127 アルフェシアさん解放
全自動剥落結界解除作業機を脇によけて、俺は次元ノミをコツコツと振るう。
稼働以来1ヶ月以上も剥落結界の解除に当たってくれた作業機には悪いが、最後はやはり自分の手で解除したかった。
メルヴィにやらせてあげるのが本当はいちばんなのだが、作業機のバッテリーに蓄えた魔力は俺のものであるため、ここでメルヴィがノミを振るうと剥落結界が再生してしまう。
メルヴィ始め、普段は移り気な妖精たちまでもが、俺の作業を固唾を呑んで見守っていた。
「……これで最後だ」
俺はメルヴィをちらりと見る。
メルヴィが頷く。
俺はついに最後となる一突きを放つ。
静かな音ともに、剥落結界の最後のひとかけが剥がれ落ちた。
俺は結界の中にいた絶世の美少女――アルフェシアさんを見る。
アルフェシアさんがわずかに身じろぎをした。
妖精たちが身を乗り出す。
アルフェシアさんのまぶたがゆっくりと持ち上がり、翡翠?色の瞳が、洞窟内に集まった妖精たちを捉えた。
「……みんな……」
アルフェシアさんの目に涙が浮かんだ。
「よくぞ……よくぞこんなにも長い時間をかけて、わたしを助けてくれました。本当に、ありがとう」
「「「ご、ご主人様~~~ぁっ!」」」
そう言ったアルフェシアさんに妖精たちが殺到する。
今は、邪魔するべきじゃないな。
俺はアルフェシアさんに飛びついて号泣しているメルヴィをちらりと見、気配を殺して洞窟から出た。
◇
その夜、テテルティア妖精郷ではアルフェシアさん復活を記念した盛大なお祭りが開かれた。
そこには特別ゲストとして、俺はじめ、アルフレッド父さん、ジュリア母さん、ベルハルト兄さん、チェスター兄さん、デヴィッド兄さん、エレミア、アスラ、ステフといったキュレベル家の面々も招かれた。
妖精郷は精神と物質の狭間にある。招かれたみんなの容姿は普段とは微妙に異なっていた。
父さんと母さんはあまり変わらなかったが、ベルハルト兄さんは12、3歳くらいのやんちゃそうな少年の姿になってしまった。逆にデヴィッド兄さんは30歳くらいの落ち着いた青年の姿になっている。
兄弟の中でいちばん振れ幅が大きかったのはチェスター兄さんで、髪の白い壮年男性の姿になった。これは、エルフで言うと長老の一歩手前くらいの容姿らしい。森と弓だけが友だちみたいな生活を送っているから精神が相当老成しているのだろう。見た感じ、アルフレッド父さんより歳上だ。少年になったベルハルト兄さんが、容赦なく指をさして笑っていた。
エレミアは2、3歳お姉さんになって喜んでいた。逆にアスラは少しだけ幼い容姿になってしまい、本人は不満そうにしていた。意外だったのはステフで、現在の21歳から数歳年上の落ち着いた女性の姿になっている。
ちなみに俺は7、8歳児の見た目だったのが、12歳くらいの大きさになっていた。
宴では、妖精たちのご主人様であるアルフェシアさんが音頭を取った。
妖精たちがよくやっているのと同じ独特の乾杯の合図とともに、グラス同士がぶつかり合う涼やかな音が妖精郷に響く。
「お集まりいただいたた皆さんに、改めてご挨拶をさせてください」
場が温まったところで、アルフェシアさんが言った。
「今回は皆様のご尽力により、わたしは長年の封印から開放されることができました。またこうして妖精たちと暮らしていけるのかと思うと、幸せな気持ちでいっぱいです。改めて、ありがとうございます」
アルフェシアさんが頭を下げる。
「いえ、今回のことは、ほぼエドガーとメルヴィさんがやったことですから。僕たちは何も」
アルフレッド父さんがみなを代表してそう言った。
「たしかに俺とメルヴィが主でやったことだけど、みんなにもいろいろ手伝ってもらってるよ」
俺が言う。
「いや、メルヴィのがんばりに比べたら、俺のやったことなんて全然大したことじゃないだろうな。せいぜいここ数年で機械を組み上げただけだったし」
メルヴィの作り上げた次元ノミがなければ、解除作業機があったとしてもアルフェシアさんの解放は到底かなわなかっただろう。
「メルヴィには、もう頭が上がりませんね。本当にありがとう、メルヴィ。あなたがいてくれて、本当によかった」
アルフェシアさんがそばを飛んでいたメルヴィを抱きしめる。
「あっ、はわっ、ご、ご主人様ぁ」とメルヴィがかつてなく可愛い声を上げている。
これは百合か、百合なのか。サイズがこれだけ違う百合っていうのはちょっと新機軸なんじゃないか。
っと、そんな不埒なことを思っていたのは俺だけのようで、この場にいる者は妖精たちもキュレベル家の者も一様に目頭を抑えて涙をこらえていた。
……いや、俺だってもちろん感動してるけどさ。メルヴィの苦悩をいちばん間近で見てきたと思ってるし。
◆
復活祭が終わって。
俺はアルフェシアさんに頼んで時間を作ってもらっていた。
妖精郷の妖精たちの目のないところに来てもらう。
そこには緊張した面持ちでデヴィッド兄さんが待っていた。
王様は、デヴィッド兄さんを宰相にするにあたって、ひとつ要望を出してきた。
それは、デヴィッド兄さんがイルバラ姫と結婚することだ。
これはあくまでも「要望」ではあるが、今回の措置に不服な貴族を黙らせ、宰相としての仕事をやりやすくするために必要だとも言っていた。
「そんな……僕はともかく、イルバラ姫のお気持ちはどうするのです?」
デヴィッド兄さんが王様にそう聞いたが、その答えは俺にも想像がついた。
「イルバラはむしろ乗り気なのだよ。俺も政略結婚など時代錯誤なことを娘にさせたくないと思っていたのだが、本人がいいというなら俺から言うことは何もない。王家の婿としても十分な能力の持ち主だからな」
王様の答えを聞いて、デヴィッド兄さんは赤くなるやら青くなるやらで、かろうじて「改めてお返事させてください」と絞り出すように言っていた。
兄さんが気にしていることはわかる。
ルーチェさんのことを、まだ引きずっているのだ。
ルーチェさんが始祖エルフであるアルフェシアさんであることがわかって、兄さんも望みはないと理解している。
だけど純情なデヴィッド兄さんのことだ。つい先日までルーチェさんが好きだと言っていたのに手のひらを返したようにお姫様と結婚することに抵抗を感じているに違いない。
ひょっとしたらルーチェさんと結婚できないなら一生独身を貫くとまで思い決めてしまっている可能性もある。デヴィッド兄さんは論理の人だが、それだけにこうと思い決めたら融通はきかない。1+1は2であって、ひょっとしたら3でもいいかもとは思えないのだ。
俺も、ルーチェさんとのことについては、応援すると言ってしまった手前、少し責任を感じている。
でも、イルバラ姫は変人だけど悪人ではないし、研究者肌だから兄さんとはお似合いだと思う。黙ってれば美人だしね。
王様の言う通り、宰相としての仕事がやりやすくなるのも事実だろう。
王女に生まれたらやはり他国に嫁ぐことを考えるものだが、イルバラ姫は《血痕姫》の二つ名のせいで嫁にほしいという外国の王族や国内の有力貴族がいなかった。それでももちろん王女であることに変わりはないので、その婿になれば王族として扱われることになる。
とはいえ、兄さんを宰相にするのは俺が勝手に言い出したことだ。そのために望んでいない相手と結婚してくれとはさすがに言えない。
ただ、アルフェシアさんにこだわってデヴィッド兄さんが自分の幸せを蔑ろにしてしまうのも見ていられない。
そこで一計を案じて、アルフェシアさんとデヴィッド兄さんが1対1で話せる場を設けることにしたのだ。
……一応断っておくが、俺はこの場にはいなかった。
あとでふたりから話を聞いて再構成した話になる。
「ルーチェさん……いえ、アルフェシアさん」
「こんばんは、デヴィッドさん」
ふたりは挨拶を交わしたきり黙りこんでしまう。
沈黙を破ったのはデヴィッド兄さんの方だった。
「僕は、ルーチェさんのことが好きでした……いえ、今でもその気持ちはなくなっていません」
「……そうですか」
アルフェシアさんははにかむような表情を見せた。
どこか困っているようでもある。
「でも、アルフェシアさんは、人間である僕に興味はない」
デヴィッド兄さんがうつむいて言う。
「興味がない……というのは語弊があります。恋人になり、夫婦になり、家庭を築くことが考えられないということです。本当は、友人になることすら、遠慮した方がいいのかもしれません」
「……なぜです?」
「あなたなら、わかっているのではないかと思います。デヴィッドさんは、とても聡明な方ですから」
寂しげに言ったアルフェシアさんに、兄さんが顔を上げる。
兄さんはアルフェシアさんをじっと見つめる。
その瞳に宿るのは、愛情と欲望と未練と……それ以上は本人にしかわからない。
絶対に手に入れたいと思ったものが、絶対に手に入らない。
人生の中でそういうことはたくさんあるが、報われない恋ほどそれが先鋭化したものはないだろう。
兄さんは知識の蒐集家だ。
欲望のままに知識を貪り、咀嚼し、整理分別し、自分の糧としていく。
兄さんにとって知識欲は第4の欲望とも言えるもので、その欲望に限りなく応えてくれる王立図書館迷宮は兄さんにとって永遠に尽き果てることのない快楽の泉だった。
兄さんには、司書としての才能があった。
卓越した頭脳。記憶力。知識への貪欲さ。
それらは兄さんに図書館迷宮から快楽を貪ることを可能にした。
その兄さんにして、手に入らないものがある。
いくら知恵を絞ろうと、手にすることのできない者がいる。
「僕には……わからない」
兄さんはぽつりとつぶやいた。
「わからない。いや、あなたの言うことはわかる。わかってしまう。神の如き存在であるあなたと僕とでは、生きている時間の尺度が違う。仮に結ばれたとしてもそれはうたかたの夢であって、最期に訪れるのは悲しい別離だ。いや、ただの別離ならまだいい。タイムスケールの違いは意識の違いだ。優先することの違いだ。好みの違いだ。価値観の違いだ。結ばれても満たされるのは最初だけで、徐々に互いへの不満が溜まっていくことだろう」
「その通りです。悲しいことですが……」
アルフェシアさんが頷く。
「わからないのは、自分の気持ちだ。頭ではアルフェシアさんの言うことが正しいとわかっているのに、気持ちが言うことを聞かない。
僕は、イーレンス殿下がなぜあのような身勝手で理不尽な凶行に及んだのか、彼の犯罪を暴いた時にはまだ理解できていなかった。僕には及ばないとはいえ、あれだけの知性の持ち主が、どうして俗っぽい野心や嫉妬心に支配され、破滅への道を進んでいったのか、まったく理解できなかった。
でも、今なら少しはわかる気がする。人間には、時として自分にはどうしようもない欲望が沸き起こることがある。沸き起こるなんて言葉では生ぬるい。天から降ってくるように唐突に、抵抗のしようもなく、そういう気持ちがやってくる。そうなったら、もうおしまいだ。知性や自制心がなんの役に立つだろう? イーレンス殿下は知っていたのかもしれない。自分が破滅への道を歩んでいることを。知っていてなお、その歩みを止めることができなかったのだ。そういうことがありうるのだと、今の僕は知っている……」
「デヴィッドさん……」
「なまじ知性などあるからややこしい。僕は自分が手に入らないものを望んでいることを知っている。もし知らなければ、頑是ない子どものように駄々をこねることができた。そうしてあなたに愛想を尽かされた方がまだしも諦めがついたのかもしれない。あるいは、イーレンス殿下のように、破滅への道を進んで自らの願望に殉じることができたのかもしれない。そのような不幸こそが唯一の救いであったように思えてならないんだ。その意味ではイーレンス殿下は幸せだったのかもしれない。野心に理性で蓋をして不満を抱えて生きるより、破滅と知りながらも自らの願望の充足に賭けてみる。なるほど、それはそれでひとつの身の処し方だ」
デヴィッド兄さんは語り続ける。
アルフェシアさんに向かって話しているふうではない。かといって独り言でもない。聞いてもらいたくないが聞いてもらいたい。そんな矛盾した心理があったと、後で兄さんは言っていた。
アルフェシアさんは兄さんの哲学的な(あるいは衒学的な)語りを落ち着いた様子で聞いていた。
答えのない話だということは、ふたりともが承知していた。
あるいは、答えは明白だったとも言える。
しかしその答えは受け入れがたいものだった。
だから、いつまでも語る。延期する。理性の突きつける明快極まりない答えに抜け道がないものかと模索する。そして抜け道がないことを確認し、そのことを嘆き続ける。
兄さんの語りをすべて聞き終えて、アルフェシアさんは静かに言う。
「わたしは残酷なことを言っているかもしれません。でも、あなたにならわかると思うから言います」
アルフェシアさんは短く言葉を切る。
「時間です。時間が解決してくれるんです。受け入れられない痛みも、時間が経つとともに薄らいでいきます」
「僕には、薄らぐこと自体が、自分の今の気持ちへの冒涜のように思える」
「あえて言います。今の気持ちに殉じることで、あなたの人生を台無しにしてはいけません。わたしのような異質な存在のために、あなたの幸せを損なってはいけません。あなたには幸せになる義務があります。権利ではありません、義務です」
「義務……」
「あなたを大事に思う人がたくさんいます。エドガー君は、前世では兄がいなかったからデヴィッドさんと親しくできて楽しいと言っていました」
「……そうですか」
「わたしも、あなたのことを大事に思うひとりです。わたしのために道を誤らせるわけにはいきません。わたしは、あなたに幸せになってほしい」
「幸せ、ですか……。でも、あなたのいない幸せなんて……」
「そういう幸せも、あります。何もかもが思い通りにはなりません。願望と異なる現実に違和感をおぼえることもあるでしょう。でも、それをも含めて生きるということなのです。わたしの人生が、多くの親しい人たちとの悲しい別れによって構成されているように」
アルフェシアさんの瞳がわずかに翳る。
そこに宿る深い悲しみに、デヴィッド兄さんは気づくことができた。
「デヴィッドさん。あなたにならできるはずです。折り合いのつかない感情と距離を置いて、自分の人生を冷静に眺めることが。あなたは感情に流されるだけの人ではありません。そんなあなただからこそ、近づくことのできる人生の真理があるのです。あなたは、真理に殉じられる人です。感情に溺れるより、その方がずっとあなたらしい」
ふたりの間に沈黙が落ちた。
妖精郷にも瞬く星がある。
満ちては欠ける月がある。
テテルティア妖精郷を生み出したアルフェシアさんは、そのような自然のうつろいから無縁の人ではない。
人の感情の機微に気づかないでいられるような人ではないのだ。
だからこそ、デヴィッド兄さんは彼女に惹かれた。
彼女とともに歩みたいと思った。
しかし、その望みが叶うことはない。
天才と呼ばれるデヴィッド兄さんがいくら努力したところで、空に輝く星をその手につかむことはできないのだ。
「……真理、か。そう言われては、僕は認めるしかない。叶わぬ恋だったのだと」
デヴィッド兄さんは絞り出すように言った。
その言葉を口にする兄さんはいかにも苦しそうだった。
「あなたは、腹違いの兄を陥れようとしたという第二王子とはまったく違います。もしあなたの気持ちがまったく身勝手なものだったら、わたしは冷たく拒絶するだけで済みました」
アルフェシアさんはやや遠慮がちにそう言った。
デヴィッド兄さんが、吠え猛けた。
「あああああああっ!」
髪をかきむしり、しゃがみこむ。
アルフェシアさんがその肩に手を伸ばそうとしてためらう。
その間に兄さんは立ち上がっていた。
「……わかりましたよ。これ以上ないほどに、わかりました」
そうつぶやいたデヴィッド兄さんの顔からは、少しだけ、憂鬱の色が薄れていた。
◆
デヴィッド兄さんとアルフェシアさんが話し合っている間、俺はひとり王都に戻り、輪廻神殿の祭壇から女神様に呼びかけていた。
『――呼んだかしら?』
女神様の声が脳裏に響く。
「ああ。話しておくことがあって」
俺は頭を整理してから話し出す。
「アルフェシアさんから聞いたんだ。始祖エルフであるアルフェシアさんを剥落結界に封じたのは、魔法を司る神アッティエラだったらしい」
『なんですって!?』
女神様が驚く。
やはり、女神様もこのことは知らなかったようだ。
『どうして善神である彼女がそんなことを……』
「アルフェシアさんの説明によれば、アルフェシアさんが危険だから、だそうだ」
『危険……?』
「ああ。アルフェシアさんが言うには、アルフェシアさんは戦闘にはあまり向かないものの、魔道具の作成によって他の始祖エルフや原始人類たちを助ける役割にあったんだってな」
『ええ、その通りよ。彼女の創り出した魔道具のおかげで、わたしたちがどれだけ助かったことか。彼女が封印されていなければ、今頃悪神モヌゴェヌェスの勢力はずっと小さくなっていたはずよ』
「それこそが、アッティエラがアルフェシアさんを危険視した理由らしい。危険視というか、自分に対する潜在的な脅威だと思ったみたいだな」
『潜在的な脅威ですって?』
「始祖エルフは、半神と呼ばれてはいても、現実問題として神の階梯には手が届かない……らしいな。『半』神の、残りの半分がどうにもならない部分なんだと」
『それは……その通りね。始祖エルフはあくまでも地上の存在よ。それにしたって力を持ちすぎているから、地上が落ち着いたら天に昇らせる計画だったわ。結局、悪神勢力との戦いによってアルフェシアさん以外の始祖エルフはみな命を落としてしまうのだけれど』
「アルフェシアさんの専門は魔道具だ。他の始祖エルフとは違って、自分の『外』に力を蓄えることができる。個々の魔道具の力は限定的なものかもしれない。だが、それが束になったら? あるいは、魔道具作成の技術に大きなブレイクスルーが起きたら? それは、アッティエラの管理する魔法レジストリよりも汎用的で強力な技術となってしまうおそれがある。要するに、アッティエラは自らの神としての地位が危うくされることを恐れて、アルフェシアさんを封印したんだ」
『そういうこと……! くっ、アッティエラ……。前から神としての権能にこだわってはいたけれど、まさかそんなことまでしていただなんて……』
「今のところ、証言はアルフェシアさんのものだけだけどな。信頼性は高いと思う」
『そうね。あぁ……とんでもないことになったわ。こうなってはあの子のことをこれ以上かばうこともできない。善神たちを集めて対処を協議しなくては……』
珍しく、感情を露わにする女神様。
魔法神アッティエラと女神様の間には確執があるみたいだとは思っていた。
〈八咫烏〉の一件の後の成長眠で、女神様がメルヴィに加護を授けようとしたら、アッティエラによって妨害されたことがあった。
それでも女神様は、少し腹を立てることはあっても、本気で怒ってはいなかったと思う。
「すまないが、究明はそちらで頼む」
『もちろんよ。むしろ、地上の人間に心配をかけているようじゃ神様失格ね』
ため息まじりに言う女神様に、気になっていたことを聞いてみる。
「アッティエラだけど、悪神と通じてるようなことはさすがにないよな?」
『うーん……さすがにないと、思いたいけれど。こんな裏切り行為をしているなんて思ってもなかったから、自信を持ってないとは言えないわね。でも、どちらかといえば、悪神とは関係なくアッティエラ自身の独断で動いたのだと思うけれど』
「アルフェシアさんが封印されたことについて、当時は究明を行わなかったのか?」
『悪神側の使徒に、有力な容疑者がいたのよ。その使徒は他の始祖エルフたちの攻勢によって倒したわ。結局その使徒がやったという証拠はなかったのだけれど、これ以上は解明不能と見て究明はそこまでとなったの』
「そういうことか……」
ひょっとすると、その容疑者についてもアッティエラがそれとなく誘導を行ったのかもしれないな。女神様たちは仮にも善神がそんなことをするとは思ってもいなかったようだから、アッティエラの言い分を真に受けてしまったとか。
『……そうだ、せっかくだからこの機会に話しておくことがあったわ』
女神様が出し抜けにそう言った。
『エンブリオバグのことよ。あなたが封印したエンブリオバグから、大量のカースを抽出することができたの。このカースを浄化して、通常のレベルアップとは別の形であなたへの報酬とさせてもらうわ』
「……いいのか?」
『ええ。今回の件の立役者だもの。今から送るわね?』
俺の目の前にからんと音を立てて薄い箱のようなものが落ちた。
前世のスマホのような大きさのそれを拾ってみると、それはまさしくスマホだった。スマホの画面には笑顔で手を振っている女神様。
「……これは?」
『いちいち祭壇に接続するのも面倒でしょう? 連絡用に用意させてもらったわ』
「ありがたいけど、いいのか? 地上への干渉はご法度なんじゃ……?」
『それ、もともとはアルフェシアさんが千年以上前に作っていたものなのよ。わたしはそれを回収して、地球のスマートフォンと似たようなインターフェイスに書き換えただけ』
「いや、それ十分干渉してるだろ」
『そもそもなぜ干渉できないのかというと、悪神側に付け込まれるおそれがあったからなのよね。でも、杵崎がいろいろしでかしたせいでモノカンヌス周辺の余剰次元は混乱しているわ。今なら多少の無理も可能ということ』
「そうか。助かる」
『祭壇と同じ機能を組み込んであるから、【スキル魔法】もそれを介して使えるわ。今回のエンブリオの件では、あなたは祭壇から身動きできなかったものね』
アスラの体内にしまっていたエンブリオモンスターについても、女神様が構築したステータス修正のためのサブルーチンで元の人間に戻すことに成功している。
アスラのことは今後はアルフェシアさんに定期的に診てもらうことになった。
ナイトの人格を取り出して別の身体を与えられないかということもアルフェシアさんと相談していくことになっている。聖剣〈空間羽握〉にコピーされたシエルさんの意識についても同様だ。
そうだ、いい機会だから聞いておこう。
「アスラとシエルさんのことなんだけど、女神様の力で身体を与えてやることは無理か?」
『う~ん……そのレベルの干渉となると、さすがに危険が大きいわね。アルフェシアさんと相談してもらうしかないかしら』
アルフェシアさんはメルヴィたち妖精を「作った」人だから、魂の器となるようなものを作ることは技術的には可能らしい。
ただ、古代と違って現在ではアルフェシアさんの手元にそれだけの素材がないと言っていた。この素材というのは女神様のギフトに似た性質のものだという。
『今回回収できたカースは多いから、何かの時に融通してあげることは可能よ。アルフェシアさんにそう伝えておいて』
「わかった」
聞いておくことはこんなものかな。
これからはこのスマホ(のようなもの)を使っていつでもやりとりすることができる。
聞き逃したことがあってもまた聞けばいいだけだ。
俺はまだ祭りの余韻に浸っているはずの妖精郷に戻ることにする。
◇
妖精郷で人間に利用可能な宿泊場所は一箇所しかない。
キュレベル一家はアルフェシアさんの家として使われていた(そして今後また使われる)屋敷に投宿している。屋敷の名前は青薔薇荘というらしい。
俺が青薔薇荘に戻ると、なぜかみんなが食堂に集まっていた。
てっきりもう寝ているとばかり思っていたのだが。
「お、やっと来たね」
チェスター兄さんが俺を見て言った。
「もしかして俺を待ってた?」
俺が聞くと、一同がこくりと頷いた。
それは、悪いことをしてしまったな。
食堂にはアルフレッド父さん、ジュリア母さん、ベルハルト兄さん、チェスター兄さん、デヴィッド兄さん、ステフ、エレミア、メルヴィ、アスラの姿があった。
といってもアスラはソファに横になって眠っている。幸せそうな横顔だ。エンブリオモンスターを「しまった」ことで問題が起きないか心配していたが、アルフェシアさんも大丈夫だと保証してくれている。ただし、心身ともに、成長とともに歪みが生じる可能性があるから定期的に診せてほしいとも言われた。もちろん、こちらとしてもありがたい。
ここのところ思い詰めている様子だったデヴィッド兄さんも、少しだけ吹っ切れた様子で食堂の隅に座っていた。
一同の中心にいるのはアルフレッド父さん――かと思いきや、その隣りにいるジュリア母さんのようだった。
「――ジュリア」
父さんが促すと、ジュリア母さんが小さく頷いて席を立つ。
「今日は、みんなに発表があります」
珍しく改まって母さんが言う。
母さんは右手でお腹をさすりながら、はにかむように口を開く。
「うふふ……できちゃったみたい」
その言葉に、一同が一瞬ぽかんとした。
母さんは幸せで蕩けそうな顔をしている。
できたって……まさか。
「そう! エドガーくんとエレミアちゃんに弟か妹ができましたぁ!」
……マジか。
って、そりゃ夫婦なんだからいつかはできると思っていたけど。
女神様も、父さんが軍神に注目されたことで子どもができやすくなるはずだって、随分前に言ってたし。
真っ先に反応したのはステフだった。
「奥様、おめでたですね!」
どう反応していいかわからなかったふがいない男性陣に先んじて、ステフがお祝いの言葉を述べる。
「わわっ、ボクにとっても弟か妹になるんだねぇ」
エレミアも珍しくテンションの上がった声を漏らす。
こういう時、やっぱり女性たちの反応は早いな。
「へぇ~、ジュリアさんのお腹の中に新しい子どもが……」
と、メルヴィも興味深そうに母さんのお腹の前を飛んでいる。
そうか、妖精たちは子を産まないから、人間の妊娠が珍しいんだな。
「む~、赤ちゃんがいる……?」
寝ていたはずのアスラまでいつの間にか輪に加わって、不思議そうな顔で母さんの腹を撫でていた。
置いて行かれた男性陣も我を取り戻し、口々に祝いの言葉を述べていく。
父さんだけは事前に知らされていたらしく、ちょっと気恥ずかしそうにしていた。
弟か妹か。
前世ではきょうだいがいなかったから楽しみだ。
時間とともに、キュレベル家も変わっていく。
世の中も、それ以上の速度で変わっていくだろう。
正確には、俺とデヴィッド兄さん、そして復活したアルフェシアさんも加わって、世の中を大きく「変えていく」ことになる。
そのことに不安がないと言ったら嘘になる。
でも、この世界から悪神の脅威を取り去るためには、やはり必要なことなんだと思う。
それに、ここにいるみんなとならきっとやれる。
おめでたの母さんを囲んではしゃぐ家族たちを見ながら、俺はひとりやる気を新たにしていた。
〈王都編〉これにて完結です。
正直なところ、王都編は反省することが多かったです。
いちばんの反省点は、思った以上にボリュームが膨らんでしまったことですね。
なろうの場合ボリュームが膨らむということは投稿開始から投稿終了までの時間が実時間で何ヶ月もかかってしまうということで、大変じれったい思いをさせてしまったのではないかと反省しています。
この点やそれ以外についても、いろいろとご批判をいただいておりました。
ご批判は謙虚に受け止めつつ、完結まで止まることなく書き続けていきたいと思っております。
至らぬ点も多いと思いますが、今後とも『NO FATIGUE 24時間戦える男の転生譚』をよろしくお願い致します。
次話、一週間以内には更新できると思います。
次話からはいよいよ新章です。まさかの?あの人物が再登場することになります。
乞うご期待!




