126 国王の決断
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今年もよろしくお願いいたします。
平成28年正月 天宮暁
「では、事態は収束したと見ていいのだな?」
謁見の間、玉座に座った王様がアルフレッド父さんに問いかける。
父さんが片膝をついたままの姿勢で答えた。
「はい。エンブリオ感染者からのエンブリオ除去はエドガーが、エンブリオモンスターの一時拘束はベルハルトとアスラが、エンブリオバグについては地下の死霊の協力を得て解決しました」
王様が難しい顔をする。
「地下の死霊か……彼らは身を犠牲にしてエンブリオバグを滅ぼしてくれたと聞く。何らかの形で報いねばならんな。今、王立図書館の司書に命じて、死霊2体の身元の調査をさせている。その結果が分かり次第、旧市街に記念碑を建てさせよう」
「それは彼らも喜ぶことでしょう」
「エンブリオモンスターによる被害はどうだ?」
「エンブリオモンスターによって殺害された市民は両市街合わせて137名に上ります。重軽傷者は千名を超えるかと。拘束が間に合わず、やむなく撃破したエンブリオモンスターは合計19体。元が人間ですから彼らも犠牲者に数えると、全部で156名の死者が出たことになります」
「無視できぬ数だが……事態を考えればこれでも相当に被害を抑えられたと見るべきだろうな」
王様がため息をつく。
「エンブリオの一件で後回しになっていたが、イーレンスへの処罰を決めた」
「……ここで伺ってもよろしいのでしょうか?」
「かまわん。その方らは切り裂き魔事件解決の立役者でもある」
王様が言葉を区切る。
謁見の間に緊張が走った。
「イーレンスは廃嫡し、監獄塔に生涯幽閉するものとする」
「それは……」
アルフレッド父さんが口をつぐむ。
自分の息子を幽閉しなければならない王様の気持ちは察するに余りある。
「言うな。これでも甘い処罰だと俺は思っている。しかし王子を斬ることはできぬと判断した」
そこにはさまざまなせめぎあいがあったのだろう。
王様の顔は苦渋に満ちていた。
「併せて、イルフリードについても一時竜騎士団長の任を解いて謹慎とする。新市街での女遊びやイーレンスの目論見に気づかなかったことなど、反省の余地があるからな」
王様は再びため息をついた。
「まったく……」
王様はその続きを口にしなかった。
王家の問題にエンブリオ。心労はもちろんのこと、事後処理だって大変だろう。
「さて、アルフレッドよ。……いや、エドガーよ」
王様が言い直した。
父さんの後ろで母さんと並んで膝をついていた俺は顔を上げる。
「はい」
「こたびの働き、見事であった。何か望むことはあるか?」
王様がそう聞いてくることは事前に知らされていた。
答えの準備はしてある。
「あります」
「申してみよ」
「はっ。今回の一件の首謀者は悪神側の転生者杵崎亨です。奴は倒しましたが、奴の研究成果が人手に渡ったら大変なことになります。その調査究明と回収をお願いいたします」
「よかろう。というより、それはおぬしに言われるまでもない。俺とて、これ以上手を拱いているつもりはないのだ」
王様は手にしていた杖――国王の統帥権の象徴である王笏を掲げた。
「サンタマナ王国国王ヴィストガルド1世が命じる! サンタマナ王国軍は、その総力を持って、悪神勢力が根城としているとおぼしい崩壊国家・ソノラート王国を平定する!」
謁見の間がどよめいた。
それは――出征の詔だった。
文官・武官が慌ただしく謁見の間を飛び出していく。
「これでよかろう。しかしエドガーよ。これではおぬしの褒美にはならぬ。他にあるか?」
この返しは予想外だった。
いや、王様がソノラートへ出兵するという思い切った手を打ったことも予想外だ。
しかし、以前から密偵を送り込んで調査はしていたのに成果は出ていなかった。それ以上の成果を望むなら、兵を送り込んでソノラート王国を平定してしまうしかない。ソノラートの中央政府はとっくに機能不全に陥っているので連携して事にあたることもできないしな。
とにかく、もうひとつ願い事を聞いてくれるというのなら、かねてから考えていたことを言ってしまおうか。
父さんたちには相談してないから後で怒られるかもしれないけど。
言っちゃえ言っちゃえ。
「――では、我が兄デヴィッド・ザフラーン・キュレベルをこの国の宰相にしてください」
ブーッと、残っていた文官の何人かが噴き出した。
他にも咳き込んでいる人が何人か。
俺の前にいた父さんも目を見開いて俺の方を振り返った。
王様は面白がるように聞いてきた。
「ほう……その心は?」
「我が兄と不肖私とで、この国を今よりずっと豊かにしてみせます」
謁見の間が再びどよめく。
「杵崎亨の脅威がなくなったとはいえ、悪神モヌゴェヌェスは健在です。必ず、第二第三の使徒をこの大陸に送り込んでくることでしょう。それに対抗するには何より国力が必要です」
なるべく堂々として見えるように、きっぱりとそう言い切った。
視線はまっすぐ王様に。
その王様は何かをこらえるような様子を見せる。
「ふっ……くく……ははははっ!」
王様がこらえていたのは笑いだったようだ。
「面白い! よくぞ申した!」
「へ、陛下! このようなこと、前例がございませぬ! どうか軽はずみなご判断は――」
すぐそばに控えていた文官が王様を止めようとするが、
「――わかった。エドガー・キュレベルよ。おぬしに賭けてみようではないか」
「へ、陛下!」
「何をうろたえることがある? 〈黒狼の牙〉、〈八咫烏〉、そして今度は切り裂き魔にエンブリオだ。我が国の国難を4度も救ったのはそこにいる子どもなのだぞ? ならば、その願いを聞き届けるのは当然であろう」
「しかし、子どもの言うことにございます! このような妄言、大言壮語を真に受けるわけには参りません!」
「エドガー・キュレベルは転生者だ。その知恵はこの世界の賢者ですら想像の及ばぬものであると聞く。彼の者の兄も、王立図書館随一の切れ者にして碩学として有名だ。実際、願われるまでもなくゆくゆくは国の礎となってもらおうと腹づもりをしておった。ちょうど今、宰相の座は空位だしな。ならばよい機会だ。
ここに宣言する。サンタマナ王国国王ヴィストガルド1世は、エドガー・キュレベルの要望を受諾し、王立図書館正規司書デヴィッド・ザフラーン・キュレベルを宰相に任じるものとする!」
「あ、ああああ……!」
文官が頭を抱えてうずくまる。
……ご愁傷様。って、元はといえば俺のせいか。
「本来であれば、ゆくゆくは頭の切れるイーレンスを宰相に就けてやろうと思っていたのだがな……」
王様が寂しげにつぶやく。
その言葉に何かを言える者などいるはずもなく、謁見はそのまま終了となった。
◇
――その夜。
王城のバルコニーで、僕――アルフレッド・キュレベルは旧友と2人で酒を酌み交わしていた。
「旧友」というのも畏れ多い。この国の国王ヴィストガルド1世陛下である。
しかし今の時間だけは、国王と王室騎士団団長という立場を捨てて、士官学校時代と同じ、ただのアルとヴィスとして話をする約束になっている。
こんなことが口やかましい宮内長官に知られたら大変なことになるだろうけど。
「まったく。おまえの息子には何度も驚かされる」
「あれは、僕も驚いたよ。心臓が止まるかと思った。あんなことを言うなら事前に教えておいてほしかった」
僕は苦笑する。
ヴィスも苦笑する。
一転、ヴィスが寂しげな表情を見せた。
「なあ、アル。俺はどこで間違ったんだろうな……」
ヴィスが言うのは、もちろんイーレンス第二王子――ヴィスの息子のことだろう。
王子の身にありながら、下賎な(と貴族には言われる)女と関係を持ち、子どもを孕ませた。ここまでは、あってはならないことではあるが、実のところ王族や大貴族の間では稀に起こることだ。
問題は、その始末をつけるためにイーレンス王子が最悪の手段を選んだことだ。
ただ相手を「消す」のみならず、切り裂き魔事件に偽装することで、王子と関係のあった女が妊娠していなかったかのように見せかけた。何の関係もない、イルフリード王子付きの侍女を殺害し、不貞の不名誉を押し付けることを何とも思わずに、だ。いや、むしろ、兄であるイルフリード王子の侍女が妊娠していた「事実」を暴くことで、王位継承競争で優位に立てるとまで考えていた節がある。
イーレンス王子は、あきらかに人を人として見ていない。自分の野心のために人を利用することを何とも思っていない。
その点では、王子はヴィスにも母親である第三王妃にも似ていなかった。
たしかに、どうしてこうなってしまったのか。
これについては、エドの言い分が当たっているように思う。
エドはこう言った。
「親が立派すぎると、子どもは窮屈に感じて反発することがある」と。
教師や警察官(巡査騎士のようなものらしい)の子どもが、体面を気にする親に反発して、親の体面に泥を塗るように反抗することがあるらしい。
僕自身の経験でも、大貴族の息子がとんでもない放蕩を働くようなことがまれにある。
英明王として名高いヴィスの息子であること、病弱で長い間公務に関われなかったこと、次期国王と目される優秀な、しかし自分とは気質の異なる兄がいること。
そのような諸々が積み重なってイーレンス王子は心を歪め、身勝手な犯行を正当化するようになってしまったのではないか。
ただ、デヴィッドはこう言っていた。
「イーレンス王子は最初から他人に対して冷淡だった」と。
見かけ上は愛想がいいが、実のところ王子は目の前の相手を使えるか使えないかで判別し、その後の付き合いを考えるようなところがあったと。
デヴィッドは「使える」と判断された結果として王子の話し相手をさせられるようになったと、デヴィッド自身が言っていた。
「王子は、頭が良すぎたんだよ。その反面、他人への共感性が乏しかった。王子の不幸は、そのことを自覚したうえで、表面を取り繕えるほどに頭が良かったことにあると思う。見るからに共感性が乏しかったら他人から相手にされないで済んだ。王子は孤独になったかもしれないが、分不相応な野心を抱くこともなかっただろう」
デヴィッドの言い方は辛辣だ。皮肉るようである。
だけど、その見方は正しいのだろう。
「王子は、失敗した僕なんだよ。頭が良くて共感性に乏しい。それは僕のことでもあるからね」
そう言ってのけたデヴィッドは複雑そうな表情だった。
「救いのない話だけど、王子は生まれながらにして人望を期待できない性格をしていたんだろう。人に慕われることが期待できないから、人を利用しようとする。王子という、人の上に立つ地位に生まれてしまったのも悪かった。普通の貴族に生まれて、図書館司書なり宮廷魔術師なりを目指していればよかったんだろうけど」
……こんなこと、いくらなんでもヴィスには言えない。
ヴィスだって、言われたところでどうしようもないだろう。
僕にできるのは、ただ黙ってヴィスのそばにいてやることだけだ。
そんな時間が、十分以上は続いただろうか。
「ところで、アル。おまえの別の息子のことだが……」
「別? デヴィッドあたりのことかい?」
「ああ。あいつを宰相に、というのは、思い切ってはいるが悪くない人事だと思っている。だが、それにひとつ条件をつけたい。いや、承諾してしまった以上、今更条件は付けられないから、ひとつの要望、提案だと思ってくれればいい」
「ヴィスにしてはずいぶんもったいぶるね」
「ことがことだからな。つまりはこういうことだ。それは……」
ヴィスがにやりと笑ってその提案を口にした。
とても軽はずみには答えられないことだった。
「……本気かい?」
「もちろん本気さ」
ここ数年の僕の出世は異常だ。
デヴィッドが宰相に就き、ヴィスの目論んでいることまで成功したら、僕はいよいよ他の大貴族に暗殺されることを心配しないといけないな。
だけど、息子の不始末があったばかりのヴィスの心情を思えば、これを断ることは難しい。
あの気難しい息子を、いったいどう言って説得したらいいのか。
生半可な理屈ではあっという間に論破されてしまうだろう。
そもそもあいつはそういうことに興味があるんだろうか?
「はぁ……」
ため息をつく僕を見て、ヴィスは面白そうに笑っていた。
次話>今回短かったので気持ち早めに出す予定です