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第五面 伴侶と眷属


 小鳥遊の屋敷には、針山のように尖った空気が漂っていた。


 怒りに震える鈴世にとって、美晴はようやく見つけた血族であり、家を存続させるために必要な母体であった。

 直接目にした美晴は、愚鈍で気弱だが、容姿だけは際立っていたあの男によく似ていた。これなら欲しがる者も多そうだと安堵したのも束の間、その日の晩に着の身着のままで屋敷から逃げ出したのだ。


 制服も鞄も取られ、電子機器さえ手元にない。

 寝巻きを纏っただけの気弱な少女が、まさか夜の山へ踏み入るとは、誰も予想だにしていなかった。

 使用人の叫ぶ声に飛び起きた鈴世は、初めは夢でも見ているのかと思ったほどだ。それでも、これが現実だと知った瞬間、鈴世は怒りのあまり手元の茶器を壁に投げつけていた。


「まだ見つからないの? こうなったら、裏山を総出で捜させるしかないわね」


「お待ちください鈴世様。あの山に立ち入ってはなりません」


 憂いに満ちた顔で鈴世を止めた側仕えは、何かを強く畏れているように見えた。

 三百年以上も続く小鳥遊家の当主に釣り合うよう、側仕えも古くから村で暮らしてきた一族の末裔が選ばれている。側仕えの女の一族は、代々祭事を担う一族でもあった。


「あの日のことをお忘れですか。面妖の怒りに触れたことで、関わる者全てを皆殺しにされてもおかしくない状況だったではありませんか」


 かつて起こった出来事を思い出し、側仕えは青ざめた顔で身体を震わせている。


「面の下に面を重ね、決して素顔を見せることなく、異なる(かお)で妖しげな力を使う存在。それが面妖なのです。時が経つにつれ神として祀られるようになり、今でこそ守護神と呼ばれるようになりましたが……」


 村人の間で語り継がれてきた、面妖の真実。

 それは、過去からの戒めであり、先人たちによる警告でもあった。


「たとえ守護神として祀られていようと、ひとたび面を付け替えれば──残虐な祟り神にもなり得る存在です。いくら小鳥遊の血が貴重でも、村全体を危険に晒すわけにはいきません」


「それが何だと言うの!? あの娘がいなければ、三百年も続いてきた小鳥遊の血統が途絶えるのよ……! 何と言われようと、必ず連れ戻してみせるわ」


 鈴世にとって、小鳥遊の血を繋ぐこと以上に重要なことはない。側仕えの言葉さえ、今の鈴世に届くことはなく。

 裏山の麓には、嵐の前の静けさが漂い始めていた。




 ◆ ◆ ◆ ◆




 神夜が現世に向かった後、美晴は部屋の前にある縁側から外を眺めていた。

 美しい日本庭園は絵画のように整えられており、苔むした石に水滴が落ちる音は、美晴の心をじんわりと癒してくれる。


 不意に、庭園をふわふわした何かが横切った。

 金色の毛並みに黒い紋様。全体的に丸い形状をしたその生き物は、美晴の視線に気づくと毛を逆立てている。


「なにを見ているのですか!」


「えっと、たしか……玖狐、だったよね」


 前に神夜がそう呼んでいたのを思い出し、美晴は確かめるように狐の名前を口にした。


「気安く呼ぶな、人間め!」


「……ええと、じゃあ……きゅうちゃんとか?」


「ちがーう! そういうことではない!」


 名前を呼ぶなと言っているのであって、呼び方を変えればいいという問題ではない。

 地面に尻尾を叩きつけながら怒る玖狐に、美晴は困った表情で眉を下げている。


「ごめんなさい……。それじゃあ、こんちゃんにしておきますね……」


「ぬわーっ! わたくしを、そこらの狐みたいに呼ぶでなーーーい!」


 庭園に、玖狐の絶叫が響き渡った。




「……すみません、驚かせてしまいましたよね」


 頭から血を流しながら、美晴が申し訳なさそうに謝っている。

 あの後、騒ぎを聞きつけた苑寿と刀喰が駆けつけるも、慌てた美晴が立ち上がった拍子に、縁側から転落するという事態が発生した。


 すぐに美晴の手当てを始めた苑寿に対し、刀喰は玖狐の方をじっと睨んでいる。

 目の前の惨状に衝撃を受けた玖狐は、石像のようにその場で固まっていた。


「美晴様は注意がそれると、すぐに平衡感覚をなくされます。以後、お気をつけください」


「そもそも、なぜ玖狐がここにいるのですか? 美晴様の住まわれる部屋の周辺には近寄らないよう、主様から言われているはずです」


 苑寿と刀喰は、玖狐に対して淡々と苦言を呈している。

 人形のような雰囲気の二人だが、それは可憐な見た目や普段の所作、あまり変わらない表情によるものが大きかった。

 しかし、今の刀喰は珍しく、不機嫌さの滲む感情を表に出している。


「そっ、それは……偶然通りがかっただけです!」


「偶然ですか。言い訳がお上手ですね」


 ふんっと鼻で笑う刀喰に、美晴が目を瞬かせた。

 美晴の前では大人しく、嫌味一つ言わない刀喰の口から、鋭い皮肉が出てきたことに驚いたのだ。


「あ、えっと……」


「大丈夫です、美晴様。刀喰も分かっております」


 刀喰を止めるべきか悩む美晴に、苑寿は小さく首を振ると、安心させるように微笑んでいる。


「それよりも──縁側にいる際は、慌てて立たないようお願いいたします。苑寿たちがお側にいれば、お支えすることもできるのですが……」


 美晴に気を遣わせないよう、苑寿と刀喰が決まった時間以外に部屋を訪れることはなかった。勿論、呼ばれればいつでも駆けつける準備はできていたが、美晴は誰かを呼ぶことに慣れておらず、むしろ自分から動こうとしてしまう。

 結局、そんな機会が訪れることはなく。苑寿は内心、もどかしい気持ちを抱えていた。


「あ……あのね、苑寿……」


「──あの娘は人間なのですよ!」


 何かを言いかけた美晴だが、庭園に響いた玖狐の声に遮られてしまう。ため息をついた苑寿は、美晴に「申し訳ありません」と謝罪の言葉を口にした。


「眷属の多くは、人間をよく思っておりません。しかし、美晴様が奥方の座に就かれたことで、人間という括りよりも、主様の伴侶という立場の方が重要だと認識しているのです」


 苑寿の話に、美晴は黙って耳を傾けている。

 庭園の方では、刀喰と玖狐がばちばちと火花を散らしていた。


「苑寿たちは、主様に拾われた身。救ってくださった主様に、深く忠誠を誓っております。玖狐は人間に迫害を受けていたところを、主様に救われました。主様を慕う気持ちは本物ですが、人間への憎悪が拭い切れず、美晴様へ無礼な言動を取ってしまうのでしょう」


 

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