

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