108 図書館迷宮の幽霊
地下空洞から戻り、ベックをシエルさんに治療してもらったその日のうちに、俺はデヴィッド兄さんから俺の留守中に切り裂き魔が第六の事件を起こしていたことを聞かされた。
術くらべ、ベックの盲腸と来て今度は切り裂き魔事件。普通なら休ませてくれと言いたくなりそうなところだが、そこはさすがの【不易不労】で精神的にはストレスフリーだ。
とはいえ、頭の切り替えは疲れとは関係がない。次から次へと切り裂き魔にまつわる仮説やら関係のない事件やらが湧いてきて、俺の頭は沸騰しそうだった。
第六の事件は、これまでの事件とは様相を異にしていた。
まず、被害者。今回切り裂き魔の犠牲となったのはハーフエルフの冒険者だった。Cランクの冒険者だが、実力面ではBランクに足をかけているレベルで、にもかかわらずランクが上がらないのは素行が悪かったせいだという。
つまり切り裂き魔は、Bランク冒険者相当の実力者を殺せるだけの力を持っているということになる。
この点は、これまで女子どもばかりを狙っていた切り裂き魔の意外な面を見たという見方もあった。しかし俺は、切り裂き魔が相当な実力者である可能性については既に検討している。これだけならそこまで意外だとは思わなかっただろう。
しかし1点だけ、強烈に違和感を覚える点がある。
この冒険者は男なのだ。ハーフエルフだけに美形で、女装でもすれば女に見えなくもないという話だったが、冒険者としての装備を整えた状態の彼を見て女と見間違えるほどではなかったという。
死体は喉と腹を切り裂かれていたが、当然のことながら現場から子宮は見つからなかった。
腹も、子宮を取り出そうとして切り裂いたというよりは、おざなりに横一文字に切り裂いたという感じだったから、切り裂き魔が被害者を女性だと誤認していたとは思えない。
切り裂き魔は被害者が男であることを承知の上で襲ったということになる。
異質な点は他にもある。
そのひとつは、死体の状態だ。
手足が引きちぎられ、現場の周囲に散乱していた。
散乱の度合いとしては、第四・第五――二重殺人の時よりひどかったという。
何者かが食い散らかしたような感じを受けたと、コルゼーさんからは聞かされた。
また、被害者の顔が恐怖に固まっていたのも特徴だった。
これまでの切り裂き魔の犠牲者はきわめてあっさりと殺されている。そのため、この猟奇殺人犯は生きたままの拷問には興味がないものと思われていた。
しかし、今回の被害者は違った。医師の鑑定によれば、被害者は生きたまま手足を先から順に引きちぎられた上で失血死したという。喉と腹の傷はその後でつけられたものなのだそうだ。
このように、今回の事件にはこれまでの切り裂き魔事件とは異なる点が多々あった。
捜査本部でもこのことは議論になっており、切り裂き魔が凶悪化したという解釈を取る者と、切り裂き魔の模倣犯が現れたのではないかと考える者の二派に分かれたという。
が、捜査機密となっている「X」の印が発見現場である路地裏の壁面に複数殴り書きされていたことが決定的な理由となって、模倣犯の線はないという結論に至ったらしい。
「兄さん、ベルハルト兄さんの【事件察知】はどうだったの?」
俺はデヴィッド兄さんに聞いてみる。
デヴィッド兄さんの返事は意外なものだった。
「それが、それらしき反応がなかったというんだ」
「えっ? でも、被害者を苦しめて殺してるんだから、強い反応が生まれたはずじゃ……」
「ベルハルト兄さんの説明が正しければ、その通りだね」
「……ベルハルト兄さんが嘘を吐いてると?」
「そんなことはないと思うけど、【事件察知】の性能を誤認している可能性はあるだろう」
たしかに否定はできないが、「たまたま反応しなかった」とか「認識できる範囲を誤って把握していた」とかじゃ、どうにもすっきりしないよな。
「ベルハルト兄さんは冗談めかして、やはり死霊の仕業なんじゃないかと言ってたけどね」
デヴィッド兄さんが苦笑交じりに言った。
それについては、ちゃんと説明しなくちゃいけないな。
俺は地下空洞であった出来事をデヴィッド兄さんに説明した。
「……なるほどね。死霊術師説、地下通行説、いずれもが成り立たないと。いい検証結果だよ、エド。一度だけ出現したという悪魔のことも気になるね」
「それから……」
これは言うかどうか迷ったのだが、デヴィッド兄さんにも関係の深い話だ。話さないわけにもいかないだろう。
俺はベアトリーチェ姫の亡霊が図書館迷宮の中にいる可能性があるという話をデヴィッド兄さんにする。
もちろん、俺もデヴィッド兄さんも「ある人物」を連想せざるをえなかった。
「……率直に言えば、僕もそれを疑わなかったわけじゃないんだ」
兄さんが眉根を寄せながらそう言った。
「まず王立図書館迷宮は、旧市街の死体発見現場から近い。第三の事件のヴィステシア子爵邸や、第四の事件の発見現場である城壁は、図書館から半時刻くらいの距離しか離れていない」
言われてみれば、どちらも1時刻もあれば往復できる場所だ。
「でも、新市街の現場は遠すぎるんじゃ?」
「エドが言っていただろう。人に取り憑くことで外に出られるかもしれないと。それなら、取り憑く相手を切り替えていくことで、夜のうちに新市街まで出られるかもしれない」
「うーん……時間的に厳しくないかな。それに金門橋は夜間は通行がないから、金門橋だけは亡霊が自分の足で越えたことになるけど」
亡霊に足はないだろうけどな。
仮にそうだとしたらずいぶん「フットワーク」の軽い亡霊だということにもなる。
「難点の多い仮説であることは事実だけど、検証だけはしてみよう」
というわけで、巡査騎士たちに頼んで実験をしてみた。
亡霊になったつもりで、目についた人間に「取り憑いて」、その後を尾行する。そして目的地への経路から逸れそうになったら尾行をやめ、他の人間に「取り憑く」ということを繰り返すのだ。なんだか子どもの遊びみたいな実験だが、巡査騎士たちは真剣に職務に当たってくれた。
これによって、旧市街の王立図書館から、もっとも遠い第六の事件の新市街の現場まで、およそ3~5時刻ほどで行き着けることが判明した。(時間に幅があるのは「取り憑く」相手の当たり外れによってかかる時間が大きく変わるからだ。)
……なお、尾行の途中で一部の巡査騎士(私服)が不審者として尾行対象から巡査騎士団に通報されるというトラブルもあった。前世の警察に比べると、巡査騎士団はやはり捜査のプロとは言いがたい面があるな。有事の際には普通に軍隊としても戦うということだから、この国では軍と警察とがまだ未分化なのだ。
「つまり、亡霊が憑依対象をリレーすることで新市街の現場までを往復することはギリギリ可能だってことか」
「本当にギリギリではあるけどね。それに、切り裂き魔事件は最初に新市街で起きて、途中から旧市街でも起きるようになった。図書館迷宮の幽霊が切り裂き魔なら、この順序は逆の方が自然だ。図書館迷宮は旧市街にあるんだからね。とはいえ、亡霊の事情なんてわからないから、僕らにはわからない理由や制約があるのかもしれない」
結局、図書館迷宮の幽霊が切り裂き魔である確定的な証拠はない。
しかし、そうでないという証拠もない。
「エド、君は切り裂き魔事件が起きた日に、ルーチェさんと会ったことがあるかい?」
デヴィッド兄さんが聞いてくる。
「ルーチェさんと最初に出会ったのは、第三の事件の後だね。次に会ったのは、第四、第五の事件の直後か。第六の事件は、俺が地下空洞に潜る前日だったけど、この日もルーチェさんには会ってないね」
つまり、俺はルーチェさんのアリバイの証人とはなれないということだ。
「だけど、ルーチェさんとはもともとそう頻繁に会ってるわけじゃないし。それだけならたまたまの可能性が高いよ」
俺がそう反論すると、
「うん。僕もそう思っていたんだけどね……。調べてみると、注目すべき事実が見つかった。ルーチェさんは図書館迷宮の受付を通ってなかったんだ」
「なんだって!」
受付というのは、俺が一度門番の騎士に呼び止められたあの場所のことだ。
あそこを通らずに図書館迷宮に入ることはできないはず。
「材料はまだある。エドはベアトリーチェ姫の伝説についてはどこまで知ってる?」
「歌姫として有名だったベアトリーチェ姫は妻子ある男性との間に不義の子どもを身ごもったことで、喉と腹とを裂かれて殺された……と」
「伝承によれば、ベアトリーチェ姫は亜麻色の髪と灰青色の瞳が印象的な美女だったらしい」
「ルーチェさんと同じか……」
ルーチェさんの髪は亜麻色で、瞳は灰青色だ。美女というにはいくつか若いかもしれないが、美形であることに違いはない。
名前も似ていて、伝えられている容姿も共通している。その上、喉と腹を裂かれるという点では、切り裂き魔事件との共通点すらあった。
考えたくはないが、昔自分が受けた仕打ちを恨んで切り裂き魔として若い女を無差別に襲っている? いや、第六の事件の被害者は男だったが……。
俺が考え込んでいる間に、デヴィッド兄さんが続ける。
「それから、ルーチェさんが竜騎士団のことを知らなかったことだ。竜騎士団の設立はイルガンド3世の御代。一方、ベアトリーチェ姫はその一代前に当たるイルガンド2世の王女だった」
「ルーチェさんの知識が死亡した時点で止まっていたとしたら辻褄が合うってことか……」
俺の言葉にデヴィッド兄さんが静かに頷いた。
「だけど、ルーチェさんが死霊だとしたら、メルヴィや俊哉が気づかないわけが……」
言いかけて、俺は気づいた。
――ルーチェさんとメルヴィは、これまで一度も顔を合わせていない。
これはたまたまではないだろう。
メルヴィが来る直前に、ルーチェさんがあわてていなくなったことがある。
その時点では、その2つを繋ぎ合わせて考えてはいなかったが、ルーチェさんが何らかのスキルでメルヴィの存在を感知していたとしたら?
嘘を見破り、悪人には見ることのできない妖精との接触を、ルーチェさんが意図的に避けていたのだとしたら?
他にも怪しむべき点はある。
何より、ルーチェさんには【真理の魔眼】が通じなかった。
通じなかったというか、正確には素通りしたのだ。
その時はその意味はわからなかったが、つい昨日、再び同じような経験をした。〈バロン〉と〈クイーン〉を【真理の魔眼】で見ようとしたら、ルーチェさんの時と同じように素通りしたのだ。
この「素通り」が同じ理由によるものなのだとしたら、ルーチェさんは死霊だということになる。
考えれば考えるほど、ルーチェさんが疑わしく思えてくる。
ルーチェさんはいまだに俺たちに本名も家名も教えてくれていない。
あのやわらかい笑みを浮かべるルーチェさんが猟奇殺人犯だとはとても想像できないが、ルーチェさんが死霊なのだとしたら、特殊な条件下でのみ妄執に囚われて人格が変わる……などという可能性もある。
「どうする? ルーチェさんに直接聞くの? メルヴィを呼ぼうか?」
メルヴィは今、妖精郷でご主人様解放祭の準備をしている。
剥落結界解除作業は順調に進んでいるから、近いうちにメルヴィのご主人様は開放される。
その日に合わせて、妖精郷では盛大な宴を開くことにしたらしい。
メルヴィが根を詰めている感じなので、セセルとセセラが開放祭の企画を持ちだしたのだという。
それはともかく、事件関係者から話を聞くなら、メルヴィがいれば便利だ。便利妖精扱いして申し訳ないけど、ルーチェさんが本当のことを言ってるかどうかの判定ができる。
ルーチェさんがメルヴィを避けている(かもしれない)理由もわかるだろう。
しかし、
「――いや、これは僕と君とで話すべきだよ」
デヴィッド兄さんが反対した。
「ルーチェさんは僕たちの共通の知人だ。僕としては友人だと思っている。僕は友人を試すような真似はしたくない」
デヴィッド兄さんがきっぱりと言う。
これは遠回しに諭されてしまったかな。
たしかに、それは兄さんの言う通りだ。切り裂き魔の嫌疑があるからって、友人をいきなり試すわけにはいかない。
だけど、直接聞くというのも考えものだ。
何より、相手はデヴィッド兄さんの初恋の人なのだ。切り裂き魔の嫌疑なんてかけたら、たとえルーチェさんが切り裂き魔でなかったとしても、兄さんの初恋が実ることはなくなってしまうだろう。
そもそも……ルーチェさんが切り裂き魔だった場合、デヴィッド兄さんは自分の気持ちをどうするつもりなんだろうか。
「……もしそうだったとして……兄さんはどうするの?」
俺はおそるおそる聞いてみる。
「――告白する」
「……え?」
「ルーチェさんに告白する」
「な、なんでそんな結論に?」
「話を聞いてから態度を変えるなんて嫌だ。ルーチェさんが幽霊だろうと人だろうと図書館への不法侵入者だろうと構うものか。ルーチェさんはルーチェさんだ」
「でも、伝説の通りなら、その、不義の子を身ごもって……」
「それが、何だというだい、エド? 誰にだって過去はある。そんな過去の連続として現在のルーチェさんがあるのだとすれば、僕は過去のこと一切合財を含めて、ルーチェさんを受け止めたい。
だから、僕はルーチェさんに、そのことを聞かずに告白する」
何とまぁ……。
「うん、応援するよ、兄さん」
「ありがとう。じゃあ、早速だけど、相談に乗ってくれないか。エドは僕より年下だけど、前世のことも含めて僕よりは常識に通じているからね」
「そりゃもちろん。といっても、どうやって告白するか、だよね?」
「そう。それが問題だ……。恋文を書くべきか、詩を贈るべきか……」
「なんで第一と第二候補がその2つなんだよ!」
「えっ……でも、古典演劇ではたいてい……」
「文学のことは当面頭から閉め出してよ」
まぁ、デヴィッド兄さんもルーチェさんも美形だから、案外ハマる可能性も……いや、ないだろさすがに。
「じ、じゃあ、どうするというんだい?」
「ふつうに口で言えばいいじゃないか。好きです、付き合ってくださいって」
「なっ……す、つ……っ!」
「……いや、恋文を書いたり詩を贈ったりする方がハードル高いと思うんだけど」
「いや、エド、いいかい? ひ、人というのは、おのれの感情を表現するために、さまざまな表現形式を生み出してきたんだ。そのひとつが散文であり、韻文であるということなんだ。この文明の叡智を無視して、直接的な言葉で好意を伝えるというのは、ぼ、僕にはとうてい正解のようには思われないのだが……!」
もごもごとそんなことを言って兄さんが渋る。
め、めんどくせぇ! 想像以上にダメだぞ、この人。
「えーっと……デヴィッド兄さんは、ルーチェさんのことをそのまま受け止めるんでしょう? それなら兄さん自身も、兄さんのそのままの気持ちを伝えるべきなんじゃないの?」
「う……それはたしかに」
「それに、今兄さんが抱いている感情は、人間の持つ感情の中でももっとも尊いものでしょ? どうしてそれを伝えるのを恥ずかしがる必要があるの?」
「う、あ……そ、それは……」
「……いや、わかるよ。俺だって、誰かに告白しようと思ったら緊張する。恥ずかしいとも思う。失敗したらどうしようって思う」
そんな経験はないけどな!
「でも、だからこそ、それを乗り越えて告白してくれたことに、相手は感動するんじゃないの?」
「――っ!」
珍しく、兄さんが絶句した。
そしてしばらく考え込む。
しばしの間、沈黙が流れ――
「……うん。そうだね。エドの言う通りかもしれない」
デヴィッド兄さんが、決然とした顔でそう言った。
◇
というわけで、その翌日。
俺とデヴィッド兄さんはいつもの閲覧室へと向かった。
ルーチェさんとはとくに日時の約束などはしていない。一緒になったら協力しあうという関係だ。
だから、下手をすると覚悟を固めて閲覧室に行ったのにルーチェさんはいない、という可能性もあったのだが、
「……いた」
俺は閲覧室の中を、その手前の角から覗きながらそう言った。
俺の言葉を受けて、背後にいたデヴィッド兄さんがぎくしゃくとした動きで閲覧室へと入っていく。
ここで盗み聞き――もとい、見守るという選択肢もないわけではないが、さすがに遠慮すべきだと思う。
俺はルーチェさんに気づかれないよう気配を殺して図書館迷宮の廊下をゆっくりと下がり、近くにある別の閲覧室で時間を潰すことにした。
もちろん、ここからでも2人の気配は感じ取れる。
そうでなければ、最悪の場合――ルーチェさんが切り裂き魔ないし悪霊で、デヴィッド兄さんに襲いかかろうとした場合に助けに入ることができないからな。
デヴィッド兄さんだって俺による魔改造によって常人ではないレベルの戦闘能力があるから、よほどのことがない限り遅れをとることはないと思うが……。
デヴィッド兄さんからは、15分ほどしたら来てくれるよう言われている。
15分がこんなに長く感じたのは初めてだ。
俺は次元収納から腕時計を取り出し、15分が経ったことを確認してから、2人の待つ閲覧室へと向かった。
そこには――
真っ白になって椅子にもたれかかったデヴィッド兄さんと、顔を赤くして泣いているルーチェさんとがいた。
おいおい……これ、どうやってフォローしたらいいんだ?
「……兄さん、ルーチェさん」
とりあえず、こちらに気づいていない2人に声をかける。
「ああ……エドか。ご覧のとおりさ」
デヴィッド兄さんが投げやりに言った。
「ごめんなさい……」
ルーチェさんがうつむいて言う。
「ええっと……兄さんが告白して、ルーチェさんがそれを断った……んでいいんですよね?」
兄さんがびくりと震えたが、他に言いようが思いつかなかったのだ。
ルーチェさんが答えてくれる。
「は、はい……」
「その……理由は? デヴィッド兄さんは博学で頭がいいし、侯爵家の三男でもある。見ての通りイケメンだと思うし、ルーチェさんとも話が弾んでたと思うんだけど」
「それは……そうだと思います。でも、わたしにはそのお気持ちに応える資格がないんです」
「資格……?」
「はい。ごめんなさい……もうすぐ、ここには来られなくなるんです」
ルーチェさんの言葉に、デヴィッド兄さんが弾かれたように顔を上げた。
「そんな……! まさか、僕が告白なんかしたせいで……?」
「ち、ちがいます……よ?
私にも事情があってですね……。
とにかく、え~っと……ご、ごめんなさい……っ! どうしても無理なんです!」
再度の拒絶に、デヴィッド兄さんが抜け殻になった。
前世のボクシングアニメの名シーンそのままの格好で、兄さんが椅子にもたれかかって灰になる。
要するに、ルーチェさんの訳ありの部分が、告白を断った理由なのか。
ただ、兄さんには悪いけど、ルーチェさんの様子を見ていると、「訳あり」がなかったとしてもこの告白が成就したかは怪しかったかもしれないな。ルーチェさんはあくまでもデヴィッド兄さんを友人として見ているようだし、そもそもルーチェさんには恋愛を求める気持ちがないようだ。
この点は、俺にもう少し恋愛経験値があったら、事前に探りを入れるようなことができたのかもしれない。兄さんには悪いことをしてしまった……。
しかし、告白が失敗となると、他に聞きたかったことが聞きにくい。
いや、逆に、もう直接聞いてしまえばいいのか。
今ならルーチェさんも答えてくれるだろう。
「……もう面倒なんで直接聞きますけど、ルーチェさんは図書館迷宮の幽霊――伝説のベアトリーチェ姫では、ないですよね?」
「え、ええ~~っ! わ、わたしはそんな人ではありませんよ?」
ルーチェさんは心底驚いた様子で言った。
「じゃあ、ルーチェさんは実は悪魔か悪霊で、切り裂き魔として夜な夜な人を殺していたりは……?」
「し、しませんっ! ひどいです! そんなこと疑ってたんですか!? それでデヴィッドさんの様子がおかしかったんですね!?」
いや、兄さんの様子がおかしいのは単なる恋煩いだけど。
ルーチェさんは自分の魅力について無自覚だよな。どんな環境で育ったらこんなふうになるんだか。
「いえ、本気では疑ってないですよ。ルーチェさんがベアトリーチェ姫だとしたら、眼鏡をしてるのはおかしいですし」
そう。今更になって気づいたのだが……昔の幽霊が眼鏡をかけているのはおかしい。
この時点で、ルーチェさんが図書館迷宮の幽霊でないことがわかっていてもよかった。
切り裂き魔の容疑の方は完全には否定できないが、これが全部演技だとも思えないんだよな。
「デヴィッド兄さんは、もしルーチェさんが幽霊だったとしても構わない、想いを伝えるって言って聞きませんでした。それだけ真剣に、ルーチェさんのことが好きなんです」
「えっ……」
「ちょ……っ、エドガー!」
ルーチェさんの頬が再び赤くなる。元が白いから見事にバラ色だ。
「だから、無理強いはしませんけど、もし話せるようなら、兄さんにルーチェさんのことを教えてくれませんか? 振るにしても、このままじゃ諦めきれないと思いますので」
ルーチェさんのことをまっすぐに見据えながら、俺はそうお願いする。
ルーチェさんが訳ありなのは確実だし、デヴィッド兄さんに脈がなさそうなのもわかっている。それでも、せっかくの初恋なのだ。何もわからないままでは兄さんが可愛そうだ。
「……ふぅ。たしかに、このままではいけませんね。
まず、最初に言っておきたいのですが、デヴィッドさんのお気持ちはとても嬉しかったです。でも、わたしには伴侶を持つことが考えられません。これは、今の気持ちというだけではなく、長い時を生きてきて至った結論ですから、曲げるつもりはありません。だから、デヴィッドさんの……そのぅ、告白には、応えることができません。ごめんなさい」
ルーチェさんの言葉に、デヴィッド兄さんの首ががっくりと折れた。
「次に、どうしてわたしが素性をお話しないかということですが……これについても、詳細を話すことができません。これは、わたしの大事な大事な……なんと言えばいいのでしょうか、友だちといいますか、連れ合いといいますか、そのような方に対する義理立てのようなものです。
でも、その義理立てはもう少しで終わりそうです。その時には、改めてデヴィッドさんとエドガー君の前に現れて、一切の事情を説明させていただきます」
ルーチェさんの言うことは、はっきり言ってよくわからないのだが、ルーチェさんなりに誠実に答えようとしてくれているのはわかる。
「もう少しというのは、どのくらいですか?」
「本当にもう少しですよ。おそらく、2週間はかからないでしょう」
ずいぶん具体的だ。
「最後に、街を恐怖に陥れている切り裂き魔とわたしには何の関係もありません。わたしは幽霊や悪霊や、ましてや悪魔でもありません。では何かと言われると……」
ルーチェさんはそこで言葉を切って、ちらりと、デヴィッド兄さんではなくなぜか俺を見た。
そこで、俺は不意に既視感に襲われた。そういえば、最初にルーチェさんに出会った時にも、どこかで会ったことがあるような気がしていたのだ。結局気のせいだと思って、これまで掘り下げることはしてこなかったのだが……。
「まだ、答えられません。ですけど、悪いことはしていないということだけは、信じていただいて大丈夫です。信じてくれます……よね?」
「も、もちろんです」
不安を浮かべ、上目遣いに聞いてくるルーチェさんに、デヴィッド兄さんが即答した。
ちょろいな、と思ってしまったが、ルーチェさんが計算してやっているようには俺にも見えなかった。
「その日まで……もうここには来ない方がいいでしょうね。しばらくの間ですが、お別れしましょう。それでは……また」
ルーチェさんはそう言って閲覧室から出て行った。
「あっ……待ってください!」
デヴィッド兄さんがルーチェさんを追いかけて閲覧室を飛び出す。
が、兄さんは外の曲がり角のところで急に足を止めた。
どうしたのかと思って兄さんのところに行き、曲がり角の奥を覗いてみる。
そこには――
「……いない、か」
ルーチェさんの姿は、煙か何かのように消え失せてしまっていた。
次話>今週は作業時間が少ないので来週になります
新連載はじめました。
『G.A.T.~花園の乙女たちの憧れる青薔薇の君は、とんでもない人外でした~』という作品です。併せてお読みいただければさいわいです。
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